第95話 「マジックポイントの限界」
ドラゴンウォーリア・ドレイクとの戦いだ。
こいつに小手先の技は通用しないということは、俺がもう十分にわかっている。
「あっ、あんなところに勇者フィンが!」
「なにィ!?」
「オンリーカード・オープン。【ホール】」
「そんなものが効くかぁ!」
ドレイクはひょいとかわした。ほら、小手先の技は通用しなかった。やはりこいつ強くなっていやがる!
俺は手のひらを突きつけながら叫ぶ。
「待て、ドレイク! これ以上俺に近づくな! お前の家族がどうなってもいいのか!」
「黙れ偽神が! この俺様には親兄弟はおろか、妻も子どももおらん!」
「そうか、寂しいやつだな」
「殺すぞ貴様! 何度だって殺してやる!」
ドレイクが大振りの剣を放ってくる。俺は後ろに飛びのいて避けた。だがあまり後退すると、今度は村人を巻き込んでしまう。くそ、やはり俺がなんとかするしか。
だとしたらあの手だな。ピガデスをも葬り去った俺の決定打、【レイズアップ・オルトロス】を踏ませるしかない。
俺はバインダを開く。うまくドレイクをビビらせなければならないのだが、そこはなんとか頭を使うしかないな……。
とりあえず先に、あいつのターゲットを俺に引きつけるとしよう。
「そうか、もしかしてドレイクお前、童貞か? 童貞なのか? まさか一軍を率いるほどの将が童貞なのか?」
「俺様は竜の一族! 種の保存など俺様には無用だ! 俺様はたったひとりで最強なのだ!」
「みんな聞いてくれ! 魔王軍のみんな! こいつ童貞だったぞ! 一度も女を抱いたことがない程度の男がお前たちの指揮官だぞ! それでいいのかお前たち! よーしこの軍は童貞軍と呼んでやろうじゃないか!」
俺が大声で叫ぶと、魔王軍はざわつき始めた。
「えっ、ドレイク隊長童貞なのか……」
「女を抱いたことがないってマジかよ……」
「あんないい年して……」
「俺たち童貞に命令されていたガル……」
「黙れお前ら! なにを動揺しているんだ! 俺様は魔王軍のドラゴンウォーリア、ドレイクさまだぞ! 早く突撃しろ!」
魔王軍たちは顔を見合わせて、明らかに戸惑っているようだ。完全に命令違反だと思うのだが、それでも許される辺りこの世界の童貞観が窺えるな……。
俺はさらに叫ぶ。
「いいのか! お前たちは童貞の命令で死ねるのか!? 童貞隊長のもとで死んで家族に顔向けができるのか!? よく考えてみろ! こう言っちゃなんだが、俺は結構強いぞ!」
「黙れ黙れ黙れ! お前たち、敵の言葉に耳を傾けるな! こいつの言っていることはすべて、戯言だ!」
「ちげーだろ! 全部真実じゃねえか! お前が童貞なのも、この軍が童貞軍なのもさあ!」
ドレイクに指を突きつける。魔王軍も村人も『なんだこの言い争い……』という顔で俺たちを眺めていることだろう。くくく、だがこれでいいのだ。俺の目的はドレイクを自分の土俵に引きずり込むことだ。
俺の目的通り、ドレイクは怒り狂った。双剣を振り回しながら俺に向かって突撃してきた。
「やはり貴様だけは殺さなければ殺さなければ殺さなければならない!」
「はっ! 粋がったところで童貞の攻撃なんざ食らわねえよ!」
「ならば受けてみるがいい! 我が奥義――!」
ドレイクは二本の剣を掲げた。その剣に莫大な魔力が宿ってゆく。俺は嫌な予感を覚えて慌ててバインダをめくった。
剣の刀身が膨れ上がったような感覚を覚えた。やばい、俺は慌てて【ホール】を使って自分だけが隠れられる穴に飛び込もうかとする。だが、その直後に気づいた。もしこの技が範囲攻撃だったら、俺が避けたらこの後ろにいる村人たちに当たってしまうのでは――。
村人たちは口々に叫ぶ。
「ひい、なんだあれは!」
「でも俺たちが逃げたら村が!」
「そうだ、村には戦えないやつらが残っている! 俺たちがここで守らなければ!」
「さあこい童貞隊長め!」
って……。いやいや、むしろお前たちが逃げろよ! お前たちが後ろにいたら俺が逃げられねえだろうが! くそ!
ドレイクが二本の剣を突き出してきた。
「喰らえ! 『風神剣』!」
すると刀身から放たれたのは、まさしく竜巻。刃のような風の気流だ。それらは土を巻き上げ、地面を抉りながら、俺を狙ってまっすぐに伸びてきた。
まずい、なんて速さだ。俺ひとりなら避けられるだろうが、しかし、このままではみんなを巻き込んでしまう――。
「オンリーカード・オープン! ディベ……いや、【レイズアップ・ディベスト】だ!」
あの必殺技はおそらく魔法のようなものだろう。スペルカード扱いなら、ディベストが通用するはずだ。はずなのだが、あれはレベルの低い魔法しか対象変更することができないという欠点も持つ。だから俺はレイズアップを重ねて見たのだが……。
すると竜巻は急激に方向を変えた。よし、俺のディベストが効果を発揮したのだ。そのまま魔王軍にぶち込んでやれ! と思っていたのもつかの間、竜巻は上空に放たれて立ち消えた。
くっ、ドレイクの技があまりにも強力すぎて、レイズアップですらコントロールし切れなかったか!
ドレイクはしかし、驚愕しているようだ。
「ばっ、ばかな! ドラゴンウォーリアへと進化したこの俺様の奥義を弾いただと……!? やはり貴様、只者ではないな……!」
くそ、今のはめちゃめちゃ消耗した。ただでさえ消費魔力の大きいディベストをレイズアップしちまったからな。
村人たちは腕を突き上げて喜んでいた。
「うおおおお! さすがマサムネさん!」
「伝説の魔法使いなだけはあるな! あれほどの大技をたったひとりで!」
「さすが俺たちのマサムネさんだ!」
「もう一生この村に住んでいてくれ!」
俺は青い顔を隠しながら怒鳴る。
「そ、そうとも! 当たり前だ! この俺にその程度の必殺技が通用するかよ! だからてめえなんざさっさと退却しやがれ!」
「いいだろう! 一度で通用しなければ、何度だって!」
「おいてめえら下がれ! 下がれ! 下がれえええええ!」
ドレイクが剣を掲げて再び魔力を溜め始めたところで、俺は村人に向かって叫ぶ。
何発かライトクロスボウを打ち込んで、その妨害を試みるが、しかしドレイクの硬い竜鱗に阻まれて跳ね返された。【ニードル】もだめだ。【エナジーボルト】も大してダメージは与えられず。【グリス】を顔にぶち当てようとしたが、それはさすがに避けられた。このままでは発動を阻止することができない。
「みんな、マサムネさんに続け!」
「とにかく石を投げ続けるんだ!」
「シネシネシネシネシネー! キシャー!」
お、お前たち……!
ドレイクめがけて投石の嵐。四方八方から石を投げられてドレイクはわずらわしそうに腕を振る。無駄だ。こいつはそんじょそこらの雑魚モンスターとは違う。
「――村人もまとめて皆殺しにしてやるわ!」
再び風神剣が放たれた。
今度は村人が散らばっていたため、ディベストを使う必要はなかったと思ったのだが――俺の想定をはるかに超えるほどに、竜巻の速度が速すぎた。あの野郎、さっきの一撃は本気じゃなかったってことか。だめだ、避け切れない。
さらに広範囲だ。散らばってなお、何人かの村人が犠牲になりそうだ。あいつは人を殺すことをなんとも思っていない。改めてあの愉快な野郎が魔物であると気づかされる。
だめだ、なりふり構っていられない。
「くそが! 【レイズアップ・ディベスト】だ!」
俺は再び竜巻の軌道を逸らすことに成功した。だがその代わり、凄まじいほどの魔力を持っていかれる。だめだ、もう魔力が枯れ果てそうだ。俺は歯噛みして耐える。
本気の一撃を弾かれたドレイクは顔を歪めていたが、しかしそれでも俺ほど消耗はしていない。マジか。俺は苦し紛れに目を狙ってライトクロスボウを射出するが、その一矢をドレイクは断ち切ってみせた。攻防ともに隙がない。
ドレイクは三度剣を掲げた。
「ならば何度でも! 切り刻まれて、綿毛のように散ってゆけ! 『風神乱舞剣』!」
村人たちに無数に降り注ぐ、小さな竜巻の刃。一個一個の威力は低いがその分、何十発も竜巻が膨れ上がっている。巨大な一発では逸らされると考えたからだろう。これがドレイクの真の奥義か。
ならば――。俺はそのすべてにレイズアップではないディベストを使用した。
今度こそ完全にコントロールを奪った。小さな竜巻はすべて空中で軌道を変え、ドレイクへと突き刺さる。
てめえの技を食らって死んじまえ!
「ぬおあああああああああああああああ!?」
叫び声をあげて土煙に閉ざされるドレイク。だが、俺の方も地面に膝をついてしまう。
「に、兄ちゃん、大丈夫かよ!?」
「ああ……、今のが俺の、決定打さ……」
気持ちが悪い。魔力を消耗しすぎた。吐きそうだ。
駆け寄ってきたラースに支えられて、俺はなんとか立ち続けていた。
正直、今のは無茶だった。温泉堀りで延々と【ホール】を使ったり、旅館経営で延々と【パン】を使って最大魔力を上昇させていたからこそ、未だ俺は気を失わずに済んでいるのだろう。
俺は腹が立っていた。今まで大した理由もなく魔王軍と戦っていたが、ここに来て初めてやつらの残忍さに気づいた。
村人たちは温和に日々を過ごしているだけだ。このピースファームで生まれて、家畜や畑を育てて、そうして次の世代に引き継ぐために精一杯生きているだけだ。
あいつらがなにをしたっていうんだ。なんで一方的に蹂躙しようとするんだよ、魔王軍。愛する人がいて、子どもだっているんだぞ、村人たちには。
俺にはいないけどさ! でもだからこそ、そんなに大切な人がいたら、命を懸けてでも守りたいと思っちまうもんだろうが。なんでこんなに簡単なことが、魔王軍にはわからないんだ。争いの種を広げるんだよあいつらは!
土煙が少しずつ晴れてゆく。そんな中、現れたのは全身に傷を負ったドレイクだった。鎧はあちこちが砕け散っているが、しかしそれでもまだしっかりと二本の足で歩いている。
見たところ、残りHPは半分は残っていそうだ。
「貴様たち……! 許さん、許さんぞ……!」
童貞隊長の奮戦に、先ほどまで童貞隊長のもとで死ぬのはなあ……、と嫌そうな顔で立ち止まっていた魔物たちも、ちょっとずつ穴から這い出してきた。
「なんだよ隊長、童貞でもかっこいいじゃん!」
「童貞なのにやるじゃんドレイクさん!」
「童貞すげえ! これが童貞パワーか!」
「童貞! 童貞!」
童貞コールが立ちのぼる中、ドレイクはそれすらも気にせずにのっしのっしとこちらに近づいてくる。もう頭に血がのぼって、人の声は聞こえていないんだろうな。
強い、なんて強さだ、どうて――いや、ドレイクめ。
だめだ。魔力がない。俺にはこれ以上どうすることもできない。
握力が尽きた手からは、バインダすらもこぼれ落ちた。
俺はここで死んでしまうのか。誰も守れずに……、それが俺の運命なのか……。
無数に枝分かれした未来の中で、ほとんどの俺は命を落としていたとゼノスに聞かされた。ならばこれもそのうちのひとつに成り果てるのか……。
嫌だ、死にたくない。俺はまだ生きたい。
なによりも――。
ナルと、キキレアと、ミエリと。あんな形で別れて、もう二度と会えないなんて……、そんなのは、ごめんなんだよ!
だってあのままじゃ俺はハーレム目的であいつらに近づいて魔王退治も放り出したような、最低野郎のままじゃねえか!
せめて頭を下げて謝りたい。そうして改めて……、くそう、くそう、くそう!
こんなところで終わっちまうのかよ、俺の人生……。
風にめくられたバインダが一枚のページを示していた。それはわずかに輝き、まるで『俺を使え』とでも俺にささやいているかのようだった。
俺は目を見開く。
そう、そこにあったのは【ゴッド】のカードだったのだ。
そうか、これがあれば、皆を救えるのか……? これがあれば、俺はまだ死ななくて済むのか……?
一発逆転の目が残されているのか……、ならば……!
俺はバインダに手を伸ばしながら、ドレイクを睨みつけた。
そんな俺の目の端に、涙が浮かんでくる。
でも嫌だ!!
一生童貞になるカードなんて、使いたくないんだ!!!




