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ブロウズ薬局店のカルテ ~見習い薬師と最強の師匠~

 カーテンの隙間から一筋の光が差し込んでいる。

 ニーナが目覚めると男に馬乗りされていた。


 年頃の少女たるもの悲鳴を上げるべきだろうが、まず疑ったのは自分の目だ。寝ぼけているのかもしれない、と何度か瞬きをしてみる。視界がクリアになるだけで状況は変わらなかったので、ニーナは心底面倒そうな顔をした。

 男――もといエドワードはずいとビンを突き出してくる。


「この毒を飲んで死んでほしい」


 ビンはどす黒い液体で満たされている。ニーナは力なく首を振った。


「嫌ですよ、死んじゃいます」

「いやだから死んでほしい。そのあとこっちの蘇生薬を試したいんだ。心配しなくていい、成功間違いなしだぞ」

「弟子を実験台にしないでもらえます!?」


 ニーナはエドワードを押しのけて上半身を起こした。朝っぱらから何をしてくれているんだという気持ちをこめ、じっと睨みつけるが、エドワードに反省の色はない。むしろ残念そうに新作――真っ赤な錠剤を見つめていた。


「……薬馬鹿」

「聞こえているぞ」


 薬師見習いの仕事は朝早くに始まる。ニーナは靴を履き、カーテンを勢いよく開ける。屋根裏部屋に朝日が差し込み一気に明るくなる。ぐっと伸びをしてから、寝巻のまま白衣を羽織った。長く伸びた髪を2つに結う。準備ができたところで振り返ると、エドワードはいなくなっていた。


 ニーナも部屋を出て、階段を降りる。下から漂ってくる刺激臭は一夜草をすりつぶしているからだろう。

調剤室のドアを開けると、むせ返りそうなほど濃い臭いが流れ込んできて、ニーナは一瞬息を止めた。覚悟はしていたが相変わらず強烈だ。その中心にいるエドワードは真顔で作業しているが、とても信じられない。生理的に出る涙を堪えながら、エドワードの隣に並んだ。


「先生、代わります」


 無言で差し出された紫色の草。弟子である以上、雑用は自分から引き受けなければならない。口元に布を巻き付け、せめてもの抵抗をする。


「俺は調剤をするから、その間に3本潰しておいてくれ。それが終わったら朝飯だ。パンとジャムを用意しておけ。今日は甘いのがいい。確かネムの実のジャムが戸棚に――」

「分かったから想像させないでください……吐きそう……」


 平然と食事の話ができるエドワードはやはり只者ではない。



 結局朝食を食べきれなかったニーナだが、店が開くころには元気を取り戻していた。薬を求めて次々にやってくる客をさばくために、ニーナは店頭と調剤室を行ったり来たりする。


「イザベラおばさん、こっちの白いのが睡眠薬だからね。もう痛み止めと間違えちゃ駄目だよ」

「あはは、もう大丈夫さ。ちゃんと印までつけてもらったからね。忙しいのにわざわざありがとう、ニーナ。エドワード先生にもよろしく言っといてくれ」

「はーい」


 大時計に目をやると、とっくにお昼を過ぎていた。客も途切れたし、そろそろ休みを取る時間だ。店の外に出て「開店中」のプレートをひっくり返した。それから店に戻ってエドワードに声をかけておく。調剤に夢中な彼は生返事だが、いつものことなので問題はない。


「今日のお昼ご飯は何がいいかなあ。スープは昨日作ったし……」


 エドワードは三十路近いくせに偏食を治さないので、毎日のメニューを考えるのには意外と苦労する。とはいえ手を抜いたらすぐに気づくのだから面倒な師匠だ。うんうん悩みながらも買い物かごを手にした。とにかく市場に行かなければ、決まるものも決まらない。


 ポケットに銅貨を忍ばせ、ドアに手をかけたその時――地響きがした。馬車が通り抜けるのだとすぐに分かったから、入り口から離れる。大通りは一本向こうなので薬局前を通るのは珍しいが、全くないわけでもない。

 エドワードが「手元が狂った」と不機嫌にならなければいいけれど――昼食は彼の好物にしたほうがいいかもしれない。


 壁に貼られた薬草一覧を見ながら馬車の通過待ちをしていると、不意に暗くなった。地響きも不自然に止む。思わず窓のほうを見ると、店の前を馬車がふさいでいた。慌ててエドワードを呼びに行こうとするが、それよりも早くドアが開いた。


 数人の男が挨拶もなしにずかずかと入り込んでくる。ニーナは警戒して数歩下がるが、気に留めた様子もない。一人の男が前に進み出て、冷たい声で問いかけた。


「エドワード・ブロウズはいるか」


 彼は奥の部屋で調剤をしているはずだが、まさか頷くわけにもいかない。怪しい男たちに黙って師匠を差し出すほど、ニーナは薄情ではない。とっさに「薬を届けに外へ」と嘘をついた。


「それで、どういった御用でしょうか? 薬をお求めでしたら夕方に――」

「娘、我々を謀っても良いことはない。ここにいるのは分かっている。今すぐにエドワード・ブロウズを呼べ」


 男は詰め寄ってくる。出入口は残りの男たちに固められているから逃げ場はない。ニーナは恐ろしくなって、腰が抜けそうだった。

 もしエドワードがここにいると言えばどうなるのだろう。あの傍若無人な薬馬鹿のことだ、うっかりやらかして誰かの恨みを買ったのかもしれない。となればこの男たちに連れていかれて、痛めつけられて、もしかしたらそのまま――最悪の光景が浮かんで離れない。


「あの……ですから、本当に先生は……」

「もういい、どけ」


 男が無理やり奥に入ろうと近づいてくるが、ニーナは真正面に立ちふさがった。邪魔だと突き飛ばされるのかもしれない。それでもこの間にエドワードが逃げられるのならそれでいい。身体の震えは収まらなかった。

 ついに男の手がニーナに伸びてきて、思わず目をつむる。同時にガチャリと扉が開く音がし、ニーナの身体は後ろに引かれた。


「……先生!」


 男とニーナの間に割り込んだのは、まぎれもなくエドワードであった。裏口から脱出したと思っていたのに、彼もまたニーナを見捨ててはいなかった。


「ブロウズは俺だ。用があるなら言え、簡潔にな」

「いいだろう。こちらも手間がはぶける」


 男は小さく頷き、書状のようなものを突き付けてきた。何が書いてあるかまでは見えないが、一番下に描かれた家紋はハリストン王家のものであった。エドワードは目を通した瞬間に舌打ちをする。


「せ、先生。まさか本当にやらかしたんじゃ……!」

「違う。俺を何だと思っているんだ」

「薬馬鹿です!」

「黙れ馬鹿弟子」


 とにかくエドワードが罪を犯したわけではないことが分かって胸をなでおろす。とはいえ異様な状況であることには変わりない。ニーナはなおも警戒しながら男を睨みつけたが、彼は涼しい顔のまま書状を折りたたんだ。


「盟約に基づき貴殿を召喚する。馬車に乗り込め」


 エドワードは忌々しそうに短く返事をすると、ニーナに調剤室に行くように言った。


「道具一式持ってついてこい。急患だ」



 馬車で揺られること少々。ニーナとエドワードは大きな屋敷の前に立たされていた。エドワードのほうは平然としているが、ニーナは言葉が出なかった。門に描かれた薔薇の紋章には見覚えがある――イーストワード侯爵家だ。

 どうしてこんなところに連れてこられたのかさっぱりわからない。第一王家の紋章が入ったあの書状は何だったのだろう。ニーナの疑問は尽きない。


「おい、何してる。行くぞ。道具は落とすなよ」

「分かってます!」


 いつの間にか門の向こうにいるエドワードと男を追いかけた。



 2人は屋敷の中に招き入れられた。玄関だけでも薬局店の倍はあろうかという広さで、ニーナはまったく落ち着かなかった。絵やら彫刻やらが飾られ、いかにも貴族といった感じである。

 患者のいる部屋に向かう途中、調剤室の代わりに個室を与えられ、背負っていた道具をそこに置いた。必要最低限のものだけを持って目的地へと急いだ。部屋に到着すると挨拶もそこそこに診察を始める。


「マリア・イーストワード嬢。19歳。持病はなし、今朝に容体が急変、か。ニーナ、どう見る?」


 試すような口調に緊張が走った。ここでミスはできない――じっくりとマリアを観察する。目は真っ赤に充血し、白い肌に血の気がない。赤い発疹も浮かんでいる。意識はあるようだが、何やらわけのわからない言葉を呟いていた。体温なども考慮し、総合的な判断を下していく。


「まず毒を盛られたということは間違いないです。高熱で危険な状態にあるので、まず解熱剤を投与します」

「毒の特定は?」

「ええと……高熱、発疹、うわ言、あとは右半身にだけ出ている震え。これらはエゼ毒の特徴です。解毒剤は調剤済みのものがあります」


 手元にあるカゴから解毒剤を取り出そうとするが、エドワードの長いため息で手を止めた。びくりと身体が跳ねる。恐る恐る振り返ると、エドワードはうんざりした顔で首を振っていた。


「不正解」

「どこが間違ってました……?」

「毒の特定もせずにいつもの解熱剤を投与しようとしたこと。あれは一番よく使うが、拒否反応を起こす可能性もある。教えたはずだ」


 それから、と言葉を続ける。エドワードはマリアに近づき上半身を起させた。ぐったりとしている彼女を支えつつ、右手で服をまくり上げた。


「失礼。……見ろ、発疹は喉と背中に集中している。これはアゼル毒の特徴だ。症状は初期段階だが、そろそろ意識もなくなるはずだ。調剤を急ぐぞ。手順は分かるな?」

「はい!」


 調剤室に走る。扉を開けて、すぐに調剤の準備をしようとするが――2人の身体は固まった。置いていたはずの道具はめちゃくちゃに壊され、材料のほとんどが捨てられている。そして残された一枚の紙には脅し文句。


「これ以上関われば命はない――」

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