お嬢様は私の世界の中心です
まだまだ主人公の恋愛話にはいきません。お嬢様が話の中心です。
「二人とも、どうかしたの?」
アンナの声にオードリューは停止していた思考回路を始動させた。
「失礼致しました。隣の方の美しい佇まいに見惚れておりました。お二人共、どうぞ前の席にお座りください」
オードリューはすぐに立ち上がって二人に笑みを向け、席に座ることを促した。
「そうね、立ったままではお話できないわね、座りましょうかダーリン」
「そうだなハニー」
(だ、だーりん、はにー……)
オードリューは自分が教育係として育てたお嬢様が中年の男に向かって「ダーリン」と呼び、男から「ハニー」と呼ばれていることに口の端が引き攣るのをどうにか堪える。
そして、前の席に二人が座るのを確認するとオードリューは自身も席につく。
(ん?そういえば、アズサがいやに静かだな……というか静かすぎる)
「あら? アズサ、どうしたの? アズサ?」
オードリューが隣のアズサの状態に確認する前にアズサの前に座っていたアンナがアズサに声を掛ける。
オードリューはアンナの一言にすぐさまアズサの状態を確認した。
(目を開けたまま気絶している……この馬鹿者が!)
余程アンナの相手の男に対してショックを受けたのか、アズサは目を開いたまま気絶をしていた。
それを確認した瞬間、オードリューは何の躊躇もなく、アズサの横腹に拳を叩きつけた。
ドンッ
「ぐふっ!?」
アズサはあまりの痛さに意識を取り戻したが、あまりの痛さに今度はテーブルに頭を突っ伏して体をピクピクさせている。
「ア、アズサ?! 大丈夫? どうしたの?」
「お、おい、君、大丈夫か?」
アンナと金髪碧眼男にはオードリューの行為はテーブルが邪魔をして見えていなかったため、突然テーブルに突っ伏したアズサに驚き、声を掛けた。
「大丈夫ですよ、唾が気管にでも入ったのでしょう。大丈夫かアズサ、ほら水を飲め」
オードリューは心配する二人に微笑みながらアズサの背中を擦り、水の入ったコップを口元まで運んだ。
「ありがとう……ございます。オードリューさん」
(なんてことするんですか、死ぬかと思ったじゃありませんか……)
「いや、気にするな」
(気絶なんぞしている貴様が悪い、さっさと体勢を整えろ馬鹿者)
「ハニーの執事とメイドは仲がいいのだな」
「ええ、仲良しさんなんですよ」
二人のアイコンタクトでのやり取りに全く気がつかないアンナと金髪碧眼男は微笑ましそうにその様子を眺めていた。
それから、アズサが水を飲み、一息入れるとやっと四人の自己紹介を……正確にはアズサとオードリューが金髪碧眼男に、金髪碧眼男が二人に自己紹介をすることになった。
「では、まず私から自己紹介させていただきます。オードリュー=ドトールテート、サンタマール家執事長を務めております。また、お嬢様の教育係も兼任して参りました」
「ふむ、アンナから第二の父と聞いている。よろしく頼むオードリュー」
(なにがよろしく頼むだ、このロリコンが……!お嬢様には悪いが、歳も考えずに10代の女性に「ハニー」なんて呼ぶ中年、認められん!死んだ旦那様にも申し訳がたたない)
「ええ、よろしくお願いします」
オードリューは荒れた内心等おくびにも出さず、金髪碧眼男が笑顔で差し出した右手をこちらも笑顔で握り返した。
「……アズサ=リズナウェルです。お嬢様の専属メイド兼護衛です」
アズサの渋々という態度を隠さないことにオードリューは横から腹を小突いたが、金髪碧眼男は気にした様子もなく、笑いながら右手を出した。
「君がアズサか! アンナから優秀なメイドであり、また大切な親友だとも聞いている。しかも護衛としても優秀だそうだな? 私も腕には覚えがある。今度手合わせ願いたいものだ」
「……」
アズサは男の右手をじっと見るだけで、手を出そうとせず、それに焦れたオードリューが声をかけようとしたところで、アンナがアズサの名前を呼んだ。
「アズサ……」
アズサはアンナの眉が八の字になったのを見るとため息を吐いて金髪碧眼男の手を握り返した。
その様子を見ていた金髪碧眼男は嬉しそうにアズサに話しかけた。
「君は本当にアンナのことが大切なのだな。なら、私達はアンナを大切に想う者同士、きっと仲良くなれる」
「……」
アズサは男の言葉に何も答えなかった。
「さて、私の番だな」
男は笑うと一度目を瞑り、小さく深呼吸をし……目を開けた。
((!?))
その瞬間、オードリューとアズサは息を飲む……男の印象が一変したのだ。
(これが、さっきまで、ヘラヘラとお嬢様を「ハニー」と呼んでいたあの男か?)
(なんですか、この威圧感……)
男はなにか特別なことをしたわけではない。
居住まいを正し、意識をいつもの状態に戻しただけだ。
「ドルトル=シェドゥール、この王国の第207代目国王を務めている。そして……アンナの恋人だ。よろしく頼む」
そう……玉座に座るときの状態にただ戻しただけだった。
「「……」」
二人は開いた口が塞がらず、むしろ口が開いているのにも気がつかず、ただただ呆然と男、ドルトル国王を見つめた。
人は驚くと言葉も出ないというのをまさに体現していた。
「……二人とも大丈夫?」
(二人とも魂が抜けているような顔をしているわ)
アンナはそんな二人の様子に、恐る恐る声を掛けた。
「あのね、信じられないとは思うのだけど、彼は嘘は言っていないわ」
そのアンナの言葉をきっかけにオードリューが覚醒した。
「それは何か証拠でもあるのですか……?」
それまで呆然とただただドルトルを見つめるばかりだったオードリューがアンナの方へ顔を向けた……いや、睨みつけた。
「それは……」
今までオードリューに叱られることはあっても、このように睨みつけられること等なかったアンナはオードリューのその態度に狼狽え、オードリューはそれに眉を上げる。
「お嬢様……まさか何の証拠もなくこの男の言うことを信じているのですか?」
「そんなことないわ、でも……」
アンナの可愛らしい眉が八の字になったのを見て、オードリューは自分の体の中がどんどん冷えていくのを感じていた。
「お嬢様、貴方は今日私達に会わせたい人がいると言って、ここへ呼び出しました。それだけでも私達にとっては不安で仕方がなかったのです……」
「……」
「貴方は私が手塩にかけて育て上げ、そしてこのアズサが文字通り身も心も捧げて仕えていたたったひとりの私達の大切なアンナお嬢様です。そのお嬢様に私達が知らなかった男の影が出来たら不安にもなります。そう思いませんか、お嬢様」
「そうね……二人にはいつも心配ばかりかけてしまうわ」
「アンナはとても大切にされているのだな」
「少し黙ってろ、不敬罪男」
ドルトルがオードリューとアズサのアンナへの愛情の深さに感動し、口を開くがオードリューの一言で口を閉ざした。それにアンナが苦言を呈そうとしたが、テーブルの下で握り合っていたドルトルの手がそれを制し、彼女は口を噤む。
オードリューはその様子にまた自身の中が冷えていくのを感じた。
(なるほど、お嬢様の扱いをわかっているということか……この不敬罪中年が!)
「いえ、聡明なお嬢様が私達に心配をかける行動をとることは、ほぼありませんでした。しかし、今回のこれは違います」
オードリューが殺気の篭った目でドルトルを睨みつける。
ドルトルはそれに怯えることもなくその目を受け止め、それがよりオードリューを殺気立たせた。
「ここに来た当初は、お嬢様の選んだ方がどのような男性か確認し、お嬢様に相応しいか見極めようと思っていました。しかし、連れてきたのは『自分は国王だ』と名乗る中年男です。私はお嬢様に男性の見極め方を教えたつもりでしたが……」
「教わったわ、だから彼を連れてきたの」
思わず顔を手で覆い嘆くオードリューにアンナは静かに首を振って彼の言葉を否定した。
アンナの言葉にオードリューは顔を覆っていた手を離し、心が荒れるままに声を発した。
「確かにこの男のこの威圧感は只者ではないでしょう、それは認めます。ですが、国王のわけがない!」
「でも、彼は本当に……」
「こんな国の端の小さな町に国王が来ると思いますか?!」
オードリューは必死の形相でアンナは語りかける。
彼の瞳にはただただ彼女への心配が映っており、それを正確に汲み取っているアンナはどうしても強く出られなかった。
しかし……彼の次の一言だけは許せなかった。
「貴女は騙されているのです!」
「……いいえ、騙されてなどいないわ」
他の者が聞けば、落ち着いた声に聞こえただろうが、長年彼女と一緒にいるオードリューとアズサは気がついていた。
その声がかすかに震えていること、そして、その声をアンナが出すときは怒りや悲しみを押し殺している時であるということを。
「彼は私に嘘はつかない、そう約束したわ」
アンナは静かな目でオードリューを睨みつけた。
長年彼を第二の父と慕ってきたアンナにとってそれは初めてのことだ。
「お嬢様……」
オードリューがアンナの行動に衝撃を受けながらも口を開こうとしたその時だった。
「わかりました。その人はドルトル国王陛下です」
常に無表情、お嬢様至上主義のメイドがその無表情な顔を上下に動かし、肯定の頷きを見せた。
いきなりのアズサの行動に、三人ともポカンとしていたが、一番最初に反応したのはオードリューだった。
「何を言っているんだ、お前は!?」
彼は隣に座っている無表情メイドの肩を掴み、大きく揺さぶった。アズサの首がガクガク上下する。
「オードリューさん、首が痛いのでやめてください」
「お前、気でも狂ったのか?!」
オードリューはアズサの言葉が聞こえていないのだろう、さらに肩を大きく揺さぶった。
「やめてくださいと言っています」
アンナはオードリューの鳩尾に拳を叩きつけた。
「ぐっ!?」
「オードリュー?!」
「見事な一発だ……」
アズサの行動に、オードリューは腹を押さえて痙攣し、そんな彼の様子にアンナは心配の声をかけ、その隣でドルトルはアズサの拳を褒めた。
「いつもなら、こんなのあっさりと避けているのに、余程動揺しているんですね、オードリューさん」
痙攣しているオードリューにアズサは淡々と話しかける。彼女の通常運転だ。
そんなアズサの態度が気に食わなかったのだろう、オードリューは目を釣り上げ、声を荒げた。
「お前こそなんでそんなに冷静なんだ! お嬢様の相手が自分を国王と偽る中年不敬罪男なんだぞ!?」
「お嬢様はこの中年を国王だと仰っています」
「だから、騙されているのだろう?!」
「そうかもしれませんが、お嬢様が彼を国王だと仰るのでしたら……私にとって彼はドルトル国王陛下です」
「な、なに?」
「「……?」」
オードリューも、二人のやりとりを見ていた他二人にも、アズサの言っている意味がよくわからなかった。
アズサはむしろそんな周りの様子に「どうしてわからないのでしょう」と疑問を抱きながら説明した。
「私にとって世界はお嬢様が中心。お嬢様が白と仰るなら例え他の誰もが黒と言うものも私にとっては白です。それと同じで、お嬢様がそこの中年を国王陛下と仰るのなら私にとっても彼は国王陛下です」
「「「……」」」
三人ともアズサのアンナ至上主義具合に絶句していた。
アズサはそんな三人の様子など気にせずに更に続ける。
「私にとって本当のことなどどうでもいいことです。大切なのはお嬢様の言葉、お嬢様の想い、お嬢様の幸福ですから」
「お嬢様が騙されているとしてもか?」
「確かにお嬢様が騙されている可能性は否定できませんが、彼が国王でないという証拠がない上にお嬢様が彼を国王と仰る以上、今の私は彼を本物の国王と扱います」
「もし、私が嘘を吐いていたらどうするんだ?」
ドルトルが興味深そうな瞳をアズサに向けたその瞬間、目の前数ミリというところまで、ナイフの切先が迫ってきた。
「アズサ……!」
アンナがアズサの行動に青ざめた顔をして、声を上げる。
「……そんなの決まっているでしょう」
アズサは口の端を上げた。
本人的にはニヤリと不敵な笑いを見せているつもりらしいが、顔上半分の筋肉が動いておらず、口の端だけが上がっている状態のため、笑いを向けられた側、ドルトルからしてみるとなんとも不気味な笑みにしか映らなかった。
そんなことは気づきもしないアズサは言葉を続ける。
「殺します」
アズサの目になんの嘘も迷いもなく自分へナイフを突きつけたことにドルトルは目を丸くしたが、そんな彼の様子など構うこともなくアズサは続けた。
「お嬢様は先程貴方は嘘はつかないと仰いました。それにもかかわらず貴方が嘘を吐いていたなら、それはお嬢様への裏切り行為……到底許されません。ぶっ殺します」
「なるほど、素晴らしい忠誠心だな」
(しかし、一瞬の迷いなくナイフを突きつけてきたな……やはりこの者も内心では私のことを国王とは信じていないのだろう。でなければ、国王相手にこんなことが出来るわけがない)
ドルトルは口では彼女の忠誠心を褒めたが、内心、愛しいアンナの自慢のメイド兼護衛兼親友がアンナの言葉を信じていないことに落胆した。
殺し屋でもない限り、“国王にナイフを向ける等有り得ない”と思っていたからだ。
(まあ、何の証も見せずに国王だと信じろという方が無理があるか……仕方あるまい)
「安心しなさい、私はアンナに嘘は吐いていない。その証拠を見せてあげよう」
「「証拠?」」
「……」
オードリューとアズサの声が重なり、アンナの瞳が動揺して揺らめいた。そんなアンナを安心させようとドルトルは彼女の頭を優しく撫で、微笑みかけた。
「大丈夫だ、アンナ。これは誰にでも見せていいものではないが、見せることを法で禁止されているというものでもないのだから」
「ドルトル、でも……」
「いいんだ、君との仲を彼らに認めてもらえるのならアレを見せるくらい安いものだ」
彼のその言葉に、アンナが困ったようなでも嬉しそうな笑みをドルトルに返すと、ドルトルは更に笑みを深め、頭を撫でていた手を彼女の頬へと動かす。
アンナがそれに猫のように頬をすり寄せると、ドルトルは堪らずに彼女の顔に自身の顔を近づけた。
アンナは少し驚きながらも頬を赤く染め、彼に応えるべく、自身も顔を近づけていきそのまま二人の唇は重なり……
「「ちょっと待てこら(です)」」
合わなかった。
「「あ」」
ドルトルとアンナはアズサとオードリューの二人の声にハッとなり、そのまま顔をそちらに向けて固まった。
アズサとオードリューの額には血管が浮かび上がり、怒り真骨頂というように見受けられた。
ドルトルの背中に冷や汗が流れる。
(まずいな……アンナの可愛らしさに魅入られて、完璧にこの二人のことを忘れていた)
「す、すまない二人とも、つい君達の存在を忘れ」
「「ああ゛?」」
まるでチンピラのような返答に二人の怒りの度合いが伺えた……。
アンナも二人のあまりの様子に固まり言葉が出てこない。
ドルトルはそんなアンナを目の端に入れるとここは自分がなんとかしないと、と二人を見据えるが……二人の背中から溢れ出るおどろおどろしい怒りのオーラに背中が震えた。
(な、なんだこの恐怖は!? この私にこれほどのものを味わわせるとは……!)
妙なところで感動しつつも奮起したドルトルはなんとか言葉を続けた。
「あ、ああ、そうだ君達に私が王である証拠を見せるという話をしていたんだったな! ここでは見せられないので、君達の家に連れていってもらえないだろうか!」
「「……は?」」
ドルトルの言葉が思わぬものだったのだろう、オードリューとアズサは怒りの表情が今度は顰められた。彼の言葉の意図が掴みきれなかったからだ。
「「……」」
そしてアズサが疑問を投げかけた。
「なぜ家に来ることになるのですか?」
「いや、私の泊まっている宿屋でもいいが、君達はアンナが私の部屋に来ることをよしとはしないだろう?」
それにオードリューとアズサは成程と頷いた。
だが、ドルトルの次の言葉で二人は言葉を失い、体は凍りついた。
「だが、私の言う証拠は私の体に付いていてな、“一度服を脱がねばならない”のだ。こんなところで服を脱ぎ、肌を晒すわけにもいくまい?」
「「……」」
「?」
ドルトルは何も言葉を返してこない二人を首を傾げてみていたが、二人から怒気が膨れ上がっているのを見ると驚いて声を掛けた。
「な、なんだ?なぜ怒っているのだ?」
「……お嬢様」
アズサはドルトルの疑問には答えずにアンナを呼ぶ。
アンナはドルトルから目を離さずに自分の名を呼ぶアズサのその声の低さに体を慄かせた。
いつもなら、アンナがそんな状態であれば即刻自身の態度を改めるアズサだが、今はその余裕がなく、彼女は言葉を続けた。
「お嬢様はこの男が“国王”だとはっきりと仰いました。それはつまり、この男の“証拠”とやらを目にしたからですか?」
「え?……!」
アンナはそのアズサの問いによって状況を理解した……アズサはアンナにドルトルの肌を見たのかを問うていたのだ。
瞬間、アンナの脳裏に一年前に見たドルトルの胸元が過ぎ、それが彼女の頬を赤く染めあげ、それと同時にドルトルの真横に深くナイフが突き刺さる。
「う、わ?!」
「ドルトル?!」
ドルトルは顔を青ざめさせてナイフを見る。
(避けなければ確実に顔のど真ん中に刺さっていたぞ?!)
「アズサ!危ないわ!」
いつもならすぐに我に帰るアンナの声も今のアズサには聞こえない……アズサは今、自身で抑えきれない程の怒りに五感が占領されていた。
(仕留め損ねましたかっ)
アズサはナイフがドルトルの顔に突き刺さらなかったことを認識するとすぐさまメイド服に仕込んである次のナイフを取り出した。
「ま、まて!君は何か勘違いをしている!」
体を硬直させながらも青ざめさせた顔を左右に振る40代の男が、片足をテーブルにかけて立ち、右手にはナイフをチラつかせるガラの悪いメイドを見上げている姿はなんともシュールだったと、後に喫茶店のマスター(70歳)は笑顔で語る。
ちなみにこのマスター耳がかなり悪く、4人の会話は丸っきり聞こえていなかった。
「なにを勘違いしているって言うんです!このロリコンが!」
アズサは思いっきり舌打ちをすると、ナイフの柄を握り直し、そのまま刃の先をドルトル目掛けて振り下ろした。
しかし、ドルトルはアズサが柄を握り直した瞬間、彼女が何をするのかを悟り、硬直していたとは思えない動きで座っていたボックス席のソファから飛び退き、近くのボックス席のテーブルの上に降り立った・・・・・・が、完全に避けきれなかったのだろう、彼の服の左肩から右胸までの部分がパックリと切れ、そこから七色に光る花が現れた。
「?!」
今まで、アズサの行動を止めることもせず、むしろ内心で「もっとやれ」とエールを送って傍観をしていたオードリューが、その花を見つけ、驚愕で目を開く。
何度も瞬きを繰り返し、それが錯覚でも幻覚でもないと悟ると顔を青ざめて、今にもドルトルを追って切り刻まんとするアズサの揺れる三つ編みを引っ張った。
「待て! アズサ!」
グキッ
「いっ!?」
アズサの頭が後ろに傾き、首が嫌な音を立てたがオードリューはそんなことは気にせずアズサに言葉を続けた。
「アズサ、お前が怒り心頭の気持ちはよくわかる、私も同じ気持ちだ。しかし、あれを見ろ」
「今、私はオードリューさんにも怒り心頭ですよ……首が折れたらどうしてくれるんですか」
「お前の首なんか今はどうでもいい。あれを見ろ!」
アズサの無表情な顔の額には血管がいくつも浮かび上がり、大半がドルトルに向けてだが、この瞬間、オードリューへ向けたものも一つ増えた。
「今の発言、覚えておきますからね……で、あれとは?」
アズサは一度オードリューを睨めつけると、彼が指差す方向に目を向けた。
そこには隣のボックス席のテーブルに立つマナーの悪い男が一人立っていた。
「なんです、あのロリコン男がどうしたんですか、目障りということですか?そうですね、目障りです。しかも、テーブルに立つなんてマナー違反です。こんな男葬るべきですね、ええ、だから今葬ろうと……」
「違う愚か者」
ゴンッ
オードリューの拳がアズサの脳天に直撃した。
アズサの目の前がチカチカと星が光り輝いたが、すぐに彼女は気を取り戻すように首を振るとオードリューを睨みつけた。しかし、オードリューはそんなアズサの様子など気にも止めない。
「あの男……いや、あの方の胸元だ。正確にはお前が切った服から覗いている、胸元の痣を見ろ」
「胸元……ですか?あんな中年の胸なんか見ても……」
「いいから見んか!」
ぐいっ
オードリューはアズサの顔を鷲掴むと、無理矢理ドルトルの胸元を見るようにアズサの顔を向けさせた。
アズサがドルトルの胸元を見て数秒……その間は誰も何も言葉を発しなかった。
「オードリューさん、見ましたから手を離してください」
アズサの言葉を聞き、オードリューは掴んでいた彼女の顔から手を離した。
「……何が見えた」
静かな、そして小さな声でオードリューが尋ねた。
「虹色の花が見えました」
アズサもそれに習い小さい声で答えた。
「お前にも見えたか……ということはあれは私の錯覚ではないのだな」
「そうですね」
「お前は知っているか、あの花の痣の意味を」
「当然でしょう。私だってシェドゥール国民ですよ、知らないわけがない」
オードリューを呆れたように見て、アズサは口を開いた。
「虹色のアインドポルーの花の痣……アインドポルーは我が国の国花、これを生まれながらにして身につけられる者は初代国王リントーン=シェドゥールの血を引く者のみ、即ち王族のみに現れる痣です」
「ああ、その通りだ、しかもあの方の花は開いている」
オードリューは額からいくつもの汗が流れ出るのを拭くこともせずに、アズサに話し続けた。
通常、王族の花の痣は生まれてから死ぬまで蕾のままだ。しかし、ある儀式を行うとこの蕾は開き、美しい虹色の花となる。その儀式とは戴冠式、つまり、王位を継いだその瞬間、その王族の痣は蕾から美しい花へと変化するのだ。
「つまりだ……あの方は偽りなくこの国の王、ドルトル=シェドゥール陛下だ」
オードリューは静かに告げ、それにアズサは首を傾げた。
「……だから?」
「「……」」
「な、なんだと?」
ドルトルとアンナが呆然とアズサを見つめ、オードリューが焦ったように問いかけた。
「彼がこの国の国王様だというのは、先程お嬢様が仰っていたではありませんか。今更何を言っているのですか」
「ま、待て、じゃあお前は彼が国王陛下だと思いながら今までのことをしていたのか! その持っているナイフも国王陛下に向けているという自覚が有りなのか?!」
(お前のお嬢様狂いはそこまでいくのか?!)
オードリューは驚愕の表情を隠すこともせず、アズサの細い肩を鷲掴みながら大声で問いかけた。
アズサは肩の痛みに無表情で耐えながら、その問いに答えた。
「有りといえば、有りですね。というよりも、私にとってこの男が国王だろうとなかろうとどちらでもいいのです……そんなことよりも、まだ結婚もしていない10代のお嬢様がなぜ、その男の胸元の痣を見ることになったのか、という事の方が今は大事です」
キッパリとそう言い切ったアズサはそのまま目線をオードリューからドルトルへと移す。
(この娘は私が国王でも変わらないのか! さ、流石はアンナの使用人、いやアンナの親友だ……!)
ドルトルはアズサの言い分に驚きと感心を覚えた。
しかし、アズサの視線が自分に向けられると、肩をびくりと跳ねさせ、両腕をバタバタと左右に動かして否定の姿勢をとった。
「だ、だから誤解なんだ、アズサ!」
「気安く私の名前を呼ぶんじゃねえですよ、このロリコン王が」
アズサはナイフを握り直し、それに気がついたオードリューが慌ててアズサを後ろから羽交い絞めにする。
「や、やめろ、アズサ! 相手は国王陛下だぞ!」
「さっきから国王国王五月蝿いですよ、オードリューさん! そんなことはどうでもいいんです。国王だろうが神様だろうがお嬢様に不埒な真似をした糞野郎は三途の川を渡らせるだけ、です!」
そう言い切った瞬間、アズサはオードリューの拘束を体から外し、ドルトルに飛びかかった。その瞬間
「いい加減にしなさい! アズサ!」
アズサの世界にして絶対の女神、アンナの怒声が喫茶店内に響き渡り、あと数十秒でドルトルの首元にナイフを突き刺そうとしていたアズサの動きがピタリと止まる。
ちなみにアズサの目の前のドルトルは口の端をヒクヒクしながら、心の底からの恐怖と安心を一度に味わっていた。
(これは、あと数秒遅かったら、本当に喉の頚動脈が切られていたな。ありがとう、アンナ!流石私のハニーだ!)
ドルトルは感謝や溢れんばかりの愛を込めた瞳でアンナを見つめたが、アンナはその瞳には気がつかず、笑顔で自身のメイドの頬を左右に引っ張っていた。
「どうして貴女はそうやって先走るのかしら?」
アンナの口元は弧を描いていたが、目の中が欠片も笑っていないことに気がついているアズサは全身の冷や汗を止めることができない。
「もうひわへほはいわへん」
「少しは落ち着いたのかしら?」
「はひ」
「じゃあ、手を離してあげるわね」
アンナの手がアズサの頬から離れたが、アズサはそれに安堵することなく体を硬直させている。
(今、この男に襲いかかったら、お嬢様のお怒りが増すでしょうね……ちっ)
アズサは内心舌打ちした。アンナはそれに気がついたが、それには触れずに話を進めた。
「それでね、アズサ、先程もドルトルが言っていたけれど貴女誤解しているわ」
「誤解……ですか?」
アズサは無表情の顔を横に傾け、疑問の姿勢を見せる。
アンナは三人に席に座るように言うとドルトルとの出会いを話し始めた。




