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ポンコツ魔術師と人形従者

「──告げる」


 深夜、赤い月が夜空の真ん中に浮かぶ頃。風の音すらしない静寂に、鈴とした少女の声が響いた。

 厳かで冷やかな空気の張りつめる森の中。その奥地、木々が拓けて広場となったその場所に、一人の少女が緊張した面持ちで佇んでいる。


「我が名はユーリエ・フェスカ。フェスカ家七代目当主ユリウスが娘にして地と水の魔術師。汝の親にして主」


 彼女の眼前には、青白く光る幾何学模様。そしてその上に横たわっているのは、今にも動き出しそうな、非常に精巧な人形(ドール)


「汝は我が従者なり。我に従い、我を護り、我が敵を打ち倒すべし」


 呪文を一節紡ぐごとに身体から何かが抜けていく感覚。否、吸いとられていくという方が近い。

 少女──ユーリエの額に玉のような汗がいくつも浮かび、そして流れていく。歯を食い縛り、体を苛む痛みと脱力感に耐える。

 彼女自身が持つ魔力と、霊域であるこの森に漂う魔力。それらが混ざりあい形を成していく。


「さあ、命無き汝に生命の息吹を与えよう。これより汝は動かぬ人形に在らず。汝が身は我が下にあり、汝の力を我に捧げよ。それが汝の産まれるべき理由であり、存在するべき意義である」


 文言を唱えながら左手に持っていた短剣を右親指に軽く刺し、流れ出た血を人形に垂らした。

 瞬間、動く道理のない人形が脈動する。膨大な魔力がこぼれるようにあふれだし、辺りに散乱していった。

 魔力の奔流は嵐のごとく。木々が揺れざわめいて、突風が巻き起こる。


「大地を駆け、剣を振るい、その命を躍動させよ。世の理に叛く事を、産みの親たる我が赦す」


 幾何学模様が輝きを増し、一際眩くユーリエを照らす。光の残滓が飛び散って、ドールが閉じていた瞳を開き、おもむろにその上半身を起こした。

 わたし史上かつてない程の、会心の出来。ユーリエは頬を緩めながら、内心でそう呟き両手で小さくガッツポーズを決める。


 この後ドールが臣下の礼をし、ユーリエが存在を定義する名を与えれば契約は完了、一連の魔術は成功となる。

 ……本来ならば、そうなるハズだった。


「えっと、すいません、ここはどこ……というか日本語分かりますか?」

「……え?」


 故に。喋るハズがないドールが突然質問をしてくるという状況に、ユーリエは呆然と口を開ける。

 失敗の二文字が彼女の頭をよぎった。ガックリとその場に崩れ落ち、呆然と膝を地面につく。


「……また、なの? またわたしは失敗してしまったの? あんなに皆に啖呵を切って、お父様に最高級の素材を用意していただいたのに?」

「あ、あのー……」


 質問を無視された形になったドールが、戸惑いがちに、しかし心配の色を滲ませながらユーリエに声をかけた。

 その反応も、ユーリエにとっては追い討ちとなる。普通のドールがここまで複雑な感情を示す事などない。彼女の魔術の結果は、どう考えても異常(イレギュラー)だった。


「……うう」

「え?」

「うぇええん! なんでなのよぉ! もうやだぁ、わたしのばかぁ……」

「え、ちょ、君!? ど、どうして……」


 長らく準備してきた。最初の失敗を反省し、研鑽を積んできた。

 だというのにまたもや失敗したという事実。それを直視して、ユーリエは涙を堪える事など出来なかった。


 悔しかった。恥ずかしかった。不甲斐ない自分が情けなかった。


 親に多大な期待をかけられてきた彼女は、しかし魔術を学び始めて十年、簡単な魔術ですら数える程しか成功していない。

 それでも諦めずに、必死に努力を重ねてきた。

 だがいくら努力したところで、結果を伴わなければ意味はない。


 ポキリと、心が折れかける。わたしは魔術師失格ではないか、と。


 ユーリエの体から力が抜ける。

 名門と言える魔術師の家の娘としての自尊心。優秀な姉への劣等感。そしてなにより、また期待を裏切った事に対する罪悪感に押し潰され、ふらりと体が前に倒れかけた、その時。


「大丈夫……じゃ、なさそうだね」


 ドールの少年が、彼女の肩を押さえた。

 宝石の瞳にユーリエの泣き顔を映しながら、彼は彼女の涙を指で拭う。呆然と少年を見上げるユーリエの四肢は、いっさいの力が入っていない。


 どうしよう、と少年は頬を掻く。ここはどこだとか、今は何時なのかとか。聞きたいことは沢山あるものの、彼女のこの様子では無理だろう。

 訳がわからない。彼はけだるげにそうぼやいて、耳が捉えた異音に顔を上げた。


「うそでしょ……」


 それはかすかな、本当に小さい音。自分でもなぜ聞き取れたのか分からない微細な音に反応し、そして視界に写すのは本来見えるハズのない、かなり遠くの暗闇に潜む肉食獣の姿。

 異様なまでに鋭敏な嗅覚により、獣臭に囲まれていることを理解して。

 狙われている、少年はそう確信した。

 その瞬間。目があったその狼のような何かが、隠れることをやめて駆け出した。


 逃げなくては、と走り出そうとして。少年はまだ狙われていることに気付いていないのであろう、へたりこんでいるユーリエを見る。

 彼女を残して逃げる訳にはいかないだろう、と。判断は一瞬だった。


「先に謝っとく。ゴメンね」

「え、何……ひゃあ!?」


 悲鳴をあげるユーリエを無視して、少年は彼女を抱きかかえた。


「な、何をするの!」


 顔を真っ赤に染め上げたユーリエが叫ぶ。それを意に介さず、少年は地面を蹴った。


 人を一人持ち上げているというのに、その足取りは軽い。夜の森という悪条件にも関わらず視界は明瞭。腕の中で暴れるユーリエを押さえ込み、羞恥の声は黙殺して追跡者の物音に集中する。

 胸を叩く拳は気にならない。自らの体の異常を、今は都合が良いと受け入れてただ走る。


「ヴルァ!」

「……あっ!」


 獣の唸り声と擦れる葉の音、少女の呟き。

 なるべく獣が少ないであろう方向へと逃げた。だがそれでも、包囲を抜けようとすれば少なくとも一匹には遭遇するのは分かりきっていたこと。ここに至り、ユーリエも自分達を狙う存在に気付いて目を見開く。


 巨大な狼のようなその生物が跳んだ。大口を開けて涎を見せ付けながら、獲物を喰らうべく柔らかいその肌に鋭い牙を突き立てようと。


「そい、やっと!」


 その頬を、少年の回し蹴りが打ち砕く。

 グキョリと何かが折れる音と、キャインという悲鳴を残して吹っ飛んでいく狼に似たソレ。

 足は止めずに、ぐったりと動かなくなる一匹を呆然と見送って。


「……信じらんない」

「なんでやった本人が驚いているの!?」

「いや、これは避けられないなと思って、開き直って蹴ってみただけだから……」


 明らかに身体能力が高くなっている。薄々勘づいていたその事実を改めて認識して、少年はこれなら逃げ切れるかもと相好を崩した。


 全力で走り続けていても一向に息は上がらず、心臓の音も聞こえない。背後に迫る無数の足音や臭いからしてさほど距離を離せてはいないが、かといって追い付かれることもなさそうだった。


「で、後の問題はここがどこで、これからどこへと向かえば良いのかなんだけど。君分かる?」

「……ごめんなさい、混乱してて……」

「ですよねー……」


 やみくもに逃げ回っていても埒があかない。かといって目標もない。

 あちらが疲れて脱落するのを待つのは楽観的過ぎるかな、と少年は嘆息をこぼす。その腕の中、ユーリエはバクバクと鳴り止まぬ胸を手で押さえながら呼吸を整えようと深呼吸。


「……ふぅ。一応、どうにかする方法はあるわ。賭けになるけど」

「おっ。僕に手伝えることはあるかな」

「追手はどの辺りに居るか分かる?」

「真後ろから左に三十度ほど、距離四十メートル程度、数は十一。さっき一匹やられたからか、群れで集まってる」

「……聞いておいてなんだけど、本当に分かるのね。なるべくその位置関係が変わらないように逃げて」

「了解」


 そっと、彼女は胸元のブローチを撫でる。そして躊躇うように一瞬眉間にシワをよせ、その逡巡を振り切るように頬を叩いた。


「──大地よ、我が命を聴け」


 指の傷から血が流れる。それは重力に反し、宙に浮かびながら形を為す。

 その口から綴られる文言に合わせ、超常の力が構築され、漏れ出た魔力が渦を巻いた。それに怯えたのか獣達の足並みが乱れる。少年は指示通りに速度を緩め、位置調整を怠らない。


 幾重にも呪文を重ねて、魔術が完成する。


「──土塊よ、氷樹となれ!」


 最初に地面が揺れた。次いで獣達を取り囲むように氷の棘が生える。

 足下から突如現れたそれは、如何に鋭敏な感覚を持つ獣と言えど避けられるものではなく。

 数多の氷槍が、追跡者達を貫いた。


「凄い……」


 少年が感嘆を漏らす。そこには不可思議への驚きと、それ以上の安堵があった。

 だが。


「……やっちゃった」


 彼の腕の中、ユーリエが青ざめる。嫌な予感に少年は顔を強張らせた。

 氷槍の乱立が止まらない。同時に地表に亀裂が走り、割れる。

 慌てて足を速めるが、地割れの進行の方がはるかに早い。生じた泥濘に脚をとられ、蹴った地面ごと下へと落ちていく。


 ──ユーリエ・フェスカという少女は、魔術をほとんど成功したことがない。だがそれは発動しないという意味ではなく。

 名門の家系にふさわしい膨大な魔力の量、質、適性。それを制御出来ず、過剰なまでに注がれた魔力による暴発。それが彼女の常だった。

 故にこそポンコツと嘲られ、魔力の無駄遣いと嗤われる。


「うわぁぁぁあああ!?」

「ごめんなさいぃぃぃいいい!」


 二人は崩落に巻き込まれ、地下の闇へと消えていった。

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