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平成最後、忘れられない夏を拾え

宗一はまだ、夏を楽しんでいない。


 何かに触発されて盗んだバイクで走り出したりもしてないし、青春の思い出を作ろうなんていって真夜中の学校に忍び込んだりもしていない。


 ラブロマンスが始まる(予定)の夏祭りはまだ来てないし、朝早くに起きて仕掛けた罠にカブトムシがくるかどうかワクワクする時間も過ごしてない。


 駄菓子のおばあちゃんに百円を放り投げて軒先で飲むラムネの味も知らないし、ちょっとした冒険と称して遠くまで出掛けて、夜遅くに帰ってきて怒られるという経験もしていない。していないのだ。


 宗一はまだ、夏という非日常を味わってない。


 だから、道端に落ちていた平成最後の夏を拾った。




 高校二年生。2018年。平成最後。ミレニアムチルドレンとなるには一足遅く生まれてしまい、やや中途半端な気持ちで過ごす十七歳の夏。

 普段なら、「夏だ! 海だ! 祭りだ!」という学生らしい気持ちで過ごすのだが、今年は少し違った。

 なんせ、それらの言葉の前に平成最後、という前置詞が入るからだ。

 今年は、「いつもの夏」ではなく、「平成最後の夏」として過ごす。平成最後の夏という魅力的な言葉に、すっかり骨抜きにされていることは確かだった。


 今日は夏休みの中盤に差し掛かろうかという真夏日で、強制参加の夏季補修が終わる日でもあった。

 時計の針は十二時十五分を指している。友達との挨拶もそこそこに、教室を飛び出した。

 おそいくる熱気を掻き分けて、自転車で自宅へとかっとばす。

 今日から両親は二週間、一人息子である速水 宗一(はやみ そういち)を置いてハワイ旅行に行っているのだ。避暑地ではなく、ハワイに行くところがあの二人らしい。


 常に陽気なあの二人を思い浮かべて、宗一は最後の難関の上り坂へと挑戦する。

 徹底的に自分を苛めぬく軍人のような気分で、向かいにいる憎き太陽を睨み付けた。いつか絶対に倒してやる、なんて小学生のようなことを考えて、立ちこぎで一気に決めに行く。

 わずか十秒、されど十秒。

 背中にぐっしょりとかいた汗を勲章に、見えてきた自宅へと自転車を急がせた。


 うるさいセミの音が、今日はファンファーレのように聞こえてくる。これから始まる一人だけの夏休みに、胸は高鳴りでどうにかなってしまいそうだった。

 今日は何をしようか。ホラー映画をたくさん借りてきて、布団にくるまって徹夜で見るのもいいかもしれない。それか、少し遠出して借りたアダルトビデオの大観賞会なんてのもいい。

 家人がいなくともずっしりと佇む我が家は、夏の陽光なんかにも負けそうにない頑固な岩のようだった。


 もちろん、宿題をするという考えは頭の中のどこにもなく、宗一の頭を占めているのはこの二週間の夏と解放感だけだった。

 平成最後の夏。宗一にとって、ベストコンディションともいえる平成最後の夏は、この夏休み中盤のたった二週間だけだった。

 夏季補修は終わり、家には自分以外の誰もいない。つまり何でも出来るのだ。世界は自分を中心に回っていて、出来ないことなんて何もない。することに許可なんて必要なくて、隠しとおせるのならリスクなんて全く考えない。そんな万能感に包まれっぱなしでいられるのが、この二週間なのだ。


「ただいまー」


 ひっそりと静まりかえっていた家が、「やっと帰ってきたか」とばかりに夏の外気を取り入れ騒がしくなる。

 とりあえず、汗がうざったい。リビングにクーラーをつけて、部屋が涼しくなる間にシャワーを浴びようと決めた。

 リビングに入り、クーラーの電源を入れ、机の上に置いてある紙を見つけた。手にとってみると、達筆な文字でこう書かれてあった。


『じゃあ母さん達はハワイに行ってくるわね! 家の留守番は任せたわよ! 冷蔵庫にアイスが入ってるから好きなように食べなさい! あと勉強もしっかりね! それじゃあ母さんはお父さんとラブロマンスを堪能してきます。PS.晩御飯は奏海ちゃんが作りに来てくれるらしいわよ。避妊はしっかりとね☆』


「あのババア……!」


 うがー! と一息に破りさり、既にあちらにいるのであろう母親に怨嗟の声を漏らす。

 大体、高校にあがってから一回も喋ってないのに、そんなことをするとでも思っているのだろうか。

 確かに小学生くらいまではよく遊んでいたが、中学生にもなるとなんとなく女子と遊ぶのは恥ずかしいみたいな気持ちになって距離を取った。女子と絡まない俺かっこいい、みたいな気持ちも確かにあったが、そのせいで彼女も出来なかった。今考えるととても馬鹿だ。

 そしてお互い違う高校へ進学し、接点は無くなった。奏海の声を聞くのだって、一体何年ぶりだろう。


 ――最後に見せた、奏海の何かを堪えているような顔が思い出された。泣いてたまるかと歯を食い縛り、宗一にぶつけるはずだった恨み言すらも飲み込んで。


「はぁ」


 奏海が来るなら部屋の掃除をしておこう。怖い映画を見るなら、一人より二人がいいに決まってる。

 乱雑に散らかってるような部屋ではないけれど、一応念のために自分の部屋も――、


「ああもう! あんな余計なこと書くから……!」


 決して自分の部屋に連れ込むとかそういう訳じゃない。紳士なのだ。紳士たるもの、常に部屋を清潔に保っておかなければならないのだっ!


 その前にシャワーだった。いつもより丹念に体を洗った。わきとかを重点的に。アロマフレグランスの匂いだ。さすが、母さん愛用のシャンプーは違う。


 この二週間、どうやって過ごそうかと考えながら自分の部屋を掃除していると、とても懐かしい物を見つけた。服をたたみ直してタンスに詰めている時、奥底で密かに眠っていたのだ。高級そうな真っ白い箱からはみでたたとう紙が目を覚まし、こちらを覗いている。

 浴衣だった。夏祭りのあの喧騒が、ばぁっと部屋に広がった。


 そこは完全な異空間で、繋いだ手を離してしまえば、二度と戻れなくなってしまいそうな恐怖に囚われた。

 神社の敷き詰められた石から香る土と砂の匂い、喧騒にまけじと鳴き続けるセミの声、酔ってしまいそうな人混み。これでもか、という密度で、その異空間は強く存在を主張し続けていた。まるで夏という季節が全力を持って騒ぎ立てているような。

 気付けばその夏祭りにすっかり魅了されていて、過ごした時間は本当に一瞬のように感じられた。

 手を引かれ、祭りという非日常から日常へと戻る瞬間に、もう片方の手を伸ばしたのは、終わろうとしている夏を掴もうとしたからだ。


 パタン、と箱を閉じた。

 人の喧騒は消え、代わりにセミの鳴き声がやかましく響いてくる。じんわりと汗ばむ背中に、パタパタと服をあおぐことで風を送る。

 名残惜しい、と感じた。いつか終わるこの夏が、とても名残惜しい。


 となれば、やることは決まっていた。


 夏だ。夏を楽しむのだ。


 リビングに降りてクーラーを消した。窓を解放させる。冷気と熱気の壮絶な戦いの末、熱気が領土の占有に成功した。むわりとまとわりつくような熱気が部屋中を覆う。

 けれど、それでいいのだ。扇風機だけは自分自身に固定させて、昼ご飯であるカップ麺をすする。くだらないトーク番組を見ながらカップ麺を食べ、扇風機だけで暑さをしのぐ。夏だ。どうしようもないほどの夏だった。


 一時間後、夏の暑さに耐えかねてクーラーをつけた。夏は暑いのだ。地球温暖化め……と一体誰に向けて放てばいいのか分からない言葉を吐き、冷蔵庫からアイスを取り出した。スイカも入っていた。

 誰か、友達を呼んで一緒に食おう。クラスのやつでも誘って、お泊まり会でもするか……と、スマホをいじっていた時、ピンポーンというチャイム音が鳴った。


 反射的に時計を確認すると、五時四十分。時間はたつのが早いな、とも思いつつ、玄関を開けた。


「……久しぶり」


 奏海がいた。大体三年ぶりの奏海は、随分と真っ黒になっていた。


「……黒い。黒くない?」


 バゴン、という衝撃。一瞬後に理解が追い付いて、殴られたことに気付く。


「全然変わってないね、宗! あと黒くないし。健康的な肌だし。というか女の子に向かって黒いって、普通言う?」


 奏海は、宗一のことを宗と言う。随分久しぶりに名前を呼ばれたことに懐かしさを感じながら、やっぱり奏海も中身は何も変わってないんだなと再確認。

 すぐに手が出てくるのも昔と変わらないし、ベラベラ喋りたくるのも変わってない。変わったのは、そのチョコレート色の肌とあとしっかり強調してくるなんというか年頃の男の子を惑わす悪魔的なあれだけだった。

 紳士なので、奏海の首から下には視線を下げない。


「まあ、入れよ」

「うん、おじゃましまーす! うわー、懐かしー。あ、こんな観葉植物なんか置いてなかったよね! あれ、テレビ変わった!?」


 キャーキャーはしゃぐ奏海を背に、ほっと胸を撫で下ろす。どうやら、あの()も治ったらしい。あれには随分と迷惑をかけられた。高校生になって、少しは大人になったということだろうか。


「それじゃあ、今日は一体――」


 何を作ってくれるんだ、と言おうとして、奏海が宗一の前にまわりこんできた。奏海がキラキラと目を輝かせているのを見て、宗一は悟る。

 あ、やっぱりあの癖治ってない。


「宗! あの坂に幽霊が出るって話、知ってる!?」


 無類の怪談好きは、高校生にもなって絶好調らしかった。

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