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「失礼しましたー……」


気怠くそう言って、なるだけ助教授のしかめっ面を見ないようにして戸を閉めた。ため息をつきながら廊下を歩き出すと、待っていた真琴がとことこと横に並ぶ。


「……お前のせいで、俺だけレポートの提出早められたじゃないか」


「あはは、ごめんごめん。でも詩乃も迂闊だよ。僕の方に振り返り過ぎなんだもん。助教授からはさぞかし目立っただろうね」


「うるせぇやい。相手と話す時は目を見て話しましょうって習ったんだよっ」


「ははっ懐かしいね、それ。そうか、じゃあ詩乃は礼儀正しかったんだね。ふふっ」


またまた上品な笑い。そのくせ、笑顔は無垢な子供みたい。未だに思うのだが、神の気まぐれで生まれたんじゃないのか、コイツ。


「可愛いにも程があるだろ」


「わお、嬉しいね。でも独り言は一人の時に言おうね、詩乃」


げ、口に出していたか。まあ気にしないけど。いつもの事だし。いや、それもどうかと思うけど。


「ところで詩乃、この後は何か予定でもあるかい?」


時刻は丁度一時。この後に受ける予定の講義は無い。バイトも今日は無い。朝早くに店長から私用の為に今日は臨時休業、と電話が来たから。なので飯食って昼寝しようと思っていたけど、これは当然ながら世間一般でいう予定とは言わない。


「無いよ。今日の俺は今や暇人と化している」


「それは良かった。僕も予定が無いから、いつもの四人でご飯を食べようと思っていたんだ。詩乃以外からは了承を得ているんだけど、詩乃はどうかな。来てくれると嬉しいんだけど」


「ええ、ええ。勿論ゆきますとも。拒否する理由なんて一切なしっ」


よかったぁ、なんて心底嬉しそうに笑いかけてくる真琴。これ欲しさに戦争でも起こりかねない、そんな笑顔。言い過ぎた。

来てくれると嬉しいだとぉ?

よせやぃ、思わず抱き締めちまいそうだぜ。










「……おっ、来たか式織。――おっ、詩乃じゃん。丁度いいや、なあ、これからメシ食いに行こうぜ」


「おう。話は真琴から聞いてる」


うちの大学には、玄関口の前に煉瓦作りのなだらかな階段がある。歴史は大正時代が始まり、古い造りだが中々に厳かな雰囲気を持つうちの大学。

階段の真ん中の手すりに、如何にもキャンパスライフ楽しんでます的なチャラ男が凭れていた。昔と違って今では落ち着いたけど、やはりまだまだヤンチャな好青年風。


灯元比劇(ひのもとひげき)。悲劇、なんて未だにからかってる。

彼とは高校で出会った仲だ。高校入学初日、見知らぬ同学年が集う一年一組で、比劇は俺の後ろの席だった。怠そうに携帯をいじっていた彼の第一印象は、不良。染めた髪をツンツンにして眉毛が極端に細く薄くて、切れ長の目は細めると蛇に睨まれるよう。とにかく、不良という言葉がぴったりな風貌だった。というか不良だった。


それでも、まあ、不良は怖いものだと俺は思っていないので、気軽におはようと挨拶を交わした。挨拶、これ大事。

するとどうだ。メンチでも切られるかと思えば、彼も気軽に返してきた。独りで暇潰しをしていた時のピリピリとした雰囲気が嘘のように。屈託のない、にししっ、という笑顔。

そのままの流れで話しこみ、意外と馬が合う事を知り、お互い友達第一号の誕生である。三年間同じクラスという奇妙な偶然付き。


「で、どこ行くんだ?」


「おう。最近あっちの方によ、旨い中華料理屋が開店したんだ。これがまたすげぇ旨くてなあ、マジで目ん玉えぐれるぜ?」


あっちの方とやらを指差す比劇。茶髪の頭頂部から釣り竿みたいにはねたアホ毛(本人曰く寝癖)もぴょこっとあっちの方とやらを指す。因みにこのアホ毛、雨が降ろうがワックスで固めようがはねるという強固さ。


「飛び出すどころかえぐれるのか。それは恐ろしくも楽しみだ」


「カラいの?僕、辛いのはちょっと苦手かな」


「だいじょぶっ、店長によると日本人好みの味付けにしてるらしい。どちらかといえば甘口とも言えるかな。チンジャオロースーとか神だぜ。けど何故かマーボーだけが……マーボーだけが、地獄みてぇに激辛なんだ……」


マーボーだけが……のくだりから比劇の表情が急に暗くなった。嫌な事でも思い出して恐怖に凍えるよう。晴天が曇天になった模様。無論、雰囲気が。


「なんだよ急に。そんなに辛いのか?」


「かっ、かれぇなんてもんじゃねぇんだよ。あれはなんて言うか……、ウニかじったみたいな……」


「は?ウニ?あのウニ?黒いトゲトゲの?」


「ああ、あのウニ。黒いトゲトゲ。それを思いっ切りかじったみたいな痛みが、豆腐を口に入れた瞬間に口内に広がるんだ……。豆腐だけだぜ?見た目は普通なのによ。水飲んでも全然収まんなくてさ、大泣きしながら会計する羽目になったぜ」


なんと、それは恐ろしいというより恥ずかしい。ううっ…ふぐぅぅぅ!!と泣きながらにお金を払う彼が目に浮かぶ。

比劇、悲劇。なんちって。


「比劇、悲劇。まっ、そんなの食ってみないとわかんないけどな。ただ単にお前の舌がお子ちゃまだったのかも知れないし。何だよ、ウニって。はははは」


馬鹿にしたように乾いた笑い。むしろ馬鹿にしている。


「なっ、詩乃、てめっ……よし、それじゃあお前はマーボー頼めよ。逃げんじゃねぇぞ!絶対だかんな!あと比劇悲劇やめろ!」


「はいはい」


詰め寄る悲劇比劇を、嘲笑まじりの鼻であしらう。

痛覚しかない辛味なんて今の世の中ありふれている。許容範囲外の体験が大袈裟な表現を生み出しているだけ。余裕面の俺は何を隠そう、辛党である。金が無い時はたまたま台所にあったタバスコで一日をやり過ごした時もあった。だが他に手はなかったのか、その時の俺。


「――あわわ、皆さん揃ってます!待たせてしまいましたか……?」


すると、階段の真ん中にいた俺たちに向かって、入り口から聞き覚えのある声が降ってきた。顔だけ振り向いて見上げた。ぎゃ、首が。


「おっ、嗣原も来たか。俺たちもさっき集まった所だからよ。気にすんな」


「ああ。僕と詩乃がここに来た時間は君と大差ないよ。だから安心していい」


「よかったですぅ。急いで来た甲斐がありました。……あれ、どうかしましたか?」


彼女は、真琴に首をさすってもらっている俺の事を言っているのだろう。身長差があるので、跪いている。領主と奴隷にでも見えるだろうか。


「はは、何でもないよ。詩乃は首が弱いらしい」


「はう、性感帯ですか!?こ、こんな所で……、やはり先輩は変た」


「絵留。それ以上言ったら殴る」


「ひっ、お、犯さ」


「殴るっつったんだよ!」


俺はガルル、と牙剥き出しの猛犬じみて吠えた。

彼女はひいい、と産まれたての仔犬じみて縮こまる。


嗣原絵留(つぐはらえる)。思考回路が変な方向に直結してしまう痛くて恥ずかしい子。こんなんでも思い出深い後輩な為、痴女と勘違いされないか心配でならない。

彼女も同じ高校。学年は一つ下。一緒の部活に所属していて、俺が彼女の教育係だった事が全ての始まり。因みに美術部。彼女があまりにも絵心に恵まれていなかったので、付きっきりの指導だった。


内面は残念なのだが、外見は可愛いの類には入ると思う。後輩を気遣っての言葉ではなく、単純に男の目線からして。

童顔なうえに眼鏡をかけているから冴えない感じだが、そんな印象は彼女のスタイルを見れば一気に吹き飛ぶ。ボン、キュ、ボン。雄の本能を刺激をするような体型だった。


「――ったく、いつまでエロ思考なんだよ。大学で久し振りに会ってみれば、成長した私に勃起してちゃ駄目ですからね、とか何だよ意味わからん。一年離れてりゃ収まってると思いきや、お前というやつは……!」


「ひいいっ!先輩っ、犯さないで下さい!」


「しつけぇぇぇ!お前なんか眼中ないわ!」


両手を握り拳にして、絵留の側頭部を勢いよく挟み込む。


「んぎゃあ!?」


「て言うか、そういう言葉を講習の面前で叫ぶなって前にも言ったよなあ。あぁん?」


「痛い痛い痛い痛い!ぐりぐりは痛いです!眼鏡のフレームも巻き込んで痛み増してますぅぅ痛い痛い痛い!」


泣き叫ぶ彼女の声を無視して力を込める。横を通り過ぎる学生たちはまたかこの二人は、といった表情で見て見ぬふり。

比劇はゲラゲラ、真琴はクスクス。絵留はギャーギャー、俺はぐりぐり。


いつも通りの、この四人のありふれた光景である。

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