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死神の烙印を探して

「ねぇ、どうして僕達は人間さんの魂しか食べられないの?」


 唐突に、少年は布団の中で父親に尋ねた。不安があって、どうしても眠りにつける気分でなかったのだ。


「んぅ? どうしてって言われてもなぁ……」


 時刻は朝6時。この2人にとっては、眠りに入るのに最適かつ健康的な時間。寝る準備を終えて、さあ眠ろうかと布団に入って向かい合い、父親がまどろんでいた時だった。


「お隣の変な子から貰った飴を舐めたんだけどね、味がしないんだ!」


 少年は眠気など感じさせない様子でそう言うと、上半身だけ起こして枕の下から薄ピンク色の飴玉を取り出した。


「ばっちいよ。食べれないんだったら、ごめんなさいして捨てなさい……」

「美味しいって言って僕にくれたのに……でも、美味しくないの」


 少年は口を尖らせて、飴玉を手の中で踊らせる。


「う~ん、どう言えば伊吹にも伝わるかなぁ」


 まだ5才になったばかりの伊吹に難しいことを言っても伝わらないだろう、そう父親は考えた。

 それに、この問題は人間の魂を喰らう者――魄喰(はくばみ)の一族にとって深刻だ。これからの彼の成長において影響を与えかねない、早急に取り除いてあげるべき疑問だった。故に、父親は伝える情報の取捨選択を行い、丁寧に答えようとしたのだが――


「どうして?」


 すぐに答えを教えてくれない父親に、伊吹は少し不満げだった。このまま機嫌を損ねて眠って貰えなかったら困ると思った父親は、慌てて言った。


「僕らはね、人の世で言う死神……なんだよ。って、あーどうだろう、う~ん違うかなぁ」


 父親は頭の中のまとまっていない情報の内の一つを吐き出してみたが、それは自身で納得出来る答えではなかったようだ。


「しにがみ?」


 しかし、伊吹はその単語に惹かれたのか、再び枕に頭を置いて父親に顔を向ける。


「う~ん……ちょっと違うかも。そうだなぁ……人間さんは動物さんのお肉やお野菜を食べるね? それは僕らが、人間さん達の命を貰うのと一緒なんだよ。人間さん達も、僕らと同じように動物さんや植物さんの命を貰ってるんだ。ただ、僕らが食べるのは体そのものじゃなくて……その体の中にある魂なんだ。人間さん達は、魂は食べられない。僕らも、人間さん達の食べ物は食べられない。伊吹も美味しいって思わなかっただろう?」


 父親は、かなり不安げな表情で伊吹を見つめる。彼にとって、まだ納得のいくものではなかったらしい。


「うん……何も味がしなかったから」

「仕方のないことなんだ、これは。本当のことを言うと、お父さんもよく分からない。お父さんも、生まれた時からそうだったからね」

「じゃあ、お母さんも?」

「……いや、お母さんは違ったよ。お母さんは、ね」


 父親は伊吹の問いに一瞬だけ寂しそうな表情を浮かべたが、すぐにそれを覆い隠すようにして優しい笑みを作り、伊吹を抱き締めた。


「お父さん?」

「……優しさと厳しさの間で生きていくんだよ。伊吹」


 残念ながら伊吹にはその言葉は理解出来なかったが、父親の温もりに包まれたお陰で不安の種は小さくなり、意識はどんどん遠くへと運ばれていった。

 その微かな意識で父親と手の中にある飴玉の存在を確かに感じながら、やがて伊吹は眠りについた。




「――――ごめんね、僕は……お父さんは()()()()()


 2005年3月16日、午前6時40分。とあるアパートの一室で、伊吹の日常は静かに崩壊した。


*****


『今日未明、収賄(しゅうわい)疑惑のあったあっぱれ日本の党の代表佐藤 (たける)氏が自宅で意識不明の状態で発見され、死亡が確認されました。佐藤氏は持病などは抱えておらず、遺体で発見される数時間ほど前にはSNSを利用し、今回の疑惑を否定するメッセージを載せていました。また、発見された自宅は荒らされた様子もなく、佐藤氏自身にも外傷などはなかったことから――』


「腐った人間さんの魂は味が濃くてうめぇなぁ……」


 青年はビルの屋上に腰かけ、喧噪に溢れたネオン街を見下ろし、青白く輝く球体を頬張りながらそう呟いた。耳につけたイヤホンからは、ラジオのニュースが流れている。

 それを聞いて、青年――伊吹は歪な笑みを浮かべた。


「なぁにが、優しさと厳しさの間で生きていくんだよ、だっつうの馬鹿親父……結局、どっちかに偏るしかねぇじゃんか」


 漆黒の黒髪が、夜風に吹かれて僅かになびく。とても整えているとは思えないその短いボサボサの髪と鋭い目つきは、近寄り難さを彼の第一印象として与えた。


「もっと分かりやすく言えや……なんで、あれが最後の言葉なんだよ。別れの言葉くらい、ガキにも分かるように言えや……」

 

 あれから約13年、伊吹は18歳になった。本来なら学生か社会人として日々の荒波を乗り越えたり、羽目を外して楽しむことをしていたかもしれない。しかし、それが叶わぬのは彼が人ならざる世界を独りで生き過ぎた為だ。

 父親の温もりを感じながら眠りにつき、目を覚ました時には、もうそこに伊吹の幸せはなかった。隣にあったのは、ひんやりとした布団の感覚だけだった。そう、あの日突然父親は行方をくらませたのだ。


 重過ぎる孤独に耐えながら、それでも父親の帰りを信じて玄関の前で待ち続けた。大嫌いだった夜の暗闇にも、雷の音にも、たまに部屋のどこからか聞こえてくる物音にも負けずに。

 だが、無情にもその願いは届かなかった。父親は帰って来なかった。そして、伊吹は捨てられたと思うようになっていた。


「捨てたくせに、魂に金に物に教材やらをわざわざ郵便受けに入れやがって何がしてぇんだ」


 周囲に人の姿はない。これは伊吹の独り言、いつの間にか習慣になっていた。幼い頃から、父親がそばにいるつもりで喋り続けていた。

 最初は寂しさを伝えるものだった。しかし、寂しさはいつの間にか憎しみへと姿を変えていた。孤独が、彼を変えた。


「はぁ……」


 一通り思っていることを吐き出した伊吹は、ゆっくり立ち上がりながらイヤホンを外し、ズボンのポケットに入れていたスマホを取り出し、ラジオを止める。

 そして、再びそれをポケットに戻し、ここを飛んで立ち去ろうとした――その瞬間だった。


「待てです! 早まってんじゃねーです!」


 背後から突然聞こえたのは、少々言葉遣いが不思議な可愛らしい少女の声。伊吹は、その場で身構える。

 そして、同時に魄喰としての力を使い忘れていることに気付いた。

 

「お前様はまだ若いじゃねぇですか! 生きやがれです!」

「あ?」


 伊吹はその言葉を聞いて、ようやく自身が誤解されているということを理解した。

 そんなつもりはない、誤解だと伝える為に振り返ると、屋上の入口の前にロリータファッションに身を包んだ金髪の少女が涙目で叫んでいた。しかも、夜なのに可愛らしいフリフリのついたピンク色の傘を差している。

 内心、絵本から出てきたお嬢様かよと伊吹は思った。それをつい言ってしまいそうになったがグッと堪えて、早まっているのはそっちだよということを伝えようと口を開いた。


「馬鹿じゃねぇの。こんな所で死んでたまるかよ。誤解だ誤解」

「誤解……!?」


 しかし、少女に誤解されても仕方のない場所にいたのもまた事実だ。屋上のフェンスの向こう側で景色を眺めた後に、あからさまに飛び降りようとしている格好を見れば、誰だって由々しき事態だと思う。恐らく、どこからかその伊吹の姿を見た彼女は慌ててここに来たのだろう。


「これは、その……趣味だ」

「趣味!?」

「あぁ? 悪いかよ」


 しばしの沈黙の(のち)、少女が弾けるような笑顔を浮かべて嬉しそうに言った。


「なーんだ! なるほど、お前様はそんな独特な趣味を持っていやがるのですね! それはそれは……大変邪魔しちまったですね!」

「馬鹿にしてるのか?」

「えぇ? 馬鹿になんてしてるわけねーです! むしろ、危険を冒してまで趣味を全うしやがってるお前様を見て、感嘆しているくれーですから! 真似させて貰うぜです」


 そう言うと、少女は突然走りだす。走る姿は完全に陸上選手のそれだった。そして、1メートル近くあるフェンスをその見た目に反して簡単に飛び越えると、伊吹の顔を見上げて満足気に笑った。


「いい景色じゃねぇですか! なるほど、お前様が危険を冒してまでやる趣味なだけありやがりますね」

「お、おう……」


 まさか、平気で危険を冒す奴が人間にいるとは思ってもみなかった伊吹は困惑して、まともに言葉を紡げない。


「それに風も肌に優しく――」


 刹那、優しく吹いていた風がその本性を現したかのように姿を変えて、強く荒々しく吹き始める。伊吹は慣れているせいもあって何とも思わなかったが、隣の少女は違った。


「ぬおおっ! ヤベェですよ! あ――」


 風に押された少女はバランスを崩して、一瞬の内にビルの屋上から落下していった。


「おい、女ァ!」


 伊吹が、咄嗟に伸ばした手も届かなかった。


「クソ! めんどくせぇな!」


 すぐにその後を追って、伊吹は飛び降りた。落ちていくのはあっという間、伊吹は気絶した少女を助ける為に、必死で手を伸ばす。下には人の姿も見える。このままでは大惨事だ。


「どけぇええっ!」


 伊吹の声で人が事態に気付き、慌ててその場から逃亡する。姿を見られている、でもそれは今どうでも良くなっていた。

 もう少し、ほんのちょっとで手が届きそうだった。だが、地面も少女の体に触れようとしている。互いに残り数センチ、伊吹は少女を――――


「キャーーッ!」

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