当社はお客様を第一に運航しております
なろうサークル「創造小説」用の第一回投稿作品です。
お題「寒い日」
「おいおい、今日はずいぶんと寒い日だな」
部屋の中のあまりの寒さに、私はベッドから起き上がるなり、そうぼやいた。
センサーがそれを感知して、自動で部屋の明かりを点灯させる。
目には優しいが、無機質な明かり。
薄緑色の無地な壁。
生活するのに必要最低限の家具。
そして、窓の外には地面なんかどこにも無い満点の星空。
すなわち、いま私が居るのは恒星間宇宙船の中で、ここは乗務員用の休憩室ってわけだ。
さっきは半分寝ぼけていたおかげで、外が寒くて隙間風でも入って来てるのかと思った、そんなわけは無い。
いや、寒いだけなら十分寒いだろうがな。
なにしろ外の温度は絶対零度だ。バナナで釘なんて悠長なしろものじゃない。
しかし密閉された宇宙船の中は、そんなものは関係無いはずだ。
実際、昨日寝るまでは快適この上なかったんだから。
空調装置の故障か?
それとも経費にうるさい、うちの会社が暖房費をケチりやがったのか?
どっちにしろ由々しき問題だな、このままではお客様からクレームが出るぞ。
「おはようございます、キャプテン」
「ああ、おはようジェーン」
部屋の備え付けスピーカーから、ちょっと機械ノイズの入った女性の声が流れてきた。
彼女の名前はジェーン、この宇宙船のメインコンピュータだ。
限定的ながら自律制御が可能な人工知能を備えた彼女は、運航のスケジュール管理から始まり、周辺宙域の監視、地球とのデータ交換、乗務員や乗客のケアまでこなす、まさに万能コンピュータである。
「ただいま午前八時四十五分です。朝のコーヒーはいかがですか?」
「いや、そんなことより、この寒さを早くなんとかしてくれ。空調設備か何かが故障してるんじゃないのか?」
「いえ、その件については本社よりの指示ですので、問題はありません。それよりコーヒーはいかがですか?」
本社の指示だって? この常軌を逸した寒さが?
とにかく状況が良くわからん。
本当にそうだというなら、本社から命令書なり指示書なりが来てるはずだ、まずはそれの確認からだな。
「ジェーン、すまないがこの件に関する書類があったらまとめておいてくれ、私もすぐに行く」
「まだ、朝のコーヒーをお出ししておりませんが」
「いや、こんな時にコーヒーどころじゃ無いだろう、なんでそんなにこだわるんだ?」
「毎朝、起床と同時にコーヒーを用意するようにと言われたのはキャプテンではありませんか」
「まあ、それはそうだが」
「先ほども申し上げました通り、この件は本社の指示で何も問題ありません。であれば、朝のコーヒーをお出ししなければ、わたくしが規定違反に問われます」
何と言う融通の利かなさ。
起きたばかりだというのに、頭が痛くなってきた。
いや、いくら人工知能と言っても指示した事を気を利かせてやらないようなら、それはそれで問題なのか?
コンピュータに論破された自分が何となく情けなくなって、私は思わず頭を抱えた。
「……わかった、コーヒーを用意してくれ」
「承知いたしました」
部屋に備え付けられた装置に、コーヒーの入ったカップが配膳される。
ひったくるようにそれを手に取った私は、中身を一気に飲み干した。
好みの温度、ブレンドに設定してあるはずなんだが、気が焦ってるせいで全く味がわからないな。
コーヒーカップを元の場所に戻すと、スペースブルーの制服に大急ぎで着替えて、その上から防寒着をはおった。
このバカげた指示とやらは、一体どんな内容なのか。
今の私の頭は、それで一杯だった。コクピットに向かう足も自然と早くなる。
宇宙船の先頭部にあるコクピットは、いつも通りだった。
しかし、さっきの部屋と同様、ここもおそろしく寒い。
いや、やっぱりおかしいだろ。
運航の大半をジェーンがやっているこの船には、パイロットは私一人しか居ない。
飛び込むように操縦席に座ると、計器類を手早くチェックする。
……確かに、異常は見られないな。
「ジェーン、レポートの準備はできているか?」
「はい、ごらんになりますか?」
「ああ、補助モニターの方に頼む」
「了解いたしました」
ジェーンによって本社からの指示書がモニターに表示される。
その電子文書を読み進めるうちに、あまりの内容に引きつった笑みが浮かぶ。
なんだこれは?
「ご理解いただけましたでしょうか?」
「ああ、今すぐ引き返して担当者を小一時間問い詰めたい気分だ」
「スケジュールにズレが出ますので、その命令は受理できません」
「いや、これは命令じゃない。気にしないでくれ」
なんでも、大口のツアー客のための企画として、宇宙船の中に『季節』を表現することになったらしい。
具体的には、乗客の出身地の気象データを地球から受け取り、船内の温度。湿度をそれに合わせると言う物だ。
客室には臨場感を出すために、立体映像装置まで用意してあるらしい。念の入ったことだ。
「ジェーン、地球の本社と通信を繋げてくれ、ひとこと言ってやらなければ気がすまん」
「残念ですがキャプテン、それはできません」
「なぜだ?」
「当機は昨夜、午前一時三十分をもって亜光速航行に入りました。解除するまでは通信を行うことはできません」
そうだった!
まさに後の祭りというやつだ。
本社との通信ができない以上、この船はこのまま指示通り運航するしかない。
いつもなら亜光速航行時に我々の目を楽しませてくれるスターボウも、この時ばかりは私の邪魔をしてるようにしか見えない。
「乗客の皆さまからは、何か要望は出ていないか?」
「はい、出発時に宇宙酔いを訴えるお客様が若干名おりましたが、薬で落ち着いております。それ以外は今のところ特に要望は出ておりません」
そうか、クレームが出てないだけでも救いと思うべきか。
脱力した身体に、寒さがいっそう染み込む気がする。
「キャプテン、寒いのでしたらウォッカをご用意できますが」
「いや、さすがに酒はまずいだろ、我慢するよ」
「……そうですか」
「まったく、今だけは身体の無いジェーンが羨ましいよ」
「恐縮です」
ジェーンに当たってもしょうがない事はわかっていても、愚痴の一つも言いたくなる。
それにしても、この寒さで文句ひとつ出ないとは、今回のツアー客の出身地はどこなんだ?
何の気なしにデータを調べた私は、思わず目を剥いた。
『グリーンランド』
完全に嵌められた!
やつら事前に言ったら誰もパイロットをやりたがらないのを知ってて、ここまで黙ってたな。
普段から北極圏に近い場所に住んでるんだ、このくらいの温度は問題無いのだろう。
ん? まてよ?
「今回の乗客は、老後をゆっくり過ごすために、気候が温暖で重力の軽い星に向かってるんだったよな」
「はい、そういう予定になっております」
「なら、春とか夏とかの希望が多いはずだし、わざわざ船の中を冬の温度にする必要は無いんじゃないのか?」
「春や夏が体験したいお客様は、今は睡眠カプセルでお休みになっているのでは無いでしょうか」
「今は?」
「はい、この船は地球の一年が丁度二十四時間で過ぎるように速度を調整して航行しておりますので」
ウラシマ効果というやつだな。
速度が光速に近づくほど中の時間が遅くなって、そこから見ると外の時間が早くなるというあれだ。
なるほど、それなら一日に冬の間の十時間程度を寝ておけば残りは温暖な季節になるというわけだ。
冬が恋しい乗客は眠る時間をずらせば良い。
なんだ、なかなか効率的なシステムじゃないか。
…………
ちょっと待て。
「ジェーン、ちょっと聞いても良いか?」
「はい、なんなりと」
「二十四時間で季節が一回りするということは、この時間は必ず冬ということになるのか?」
「そうなりますね」
「すると、私は目的地に着くまで、ずっと冬ということか?」
「そうなりますね」
…………
「冗談じゃないぞ! おい!」
「キャプテン、そう興奮なさらないで」
これが怒らずにいられるか!
本来、どこでも良いはずの勤務時間を、わざわざ一番つらい冬にするなんて、どうかしてる!
「ジェーン、私の勤務時間も六時間ほどずらしておいてくれ」
「それは服務規定違反になります。最悪、減給または謹慎になる場合がありますが、よろしいですか?」
「……すまん、言ってみただけだ。忘れてくれ」
宇宙船のパイロットといえど、所詮はサラリーマンということか……。
「すまんが、さっきのウォッカを一杯もらえるか?」
「はい、ただいまご用意いたします」
私はジェーンの用意した小さいグラスを手に取り、中の液体をちびりと飲む。
焼けるような感覚が喉を過ぎると、途端に身体が、かっと熱くなり寒さが幾分和らいだ。
が、失った気力は、しばらく戻って来そうもないな。
「心配しないてくださいキャプテン。運航予定によると、帰りは夏の時間帯になっていますから」
「そういえば、帰りもツアー客なんだったな」
「はい、赤道近くの諸島に住んでいらした方々だそうです」
「だめだろ! それ!」
「だめですか?」
私は思わず操縦席から立ち上がった。
ジェーンにもし表情があれば、きっとさぞかし不思議そうな顔をしていたことだろう。
「当たり前だ! 気温が何度になると思ってるんだ!」
「三十度ちょっとくらいでしょうか?」
「いくらなんでも暑過ぎだ! しかもそんな所の気候に合わせたら湿度でジェーン、お前もただじゃすまないぞ!」
向こうに着いたら、いの一番に本社と掛け合って、この妙な企画をすぐにでも止めさせてやる。
「くっそー! 見てやがれよ!」
私の叫びをよそに、航海は今日も平和そのものであった。