勘定奉行:RePossession
「越後屋、お主もワルよのぅ」
「いえいえ。お奉行様には、とてもとても……」
夜の静寂に、悪の笑いが木霊する。
そのムワハハハという笑い声をきっかけに、俺の意識は急速に浮上していく。
目の前には、酒のとっくりを持ってこれでもかといい笑顔を浮かべる中年の男。黄土色の派手さは抑えているが豪華な着物を身につけ、恰幅もかなり良い。
ぶっちゃけ、時代劇の悪徳商人そのものだった。典型的すぎて、実は良い人というひねりもいれられそうにない。
盃で注がれる酒を受けつつ、視線だけで周囲を観察する。
畳敷きの8畳ぐらいの部屋。離れなのか、外の物音は聞こえない。ろうそくの不安定な明かりが、部屋を怪しく照らし出していた。
越後屋の背後には、人相が悪い男も控えている。明らかに盗賊というか、裏仕事を一手に引き受けている感じだ。
そして俺は、顔が見ないよう偉い人がかぶる頭巾を身につけており、上座にいた。
黒幕は誰だと聞かれたら、俺だと答えるほかない。
時代劇でよくある、悪役たちのシーン。
……なんで?
俺は改元関連の激務から久々に解放され、BSでやってた時代劇をぼーっと見てたはずじゃ?
見ながら寝ちゃったのか?
ということは、夢?
その割には、リアルすぎないか?
混乱しつつ、俺は頭巾をずらしてから酒盃を空けた。
日本酒だが、予想よりも甘い。そして、暖かかった。
そういえば、江戸時代の酒は、現代よりも甘くて一種のスポーツドリンクみたいな扱いだったと聞いたことがある。
基本的に、燗をつけて飲むとも。
夢で、そんな時代考証反映する必要あるか?
ということは……。
「勘定奉行の川井様のお陰をもちまして、例の件は順調に進んでおります」
「……そうか。それはなによりだ」
「これは、心ばかりのお礼でございます。どうぞ、お納めください」
なんとか受け答えする俺こと川井へ、越後屋がすすっと差し出してきたのは紫の袱紗。
ためらいながらも包みを開くと、出てきたのは小判。
紛う事なき、金色の小判だ。
ぱっと見50枚ぐらいの塊が、三つ。山形に詰まれている。
うわぁ……。
時代劇で良くあるシチュエーションが目の前にある。
どん引きと、時代劇ファンとしてのワクワクがない交ぜになったが、ここで不審がられるわけにはいかない。
俺は、小判の塊をひとつ無造作に掴んだ。
ずしりと重い。1キロぐらいはありそうだ。
夢って、こんなにリアルだっけ?
やっぱり、現実? 現実なのか!?
だとしたら、どうして俺は川井とかいう勘定奉行に意識が憑り移っているんだ? 時代劇見てたから? そんなんあり得る?
そりゃ。子供の頃から時代劇は好きだったけどさ……。
よりによって、なんで勘定奉行なんだ。
まあ、同じ意識が憑り移るにしても、その辺の町人や農民よりはましかもしれないけどさ。
俺は、なんとか、そう意識を切り替える。
悪役の偉い武士がかぶっている頭巾があったことも幸いした。
動揺をひた隠しつつ黄金色のお菓子を文字通り懐に入れ、俺は進捗を確認する。
「それで、計画に支障はないか」
「ひとつだけ、お耳に入れたいことが」
悪徳商人以外のなにものでもない越後屋の背後から、例の人相が悪い男が顔を出してきた。
……こいつも、ガチっぽいなぁ。
顔に傷とか分かりやすい悪相ではないが、脛には一杯傷がありそうだ。畜生働きが得意そうなアトモスフィアを感じる。
「実は、遊び人風の男がかぎ回っているようでして。いえいえ、もちろん尻尾は掴ませておりやせんが」
「そうか……」
なら、大丈夫か……って、遊び人?
「その遊び人、名はなんと申す?」
「へえ。確か、遊び人の金さんとか、金公などと呼ばれておりやした」
それ、北町奉行ぉぉぉぉっっっ!
遠山左衛門尉様御出座ぁぁぁぁっっっ!
やったー。金さんいるのかぁ! 誰のバージョンだろう?
って、それどころじゃねぇぇぇぇ。
だが、俺の内心など知る由もない。
越後屋の手下の盗賊が、さらに報告を続ける。
「それよりも、壬生屋への押し込みの件ですが」
「うむ。その件か」
うんうん。商人が出てきたら、ライバルの家に押し込み強盗を仕掛けるのは基本だよね。
……マジか。
勘定奉行なのに、なにしてんだよ、俺。地位をドブに捨てるつもりかよ!?
「一人、昔なじみを味方に引き入れやした」
「昔なじみ? 何者だ?」
「本所の銕と申しやす。気っぷが良くて頼りになるヤツでさぁ」
「本所の……」
それ、鬼平ぇぇぇぇっっっ!
火付盗賊改方長官じゃねーか!!!
俺と越後屋、どんだけ目を付けられてるんだよ。軍鶏鍋食いに行くぞ!
というか、また盗人一味に潜り込んだのかよ。ちょっと自重しろーーー!
待て待て待て。錯乱してる場合じゃないぞ。
やばい。このままじゃやばい。死ぬ。なんとか。なんとかしなくては……。
「あたくしどもも、最近腕利きの用心棒を雇い入れることができまして。あの方がいらっしゃれば、なにがあっても安心でございます」
「ほう。そこまでいうほど腕が立つのか?」
そうだ。別に勧善懲悪時代劇だと決まったわけじゃない。
力には力。
こっちだって、戦力を増強すればお白洲ルートの回避だって……。
「へえ。徳山新之介と申す御方でして。貧乏旗本の三男ということで期待はしていなかったのですが、これが強いのなんの。将軍様に、ご覧に入れたいぐらいで」
微妙に変えてきてるけど、それ暴れん坊ぅぅぅぅっっっ!
将軍じゃねーか!!!
終わった……。
もぅマジ無理……。諦めたから、試合終了しよ。
というか、時代設定どうなってるんだ? その三人、活躍した時期かぶってないだろ。なんでスーパー時代劇大戦になってるんだよ、おい。
いや、それよりも、計画とやらだ。
計画の中止をしなくては――
「……越後屋」
「なんでございましょう」
「いや……。百里を行く者は九十を半ばとすという言葉もある。慎重に事を運べよ」
「ははっ。さすが、川井さまでございます。この越後屋、肝に銘じます」
「うむ。しっかり頼むぞ」
――駄目だ。
ここで急に中止なんて言い出したら、怪しいにも程がある。最悪、俺が越後屋に殺られるかもしれない。
そもそも、計画がなんなのか分からないしな! 押し込み強盗働くことしか聞いてないし! それだけでも、充分大事だけどな!
「川井さま、難しい話はここまでにいたしましょう。きれいどころを用意しておりますので、今宵はゆるりとお楽しみくださいませ」
「おお、そうか」
ぽんぽんと手を叩いて合図する越後屋。
ふすまの向こうから、衣ずれの音がする。
できちゃう? 夢の帯グルグルができちゃったりするの?
っと、落ち着け。
これが、無理矢理拐かされてきた娘というパターンもあるので注意は必要だ。無闇に、罪を重ねる必要はない。
とりあえず、無難に酒だけ飲んでやり過ごそう。
それに、やたらと現実感はあるけど、他人に意識が憑り移るより夢だと考えるのが妥当だ。
だから、この会合が終われば夢から覚める可能性だってある。
とりあえず、ここを切り抜けられればそれでいい。
帯グルグルは惜しいけど、夢は夢。夢からは、覚めなければならないものなんだ。
――しかし。
もちろん、そんな都合のいい話は存在せず。
当然ながら、夢が覚めることもなかった。
そして、程なくして、俺たちの悪事も露見する。
北町奉行所と火付盗賊改方の動向をチェックしていたため、捕縛の現場から俺だけは逃げられたものの、そこまでだった。
お白洲に連行され、越後屋と手下の盗賊は、市中引き回しの上、打ち首獄門。
その裁きの場に臨席を求められた俺こと勘定奉行の川井には、ご公儀から切腹が申しつけられたのだった。
最悪の結末。
同時に、安堵もしていた。
勧善懲悪。
時代劇のルールは守られ、江戸には平和が戻った。
素晴らしき哉、予定調和。
それでいい。いや、それがいい。
でも、このときの俺はまだ知らなかったんだ。
扇子で腹を切る真似をして、首を落とされた直後。
「越後屋、お主もワルよのぅ」
「いえいえ。お奉行様には、とてもとても……」
悪の笑いが木霊して、俺の意識が覚醒した。
あの始まりの場面に。
そして、打ちのめされることになる。
死ぬこともできず、元の時代に戻ることもできず。
エンディングを迎える度、オープニングに戻るループ構造になっている。
その絶望的な事実に。