第4話 「一難去ってまた一難だよ!」
俺の額の上に、ぽちゃんと雫がこぼれてきた。
ゆっくりと目を覚ます。
「……ん」
「あっ、気がつきましたか?」
俺を覗き込んでいる顔があった。
きらきらと輝くような美貌だ。こんなに美しい女性を見るのは、初めてだった。
彼女は瞳に涙を浮かべている。
だがすぐに、その表情は安堵へと変わっていった。
彼女はいったい――。
と思いかけて気づく。
金髪の女神。ミエリだ。
俺をこの異世界に送り込んだ張本人でもある。
「よかった、マサムネさんが死んじゃってたら、どうしようかって、わたし……」
「ん……、心配をかけたな」
「こんな魔王城の近くでひとり取り残されるとか、どう考えても最悪の状況ですもん……。マジで使えない覇業しか持っていないマサムネさんでも、いないと困ります……」
「………………」
こいつ……。
手のひら返し早すぎないか?
まあ、いい。
俺はゆっくりと、身を起こす。
「ここは、どこだ?」
「はい、さっきの場所の近くの洞穴です。とりあえず、マサムネさんを担いでここまでやってきましたよぉ」
薄暗い洞穴の中、ぼんやりと光っているのは、ミエリの体だ。
さすがは女神だ。高貴さがにじみ出ている。
しかし、そうか、俺たちは……。
「魔王城の近くに転移して、それで……」
「は、はい」
「『ギガサンダー!』とか言ってマッチみたいな火しか出せないような女神しかいないこんな状況で、洞穴に引きこもってゆっくりと死を待つだけなのか」
「待って、ねえ待って」
ミエリがくいくいと俺の袖を引っ張ってくる。
別に仕返しというわけではない。
手持ちの判断材料から、現状を分析しているだけだ。
「おしまいだ。魔王兵たちの包囲など、突破できるはずがない。見張りの目をかいくぐりながら、近くの町に避難することなど不可能だ……。この洞穴が、俺たちの墓になるんだろうな……」
「そ、そんなこと、わたしがさせません!」
ミエリは立ち上がり、胸にしっかりと手を当てた。
だが……。
「わ、わたしは女神の中でもエリート中のエリートです! これしきの苦難、わたしの知恵があればなんとでもなります! いいですよ、みせてあげますよ、この女神ミエリの実力を! 最高の作戦を考えついてあげますよ! キリッ!」
「ミエリ、後ろ」
「え?」
洞穴の奥に、赤い眼が見えた。
ゆっくりと這い出てくる。それは毛むくじゃらの四足獣であった。
しかし角が生えていて、牙もあって……。
そうだよな、魔王城の近くに安心安全な洞穴が、そんな都合よくあるはずないよな……。
ここはこいつのねぐらだったんだ。
「ひ、ひいいいい! わたしは食べても全然おいしくないですよぉ!」
「……やはり、ここが俺たちの死に場所なのか……」
「うわあああああああん!」
引っ付いてくるミエリ
だが、よく目を凝らしてみよう。
「いや、ちょっと待て、ミエリ」
暗闇に佇む赤い眼の猛獣。
それは、一匹のウサギであった。
30センチほどの大きさだろうか。丸々と太って可愛らしいウサギだ。
「見ろよ、ウサギだぞ、あれ」
「え? あ、ほ、ほんとだ! ほんとだー! もー、びっくりしましたよぉ! なんだあ、ウサちゃんじゃないですかぁ、まったくびっくりさせてぇ」
と、ほっとした顔で手を伸ばすミエリの腹めがけて、ウサギが突進してきた。
ミエリはぶっ飛ばされて床をごろんごろんと転がる。
「ひうう!」
「ウサギつええ……」
恐らくこのウサギは、魔王城の周辺で捕食される側の生物なのだろう。
食物連鎖のピラミッドでいうと、ほぼ最下位の存在だ。
それでも体当たり一撃でミエリをのしてみせたのである。
魔王城周辺のレベルの高さがうかがい知れるな……。
「カードバインダ、オープン」
俺は手のひらに本を呼び出す。
さてさて。
「ウサギが見境なく人を襲うはずがない。おなかが減っているのかもしれないな。来い、【パン】」
ぽわんと俺とウサギの間にパンができる。
焼きたてなのか、洞窟内に良い香りが漂い出す。
腹が減ってくるな。
俺は微笑みながらそのパンを拾い、ふたつに割った。
「な、食うだろ? 平気さ、毒なんて入っていない」
どうだ、この俺の、わたしは敵ではありませんアピール。
戦うだけが異世界での生き方ではない。
ずっとそんなんじゃ、疲れちまうだろ。
俺のほうから歩み寄れば、ほら、わかってくれるはずさ。
「怖くないぜ、大丈夫。ほら、あーんだ、あーん」
ちょこちょことウサギは寄ってきた。
ほら、もう少しだ。大丈夫、怖くない、怖くない。
そしてウサギは助走をつけて、俺の腹に体当たりをぶちかましてきた。
痛え! やりやがったなこいつ!
「ええい! 【ホール】!」
「ひやあああああ!」
俺はすかさずカードを発動させた。
だが、落とし穴が発生する直前でウサギはひらりとよけやがった。
代わりに金髪の女神が落とし穴に吸い込まれていく。悲鳴がこだました。
「ちくしょうてめえ、よくもミエリを! おらぁ、【ホール】!」
さらにカードを発動させるも、ウサギはまたも避けた。
洞穴が落とし穴だらけになってゆく。
くっそう、こうなったら――。
ウサギが再びこちらに突撃してくる、そこにタイミングを合わせて。
「オンリーカードオープン! 【ピッカラ】!」
間近で光を浴びたウサギは、たじろぐ。
ってかなんで俺もダメージ食らうんだよこれ!
眩しい!
「オンリーカード、【ホール】!」
今度こそどうだ。
よし、動きの止まったウサギは見事に穴の中に落ちたようだ。
俺はそこらへんから手頃な石を拾い。眩しくないようになるべく薄目で穴の中のウサギを見下ろす。
こっちを睨んで獰猛な唸り声を出してやがる。
だが、容易に脱出はできないようだな。
重力加速度というものを知っているか?
「あばよ、ウサギ……」
俺は全力で振りかぶり、穴の中に石をブン投げた。
初めての勝利だ――。
何度か投石を繰り返すと、突然勝手にバインダが開いた。
なんだなんだ?
バインダからは、光り輝く一枚のカードがキラキラと浮かび上がっている。
オンリーカードを発動させたわけでもないのだが……。
そう思った次の瞬間。
俺の頭の中に、何者かの声が響いた。
『異界の覇王よ――。其方の勇気に、新たな内なる力が覚醒めるであろう』
それは不思議な声だった。男とも女ともつかない、あるいはただ単に上位者とだけがわかるような、そんな声だった。
これはもしかして、新しいカードが手に入ったのか?
ウサギを倒したから?
いや、違うな、声は『其方の勇気に』って言っていた。
そうか、内なる力が目覚めたのか。
ウサギを穴に落として石を投げ込むことが勇気か……?
よくわからない。
いや、まあ、いいだろう。
もらえるものはもらっておこうじゃないか。
できれば、戦うための能力がほしいものだ。
火を放ったり、爆発を起こしたり、風の刃を作り出したりとか、そういうものだ。
いいじゃないか。ワクワクするな。
さあ、どんなカードが――。
現れたカードの絵柄が俺の前に開示される。
それは、花のマークだった。
――再び、声が響く。
『其方のささやかな魔力は、枯れた荒野に一輪の花を咲かせるであろう――』
カード名がバインダに記載される。
そこには【タンポポ】と書いてあった。
「……」
俺はバインダを開いたまま、スペルカードを発動させる。
「来い、【タンポポ】」
次の瞬間、洞穴の中に一輪のタンポポが咲いた。
それは見るものの心を和ませるような、それでいて健気な、荒野に咲く強い花だった。
「あ、タンポポ!」
穴から這い出してきたミエリが嬉しそうに言うのと同時に、俺はバインダを地面に叩きつけた。
だからなんだってんだ屑カードがあああああ!
「とりあえず、この洞穴を拠点としよう」
ふたつに割ったパンを分け合い、俺は冷たい地面に座り込んだ。
「……この洞穴を?」
ミエリは胡乱げな目でこっちを見つめる。
俺は構わずにうなずいた。
「ああ。この荒野を見境なく歩いたところで、魔王領域から脱出できる見込みは少ない。だったら多くの情報が集まるまで、ここに引きこもっているべきだ。遠くを見つめていれば、町の方角がわかるかもしれないしな」
「ええー」
ミエリはぶーぶーと口を尖らせた。
「こんな暗いところにいつまでもいるのはイヤですよぉ。早くお外に出て、町にいきましょうよぉ。大丈夫です、適当に歩けばつきますってぇ」
確かに、辺りはぼんやりと光を放つミエリの肌で、かろうじて辺りが見回せる程度の環境だ。
住み心地がいいとは、微塵も言えないだろう。
それでもわざわざ危険を冒して、外を冒険するよりはマシだと俺は思っている。
今は判断材料がまったく足りていないのだ。
しかしそんな俺の態度を、ミエリは臆していると見たようだ。
「大丈夫ですよぉ、いきましょうって、一刻も早くここを脱出して、最初の町に戻りましょうよぉ。魔王領域を超えたら、わたしが転移魔法を使えますからね。一瞬ですよぉ」
転移魔法だと。
それは初耳だな。
「どこにでも行けるのか?」
「いえ、最初の町だけです。一応登録しているのが、そこだけなので」
「そうか。かゆいところには微妙に手が届かないな」
「むぐっ」
痛いところを突かれたとばかりに口をつぐむミエリ。
「お前にできることは、他にはなにがある? 転移魔法と雷魔法と、あとはなんだ?」
「わたしは転生と雷の女神ですから、それぐらいですよぉ」
「近接戦闘は苦手なんだな? 技能はなにかあるか? 魔力は無尽蔵か?」
矢継ぎ早に尋ねる問いに、ミエリはひとつひとつ思い出しながら答えてゆく。
なるほど、耐久値は人間並か。
スペック的には完全に魔法使いだな。今は魔法が何も使えないが。
そんな女神を見て、俺はひとつの仮説を立てていた。
「なあ、ミエリ」
「……なんですか?」
嫌な予感がしたのか、わずかに身をよじるミエリ。
俺は問う。
「お前ってひょっとして、女神の中でも相当ポンコツなほうじゃないのか?」
「はあ!?」
ミエリが目を剥いた。
「わ、わたしがそんなわけあるじゃないですか! なに言っているんですか! わたしほど優秀な女神なんているわけないですよ! お姉ちゃんにも妹にも、生まれてから一度も負けたことなんてありませんし!」
「そこまでムキになるってことはお前、認めているようなものだぞ、ポンコツ」
「ああもう! もういいです! いいですもん!」
ミエリはむんずと立ち上がる。
「それだったらわたしひとりでここを出ますよ! わたしひとりで最初の町を目指しますからね! マサムネさんなんてもう知りません! マサムネさんなんてその手に入った新しい覇業を使って、この荒野をタンポポ畑にしていればいいんです! 闇を祓いに来たわたしが、こんな洞穴に一日中いるなんて耐えられませんもん!」
「そうか」
俺はただ一言そうつぶやいて、うなずいた。
「元気でな、ミエリ」
「うっ……」
ミエリは急にたじろいだように視線を逸らす。
弱い。
「べ、別に、わたしひとりで闇を祓う旅に出てもいいんですけど……でも、その、どうしてもってマサムネさんが言うなら、一緒に連れていってあげても……いいんですよ?」
「いや、俺はここで判断材料が揃うのを待つ。達者でな」
「……こんな洞穴に? 太陽の光も届かないのに?」
「ああ、身を潜ませるにはぴったりだろう」
「…………ほんとのほんとに、ついてこないんですか?」
上目づかいでこちらをじっと見つめるミエリ。
その瞳には、わずかに涙が浮かんでいた。
俺はこの目にやられたのだ。
あれは衝動的な決断だった。
だから俺は、しっかりとうなずく。
「俺はこの洞穴にいる。お前がどうしても置いてくれと言うのなら。一緒にいてやってもいいぞ」
「うわーん! マサムネさんのバカー!」
捨て台詞をはいて、走り去ってゆくミエリ。
俺はその背中を、悠々と見送った。
いやはや、短い付き合いだったな。
だが、仕方ない。
俺はその場の思いつきで行動をするなんて、真っ平だからな。
というわけで。
「さて、やるか」
立ち上がり、俺はカードバインダを呼び出す。
さっきの覇業で、わずかに眠気が襲ってきていたが、まだ大丈夫そうだ。
使えば使うほどに、MPの最大値も増えるのかもしれない。
これならいけるだろう。
「【ホール】」
俺が小さく唱えると、ぼこりと足元に穴が空いた。
一度だけならそれほど深くはない。
落ちたら這い上がるのは大変そうだが、せいぜい3メートルほどか。
俺は立ち位置を変えて、さらに唱える。
「【ホール】」
少し眠気がやってきた。
再び唱える。さらに前に歩いて、唱える。
「【ホール】」
というわけで、疲れては休み、寝ては起き、俺は【ホール】を唱え続けた。
なんだかこうしていると、思い出すことがある。
俺は昔からずっと、衝動的に行動しては、痛い目を見てきた。
小さい頃は本当にバカなガキだったな。
だが、いつからだろう。
俺は頭を使うことを覚えた。
それはきっとほんの些細な始まりだった。
たとえばドッジボールの時間。少しでも当たりにくい位置に立つだとか。
ボールを受け止めやすい態勢で待つ、だとか。
かくれんぼのとき、どこなら見つかりにくそうだ、とか。
今いるメンバーの探しそうな場所をあらかじめ分析し、それを予測しておくだとか。
頭を使えば使うごとに、俺は失敗しなくなっていった。
そしていつしか俺は、カードゲームのバトルにのめり込んでいった。
一枚の新たなカードが手に入ったら、ひたすらにとことん、考え抜くのだ。
そのカードと他のカードとのすべての組み合わせ、バトル相性を考え続ける。
そうすると不思議と、他のやつらが思いつかないような使い道を、閃くことができた。
俺は徐々に負けなくなっていった。
『屑カード使い』と呼ばれるようになっていったのは、その頃からだ。
単純に小遣いがなかったんだけどな。
だが、スーパーレアの高価なカードなどは、俺に必要はなかった。
なぜなら、トレーディングカードのゲームにおいて、すべてのカードとその効果は、開示されているものだからだ。
あらゆる判断材料が完璧に揃っているのならば、俺は絶対に勝てる。
俺にはその自負があった。
その代わりに、衝動的に行動をすることを、極端に恐れるようになっちまったんだけどな。
まあ、いいさ。
「【ホール】」
どんな屑カードでも、カードの効果が現実世界に影響を及ぼすというのは、楽しいものだな。
日が昇り、さらに沈んで、さらに日が昇った頃。
俺の覇業によって作られた穴は、今や広い空間と化していた。
さらに愛刀マサムネで一生懸命土をこそいで作った階段つきだ。
ありがとうマサムネ。お前のことをバカにして、もう二度と呼び出さないなんて言ってごめんな。スコップ代わりにはなったよ。
下の空間に降りてゆくと、そこはマンションの一部屋ほどの大きさができている。
覇業によって削られたものだからか、穴の床も壁もしっかりとしていて、これなら崩落は起きないだろう。
俺が作り上げた、拠点。
俺の城だ――。
「よし、完成した」
俺はごろんとその場に横になる。
咲かせたタンポポが寝床代わりだ。ふかふかしていて、なかなか気持ちいいな。
掘っていくうちに湧き水が流れているのも発見したし、食べ物は無限のパンがある。
さて、ゆっくりと判断材料を集めようじゃないか。
全身ズタボロのミエリが泣きながら帰ってきたのは、その日の夕方だった。
ひどくつらい目に遭ったらしいので、特別にパンの半分を与えて「よしよし、ひとりでがんばれよ」と告げて追い返そうとしたら、こいつがテコでも動かなかった。
まったく、勢いよく出て行ったのは、つい昨日のことじゃないか。
俺はため息をつきながら、体育座りしてこちらに背中を向けているミエリに、つぶやく。
「だったら、土下座してごめんなさいしたら、入れてやるよ」
「ごめんなさいわたしが悪かったですー!」
女神のプライドはどこにいったんだ……。
その場に額をこすりつけるミエリを見下ろしながら、俺は小さくため息をついた。
「まあいい、俺も鬼じゃない。ほら、パンはたくさんあるぞ。きょうはパンだ、パンパーティーだ」
中に招いてやると、ミエリは目を丸くして驚いていた。
その瞳がじわっと涙で潤んでいる。
「マサムネさん、わたし、マサムネさんと地上に降りてきてよかったです……。マサムネさんの生活力すごいです……こんなことを考えつくなんて……えぐっ、ひぐっ……」
「お、おう。なんかウソみたいに従順になっているが、どうしたんだ。なにがあったんだ」
「うう、パンおいしいです……。もう槍に追い回されるのはいやですぅ……。パン、おいしいですぅ……」
……あまり触れないでやろう。
ミエリは泣きながら鼻を真っ赤にして、はむはむとパンをかじっていた。
こちらをチラチラしながら「あーマサムネさんのパンおいしいですー! えへっ、えへえへっ!」とこれ見よがしに言ってきたりする。
よほど怖い思いをしたようだ。
……しかし、こうやって居住地ができたからか、安心してしまったな。
安心して、さらに腹も満たされてくると……。
なんだか、この狭い部屋にミエリとふたりきりというのが、うん。
絶世の美女たるミエリは今や、俺に全幅の信頼を寄せているように見えた。
仔猫のようなその目が、うっとりとこちらを見つめている。
……いかんな、この判断材料は。
俺は空気を変えるように叫ぶ。
「よし、ミエリ。明日からはまた新たな部屋を作ろうじゃないか。今度はお前も手伝ってくれるよな?」
「わあ、お手伝いさせていただきますぅ。わぁい、洞穴、ミエリ洞穴だいすきー」
「お、おう」
微妙な顔をして立ち上がる俺に、ミエリは小さくぱちぱちと拍手を鳴らしていた。
まあいいか……。
MPもそれなりにあがってきたようだし。
魔王城付近からの脱出劇を、そろそろ始めないとな。
入手カード。
・コモン/屑/物質【タンポポ】 コスト1 使用回数∞
次回更新、22日19時 第5話「大冒険」