第62話 「俺自身が正妻になることだ」
ランスロットとハンニバルに呼び出されました。
額に手を当てたまま、ランスロットはうなだれる。
「やってくれたな、あいつめ……」
手の甲にキスの件である。
俺ことマーニーは優美なドレスそのままに、城の応接室のソファーに座りながら、小さくなっていた。別に俺が悪いわけじゃないのに……。コルセットがきつくて前かがみになるのがつらい。女の体って不便だ。
ランスロットは深々とため息をついた。
「マサムネ殿、君には早々に弟をフッてもらえたらよかったのだが……」
「そんな暇は断じてなかったぞ! あいつがガッときてチュッとしやがったんだよお! 俺の手の甲に!」
俺は悲しい気持ちで叫ぶ。なにが嬉しくて男にキスなんてされなきゃいけないんだよ……。勘弁してくれよ、本当に……。
ランスロットは沈鬱な面持ちで首を振った。
「それはわかっている……。だが、弟は君を見つけるやいなや、真っ先に求婚をしてきた。それだけならまだしも、あの場には大勢のメイドたちもいた。それが問題なのだよ」
「問題、って……」
「ゆゆしき事態と言っても過言はないだろう。これで俺たちはマーニーを逃すわけにはいかなくなったのだ」
「ど、どういうことなんだよ」
俺はマーニーの姿のまま、高い声で問いかける。
「だって別に、『あいつはお前に求婚されたので、とてつもない嫌気が差して故郷に逃げ帰りました』と言うことだってできるだろ。なんで俺の自由がもがれたみたいになっているんだよ」
「それは難しいでしょう」
口を出してきたのはハンニバルだ。なんでだよぅ。
「仮にもジャラハドさまはイクリピアの第二王子。その方からの求婚を平民であるマーニーさまが袖にするというのは難しく、さらに言えばどこかへ逃げたとしてもジャラハドさまは必死に追いかけてくるでしょう」
「じゃあもう死んだって言ってくれよ」
「そうなれば、政争の種が生まれる」
ランスロットは重苦しい口調で言った。政争? なぜ?
「弟にはもともと、婚約者がいた。その婚約者との結婚を推し進めているのは、わが国でもそれなりに権力をもった貴族たちだ。もしポッと出で、あいつの心を奪ったマーニーが殺されてしまったら、彼らが真っ先に疑われてしまうのは間違いない。せっかく魔王軍との戦いを前に団結しなければいけないこの状況で、それは余計な火種だ」
「マジか……」
そうだな、死ぬだけにはとどまらず、ゾンビとして生き返っちまうからな……。
「ていうかあいつ、婚約者とかいたのか……。生意気すぎる……」
「イクリピアの第二王子ですから」
しれっとハンニバルが答えた。ヘタレだったころのジャックが記憶に焼きつきすぎていて、イマイチあいつが王子だって結びつかないんだよな。
俺は細くて長い指を口元に近づけ、爪を噛む。
「まさかあいつ、そこまで計算して求婚なんてことを……!」
「それは百パーセントないだろう」
「ええ、ありませんな」
兄と執事がお墨付きの言葉をくれた。そりゃそうか。ジャックだしな。納得である。
ランスロットが話を引き戻した。
「というわけで、だ。マーニー殿が弟をフるための条件は、少しだけ厳しくなったと言っておこうじゃないか」
「……少しだけ、ってどんぐらいだよ」
「一方的に別れを告げればいいという状況ではなくなってしまったんだ。より綺麗に別れてほしいと思っている。そのためにはやむおえない事情が必要だ。王族の妻になるのを断るだけの大義。その答えとして、我々は君の婚約者を用意しようと思う」
「ははあ」
そうか、好きな人がいるから、って言えばいいのか。まあそれはスマートなやり方だな。失恋の痛みは胸に残るだろうが、それは先走ったお前が悪いんだジャック。乙女の手の甲にいきなりキスをするとか、本当にマジでありえないからな。ざけんなよ。
ハンニバルが軽く頭を下げた。
「近々、内々でパーティーを開きますので、お披露目はそのときという形にさせていただこうと思います。マサムネさまには度重なる苦労をおかけしますな」
「…………いいさ、乗りかかった船だ」
ジャックの胸に突き刺さったオンリーカードも気になるしな。それに、これでハンニバルだけじゃなくて、ランスロットにまで恩が売れるのならば、十分すぎる褒美だ。具体的にはたぶん一生くいっぱぐれないだろう。
そんなときだ。トントンとドアがノックされた。緊急の用事であると、ランスロットが呼び出された。いったいなんだろうか。
騎士に耳打ちをされたランスロットの顔色が変わったのを見て、俺はピンと来た。そうだ、おそらく魔王軍が攻め込んできたのだ。
だとすればもうこんなやり取りは無駄だ。マサムネだのマーニーだのやっている場合じゃない。人類を守るために出撃しなければ。それが俺たちの使命。行け、マサムネGO。地球の平和を守るために旅立つのだ。
俺がそんな現実逃避をしていると、ランスロットはなぜか俺のほうを見ながら「あー……」と声を漏らした。
そうか、このマサムネの力が必要なんだな。わかったわかった。今助けにいくぜ人類。俺は立ち上がる。ドレスの裾を踏んですっ転びそうになった。ハンニバルが差し出してきた腕に捕まって、俺はランスロットを見上げる。
「あー、マーニー殿、悪い知らせだ」
魔王軍か。
「君に客だ」
なるほど、魔王軍だな。
「弟の婚約者が……来たのだ」
魔王軍じゃなかった。
だけどそれは――、魔王軍のほうがマシだと思えるような相手であった。
ディネリンド・オレガノ。
エルフの国の王女様だという話だ。まだ十六歳だが、その美貌はエルフの国中に響き渡ると言われている。これまたずいぶんと大層なやつがやってきたもんだ。しかもそれがジャックの婚約者っていうんだから、現実っていうのは本当にありえないことの積み重ねでできているんだな。
で、まあ。
俺はその透けるような緑色の髪を持つエルフの姫様と、一対一で向かい合って座っていた。
なぜ。
ディネリンドは確かに美しい。腰はほっそりとして、瞳は宝石のように大きく、胸は平坦だが抱き締めたら折れそうな体が芸術品としての美貌を際立たせている。それでいて、まだ少女としての淡さと儚さを兼ね備えていた。
ナルの未完成なエルフとしての容姿をさらに磨き上げたと言うべきか。タイプとしてはミエリに近いかもしれないが、あいつは口を開けば親しみやすさと同時にアホっぽさがくっついてくるからな。アホっぽくないミエリっぽい。つまり完璧だ。
ここは先ほどとは違う応接間。なにやらジャックの好きな人が現れたと聞いたディネリンド姫が、慌てて城内にやってきたらしい。それはもうすごい勢いだったとか。
そして姫様は今、俺をご指名だそうだ。ものすごい目で睨まれているなう。この姫様、キキレアの遺伝子が混ざっているのかもしれない。美人がそういう顔をしているとこわいからやめてほしい。
「どんなのが、ジャラハドのハートを射止めたのかと思ったら……」
ぼそりとつぶやくディネリンド。その冷たい声色に、俺の肩が震えた。
「ねえ、あなた。マーニーって言っていましたわね?」
「は、はい」
「ちょっとお立ちなさってくださらない?」
「えと」
ドレスを着たままで俺はその場で立ち上がる。それを見てディネリンドが両手でバッテンを作った。
「はいだめー。失格ぅー」
「えっ!?」
「あなたぜんぜん礼儀なっていませんわー。今までなにをしていらしたのー。失格ぅー。ぶっぶー」
めっちゃディスられている……。
「ジャラハドさまがまさかこんな女にたぶらかされるとは……。あの方は、純粋な方ですから、どうせ色仕掛けでもしたんでしょう? はいすごい感じ悪い失格ぅー。そのだらしのない胸を使って。そうでしょう?」
「ええっ!?」
ディネリンドは俺に向かって身を乗り出すと、ツンツンと指で胸をつついてきた! この女、俺がどうしても越えられなかった一線を簡単に越えた!?
俺は急に襲われた感覚にビビって、胸を押さえながらのけぞった。なんかくすぐったかったような、変な感じがする! なんなのこれ! やめて!
うう、急に胸をつっついてくるとか、女の人こわいんだけど……。
俺がなにも言えずに黙っていると、ディネリンドは眉根を寄せた。
「いいこと? ジャラハドさまはわたくしと婚約してらっしゃるの。だから泥棒猫は引っこんでくださらない? 薄汚い庶民の匂いがプンプンとしますの。失格失格ぅー。ぶっぶー。わたくし少し耐え切れませんわ」
しかし、だんだん腹も立ってきた。
なんでジャックに求婚された俺が、そんなことを言われなければならないんだ……。
だいたい、俺は手の甲にキスを受けた被害者だぞ。憎いのはジャックの方だろう。あんたを放って浮気したのだってジャックじゃないか。俺はなにも悪くない……。
なのに、言葉が出なかった。俺がなにを言ってもこのお姫様には藪蛇な気がしたのだ。また胸をつつかれるのこわいし……。だめだ、マーニーの姿では権力と美貌が上の女には勝てない。俺は弱者だ!
涙目で俺がぷるぷる震えていると、ディネリンドは大きくあきれ果てたようなため息をついた。
「ジャラハドさまは本当に、なぜこんなお戯れを……。わたくしに言ってくだされば、なんだってしますのに……、もう……」
そのときであった。
「――待ってくれ!」
ズバーンッとドアを開いて、現れたのは真っ白なサーコートに身を包んだパラディン。すなわち、銀髪の王子ジャックそのひとであった。
ああ、なんか少女漫画とかでこういう光景を見たことがある気がする……。王子さまが助けに来てくれたのか……、王子さま……、ジャックか……。
「ジャラハドさまっ♡」
次の瞬間、ディネリンドの目がハートマークに変わる。その変化も俺には衝撃的だったのだが、さらにすごいことが起きたのは次の瞬間だった。
ジャックは言った。
「……ごめん、ディネリンド。キミのことは大切だ。だけど今の僕は、このマーニーさんが……」
そう言って心から済まなさそうな顔でジャックが頭を下げる。空気がひび割れたような音がした。
ああ、ジャックはぶちのめされるだろう。俺はそう思って達観していた。まさかここまでジャックの気持ちがあふれていたとは、本当に予想外だなー、ぐらいの気持ちだった。だったのだが――。
唖然としていたディネリンドの目に、涙があふれてきた。
えっ、……えっ!?
『えっ!?』
俺とジャックの声が重なった。直後、ディネリンドは今までの態度をすべてかなぐり捨てた。
完璧な美貌を持つエルフの王女はソファーから床に転がり、そうして両手両足をバタバタと振り回しながら幼児のように大声をあげて泣きじゃくる。
「やだあ! やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ! ジャラハドさまと結婚するぅ! 結婚するんだもん! やだやだやだやだやだやだ! ジャラハドさまのことが世界で一番好きなのはわたくしなのになんでそんな女に取られるのやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
大絶叫が城中に轟いたような気がした。
俺は悲鳴の海の中で、世界平和と愛について考えていた。時よ過ぎろ、早く……早く……。
一方、顔色が真っ青なジャックは助けを求めるような目で俺を見た。
どんなことを言い出すのかと思えば。
「…………僕どうしよう、……マーニーさん……」
ジャックは震えながらそう尋ねてきた。
フッた女の処遇を俺に聞くのって、ホントお前最悪だからな!?
ジャックはあくまでも、ジャックのままであった……。もうマーニー、ホットランド帰りたいよぅ……。




