アズサ王都に向かう③
「つまり、俺がムルゲルタを叱ってるのを見るのに飽きたお嬢さんは、ムルゲルタの馬を借りるのを諦めて、自分の気に入った馬に乗ることにしたと……そして、それがパワールだったってことか?」
呆れたように額に手を当てたアルタイルの問いに、部下達は思いっきり首を上下に振った。
「なんで止めなかったんだ! 馬に慣れてるお前達だってあいつは扱えねえだろうが!」
「と、止めました! 止めたんですが……」
眉を釣り上げたアルタイルに部下達は首を左右に振って自身達の無実を訴えた。
―部下回想―
『ふふ、ムルゲルタ様とお話していたら、ここで野宿になりそうですね』
仮面の女性はそう言うと馬達に目を向けた。
『野宿は嫌ですから、私の乗りたい馬をお借りすることにしますね』
仮面の女性はスタスタと迷うことなくパワールの元へ歩いていき、私達が止めるよりも早くパワールに跨った。
「その後はアルタイル副将軍がご覧になった通りです」
「なんじゃ、そりゃ……」
アルタイルはがっくりと肩を落として大きな溜息を吐くと、しゃがみ込む。
頭をバリバリと掻き毟るアルタイルに新人の部下は小さく声を掛けた。
「……あの」
「ん? なんだ?」
「……追いかけなくていいんですか?」
「……」
『……』
その小さい声の指摘から十秒沈黙が流れた。
「あ―――!」
『あ―――!』
指摘した新人以外、没落した地爵令嬢の思わぬ行動に度肝を抜かれて、追いかけるということを失念していたのだ。
アルタイルは慌てて立ち上がると、ムルゲルタの馬に飛び乗り、アズサとパワールが向かった方向へ馬を走らせようとした時、彼の瞳にありえない光景が映った。
アルタイルの部下達は上司が馬を走らせようとしていたのに、突然固まってしまったのを訝しみ、彼が顔を向ける方向に目を向け、アルタイルと同様固まった。
パカッパカッパカ
「あらあらあら、アルタイル様、どこかへお出かけですか?」
そこには、緑の仮面をつけた女性が隊で一番気性の荒い馬に乗ってこちらに向かってきていた。
そう、乗っていたのだ、乗せられているわけでも、乗せてもらっているわけでもなく、また、必死に馬にしがみついているわけでもない。
彼女は軍の中でもアルタイルしか乗りこなせない馬を相手に優雅に乗馬をしていたのだ。アルタイルとその部下達はそのありえない光景に絶句し、当の本人であるアズサは男達のその様子に首を傾げた。
「あらあらあら、どうなさったのかしら? 皆さん、まるでお化けを見たかのようなお顔をしていらっしゃいますよ」
「そういう顔にもなるだろうな……」
まだ放心状態の部下達の代わりに答えたのは、いち早く気を取り戻したアルタイルだった。
「あら? 何かありましたの?」
「ありましたの……じゃねえぜ、お嬢さん。どうやってそいつを手懐けたんだ? そいつは俺以外に誰も乗せねえ馬だったはずなんだが? お嬢さん、もしかして乗馬の達人って奴かい?」
バリバリと頭を掻きながら、首を傾げるアルタイル。
アズサはアンナに対しての「お嬢さん」呼びに片眉を動かしながら、その問いに答えた。
「乗馬の達人? いいえ、まさか。大体、馬に乗るのも今日が初めてですもの」
「……」
『……』
アズサの一言にアルタイルは絶句し、部下達はあまりの衝撃に膝を地につけた。
「あ……ら? どうしました?」
それに驚いたのはアズサだ。
自分の言葉の何が彼らをそうさせるのか理解できない為、混乱したのだ。
普段であれば、そのように何かに狼狽える女性がいた場合、声を掛けるのが紳士の勤めと声を掛けるアルタイルだが、彼自身がアズサの一言による衝撃から持ち直していないため、アズサの混乱状況も目に入っていなかった。
(そんなに衝撃的な一言だったんでしょうか? なんとなく、罪悪感が……でも、まあ、嘘はついてないですし……事実、私は馬に乗ったのは今日が初めてですから。……“アレの背に乗って”はいましたけど)
そう、彼女は確かに乗馬は今日が初めてであったが、動物の背に乗ったのは初めてではなかった。
それはまだ、サンタマール家当主イオルドが健在だったころの話である。
アズサはアンナのレザン山散歩に付き合っていた。
「お嬢様、それ以上奥は危険です。それにもうすぐ、お勉強のお時間になります」
アズサは数十歩先を歩いているアンナに声をかけた。
「あら、もう少し散歩していたかったけれど、それなら仕方ないわね」
アンナは少し残念そう声で振り返り、後ろにいるアズサの方へ足を向けた。
その時、山の奥から枯葉を踏みしめる音が聞こえ、アズサはその音の方向へ目を向けた。
アンナの背の向こうにそれはいた。
枯葉の絨毯をいくつも踏み荒らし、荒々しい鼻息で、蹄をかき鳴らしながら、こちらに向かってくる。
(このままでは、お嬢様が危険です!)
「お嬢様!」
アズサはアンナのところまで駆け寄り、彼女の腕を引き抱き寄せるとそのまま横に跳んだ。
「え?」
アンナは突然のことに驚いてアズサを見るが、今のアズサにはそのアンナの視線に応える余裕はなく、今までアンナがいた場所をすごい速さで駆け抜けたソレを睨みつけていた。
アンナはアズサの視線の先を追う。
ソレは踵を返し、枯葉を巻き上げながら、こちらに向かって突進してきていた。
「え!」
一直線にこちらに向かってくるソレに、アンナは思わずアズサのメイド服を掴む。
「大丈夫ですよ、お嬢様」
アズサはソレから目を離さず、アンナを抱き寄せていた手に力を込める。
(アズサ、まるで物語に出てくる騎士様のようね……)
アズサの行動はアンナを安心させると共に、仄かなときめきを与えていた。
余談ではあるが、アンナはこの時の様子を父イオルドに、頬を赤らめながら、それはそれは嬉しそうに話してしまった。
そのため、イオルドは要らぬ不安を抱き、頭を抱えたのだが……それは彼の専属執事オードリューのみが知っている秘密である。
そして、そんなアンナの様子に彼女は全く気がつかないアズサは、メイド服に隠し持っていたナイフを手に取ると、ソレの足元に向けて放った。
彼女の手から放たれたナイフは彼女の思惑通りにソレの蹄の前に刺さり、ソレの進行を防ぐ。
「申し訳ございません、お嬢様!」
アズサはそれを確認した瞬間、アンナを茶色に色付く茂みの中に突き飛ばす。
「アズサ!?」
アズサは突然の行動に驚くアンナに申し訳ない気持ちになりながらも、直ぐに目をソレに向けて駆け出し、跳ぶ。
茂みの隙間からアンナはそれを見ていた。
アズサが走ることで枯葉が巻き上げられる。
そんなこと気にもしないアズサは、メイド服のスカートの中で思い切り膝を曲げ、爪先に力を入れると……思い切り膝を伸ばし、地を蹴る。
茂みの隙間からは、スカートをひらめかせたアズサがそのまま“ソレ”の近くに立っていた木の側面を蹴るのがよく見えた。
(え?)
アンナには、なぜアズサが木を蹴ったのかわからなかったが、直ぐに理由は判明した。
アズサは木を蹴った反動を利用して、更に高く跳び上がり、そのまま“ソレ”の背に跨ると、そのまま……“ソレ”の角をむんずと鷲掴んだ。
「ぶ、ぶふ――!」
“ソレ”はそれが耐えられなかったらしく、頭を大きく左右に振るがアズサは離さない。ならばと、今度は前足を上げて振り落とそうとするが、アズサは更に強く角を掴むばかり。
「アズサ、すごい……」
そのような攻防が数十分続き、アンナはそれを呆然としながらも、ずっと観戦していた。
そして……アズサがアンナに自身の敗北を見せる訳がなかった。
数十分の攻防の末、勝ったのはアズサだった。
“ソレ”は最後には疲れ果てた様子を見せ、最初の突進してきた時の勢いなど、もう微塵もない。
自身の勝利を確信したアズサは、茂みに隠れているアンナを呼び寄せた。
「もう、出てきても大丈夫ですよ、お嬢様」
「アズサ……」
茂みから出たアンナは、先程の攻防の様子が忘れられずに、呆然とアズサを見上げる。
アズサはそんなアンナの様子に「余程、怖かったのだろう」と思い、見上げるアンナに微笑みかけた。
アンナはこの時の光景が印象的すぎて、後後、先の攻防と一緒に、何度もこの光景を夢に見たという。
そう……太陽の光を背に受けながら、“大鹿”に跨り、己に微笑みかけるアズサを。
この後、アズサとアンナはこの大鹿に乗って、邸まで帰り、イオルドとオードリューを大層驚かせた。
イオルドの見解だと、この大鹿はこのレザン山の主ではないかとのこと。
また、いきなり襲ってきた理由についてだが、それは後日、アズサとアンナがまたレザン山散歩をしているときに、判明した。
「ああ、なるほど」
「あらあらあら」
山の主である大鹿の側に、お腹を大きくした雌鹿がいたのを偶然見つけたのだ。
大鹿は自身の妻を守るためにテリトリーに入った者に攻撃をしていたのだ。
アズサとアンナはそれを理解すると、その日は静かに山を降りた。
そして、その次の日から、レザン山散歩に行く度に温かい毛布をあげたり、出産に必要な枯葉を集めてあげたりと世話を焼いた。
最初は警戒していた大鹿も、妻が出産を無事に終えた頃には二人に心を許し、自身で乗馬ごっこをしたがる少女二人を歓迎するのだった。