第5話 「住めば都(洞穴)を離れ、明日へ」
さて、拠点へと帰ってきた俺は、どっかりと居間の地面に腰を下ろした。
すると奥の台所と定めた部屋から、新妻のような笑顔を浮かべたミエリがパタパタと走ってくる。
「おかえりなさい、マサムネさん」
「ああ、ただいま、ミエリ」
俺は両手にどっさりと抱えた草を彼女に渡した。
「ほら、きょうのメシだぞ」
「わあ、草! こんなにたくさんの草! それにタンポポの葉っぱも! タンポポって食べられるんですよね! わぁいミエリタンポポ大好きー」
「いつものように頼む」
「はい、サンドイッチモドキですね、ご用意しますね!」
「ああ」
俺は満足そうにうなずいた。
彼女はミエリ。この地上に降りてきた女神だ。
その美しさはまさしく、俺が今まで生きてきた中で見たどの女性よりも優れている。
金髪に碧眼。まさしく天使のようだ。いや、女神だから天使よりもよっぽど上位の存在なのだろう。
華やいだ微笑みが、眩しい。
俺は思わず照れて、顔を逸らした。
……なんだこいつ、かわいいとこあるじゃないか。
ミエリはパタパタと走っていった。
「うふふ、るんるんるん~」
鼻歌が台所のほうから聞こえてくる。
オンリーカードによって拡張したこの洞穴は、今や四部屋だ。
間取りは非常に迷ったが、俺とミエリの部屋。居間。そして台所となった。
すべて冷たい地面で、座り心地もよくはない。
しかし今となってはもう慣れた。なによりも安全だしな。
良いところを探すのは得意なのだ。
それに……。
ちらりと奥を見つめると、金髪を束ねて邪魔にならないように結んだミエリの後ろ姿が見える。
ミエリと一緒にいるのは、退屈しなかった。
彼女はその女神のような微笑みで、俺の毎日の心を癒してくれる。
外に出て、魔王軍の目を盗みながら草を引っこ抜いてくるのも、彼女のためならば怖くなかった。
ミエリは悪いやつじゃない。
最初は打算的だったかもしれないが、今ではこんなに尽くしてくれている。
きっとプレッシャーや使命感などで、がむしゃらになっていたただけなのだろう。
ミエリは、なぜ自分が書庫にいたのかを、話してくれた――。
『わたしたち女神は一人前になるために、お父様――すなわち、創造主さまの命じた試練である、闇を祓うという偉業を達成しなければならないのです。そうして晴れて皆に認めてもらえるのですが……しかし、わたしはまだその試練を達成できていないのです。ですので、この書庫で一人きりで勉強を続けていたんです』
そう語る彼女は、暗い顔をしていた。
『けど、もうここに書庫に閉じ込められたままなのは、いやなんです……。目も疲れちゃいますし、話し相手もいないんです……。たまにはわたしだって羽を伸ばしたくて、それでマサムネさんについていこうって……』
ミエリは独りだったのだ。
何百年も何千年も、だ。
寂しくて、つらい毎日を送っていて、心が病んでいたのだろう。
マサムネさんマサムネさんと身を寄せてくる彼女は、まるで仔猫のような愛らしさがあった。
ひとりで寝ているときにそばに来られると、さすがに、なんというか。
あれは困った。俺だって健康的な男子高校生なのだ。
俺の手には、徐々に判断材料が揃いつつある。
それどころか……。
「ミエリ」
「はぁーい?」
彼女は光り輝くような笑顔で振り返ってくる。
こんな暮らしをさせているというのに、文句ひとつ言わない。
なんて健気な女神だ。
好ましさすら、覚える。
俺は今まで生きてきて、恋だとか愛だとか、そんなものとは無縁な生活をしてきた。
恋人がいたことだって、一度もない。
もし仮に告白されたとしても、判断材料が揃うまでは決してオッケーできないだろう。
自分が面倒くさい性格をしているのだとは、重々承知の上だ。
だが、それならば今この胸を貫く感情は、いったいなんだろう。
いいや、もうわかっている。
――俺はミエリを意識してしまっていた。
だって仕方ないだろう。
こんな洞穴にあんな美女とずっと一緒に暮らしているんだ。
しかもその美女が、俺に全幅の信頼を寄せてきてくれる。
俺が頼めば、なんでもしてくれそうなほどに、だ。
これでどうにもならないやつは、男じゃない。
くそう。いや、でもだめなんだ。衝動的は、だめだ。
俺の意思とは裏腹に、この体はゆっくりと彼女に近づいていく。
ミエリはまるで子供のように首を傾げていた。
「マサムネさん?」
「……ミエリ」
俺は彼女の細い肩にゆっくりと手を置いた。
柔らかい。それに華奢だ。これが女の子の感触か。
いつまでも撫でていたくなる。
ミエリは驚いたような顔で、俺を見返す。
そのつぼみのような唇が、ゆっくりと開いた。
「あの、マサムネ、さん……? わたし……その……」
「あ」
そのとき俺は、唐突に気づいた。
気づいてしまった。
「なんだこれ……」
「え?」
「臭い。ミエリ臭いわ」
「!?」
完全に目が覚めた。
俺はなにをしていたんだ。
「脱出しましょう!」
顔を真っ赤にして、ミエリは叫ぶ。
その前に、やや距離を離して座る俺も、うなずいていた。
「本来ならば、その結論を導き出すにはもっと長い時間。それこそ、1000時間の試行は必要だと思っていたが、しかしミエリの一大事だ。俺も早急に手を打つべきだと確信している」
「うううう」
「完全に失念してしまっていたな。まさか女神も風呂に入らなければ、臭うようになるなんて……」
綺麗な女の子は、いい匂いがするものだとばかり思っていた。
それが、ミエリがあんな……いや、ミエリのために言語化するのはよしておこう。
「た、たまたまなんです!」
ミエリは手をバタバタと振り回しながら、抗弁する。
「光の加護が届く場所なら、この女神の衣で汚れなんて付着しないんです! わたし、肉の体で地上に降りるの初めてだから、色々と勉強してやってきたんです! 本来は大丈夫なんです! 大丈夫なんです!」
「う、うん」
ずいっと体を寄せてくるミエリから、同じだけ距離を離す。
それを見たミエリの目に、じわっと涙が浮かんだ。
「うううううううう」
「まあ、うん、脱出しような。そうしたら思う存分、洗い流そう」
「な、なんで鼻をつまんでいるんですか!? 言っておきますけど、マサムネさんだって同じですからね!? それでもわたしはずっと気にしませんよ! 気にしないようにしてましたよぉ! なのになのに!」
「うんうん、そうだなそうだな」
わーわーと騒ぐミエリを横目に、俺はカードバインダを出現させ、手持ちのカードを眺める。
効果がわかっているものと、わかっていないもの。それぞれだ。
脱出のためには、これらの屑カードを手足のように使いこなすことが必須となってくるだろう。
しかし、灰色のカードはいつになったら使えるようになるんだ。
俺の魂、いつ目覚めるんだよ、よくわからないな。
「とりあえず、抜け道を作れないかどうか、やってみるか」
もし【ホール】が自分が立っている場所の下を掘るのならば。
俺は地面に寝転び、まるで壁に立つようにして足を突き出す。
「ええっ? ちょっと、マサムネさん急になにをしているんですかー? それなんの遊びですかー? 変なのぉー」
「……」
口元に手を当てるミエリは、憎たらしい笑顔を浮かべていた。
そうだよな、ミエリはこういう顔をしていたんだよな。
よかった。俺もようやく目が覚めたようだよ。
「【ホール】」
「ひゃああああああ!」
ち、ダメか。
ミエリが三メートル下に落下していっただけだった。
やはりホールは立ち位置ではなく、地面と水平にしか穴を作ってくれないらしい。
もし真横に穴を掘ることができたら、そのまま延々と横穴を作り続け、魔王領域を抜けたところで、地上に出ればいいだけだったのだが。
手でこの壁を掘るか?
いや、さすがに無理だな。
それこそ何年がかりというレベルだ。
……仕方ない。
外に出るしかない、か。
いいだろう。
俺も覚悟を決めようじゃないか。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
石橋を叩いて叩いて叩いたら渡らざるを得ず、だ。
俺は汗水を垂らしながら穴から這い出てくるミエリを横目に、人知れず拳を握るのであった。
そして――。
「あ、あのー……」
「うむ」
「マサムネさん……?」
「わかっている」
俺とミエリは、荒野に並んでいた。
岩陰に隠れ、息をひそめ、さらに全身に食べ残しの葉っぱを巻きつけた完全なカモフラージュスタイルだ。
そう、判断材料を集めるためには、打ってつけなのだ。
それなのにミエリはなぜか、怪訝そうな顔をしている。
彼女は前方を見つめて、俺に小声でささやいてきた。
「……あ、また通りましたよ。今度は羽が生えた悪魔みたいな魔物ですね」
「そうだな」
その魔物を、俺は悠々と見送った。
よし、これでいい。
「あのー……今ので通り過ぎたの、48匹目なんですよぉ……?」
「わかっている」
俺は当然のようにうなずく。
「俺は判断材料を集めているのだ、どの魔物がどんなコースで見回りをしているのか、それを今、頭に叩き込んでいる最中だ」
「……え、えっとぉ。それってあとどれくらいかかりますぅ?」
「そうだな。ハッキリとしたことは言えないが、少なくともあと二年はほしいところだな」
「!?」
俺のこめかみを汗が伝い落ちる。
それを、ミエリは見逃さなかった。
「……あの、その、これは完全に邪推でして、こんなことを言うのもわたし、すごくはばかられるのですけれども……」
「うむ、言うのは構わないぞ。これからもどんどんと意見は言ってくれ。それが俺の判断材料になるかもしれんからな」
「マサムネさん、ビビってます?」
「ビビってないよ」
まったく、おかしなことを言うやつだな、ミエリは。
ミエリは半眼でじーっと俺を見つめている。
「マサムネさんってビビりだったんですね」
「違うよ、全然違うよ」
「すごいかっこつけていつも判断材料って言っているのに、用心深いのですらなくて実際はただのビビりだったなんて、わたしちょっと幻滅ですよぉ」
「待て、ミエリ、待て」
にやにやと口元を緩めるミエリを、俺は手で制する。
「それは解釈の違いだ。たとえば素っ裸で戦場を横断した男がいるとしよう。そいつが度重なる偶然と類まれなる幸運によって一度も敵に会わずに、ミッションを遂行できたとしよう。はたしてその男の行動は『武勇』だと言えるか? お前がはき違えているのは、そこだ。ビビりは自らに怯え、チャンスを逃す。だが、慎重なのはあくまでも最悪の事態を想定しているだけだ。そこには武勇と無謀ほどの違いがある。わかったか? 俺は決してビビりではないということが」
「わかりました、ビビムネさん」
手と手をがっちりと組み合わせ、俺はミエリを地面に押し倒す。
このアマ、一回シメてやらねえといけないな。
ミエリは歯を食いしばりながら、必死に抵抗をしていた。
「だったら! ほら! ここでわたしとかいじめていないで、いきましょうよ! ほら! あの無限の荒野へ! 漕ぎ出しましょうよ! ビビってないでー! マサムネさんのー! ちょっといいとこ見てみたいー!」
う、うぜえ……!
「……お前はここで俺が挑発に乗って『よしわかった、じゃあ行くぞ』とか言うのを期待しているのだろうが、残念だったな。俺の用心深さは筋金入りだ。その程度で危険を冒すとでも思っているのか?」
「そのていどできけんをおかすとおもっているのか? キリッ」
「……」
「あ、痛い、痛い痛い痛い、マサムネさんそろそろ痛い、痛いんですけど背中、ゴリゴリと岩に当たってますよぉー。痛いんですよぉー」
くそう……。
こいつと一緒にいると、ほんっとうに調子狂っちまうな……。
岩にミエリを押しつけたまま、俺は歯の隙間から息を漏らし、念を押す。
「いいんだな、お前。衝動的に突っ走った結果がどうなっても、後悔しないんだな……?」
「後悔もなにも、ただ荒野を抜けて走っていくだけじゃないですかぁ。大げさですよぉ、マサムネさん」
「お前だって数日前に泣いて帰ってきたばっかりだろうが」
「わたしは一日前のわたしより、常に進化しています。昨日できなかったことだって、きょうはできるようになっています。キリッ」
キメ顔を作ってそう言うミエリに、俺は思わず脱力した。
こいつの泣きわめく顔が見れるのなら、このまま衝動的に裸で荒野に突っ込んでもいいかもしれないと思いつつあった。
くそう、仕方ない……。
これも判断材料を集めるためだ。
歩き出すか……。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
マサムネたちがよからぬ考えに至っていた頃。
魔王城に最も近い街ロードストーンから、冒険者のパーティーが出発をしていた。
彼らは魔王討伐へと向かう、四人組。
手練の冒険者である彼らは、十分な準備を整えて、魔王城へと向かっていた。
無論、魔王を討伐するのが目的ではない。
その周辺の兵を倒し、魔王軍の戦力を削ぐのが、主な任務だ。
今、人族にできることは、その程度が精いっぱいなのだ。
「おい、フィン、いこうぜ」
「ん、ああ」
フィンと呼ばれた赤い髪の青年は空を見上げ、再び立ち止まる。
先にゆく三人を眺め、首をひねった。
「なんだか強い光の力を、魔王城の方から感じたけれど……まあ、気のせいだよね」
そんなはずがない。あそこはこの世界で一番闇の力が濃い場所だ。
なにかの間違いだろう。
「今いくよ」
フィンは小さくため息をつき、そして歩き出す。
足を踏み入れるだけで鳥肌が立つようなあの地に、再び向かわなければならないなんて。
まったくもって、――女神にでも力を貸してもらいたい気分であった。




