第49話 「赤鬼危機一髪」
運命の地下四階に向かう前に、俺たちは【パン】と【クロワ】と【バゲット】で腹ごしらえをする。
「これだけはめちゃめちゃ便利なのよね、あんた……」とはキキレアの弁だ。パン使い舐めんな。
前回は四階に足を踏み入れた直後、ドラゴンに追い回されてそのまま逃げ帰ったのだ。
だが今回は違う。まず気の持ちようが違う。俺に油断の二文字はない。それにパーティーメンバーだってグッと強くなっている。キキレアがいるし、シノがいる。竜穿を持っているナルがいるのは不安材料だが、それでも総合的にはプラスのほうが大きいはずだ。
というわけで。
四階に降りた途端、早速敵さんのお出ましだ。
「来る……、たくさん……」
シノが指差した方向を見つつ、俺は【ピッカラ】を使う。するとシノは「……!?」とめちゃめちゃ驚いていた。そのリアクションも見慣れたな……。
しかしたくさんか。ドラゴンがドタドタとたくさん走って来たら、さすがに嫌だな……。
そんな風に思っていると、バサバサと羽音が聞こえてきた。やがて赤い光が見える。あれは……ジャイアントバットの群れか? いや、色味が違うし、それに一回り大きいな。
早速キキペディアが解説してくれた。
「あれはブラッドバットね。噛みつき攻撃が強力で、一瞬にして体中の血液を吸い上げられるから注意よ。飛んでいるから攻撃が届かないし、剣士の天敵だわ」
「げっ」
俺は慌ててバインダを呼び出し、ブレイブカードを【レッド】から【ラッセル】に切り替えた。剣の達人レッド隊長、しばし眠れ。いやもう土の中に眠っているが。
「じゃあ近づく前に撃破しろってことか」
「そうね、それが一番早いわ」
「だったらあたしが竜穿で――」
『それはダメ』
俺とキキレアが声を揃えて止める。地上で使っても死にかけるだけで済むが、ここで使ったら運が悪いと全員落盤で死ぬからな。じゃあなんで持ってこさせたんだって話になるが……。
こちらに飛んでくるブラッドバットの数は五匹。早い。あと数秒も猶予はないだろう。
「とりあえずミエリ、適当に撃つわよ!」
「はいにゃ! 『メガサンダー』!」
「くっ、中級魔法を大した詠唱もなしに……、ね、妬ましいわ! ミエリのくせに!」
「わたし雷を司る女神なんですけど!?」
叫ぶミエリ。その雷が直撃したコウモリは空中で散った。残り四匹。
キキレアは魔力の風でマントをはためかせながら、呪文を唱える。
「火よ、大地築き、積み上がりて、我が身を護らん! 『ファイアウォール』!」
すると突如として床から火柱が立ちのぼった。轟々と燃える炎の壁は通路の幅全体に広がり、コウモリのゆくてを阻む。コウモリはぎゃあぎゃあと喚き散らしている。いい時間稼ぎだ。
「ふふふふふふ、私だってこのレベルの魔法を使えるようになったのね……、愛の、愛の力だわ! S級冒険者キキレア・キキの完全復活も近いわ!」
だったら俺も、新技の披露といくか。
ビガデスを倒したときに入手したカードは三枚。ひとつは【フィニッシャー】、もうひとつは【マグネット】、そして最後のひとつがこれ。
「オンリーカード・オープン! 【ニードル】!」
俺がカードを使用すると、この指先から白い針が飛んだ。そう、ビガデスが使っていたあの麻痺針である。
針は、炎の壁を突き破ってこちらに突撃を仕掛けてきたコウモリの胸に刺さる。コウモリはしばらく飛んだ後に、俺たちの手前でぽとりと落ちた。そんなコウモリにナルが蹴りを放ってトドメを刺す。
よし、このレベルのモンスターにも麻痺が効くのはありがたいな。
あとは流れ作業だった。キキレアがファイアウォールを維持しつつ、炎の壁の向こう側にいる敵にミエリが適当にサンダーをぶち込む。これは別に当たらなくてもいい。焦って炎の壁を飛び越えてきた相手に、俺が【ニードル】を放つ。麻痺が効いたコウモリへのトドメはナルだ。
こうして五匹のブラッドバットを撃破した俺たちは、ホッと一息をついた。
「なんとかなったな」
モンスターは黒い影となって消えてゆく。消えたあとには、羽やら牙やらが残されていた。キキレアが眉をしかめながらそれらを拾い、ぽいぽいと自分の腰にくくりつけている革袋に放り投げてゆく。
「ドロップアイテムがショボいわね……」
がめつい。さすが薬草摘みで暮らしていただけのことはある。
さて、新たなモンスターが見えないので、俺たちは進むことにした。地下四階の探索開始だ。
「…………」
すると、すぐにシノの雰囲気が変わった。張り詰めているというか、ピリピリしているというか。集中モードに入ったのかもしれない。
シノは懐からチョークのようなものを取り出すと、床に丸を描いてゆく。描かれた線はぼんやりと発光していた。蛍光チョークか。
「みんな、シノの描いた丸い線の中に足を入れちゃダメよ」
なるほど、あそこが罠のあるポイントなんだな。わかりやすい。俺たちはあそこを避けて通ればいいだけか。
どうせレジャーダンジョンって言っても、地下四階までは使わないだろうしな。いいさ、さんざん落書きしてくれ。
「しかし、三階より広い四階を、こんなペースで探索してゆくのか」
俺は手元のマッピングツールを見下ろして、げっそりとした気分でつぶやく。地道な作業は嫌いではないが、そこに危険が伴うというのなら、話は別だ。慎重疲れしてしまいそうだ……。
そばにやってきたキキレアが微笑みながら髪をかき上げる。
「大丈夫よ。トラップにも分布というものがあるわ。ダンジョンの適切な場所に適切に配置されているものだから、奥の方にいけば数はグッと減るわよ」
「へえ、そういうものなのか?」
「ええ。どうも階段の周辺に集中して置かれているタイプみたいだしね。だから平気のはずよ。法則性もなく適当にトラップが置かれているダンジョンなんて、そんなの美しくないもの」
「美しいっておい」
俺が突っ込むと、キキレアは人差し指を立ててしたり顔で語る。
「このダンジョンは、二百年前から三百年前に流行ったリザイザ式の建築なの。方眼紙のように几帳面かつ計画的に配置される通路が特徴よ。全体マップも正方形になっているでしょう? そのことから、このダンジョンを作ったマスターはマサムネのように細かいことにうるさい性格であることが予想されるわ」
「ほう、面白いな、ダンジョンプロファイリングか」
「ええ。各階層で現れるモンスターも一定の規則性があるから、トラップもそうだと考えるのが自然よ。もちろん、思い込みは頭を固くするからいけないんだけどね。底意地の悪いマスターなら、そう思わせておいてトラップだけランダムに配置したりするだろうし。でもひとつひとつが連携していないトラップは、逆にそう怖くはないわ」
キキレアは得意げで雄弁だった。この辺りが『知識をひけらかしていて偉そう』だと言われる由縁なのだろうか。
だが俺は、知らないこと知るのは面白いと思う。キキレアの話を「ふんふん」言いながら聞いていた。
「一個のトラップを踏んだら、もう一個のトラップが発動したり。あるいは一個のトラップを避けたら、もう一個のトラップがそこにあったり。そういうダンジョンが一番厄介なのよ。即死する危険性があるからね。なんにせよ、トラップはダンジョンの華、マスターの腕の見せ所だわ」
「お前がダンジョンを作ったら、めちゃめちゃ底意地悪いのができそうだな……」
「そうね、一階二階三階は初心者用のそれほど強くないモンスターを配置しつつ、四階からは強力なモンスターを置きつつも即死の危険性があるようなトラップを散りばめて、初心者狩りをしてやろうかしら」
「このダンジョンじゃねえか! ここを作ったのはお前みたいなやつかよ!」
キキレアは「冗談よ」と言って笑った。
俺は頭をかく。
「なんかお前、ダンジョンに入ってからイキイキしているよなー」
「そうかしら? でもそうね、あんたとダンジョンに潜るのは好きかもしれないわ。あんたってばいつも偉そうなくせに、こういうことを話すと目をキラキラさせながら聞いているんだもん。変なやつだわ」
「俺だって異世界の文化を毎日勉強してんだよ……」
ねめつけると、キキレアは悪戯っぽい笑顔を浮かべたあとに、ふとその笑いを引っこめた。目を丸くして、俺を見つめている。なんだ?
それから慌てたように、キキレアはぱたぱたと手を振った。
わずかに頬が赤い。
「ちょ、ちょっと勘違いしないでよね! あんたとダンジョンに潜るのが好きかもしれないって言っただけで! かもしれないっていうのは、その可能性があることを示すだけの言葉なんだからね!?」
「は、はあ? なんだ急に。情緒不安定か?」
「う、うるさいわね! 私はめちゃめちゃモテるんだから、相手を勘違いさせるような言葉は慎むことにしてんのよ! わかったらすぐに忘れなさいよね!?」
「お前の言葉のどこに勘違いできる要素があんだよ。自意識過剰か?」
「いちいちうっさいのよあんたは! 焼き尽くすわよ!」
「なんでだよ! モテるってところに突っ込まなかったのは俺の優しさだろうが! せっかく放っておいてやろうって思っていたのに!」
「言ったわね!? 今口に出したわね!? あんたをここでトラップの落とし穴の中に突っ込んで置いてってもいいのよ!?」
ぎゃあぎゃあと言い争っている最中だ。いつの間にか俺たちの後ろに立っていたナルがぽつりとつぶやいた。
「なんか、ふたりって仲良いよねー……」
『いやいや』
俺とキキレアは同時に首を振る。
「誰がだ誰が。会話量が多いからそう見えるだけだ。事実を誤認しないでくれ」
「そうよナル。私がマサムネのレベルに合わせてやっているから、そう見えるだけよ」
俺とキキレアは顔を近づけながらにらみ合う。バチバチと火花が散った。
なぜかその様子を見たナルは、あわあわと慌て出す。
「で、でもケンカするほど仲がいいっていうし! なんか、なんか案外似た者夫婦とかになりそうだし! ていうかふたり顔近いし!」
キキレアは突然心配そうにナルを見た。
「ナル……、あんたマサムネのことが心配になり過ぎて、良縁を結びつけようとするそこらへんのおばちゃんみたいになっちゃったの?」
「あたし結構ホンキで言っているんだけどなー!」
「大丈夫よ。マサムネは私が死にそうな目に遭っていても、自分が助かるためには平気で私を見捨てるようなやつだわ」
「マサムネくんはそんな人じゃないよ!?」
ナルは必死にフォローしようとしてくれるが、俺は胸を押さえてしまった。
どうかな……。キキレアだったら見捨てそうだ……。あいつ殺しても死ななそうだし……。
「……静かに」
そこでシノが珍しく小さく注意を発した。さすがに皆の表情が変わる。おふざけの時間はおしまいか。
正面のT字路を指差しながら、シノはつぶやく。
「地響き……、前から来る……。大型モンスター……」
俺たちは陣形を整えた。
剣を構えた俺が先頭。ナルが二番手で、キキレアとミエリが三番手。
バックアタックの危険回避のためにシノを最後尾においた。なので、シノは基本的に戦闘には参加しない。以上だ。
やがて角を曲がってくるモンスターの姿が見えた。
のっしのっしと歩いていたのは、やはりドラゴン。こちらの姿を確認すると、目を細めた。恐らく前のと同じやつだ。「また来たか」という目をしていやがる。四階の番人――もとい、番竜なのかもしれないな。
だが、今度の俺たちは一味違うぜ。
「キキレア、ミエリ、頼むぞ」
「はいはい」
「はーい!」
距離を保ったまま戦闘開始だ。うちのパーティーにとっては理想的な展開だな。
デュエルスタート。まずは小手調べだ。
「オンリーカード・オープン! 【ダブル・ヘヴィ&ニードル】!」
二枚のカードを組み合わせて放つ、足止め用の攻撃だ。ちなみにヘヴィはユズハから返してもらった。あいつ絡め手関係は使わなさそうだったしな。
これは麻痺針が刺さった箇所が、ずっしりと重く感じられるというもの。どちらかが効果なくても、どちらかは効果を発揮するだろう。
実際ドラゴンの上顎に刺さった針は、麻痺を及ぼすことはできなかったが、しかしなにやら口を開けづらそうにしているところから、ヘヴィは効いたようだ。
「よし、立て続けにだ!」
キキレアとミエリがそれぞれ、中級魔法を繰り出す。直撃を受けたドラゴンはわずらわしそうに頭を振っていたが、その目が怒りに染まっていた。効いてる効いてる。
「次はこいつだ! オンリーカード・オープン! 【グリス】! からのー、【グリス】!」
俺はドラゴンの口の周りをべちゃべちゃと汚してゆく。余裕を醸し出していたドラゴンだが、しかし案の定。気づいたときにはもう遅い。低いうなり声が響き渡る。そう、粘着質の液体に覆われて、ドラゴンは口を開くことができなくなっていた。これでブレスは封じた!
ドラゴンはさすがに慌ててこちらに突っ込んでくる。だが、その間にもキキレアとミエリの魔法攻撃は降り注いでいる。その強靭な鱗を、少しずつ削り取っているんだ。
キキレアは手の中に魔力を集めながら怒鳴る。
「確かにレッドドラゴンに炎魔法はほとんど効かないけれど、だからって爆発魔法の衝撃まで無傷ってわけにはいかないでしょ!」
呪文を微妙にアレンジし、そうしてドラゴンに効果的なダメージを与えているようだ。S級冒険者の名は伊達じゃないな。
ドラゴンが俺の目の前まで迫る。俺は片手に本を持ち、そして片手に剣を構えた。
「へっ、ブレスも吐けなくて、飛べもしないんじゃあ、お前なんてただのデカいトカゲだよ!」
笑っちまうな。眼前を覆うほどに巨大なドラゴンを前にして、俺は今なにも怯えていない。相手の行動を観察し、自分のやるべきことを常に考えている。俺も成長したもんだ。
初めてギガントドラゴンを相手にした夜は、眠れないほどだったというのに。
ドラゴンが思いきり腕を振り上げた。そうして爪を叩きつけてくる。俺は後ろではなく前に飛びのいた。ドラゴンの懐に入ると、その顔を剣で斬りつける。真っ赤な血が飛んだ。
「よし!」
それからすぐにバインダを操作。ブレイブカードを【ラッセル】に切り替えて、後ろへと跳ぶ。ここにいたんじゃ魔法に巻き込まれちまうからな。
キキレアとミエリの魔法が飛ぶ。ドラゴンはわずかに押し戻された。俺は再び【レッド】にチェンジし、怯むドラゴンの顔に斬りつける。さすがドラゴンボーンソード。ドラゴン相手にもスパスパよく斬れるぜ。
ついでに目玉に【エナジーボルト】を叩きつけた。ドラゴンはくぐもった悲鳴をあげながらさらに後退する。少し魔力を使いすぎているかもしれないが、このチャンスを逃すわけにはいかないからな。
「じゃあトドメはあたしが!?」
と、そのときに猛然と走ってくる影があった。ナルだ。なんたって相手はドラゴンなのだから、今までずっとうずうずしていたのだろう。彼女は竜穿を構え、なんと走りながら矢を番えた。
「い、いやお前の力はなくてもドラゴンは倒せそうだし!」
「うん、わかった! まかせて!」
「わかってないな!? お前絶対にわかってないよな!? せっかく俺がカッコいいところだったのに!」
「マサムネくんすっごいカッコよかったよ! だからあたしも負けてらんない! ああっ、燃えてきたよ! ――天下無双! 一撃必殺!」
「待てえええええええ!」
ナルは俺の眼前まで迫ってくる。俺がぶんぶんと腕を振り回しているとだ。ナルはニカッと笑って跳んだ。そうして俺の持っていた剣の先を蹴り、さらに高々と舞う。凄まじい軽業だ。ポニーテールが翻り、見た目だけはとにかく優美だった。
構えたナルの竜穿が地を――ドラゴンを向く。空中で姿勢を制御しながらナルは、その矢を放った。
「――『スカイシュート』! 我が弓に貫けぬものなし!」
銀の矢がドラゴンへと命中する――かと思えたが、やっぱりそうならなかった。矢は空中で急激に方向を変える。ドラゴンをかすめながら大きく弧を描いて壁に突き刺さった。すごい音を立てて横壁が破壊される。案の定である。
「あれえ!?」
華麗に着地して勢いのまま横滑りしつつ、素っ頓狂な叫び声をあげるナル。だが、大丈夫だ。俺たちはわかっていた。
ただ、その矢のあまりの威力に目を剥いたドラゴンが、ナルに気を取られていたのは、嬉しい誤算だった。
「うらあ!」
俺もまた飛び上がる。もらった!
竜の頭部に思いきり剣を突き立てると、ドラゴンは口を閉じたまま叫び声をあげた。その一撃は致命傷となったようだ。ドラゴンは力なくその場に崩れ落ちた。
いやー、つええなあ、レッド隊長!
しかし、戦い終わって俺はため息をついた。
めちゃめちゃへとへとになった……。レッド隊長ホント体力ないから、これだけで寝込んでしまいそうになる。生前にもっとマラソンとかしていてくれよ……。
俺は汗だくになりながら、ドラゴンから降りる。探索に支障が出るから【ラッセル】に切り替えておこう……。
ドラゴンはもはや動いていない。俺たちは勝利したのである。
「魔法防御が高かったから、苦労したわね」
「迷宮内では大魔法も使えませんしねえー」
キキレアとミエリはのんびりと手を打ち合わせる。後衛は気楽なもんだなあ!
ナルは「うう」としょんぼりしていた。こいつはいったいなにを考えているのだろうか。練習でも百発当たらなかったことが本番の百一発目には当たることを期待しているのだろうか。まずありえないというのに……。
剣を引き抜く俺。息を切らしていると、キキレアがやってきて肩をぽんと叩いてくれた。
「おつかれさま、なかなかやるじゃない。あんたの器用な立ち回り、魔法剣士みたいね。そういうやつあんまりいないのよ」
「そいつぁどうも。器用貧乏は俺の目指すスタイルだからな」
ていうかお前らの性能が尖り過ぎていて、俺は器用貧乏にならざるをえないんだよ。それが嫌ってわけじゃないけどな。
和やかな戦勝ムードの最中。
異変に気づいたのは、キキレアだった。
「……っていうか、待って。こいつ、消滅しないのね」
「ん、そういえばそうだな。ギガントドラゴンも消えなかったし、そういうもんじゃないのか?」
「ううん、ダンジョンマスターに呼び出されたモンスターなら、魔力で顕現しているはずだから、普通は死体は残らないんだけど――」
その直後である。ドラゴンが突如として起き上がったのは。
「――って!」
俺たちは身構えた。ドラゴンは死んでいなかったのだ。最後のあがきか、そいつはもっとも近くにいた女――すなわち、キキレアにその尻尾を叩きつけようとした。
キキレアは詠唱中のため動けない。その大きな目が恐怖に見開かれた。
やばい。俺はとっさに動いていた。
なぜそんなことをしたのかは、わからない。だが、あとから理屈をつけるならば、そうだな。キキレアは低級だが回復魔法を使える。彼女がやられてしまってはパーティーの損害が大きくなる。そのためだろう。そうに違いない。
俺はキキレアを押し倒す。尻尾は俺をかすめた。【ラッセル】に切り替えていたおかげで避けきれたと思ったのだが、尻尾の先端が俺の背中をぱっくりと斬り裂く。熱い感触が背中を襲った。遅れてやってきた激痛に、俺は顔を歪める。
キキレアが手のひらから魔力を霧散させながら、叫ぶ。
「マサムネ!?」
「ったく、この野郎! 油断してんじゃねえよ!」
かばったキキレアは俺の胸の中で真っ青な顔をしていた。ったく、似合わねえよ、お前のそういう顔は!
ミエリの『メガサンダー!』という叫び声が聞こえた。きっとその一撃でトドメになるだろう。まったく、キキレアめ。手間をかけさせやがって――。
だが、事態はまだ終わっていなかった。悪いことは続くものだ。俺がキキレアをとっさにかばって押し倒したその床に、トラップが仕掛けられていたのだ。
がこん、と俺たちのいた場所に穴が空く。落とし穴だ。
「えっ!?」
「マジかよ!?」
俺とキキレアは罠に引っかかった。そのままもつれ合って、ダストシュートのような斜面を転げ落ちてゆく。いったいどこに続くのかもわからない。即死トラップではなかったのが、不幸中の幸いだったのだろうか――。
キキレアは俺を離さないようにか、ぎゅっと俺を包むようにして両手を広げていた。もしかしたら背中の傷をかばってくれていたのかもしれない。
がこん、と上のほうでさらになにかが閉じる音がした。それに遅れて「マサムネくん!?」というナルの叫び声が響いてきた――が、俺はそれに応えることはできなかった。
俺は薄れゆく意識の中――、
ああくそう、また下手を打っちまった、とうめいたのであった。




