国王の娘です。国から追放されました。
「お主を呼んだのは他でもない。私の娘を……ルティシラ・アルバートを、誘拐してほしい」
「こ、国王陛下!? 今、何と……」
王宮の最奥に用意された、特別な謁見室。
白を基調として、金や青の繊細な装飾が、大きな部屋の壁や天井、至るところに施されている。
また中央には、その部屋の広さと比べて随分と小さな四角のテーブルと、椅子二脚だけが置いてあり、そこに二人の男の姿があった。
「そこで、軍部総監督であるお主に頼む。国王親衛隊の暗部を、動かしてもらいたい。絶対に外部に漏れてはならぬからな」
「国王陛下っ!」
国王、と呼ばれている初老の男の発言に対して、もう一人の男が声を上げて立ち上がる。
茶色の短髪で、顔は二十代と思われるほど若々しいが、額から左頬にかけて大きな傷跡が目立った。
彼は、唇を噛みしめ、手を震わせながら言葉を続ける。
「国王陛下、無礼を承知で申し上げますが、ご自身の娘を誘拐するつもりでしたら、私は動くことはできません」
静かに、しかし怒気の篭った声色で、男が言い放つ。
大きな謁見室にはあまりにも小さな声だったものの、しっかりとそれは周囲に響き、そして静寂に呑まれていった。
「……お主が言いたいことも、儂はよく分かっておる。しかしな」
しばらくの後、今度は初老の男のしわがれた声が響く。
その表情には濃い疲労の色が見え、額に寄せられた皺の深さが、彼の背負うものの大きさを物語っていた。
「お主も知っておろう? ルティシラは、我ら『竜の血統』の才能に開花しなかった。派系ならまだしも、純血血統でそんなことが、あってはならぬのだ」
「それは……存じあげております」
彼らにずっしりとのしかかる、深海のような重苦しい空気。
先ほどまで覇気を溢れさせていた男も、だんだんと、その瞳から光を失くしていった。
「本来であれば十の歳までが期限じゃが、開花の兆しがあったことを理由に、四年の月日を待った。しかしもう、これ以上待つことは、出来ぬ。民衆の不安も、そろそろ限界であろう」
「……。」
男は、黙り込んだまま固唾を呑んで彼の言葉に耳を傾ける。
そして静寂の中、いよいよ国王は決断を迫るべく、ゆっくりと立ち上がった。
「全ての責任は儂が負う上、褒賞も約束しよう。方法は、お主に任せる。ただくれぐれも、他国に情報が漏れないように、極秘じゃぞ。……やって、くれるな?」
──
────
『ルティシラ、おやすみなさい』
「……ええ、ミトラ、また明日」
広い自室を照らしているのは、小さな蝋燭の明かりだけ。
その中で、私は頭を抱えて机に項垂れていた。
やがて、背後から穏やかな寝息が聞こえて来るようになった頃、私はふと振り返る。
薄暗い部屋の中央に浮かび上がって見える、丸まって寝る彼の姿。
煌めくライトブルーの鱗は美しく、逞しい肢体は立派な『竜』そのもの。
そうやって、ぼんやりとミトラの寝顔を眺めながら、私は何度目か分からない溜め息を吐く。
「もう、あれから四年が経つのよ……なのに、なにも」
しばらくして椅子に座り直すと、机に置かれてある冊子に目を落とす。
そこには『絆獣ミトラの成長日記』と記されていて、私は最初からページを捲っていった。
絆獣というのは、王家の血統の人間に、生まれた時からあてがわれる魔獣のことで、私たち『竜の血統』の絆獣は『竜』だ。
例によって私にも、物心付いた頃から隣にミトラが居た。
絆獣とはその名の通り、心でお互いに繋がっていて、運命共同体のような存在とも言える。
普通であれば、絆獣とのつながりのおかげで、血統者は強い力を得るのだ。
そう、普通であれば。
「ぅぅ……どうして、どうしてなのかしら」
私は低く唸りながら、血統者の証である髪止めを外して乱暴に頭を掻く。
はらりと机に垂れ下がる私の長い銀髪と同じように、頭の中も大いに混乱していた。
日記の『訓練情報』の欄が、毎日びっしりと埋められているのに対して、その隣には『ほぼ進捗は確認出来ず』の文字列ばかりが目立った。
この四年間、私たちは何もしていなかったわけではない。
むしろ、四年でできること以上のことをやってきたつもりだ。
私もミトラも、死にものぐるいで頑張った。
「でも……結果が出なきゃ、意味がないじゃない……!」
私は拳を握りしめ、机に叩き下ろすべく腕を振り上げた。
しかしその一歩手前のところで、私は背後にある気配を思い出し、ゆっくりと腕を下ろす。
「このままじゃ、私もミトラも、おしまいなのよ……」
額に手を当てて、私は再び机に突っ伏した。
あと僅かで、私は十四歳を迎える。
その時に、成人の儀と合わせて、別血統の子と絆獣を交えた模擬戦も行われる予定なのだ。
思い出すのは、四年前の絆獣との『血統解放』の儀式。
そこで、私たちは血統解放に失敗した。
本来であれば、私はミトラと共に即極刑となるほどの事態だ。
しかし、私たちは助かった。
それは私の父上……つまり、現国王に、才能を見出されたからだ。
“お主らには、まるで過去の英雄のような光が見える。……四年の時間を、お主らに与えよう。成長を楽しみにしているぞ”
しかし、気付けば与えられた四年も、もはや底をつく。
模擬戦までに、ミトラと血統解放が出来るようにならなければ、私たちは今度こそ終わりなのだ。
このままでは、父上の顔に泥を塗るばかりか、他国に弱みを握られてしまうことになる。
それに、私の大好きなミトラが、またあの時のように落ち込むことになれば、今度は私も耐えられそうにない。
だから、なんとしても……。
コンコンコン……
「夜分に失礼いたします、至急、ルティシラ様にお伝えすべき要件があって参りました」
突然、部屋の扉がノックされたかと思うと、扉の向こうからそんな声が聞こえてきた。
私は机に突っ伏していた頭を上げて、咳払いしてから応答する。
「あの、どちら様でしょうか。警備員じゃないようだけれど……」
「大変失礼しました、わたくしは国王親衛隊、暗部隊副隊長のアコールと申します。緊急の事態につき、直接お伺い致しました」
緊急の事態……?
私は椅子から立ち上がると、少し声を潜めて話を続けた。
「緊急とはいえ、私に直接報告なんて異例だわ。それに、なぜ暗部が動いているのかしら?」
「国王命令を受け、わたくしが報告、護衛にあたることになりました。つきましては、ルティシラ様と絆獣様には、大至急ご移動をお願いしたく……こちらを確認ください」
扉の向こうの声は、少し焦っているように聞こえて、ようやく私も事態の深刻さを理解し始めていた。
さらに、扉の封書受けに、何か葉書の大きさの紙を差し込まれる。
「これは……間違いない、本物だわ。すぐに準備を整えるから、少し待ってて」
「お願いいたします」
受け取った紙は『国王命令許可証』と呼ばれる、国王のみが発行権限を持つ特殊な文書だった。
偽物ではないのを確認した私は、急いで部屋の中央に戻ると、丸まって寝ているミトラの背中を揺する。
「ミトラ、ミトラ! 起きて、緊急事態よ、すぐにここから移動するみたい」
『ん……ん?』
彼が意識を浮上させたのを確認すると、私はすぐに別室に移動して、運動用の軽装備に着替える。
それから、必要最低限の道具類を入れたポーチを腰に巻き、愛用の片手剣も装着した。
「ミトラ〜? 起きてるわね、とりあえず竜具を持ってきてちょうだい」
『う、うん、でも、待って……』
身支度を整えながら、まださっきの場所に居るであろうミトラに声を掛ける。
すると、何かを迷っているような返事が返ってきた。
いつもの彼ならば、急な事態でも私の指示に従ってくれるのだが……どうしたのだろう?
「ミトラ〜?」
長い銀髪を櫛で簡単に梳きながら、中央の部屋に戻って彼の様子を確認してみる。
すると、やはりミトラは起きているのだが、首を傾げたり匂いを嗅いだりして、その場に座り込んだまま動いていなかった。
少し疑問に思ったが、焦っていることもあって、私は彼が寝惚けているのだろうと結論付けた。
「もう、ミトラったら……あ、先に扉の結界も解除しておかないとね」
『……やっぱり……何かおかしい?』
ひとまず寝惚けた彼は置いておいて、私はある装置の前まで移動する。
これは、扉に掛かっている特殊な魔力結界を制御するもので、私とミトラにしか開閉が出来ない。
私はそこに手をかざすと、魔力を流し込んで──
『ルティシラっ! 開けちゃダメ!』
「えっ──」
その時、ミトラがこれまで聞いたことのないような大声で叫ぶ。
彼の声が響くのと、部屋の扉が乱暴に開け放たれるのは、ほとんど同じだった。
──パァァンッ!!
次の瞬間、部屋の中を轟音と強烈な閃光が覆い尽くす。
閃光魔法を放たれたことを理解するころには、目の前は真っ白に染まり、音も耳鳴り以外聞こえなくなってしまった。
視界を奪われる寸前に私が見たのは、駆け寄ってくるミトラ……それから、扉の向こうに居た人たち。
その人らの胸に、王宮騎士団暗部の勲章が光っているのを、私は確かに確認した。
となると、彼らは本当に“暗部”だと言うことになるが、それは、つまり……?
そこまで考えたところで、いきなり首の後ろに強い衝撃を感じて、私の意識は無理やり引きちぎられた。




