ルミネセンスな恋
明かりがなく昼間でもわずかに差し込む窓からの光のみで薄暗い室内。歩くとギシギシと悲鳴をあげ今にも抜けそうな木造の床。匂いは土臭く、閉塞感を感じさせる。
夏。
けれども、この土蔵の中は、薄暗く、涼しい。蝉の鳴き声さえ聞こえども、その鳴き声もどこか遠い世界の音であるかのような気さえする。
中学三年生の少年、二人は、入ってはいけないと言われていた土蔵に入りこみ、ひそひそ声で話をする。多少大きな声を出しても、土蔵の中で跳ね返り外には聞こえないだろうが、けれど、ここが、外界から隔離された秘密基地のようで、二人は楽しかったからだ。
しばらく楽しんだ後、一瞬、話が途切れる隙間。その世界に音はなく、隣の吐息が聞こえるような気さえした。
「大翔は、好きな人とかいるの……?」
少し高めで、けれどもくぐもった声が、もう一人の耳に入る。そんな話題をあまり話してこなかった大翔と呼ばれた少年は、なっ、と驚いた声をあげて、大きな声をあげてしまったことに自分自身で驚き、慌てつつも、返答する。
「そういう、光こそ、どうなんだよ」
別に、照れくさい訳ではないのだが、そもそも、可愛いと思う子はいれども、好きな人はいるかと言われるとそういう訳でもない大翔は、答えようがなかったのだ。故に、隣に座る友人である、蛍木光にそう尋ね返した。
一方の光はというと、んー、と小さく考えた素ぶりを見せる。日光のほとんどは土の壁によって遮断されているが、高い位置にある窓から──ここが侵入経路なのだが──わずかに差し込んでおり、それによって、隣の人間がどちらを向ているかくらいのことは分かった。
光は、大翔の方を見て、言った。
「いるよ」
光は真面目な顔でそう言う。そう言われれば、気になるのは、当然のことで、大翔は食い入るように、問う。
「えっ!? だれ!? お前、俺と違ってかっこいいし、いけるだろ、俺にできることだったら応援してやるからさ」
「うーん……じゃあ、練習させてっ」
大翔が頭に大量の疑問符を浮かべるのと、二人の唇が触れ合うのはほぼ同時だった。それは瞬刻。大翔の思考が追い付く頃には、とっくに行為は終わり、くすくすと笑う悪友が隣にいるだけだった。
すぐ、光は立ちあがると、窓の方へと歩いていく。積み上げられている荷物をよじ登り、
「さ、もう行こう」
と言うその背中は、どこかとても遠くへ言ってしまうような気さえした。そして、
「あっ、光──!」
止めようと声を出した時、すでにその姿は見えなかった。もう少し、早く、止めていれば──。どうだったのだろう。
光の後に続いて、土蔵を出た大翔は、何か、忘れ物をしてしまったような気がした。
***
今思えば、それは、もしかしたら、蛍木光の告白だったのかもしれない。ただの悪ふざけだったのかもしれない。
その答えは出ることなく、大翔と光はその後、一切その時の行為について触れることなく、だからといって、距離が離れるということもなく、普通に、ごく普通に今まで通りの友人付き合いが続けられた。
けれど、それも長くは続かない。
互いに、別々の高校に進学し、最初の頃こそ家が近所だということもあり、連絡を取りあっていさえしたが、真面目に勉強をこなし、部活もこなし、順風満帆の大翔と違って、光はどうやらあまり高校生活がうまくいっていなかったようで、話題もあまりあわなくなり、頻度もどんどんと減っていった。
決定打となったのは、勉学に励む大翔が、都内の大学への進学を志してから。
受験勉強へのストレスがさらにそれを加速させ、気づいたころには連絡を全く取らなくなっていた。噂によると、高校をやめただとか、家出しただとか。とにかく、耳に入ってくるのはほとんど悪い噂。
しかし、大翔はそれらの噂をもう気にすることなく、光のこともあまり思い出さなくなっていた。
都内の大学の受験に成功し、進学が決まり、一人暮らしが決まる。
勉強して必死に入った大学だった。だから、大学に行けば何かが変わると思っていた。けれど、そんなことはない。
講義を真面目に受けこそすれども、友達と呼べるような友達もできず、気づけば──学校に行きたくない、行けない、外に出たくない──
親にも言えず、黙っていた。
「でも──このままじゃ、ダメだよな……」
ようやくそう思えたのは、引きこもり初めて一週間が過ぎたころ。昨今の世の中便利なもので、ネットで調べれば、メンタルクリニックの場所はもちろん、予約さえできてしまう。足を運ぶか迷ったが、気合でどうこうなる問題でもないと思った大翔は、一途の希望を胸に、病院へ足を運んだ。
メンタルクリニックとされた病院は、思ったより余程入りやすく、受付の人も愛想がいい。平日の昼間だと言うのに、院内には何人もの人がおり、現代の社会がいかに厳しいものであるかということがよくわかる。
予約をしてきたのだが、あくまで目安ということで、呼ばれるまでは、特にやることがない。壁の張り紙をぼーっと見て、自分が呼ばれる番を待つより他はない。
しばらくし、自分の名が呼ばれる。
「あ~、じゃあ、とりあえず、向精神薬をお出ししますのでね……それで様子を見てみてください」
先生、と呼ばれるべき人は、確かに自分の話をよく聞いてくれた。久しぶりに人と話をし、今の自分の状況については初めての打ち明け。それだけでも少し気分は楽になった。
──といっても、結局こんなものか、と心のどこかで思った。先生はあくまで先生であり、自分の心の中に本当に立ち入ってくれる訳ではない。外から外から、手助けをしてくれるに過ぎないのだ。
すっきりしたのか、しないのか、よく分からないごちゃごちゃした気持ちのまま、外に出ようとした時だった。
「蛍木さん、蛍木光さん。診察ですので、診察室へお入りください」
聞き間違えではない。そうそうある苗字でもない。ましてや下の名前が同じだということはありえない。
別に、今さら、光に会ったところで何を話す訳でもないだろう。自分が、特に精神をつかれさせていることなく、普通に大学に通っていたのならば、こんな行動を取ることはなかっただろう。けれども、大翔は今、疲れていた。
といっても、押しかける訳にいかず、病院を出て、入口のところで待つ。何故待ったのか。それは、大翔自身にも良くわからなかった。
今、この地に友達と呼べる友達がいなかったからかもしれない、話し相手が欲しかったのかもしれない。それは、きっと、光じゃなくても良かったのだろう。
「あいつ……」
そう言うと、大翔は病院の看板を見上げる。間違いなく、ここはメンタルクリニック。ということは、光もまた、何かしら心に問題を抱えて──そんなことを考えようとした時、病院の入口の扉が開く。
目に飛び込んだのは、一人の男──? 疑問符がついたのは、その男の髪の毛が肩を少し超えるほどの長さだったこと、そして、服が中性的であったこと、加えてその華奢な顔立ちや体格に起因する。
だが、彼は、男だ。あえて女に似せようとしているのではなく、こういうファッションなのだろうと、大翔は考えた。髪は確かに、男にしては妙に艶があるが、長髪の男がそれほど奇跡的に珍しいという訳でもない。ゆえに、彼は蛍木光だとあたりをつけ、話しかける。
「よう、光」
右手を軽く上げ、挨拶。
ふいに話しかけられた光は、一瞬目を見開いて、すぐにじととした目つきになり、訝し気に大翔の方を見つめ、数秒
「……どちら様?」
その返事は、彼が光だということを確定させるのに十分だった。
だが、光の目つきはまるで指名手配犯の顔写真を思い出すような目つきで、思わず大翔が、え、と声をあげる。しかし、光が聞くのはある意味当然のことで、大翔は病院で名前を聞いたから光だと思ったものの、成長期数年の年月は非常に大きなもので、名前を聞いていなければ光だとはとてもわからなかっただろう。
つまり、その逆である光の立場からしたら、大翔のことは分かっていないのである。
「大翔だよ、大翔。中学生の頃まで、遊んでた」
大翔、という名前、中学生というワードを聞いて、ピンときたのか、途端、光の表情はこれまでとは正反対の非常に明るいものとなる。笑顔。
「あぁ! 大翔!? えっ、うそっ! なんで!?」
戸惑うのは当然のことだ、大翔としても、なんで光がここにいるのかと問いたいくらいなのだから。ともあれ、二人の意見は合致する。とりあえず、喫茶店でも入って話そう、という方向で。
カランカランという音と共に扉が開かれる。都内の喫茶店は、平日の昼間だというのに、混んでいた。この点、メンタルクリニックと同じだとぼーっと考える大翔。光は違う、そんなこと当たり前だという表情で、席に着く。
「僕は、紅茶ね~。大翔は?」
「ん、アイスコーヒー」
注文が取られ、二人の時間が訪れる。
「えーっと、色々と聞きたいことあるんだどー」
光は、にや、と笑いながら、
「いいよ、じゃ、今度は大翔からね。今なにやってるの? 僕はその後ちゃんと話すよ~」
今度って? と思いつつ、大翔はまず自らのことを話し始める。
「今は、大学生……といっても、さっき病院に行ってることからも分かるように、ちょっと、休んでる」
自分だけが病院に行っていたならこれも話しにくいことではあったが、相手も行っているとなれば話は別で、意外にもすんなり打ち明ける。
「へ~。大学生かぁ~」
「ほら、次は光の番だぞ」
「ん──僕はー……」
言おうとしたところで、店員が飲み物を運んでくる。光は紅茶を口に一口運び、ふぅと息をつく。
「ああ、そう、病院はね~別にこれといって、ないんだけど、ただ気持ちが落ち着かない時とかのために、薬もらってるの……」
光は再び間を空ける。
「知りたい?」
それはつまり、この先のことについてだろうと予想できた。もどかしい。
「いいよ、そういうの、早く教えてよ」
特に深い意味はなかった。光の表情が暗い訳でもない。だから、光が何かとても重要なことを言おうとしているということに気づいていなかった。
知りたいかという問いは、つまるところ、光が大翔に覚悟を問うていたのだ、ということに大翔が気づいたのは、光の言葉の意味を理解した時。
「僕ね、今、身体売って生活してるの」
今までそういった世界に触れたことの一切ない大翔からしてみたら、それはあまりにも衝撃が強い言葉だった。そして、理解するのに、数秒の時間を要した。想像がつかないことだったからだ。
出た言葉は問い。
「え? どうしてそんなこと!?」
怒っている訳でもなく、ただ、戸惑いから出された言葉だったが、ゆえに、光の心は強く打たれた。
「そんな言い方……! 仕方ないじゃん、僕、そうしないとここで生きていけないんだから……」
光が傷ついたということに、大翔が気づいたが、遅すぎた。しかし、光はこの場を立ち去る訳でもなく、続けて言う。
「僕、家出してから、都内来て、なんとか居場所を作って。大変だったよ。何せ身一つでこっちに来た訳だからさ……最初は普通にバイトとかしてなんとか暮らしていこうと思ってたんだけど、そんなに甘くなくて、あ、でも僕、ほら、可愛いでしょ。需要、あるんだよ」
光は、冗談めかして得意げに言う。
別にその原因が大翔にあると言っている訳では一切ない。そんな欠片はどこにも見られない言葉だったのだが、大翔は何か責め立てられるような思いを感じた。
「だからって──」
「だから、何?」
変に意見をつけられて、光は気に障ったのか、少し言葉が強い。
「いや……その」
煮え切らない態度を取る大翔が、本心では何を言いたがっているのか、光には手に取るようにわかった。簡単だ、身体を売るなんてことは止めろ、と言いたいのだろう。だけど、その事までははっきりと言わない。何故かもわかる。だから、光はちょっといたずらしてやりたくなった。
「何? じゃあ、大翔が僕の面倒見てくれるの?」
ほんのいたずら。別に本気で面倒を見てもらいたいと思っている訳じゃ──ない。というか、目の前の男は学生だし、そんなことできるはずもない。
大翔や、いや、だとか、その、だとか適当に言って言葉を濁してくるだろう。喧嘩をしたい訳ではなかったが、今さら──今さら仲良くしたい訳でもなかった。だから、別にいい。もう二度と会えないことになっても──
「いや……」
大翔は考えた。自分にできることを考えた。たぶん、このまま適当にごまかせば、光は去るだろう。それが悪いことだとは言わない。一度絶たれた縁だ、ここで再び絶たれたとしても、はい、元通り。
しかし、何か違う気がしたのが。これは、また、自分が何か間違いをしてしまっている、そんな気がした。昔してしまった、間違いをまたしようとしている、そんな気がした。
だから、今、立ちあがらんとする光に目線をしっかりと定めて言った。
「だったら! だっ、だったらうちに来ればいいじゃん! 別に、そんなん、俺自身の食費とか家賃は親に出してもらってるんだし、お前一人くらい、俺が、適当にバイトでもすればなんとかなる、し……!」
光は固まる。一瞬、何を言われているのか理解できない。えっ、と思わず小さな可愛らしい声が漏れ、それが、自分が喜んでいる声だということを理解する。
「そん……! 別に食費くらい自分で稼げるよ!」
それは、反論したつもりだったが、反論になどなっておらず、ただの全面的な同意に他ならない返事だった。
***
二人の同居生活は始まる。
大翔は、光が来たことがプラスに働いたのか、家に光がいるというのに、学生である自分がずっと家にいる訳にもいかず、無事学校へと通えるようになっていた。
なんてことはない、つまり、話し相手が欲しかっただけなのだと、今になっては思うのである。
光との生活は、ただ、楽しかった。別に気まずいことなんてない。
飯は時間のある光が用意してくれるし、ゲームを一緒にやれる遊び相手にもなってくれる。夜寝る場所がないのではという問題が起きそうだったが、光がどこからともなく持ってきた高級寝袋はその問題を一日も待たずして解決した。
すべては順調──かと思った。少なくとも、大翔は、このまま楽しい日々が続けばと思っていた。
しかし、順調に見えていたこの生活は、最初から、おかしかった。
食費の半分と、家賃の半分は入れる、と光は宣言していた。
数週間の平穏な日々が過ぎたある日、その金がどこから来ているのか、大翔はふと気になり、聞いてみるも、光は全く教えようとはしない。
「なぁ、どっかでなんかやってんのか?」
あえて、何がどうだと詳しいことまでは言わない。だが、心当たりはある。たまに夜にいなくなる光を大翔は心配していたのだ。
「なんか、ってバイトだよ、バイト……」
「バイトって、どこで」
それが気に入らなったのだろう、光は、むすっとした表情をさらに尖らせ、声を荒げる。
「どこって!? 何!? 大翔は僕の何なの? 恋人かなにか? はは、笑っちゃうよ」
光は全く笑うことなく、不機嫌そうに言い放った。けれども、大翔にも言い分はある。
「だ、お前、だって、そんな──」
言い分はあるが……言えなかった。友達として止めさせる? 同居人として止めさせる? そんなに、立ち入っていいのかという理性が邪魔をした。
けれども、光にとってもみれば、それがよくない。全く自分に立ちいってくれない、そのことが光のことを不機嫌にさせている要因の一つでもあった。
そして──大翔もまた、気づいてはいないが、立ち入れない自分に対して、怒りを覚えていた。
二人の不仲はそれを境に次第にゆっくりとゆっくりと亀裂が入っていく。
もうあの手の話題は口にしないでおこう、大翔と思った。ゆえに、その後、大翔から光の収入源について口を出すことはなかった。
それが原因だとも言えるし、一度完全に拒否した光にも原因があるとは言える。
いずれにせよ、あの日を境に、二人は、たまに会話をする程度になり、光が大翔の家にいる時間も徐々に少なくなっていった。
それは、ある意味自然で、運命なのかとさえ大翔は考えた。
学校から帰り、一人でベッドの上に横になる。一人の時間。
「…………」
言葉は何も出てこない。
***
「えっ、蛍、ですか……?」
「そうそう、研究のテーマにいいんじゃないかなーってね、ほら、大翔くん、自然とか好きでしょ!」
大翔に自然が好きという趣味はほとんどないのだが、おそらく、大翔が田舎生まれということがその謎の噂発祥の元になっていたのだろう。所属する研究室の教授に、研究室である日いきなりそう勧められた。
「い、いや、別に自然が好きという訳では……」
「蛍の光はねぇ、冷光といって熱をあまり伴わない光なんだよ。って、そんなことはいいんだけど、ほら、うちの研究室、自然関係のテーマも取り扱うことが多くてね。その一環で蛍なんてどうかなぁって、ほら、都内でも、えーっとなんだ、西の方、西の山の方行けば、田舎で蛍見れるからさ!」
やけに熱心に勧めてくる教授に対して、嫌ですとも言えず、こうして大翔は蛍を見てくるという研究課題を授かったのである。
それも、
「明日から連休でしょ。それ逃したら機会もなかなかなくなっちゃうだろうから、今日から行ってくるといいよ! 宿とか、まぁ、適当に駅前ならホテル空いてるでしょ!」
と言われたものだからたまらない。帰宅して、すぐに準備をする。まだ昼過ぎではあるが、山の方へと向かうなら、もう数時間後は出発しなくてはならないだろう。
準備を進めていた時、
「どっか行くの?」
全然興味なさそうに話しかけてくるのは、眠そうな光。
「うん、そう、ちょっと蛍を見に……」
自分でも何を言ってるんだと思わず笑いそうになるが、それは光も同じだったように、最近全然見せていなかった笑顔をこちらへ向けてくる。ははは、という乾いた笑いを出した後、
「え、なんで? なんで蛍?」
ツボにハマったらしく、さらに笑い続ける。
「俺だって好きで行く訳じゃないっつーの! そんな面白いなら光も来るか? ええ?」
冗談のつもりだったのだが、
「えぇ? へへ、行っていいの?」
と何故か乗り気な光を見ていると、一人で山の奥まで行くのも馬鹿らしくなり、せっかくなら道連れにしてやろうと連れていくことにした。
***
虫の鳴き声が聞こえた。
何の虫なのか、そんなことは分からない。コオロギ、スズムシ、クツワムシ……どれがどの鳴き声なのかは全く分からないが、しかし、田舎の暗い道を光と二人だけで歩く中で、何かしらの音があるのはまだありがたいことだった。
「ねぇ……遠くない?」
光は、腕をさすりながら、ぶつぶつと不満を言う。そもそも、服装が田舎道を歩くそれではなく、変に薄着なものだから、文句の一つや二つは仕方ないだろうが。
「あー、知らねぇよお、俺だって来たくて来た訳じゃねぇし……!」
しかし、そう言う大翔の顔は何故か少し嬉しそうだった。
舗装がされているのかされないないのか良くわからないような道を歩くことしばらく、ようやく川らしきものが見えてきた。
「えーっと、たぶん、あ、この辺りの川のはず……あっ!」
ちら、ちら、と何か光っているのが見える。
光、黄色い、小さな。
二人はより川に近づけるよう、近くの橋の上に立つ。
ふわ、ふわ、と優雅な点灯は続き、目が慣れるとそれは思っていたよりも、よほどたくさんの数漂っているということが良くわかる。
きれい──
二人が思った。
「すごい! 蛍だ~! 久しぶりにみた、こんなの!」
いっそう喜んでいるのは光。
「あれ、やっぱり、光は蛍好きなの?」
なんとなく思った疑問を口にする。やっぱり、というのは、もちろん、蛍木という苗字をさしてのことだ。
「やっぱりって何だよ~ふつうにきれいでしょ、蛍」
口をぷくっと膨れさせるのは、わざとだろうか、なんだろうか、しかし、それらの言動は目の前の光が昔に戻ったかのような錯覚を覚える。
それにしても、蛍の光は綺麗だった。
そして、横にいる、蛍木光という人もまた、きれいだった。
「──きれいだな」
「え? うん、きれい」
大翔は、何故か、土蔵での出来事を思い出していた。今周りは真っ暗。蛍の光が照らすのは彼らの世界だけで、大翔と光の世界は何一つ照らされることなく、真っ暗。
だから、思い出したのだろう。
あの時のことを──
あの時の自分を──
「ねぇ、大翔?」
暗闇で聞く隣の人の声はあの時と同じで、少し高い声。
「なに」
返す自分の声。
「…………」
沈黙。
大翔の視線が蛍から光へと移る。
ただ、じっとこちらを見ていた。何を言うでもなく、こちらを見ていた。そして、口を開く。
「あの時の、僕の好きな人、誰か教えてあげようか」
なんとなく予想はついたし、こんなタイミングでそんなことを言われたら、答えを教えてもらっているようなものだ。
大翔は思った、ここには二人しかいない、と。
二人と蛍しかいない。
そして、気づいた──
──二人しかいないのは、あの時と同じじゃないか、と。
「知ってる」
大翔の顔は光の顔にしっかりと近づき、そっと接した。
今度は短くない。今度は一方通行じゃない。二人の。
どうでしょうか。お楽しみいただけましたでしょうか。
これは、もちろん、ただのはじまりです。
はじまるまでの過程が成就するのって、ある意味最高のハッピーエンドかなって思います。