当て馬キャラに恋をしました
自分の中に、自分ではない誰かの記憶がある。そのことに気づいたのは、物心ついたときだった。いわゆる前世の記憶というやつだろう、となんとなくわかったのは中学生になってから。
けれど、それを気にしたことは特になかった。前世の記憶が今世の記憶とごちゃ混ぜになることはなく、今の私は今の私、過去の私は過去の私、とはっきりと理解していたからだ。
いや、少し違うか。過去の私、というよりは、もはや別人の記憶として認識している。
なんていえばいいのかな……うーん、たとえるなら、漫画の主人公にめちゃくちゃ感情移入したせいで、その展開をほとんど全部覚えてる感じ?
だから、物心ついたときにすでにその記憶に気づいていても、私は私だった。精神年齢が記憶に引っ張られることもなく、普通の子どもとして過ごしてきた。
「花鈴、話聞いてる?」
「あっうん、聞いてる聞いてる」
さて。ところで、私の前世の名前は古藤綾乃という。綾乃は私と非常に似た性格で、好みや得意なものも同じだった。好み、そう、好みも同じなのだった。
なぜそこを強調したかというと。
――この世界、綾乃が大好きだった漫画の世界かもしれないのだ!
綾乃が大好きだった少女漫画、『恋のあかりが灯る』。
主人公の草野あかりと、その幼馴染和泉慎也の恋の話。
あかりと慎也が二人ともめちゃくちゃ可愛くてね……可愛いと可愛いが合わさってつまり最高で、つまりは推しカプだった。推しカプって言葉、通じるだろうか? めちゃくちゃ好きで、尊すぎてしんどいカップルということだ。語彙力なくてごめん。
まあ、まだ確定したわけではない。そうかもしれない、というだけ。そう思った理由は、私の幼馴染にある。
「……花鈴?」
「聞いてるよー」
私の幼馴染、白河千秋。『恋のあかりが灯る』のキャラと同姓同名だなー、実写化して幼くしたらこんな感じだろうなー、とは昔から思っていたのだが。
でもまさか、自分が生きる世界が漫画の世界かもしれない、なんて普通思わないでしょ?
「……絶対聞いてない。僕が今何話してたか言ってみてよ」
「痴漢から助けてくれた草野あかりさんがいかにかっこよくて可愛かったかについてです!」
じと目の幼馴染様のご機嫌を、これ以上損ねたら面倒なことになる。回想をやめてきりっとした顔で答えると、千秋は不満げに「そう」とうなずいた。
彼は今日の帰り道、電車で痴漢にあったらしい。男子なのに痴漢? と思うかもしれないが、大人の男性だって痴漢に遭う人がいるくらいだ、男子高校生となるとその可能性は上がるだろう。
そうじゃなくても、私の幼馴染に限って言えばそれほどおかしい話ではなかった。
ふわふわした色素の薄い髪は、思わず頬ずりしたくなるほどに柔らかい。すべすべな肌は抜けるように白く、花びらのような唇を際立たせている。瞳は大きく、くりっとしていて、喜怒哀楽の感情をわかりやすく映す。
幼馴染の私でさえ、千秋の微笑みには数秒見惚れてしまうレベルだ。私に微笑んでくれることはあんまりないんだけどね!
彼はそんなかなりの美少年で、しかも小柄だった。本人は163cmという身長にコンプレックスを抱いているようだけど、可愛らしい顔立ちなのでそれくらいの身長のほうが似合う。……はー、いいなー、163かぁ。私の身長を分けてあげたいなぁ。私、171なんですけど。
んん、話が逸れた。
美少年である千秋も、痴漢に遭ったのは今日が初めてで、とっさに動けなかったそうだ。気持ち悪かった、と語った彼はとても悔しそうだった。
「聞いてたんならもっと反応してほしかったんだけど」
「はは……ごめん」
乾いた笑いを漏らす私に、千秋は「……どうかした?」と怪訝そうな顔をする。幼馴染だからか、千秋は私のことに関しては無駄に察しがいい。それはお互い様ではあるけど、今はちょっと困る。
ごまかしは通じないだろうが、ごまかしたいという気持ちは伝わってくれるだろうから、適当な言い訳を口にした。
「んー、いや、私はまだ痴漢されたことないけど、されるの絶対やだなぁって」
「もし万が一痴漢されたら、即行僕に電話してよ。どうにかしてやるから」
「お、おう。了解」
この幼馴染様は変なタイミングでデレるんだよな。どうにかするって何をどうするんだろ……。
今度こそ話を戻そう。
身をこわばらせる彼を颯爽と救ったのが、草野あかりさんという人。偶然にも、同じ高校の一つ上の先輩だった。
彼女は千秋のお尻をなで回していたおっさんの手を掴んで、「この人痴漢です!」と叫んだそうだ。被害者が千秋ということで、他の乗客は疑う人が多かったようだが、数人の目撃者の証言でおっさん自身が犯行を認め、お縄につくことになった……というのはごめん、ノリで言いました。千秋が被害届を出さないことに決めたので、おっさんは逮捕はされなかった。
千秋いわく、「あんな奴のために僕の貴重な時間をこれ以上割いてられない」とのこと。
被害届出すと、なんかさらにめんどくさくなるっぽいからね……。もしかしたら他の被害者が出るかもしれないし、逮捕できるなら逮捕しといたほうがいいんじゃないかなぁ、ともちらりと思ったが、千秋の選択に不満があるわけでもない。
事情聴取を終えた千秋は、自宅で夕ご飯を食べた後、隣家の私のうちへとやってきた。正しくは、私の部屋へ。仮にも女子である私の部屋に、こんな時間にやってくるのはいかがなものかと思うが、まあそれは今更な話だった。
そして、草野あかりさんのことについてばーっと語り、今に至る。
痴漢です、と叫んだときの顔がかっこよかった、とか。周りから疑いの目で見られたときに少し震えていて、怖いのに勇気を出してくれたんだ、と感動したとか。お礼を言ったときに、「気にしないで。もっと早く気づけてればよかったんだけど……」と控えに微笑んだ顔が、とてつもなく可愛かった、とか。
なんかもう、ごちそうさま、という感じである。
『恋のあかりが灯る』では、白河千秋はいわゆる当て馬キャラだった。痴漢から助けてくれたあかりに恋をし、あかりが慎也のことが好きだと早い段階で気づいていながらも、彼女に好きになってもらえるように努力し、告白し、そして振られてしまう。皮肉なことに、彼の告白がきっかけであかりと慎也はくっつくことになる。
はい、痴漢のくだり、どこかで聞いたことある話ですね? まさしく今聞いた話です。白河千秋が草野あかりに痴漢から助けられ、恋をする。ここまで一致してしまったら、さすがにここが『恋のあかりが灯る』の世界であると思わざるをえない。漫画に私というキャラがいた記憶はないが、そこはひとまず置いておこう。
つまり推しカプがくっつくさまを見られる! 千秋の幼馴染であるという特権を活かせば、それも間近で!
ああなんて素敵。神様ありがとうございます! 生きててよかった! やったあ!
……くっそ、無理にでもテンション上げなきゃやってけないよこんなの。
いや、嬉しい。確かに嬉しいんだけど。綾乃が大好きな漫画だったから、すごく記憶に残ってて、しかしこの世界には存在しないから読めないのだ。そんな漫画の展開を、この目で実際に見れるなんて絶対に楽しい。推しカプ最高。
だけど。
私にとっては、そう単純な話ではなかった。
「で、千秋はその草野あかりさんって人のこと、好きになっちゃったんだ?」
ぎくっとした千秋が、仏頂面になる。
「…………なんでわかるんだよ」
「そりゃあわかるよ」
なんせ幼馴染だ。ずっと隣の家で暮らしてきて、幼稚園も小学校も中学校も、高校まで同じで。男女の幼馴染にありがちな、思春期に疎遠になるということもなく、仲良くやってきたのだ。
それに。
――私は、千秋のことが好きだから。
「千秋のことならわかっちゃうんだよなぁこれが」
「うっわ、なんかうざいんだけどその言い方」
「うざくて結構ですー」
きりきりと心が痛む。
あの漫画に、私というキャラはいなかった。白河千秋に幼馴染はいなかった。
『恋のあかりが灯る』。その最終話。草野あかりと和泉慎也の結婚式。
それに参加した千秋の隣には、草野あかりの友人、南恵利香の姿があり――千秋と恵利香は、お揃いの指輪をしていた。
犬猿の仲だった二人は物語の途中から喧嘩っぷるのようになっていて、付き合わないかなーと思って読んでいた綾乃は、この最終話にめちゃくちゃ喜んだ。綾乃も私も喧嘩っぷるはすごく好きだから、私だって、これが私にとって他人事だったら萌える。……他人事、だったら。
けれど残念なことに、白河千秋は私の片思いの相手であり。
そんな相手の恋する表情を初めて見てただでさえきっついのに、将来のお嫁さんが判明しちゃったりなんかしたら、もう打ちひしがれるしかないのだった。これだけは絶対に、何があっても、千秋にだけは隠し通すけど。
――芹澤花鈴、十六歳。どうやら、長年の片思いに終止符を打つときがやってきたみたいです。
「で、あかり先輩、写真部らしいんだけど、部員足りなくて廃部になりそうなんだって。一緒に入ろ?」
「へっ、私も入るの!?」
「僕が入るんだから花鈴も入るだろ……? え、入んないの?」
「……入り、ます」
「ん、ありがと」
終止符、を。
……できるだけ早めに打てればいいな、と、千秋の笑顔を見ながら思った。
あーあ、好きだなぁ……。




