第37話 「酒を飲み交わす者たち」
作戦前日。
その日の夜まで俺はカードを集めに走り回っていた。俺が今履いているのは、【スリッパン】。新たに手に入れた俺のカードだ。
これがどういったものかというと、なんとパンに激似のスリッパを召喚するものである。つまりただのスリッパだ。ダジャレである。
スリッパで走り回っていたので、転びそうになった。
俺は寝泊まりしている客室に戻り靴を履き替える。なにがスリッパンだ。もう二度と使わねえよ。
客室を出ると、目の前に人がいた。
久しぶりに見る老紳士、ハンニバルだ。
ハンニバルは執事騎士という称号を与えられているジイさんだ。
これはつまり、身の回りの世話をする親衛隊のような任だという。こいつはひとりで街の外に出たジャックをずっと守ってきたのだろう。大した爺である。
「ハンニバル? どうした、俺に用か?」
「ええ、用というかひとつ、頼みがありまして」
「……仮面をつけなくても普通にしゃべれるんだな」
俺がつぶやくと、ハンニバルは「あの街では正体を隠す必要がありましたから」と返した。
なるほど、それでか……。なるほどか?
まあいいや。軽く諦める。仮面をつけて外を歩き回るようなやつの言うことなんて、気にするだけ無駄だ。
ハンニバルはいつもの重々とした口調で言う。
「少し、付き合ってほしい場所がありまして」
「面倒事は嫌だぞ」
「そう申さずに」
ハンニバルは懐から銀貨を三枚取り出した。
「ただあなたさまには、あるお店にいって、飲み食いをしてもらいたいだけなのです」
ハンニバルは真剣な顔をしてそう言った。
ものすごい裏がありそうな話だった。
俺はマサムネ。石橋を叩き、あらゆる方法で強度実験をし尽した挙句に、被験者に渡らせ、何事もなければ自分で渡る男。
まず最初にハンニバルの言っていたお店がどんな店であるかを、俺は調査した。
廊下でユズハを掴まえた。イクリピアに滞在したことのあるユズハは、思い出しながら語る。
「ん、ああ、あの店は大衆居酒屋だな。駅前によくあるような感じの、入りやすい店だぞ」
「この世界に駅前はないけどな」
「私も入ったことがある。なかなかおいしかった」
ふむ、なるほど。
「あまりにも繁盛していない店に俺をサクラとして行かせようとしているわけではないようだ」
「どうかしたのか?」
「いや、実はハンニバルから」
きょうの夕食にその店を使ってくれ、と頼まれたことを打ち明ける。
するとユズハは首を傾げた。
「よくわからんな。仮にも明日の決戦を控えた男を連れ出して、どうだというのだ」
「しかも俺ひとりで行けっていうからな」
「ますますわからん」
俺たちはうなずき合った。
ここで相手がナルやキキレアなら、「じゃあ一緒に行くか?」となるのだが、しかしユズハだからなあ。
俺は適当に手を振って、歩き出す。
部屋に帰ってふて寝をしてもよかったのだが、せっかくハンニバルに銀貨をもらったことだし。
それに、俺もここしばらくの王宮暮らしで窮屈な思いをしていたのだろう。
廊下の奥からミエリが走り寄ってきて、ぴょんと俺の肩に飛び乗る。
「ようミエリ。お前また重くなったんじゃないか?」
「に゛ゃあ!」
ま、せっかくだから散歩してこよう。
俺は日が沈みつつあるイクリピアの街へと繰り出すのだった。
舗装されて整えられている綺麗な街並みは、暗かった。
心情的な問題ではなく、本当に光量が足りていないのだ。
そういえば誰かに聞いたっけな。魔法灯が封印によって効力を失っているとか。
それで急きょ、街にかがり火なんかが焚かれているらしい。
原始的な感じがして、景観が台無しだなー、これ。
それに伴ってというわけではないだろうが、辺りの店も閉店が目立つ。
魔法都市イクリピアは、生活の多くを魔法に頼っていたようだ。そのせいで、市民の生活もかなり打撃を受けているのだろう。
さすがに俺たちの世界で電気が使えないってほどではないようだがなー。
そんなことを思いながら、ミエリを連れてぶらぶら歩く。
知らない土地を歩くのだが、緊張はしなかった。恐らく懐に金があるからだろう。金があれば人は大らかでいられるのだ。
結局寄り道らしい寄り道はせず、まっすぐに店の前まで来た。
『カラスの止まり木亭』
看板を眺め、店全体を眺める。確かにどこにでもある普通の食堂兼酒場だ。おいしそうな匂いが中から漂ってくる。
カード集めに翻弄し、さらにフィンと基礎体力をつける修業も行なっていた俺の腹が、グゥと鳴った。
まあきっと罠はないだろう。ハンニバルが実は魔族の手下で、ここには俺を狙った魔族がたくさん配置されている、ということでもない限り。
……そうなのだろうか。
俺ははたと立ち止まった。俺を招くように「にゃあ」と鳴くミエリを見下ろす。
よし、先にミエリを行かせるか。
そんなことを思っていたそのときだった。
「あれ、マサムネじゃないか」
「お?」
振り返る。暗がりから歩いてきたのは頬に包帯を貼ったジャックだった。
彼は腰に剣を提げている。立ち止まり、顎に手を当てた。
「って、もしかして」
「ん?」
事情を知らない俺の前で、ジャックは大きなため息をついた。
「そうか、そういうことか、ハンニバル……、まったく大きなお世話を」
どういうことなんだよ。説明をしろ。
「つまり」
俺は怪しげな肉の串焼きを摘みながら、つぶやいた。
「お前とここで飯を食えって話かよ」
「恐らくね」
店内は薄暗く、奥の客の顔はよく見えないような作りになっていた。それでも人々は騒がしく飲んでいて、店の中は盛況だ。
恐らく魔族に取り囲まれているという不安を、こうして癒しているのだろう。食料だって残り少ないはずなのだが、どうやって捻出しているのやら、
ジャックは目の前に盛り付けられたサラダをフォークでつついていた。
ここ数日、ジャックは本当に寝る間も惜しんで訓練をしていたらしい。このジャックがオーバーワークだ。
どう考えても信じられるわけがないのだが、それはそうとして。
ハンニバルはジャックの身を案じたのだろう。だからこの店に行けばあなたはさらに強くなれるでしょうみたいな虚言を吐いて、ジャックをカラスの止まり木亭に向かわせた。
目的はまあ、体力の回復とか、ちゃんと食事を食べましょうだとか、そういうことなのだろう。
さらに料理が運ばれてくる。怪しげな魚のムニエルだ。バターのような香ばしい匂いが立ち込めて、テーブルの上はカラフルさを増した。重畳だ。
「あんまりジイさんに心配かけんなよ、ジャック」
「……まったく、それぐらいはわかっているよ。僕ももう、子どもじゃないんだ」
ジャックは上手にナイフとフォークでムニエルを切り分ける。
こういうところを見ると、確かに出会った頃からテーブルマナーは上手だったな、と思い出す。
「つか、王子様がこんな雑多な店で食事をしていていいのか?」
「言わなきゃ誰も気づかないよ。僕はずっと王宮育ちってわけじゃなかったしね」
「ふうん」
なにか事情があるのだろうか。
まあいい。俺は魚を口へと運ぶ。うん、うまい。
いい店じゃないか。
ジャックは俺を胡乱な目で見つめていた。
なんだ、食べると毒がある魚だったのか……?
まさか、これも魔族のワナ……?
わなわな震えていると、ジャックが口を開いた。
「君は、よくそうやってバクバクと食べられるね……。明日か決戦だっていうのに、緊張はないのかい? どういう頭をしているんだ……」
「緊張? 緊張ねえ」
なんだ、そんなことか。
俺は咀嚼してから水を飲む。
ジャックは焦れた様子で、ウェイトレスにエールを頼んでいた。
「ひとつ教えてやろう、ジャック」
「なんだよ」
「俺のように頭を使う戦い方をするやつは、明日の戦いが本番というわけではないのだよ」
「……なんだよそれ」
「事前に様々なシミュレーションをしておくことが大事さ。こうされたらこうする。こうされたらこうする。その心構えができていれば、別に明日だっていつもとやることは変わらない。大事なのは慎重であることと、準備を怠らないことだからな。緊張するだけ損だ。頭の回転が鈍くなるからな」
「……」
ジャックは届いたエールを一息に飲み干し、ジョッキをテーブルに叩きつけながらお代わりを頼んだ。
「僕は君とは違う。僕は誰よりも自分が信じられないんだ」
「そいつは難儀だな」
俺が正直に言うと、さらにジャックは俺を睨んだ。
「僕にできることは、剣の腕を磨くことだ。自分に自信をつけるためには、もうそれしかないんだ。だから、ハンニバルとずっと稽古を続けていたのに……もう、なによりも時間が足りなくて、だから僕はこんなところで君と話している場合じゃないっていうのに……!」
ジャックの顔に焦りがにじむ。
ずいぶんやる気になっているじゃないか、あのジャックが。
故郷の危機は人を変えるんだな。うん。
「つか、なんの不安があるんだよ、お前」
「……」
「おーい」
呼びかけると、ジャックは届けられた二杯目のエールに口をつけながら、つぶやいた。
「殺されることさ。それに、僕の目の前で誰かが死ぬことが怖い」
「そんなの今から心配していたってしょうがねえだろ」
「君は簡単に言うが、僕は君とは違う。いいや、僕は『みんな』とは違うんだ」
それが誰を指しているのか、俺はなんとなくわかった。
キキレアやナル、それに俺だ。
足元でムニエルのおこぼれに預かっていたミエリが「にゃ~ん」と鳴いた。そうか、お前も入っているかもしれないな。
ジャックはやや赤くなりつつある顔で、語る。
「……僕は、妾の子だ。父親が孕ませたメイドの息子さ。別にそれがどうだってわけじゃない」
こんな酒屋ですごい告白するな、お前。
俺はついでに頼んだエールに口をつけた。苦い。不思議な味わいだ。
「でも兄様は正当な王族の血を完全な形で継承している。兄様も父様も、ふたりの母様だって優しくしてくれる。そのことに不満なんてなかった。でも、だんだんとわかってきたんだよ。僕はなにもかも兄様とは違う。僕は兄様のようになんでもうまくやることなんて、できない」
「ほう」
「僕は勇気をつけるために、冒険者としてホープタウンにやってきた……。けれど、結局ダメだった。僕はビビりなんだ。やることなすこと、なんにもうまくいかなかったさ……。それは僕が、兄様と違うから。僕に、平民の血が混ざっているから――」
そのときだった。俺はオンリーカードの【スマイル】を発動させる。
さっきまで泣きそうな顔で落ち込んでいたジャックは、途端に笑顔になった。
歯がきらりと輝く。阿呆のような笑顔だった。
「ってなにをするんだい!」
「いや、お前の話があんまりにも面白くなくて、つい……」
「僕は真剣に話をしているっていうのに、君ってやつは!」
「安心しろ。さっきの笑顔は少し面白かったぞ」
「バカにしているのかい!?」
怒鳴られた。別にそういうつもりではなかったのだが……。
ともあれ、俺は頭をかく。
「なあ、ジャック。キキレアはどうしようもないやつだよな」
「えっ!?」
突然のキキレアDisに目を丸くするジャック。
「キキレアのパチェッタに対する態度を見たか? あいつは人を蹴落とすことしか考えていないんだ。みんなで幸せになろうとかじゃない。まず自分なんだよ。自分が目立ちたい。自分がチヤホヤされたい。自分が幸せになりたい。そして他人が自分より幸せだと、その足を引っ張りたがるんだ」
「そ、それだけ聞くと本当にどうしようもない子だけど、でも、僕たちは彼女にたくさん救われたことだってあるじゃないか」
「そうか? ま、そうだな」
俺は野菜スティックをぼりぼりとかじり、話を変えた。
「それより、お前はナルのことをどう思う? あの当たらない弓使い」
「え? えっと……」
「いつもいつもいいところであいつが竜穿をぶっ放すんだよな。当たらないくせに、打ちたがるんだ。あいつのせいで、俺たちは何度危ない目に遭ったか。なあ、お前ナルのことどう思う? あいつは森に帰って麦でも育てているほうがお似合いだって思わないか?」
「いや、でも、ナルさんはとてもいい子だよ。普段は明るくて、ムードメーカーで、僕たちのパーティーにナルさんがいなかったら、良心が枯渇してしまうよ」
「そうか、確かにな」
俺はふんぞり返って、再びエールを喉に流し込む。
今度はウェイトレスに、俺たちはふたつのエールを頼んだ。
「なあ、君はなにを言おうとしているんだ」
「ジャック、俺をどう思う?」
「えっ」
三度ジャックは固まった。しかし今回は復帰も早かった。彼は眉をひそめながら、つぶやく。
「マサムネくんのことは、すごいと思うよ。いつも偉そうで、ゲスで、なにかと僕に金をたかって、意地汚くて、面倒くさがり屋で、ビビりで、口が悪くて、品がなくて、でも、いざというときに頼りになる男だ」
「言うじゃねえか」
俺は犬歯を剥きながらうなった。
ジャックの顔は赤い。酔いが回っているのだろう。俺もかもしれないが。
「だが、そういうことだよ」
「……なんだいそれは」
「俺だってお前の欠点なんて七兆個は言える」
「それは言いすぎじゃないかな!」
「お前の兄貴は、よっぽど大層な人物なんだろうよ。お前の代わりにお前の兄貴が俺たちのパーティーに入っていたら、もう少し今の状況は違っていたのかもしれないな」
俺がそう言うと、ジャックの動きが止まった。
手元のジョッキに目を落とし、暗い顔をしている。
「だが、別にそうなったわけじゃない」
「……それは」
「俺の仲間はお前なんだ、ジャック。別に俺は今さらお前が劇的に強くなったり、異常に速くなったり、絶妙にさらさらしたり、そういうのを求めているわけじゃない。お前のことなんて、みんな知っているんだよ、もう」
「……さらさら?」
「お前にできることと、できないこと。いろんなことがあるだろうよ。そのたびにお前は落ち込んだり、悔やんだり、泣いたりするかもしれない。けれど別に俺たちはお前を追い出したりはしないさ。お前は俺たちのパーティーメンバーなんだからさ」
俺がそう語って、空になったエールをテーブルに置く。
ジャックは俯いていた。
俺は少しいい気分になっていた。
この店はいい店だ。少し暑いのが玉に瑕だがな。
「マサムネくん……」
「だから、お前は焦る必要なんてねえよ。お前をうまく使うのは俺の仕事だ。俺の作戦に任せろ。今までだってそうだっただろう」
「君は……」
ジャックが顔をあげた。じっと俺の目を見る。
「君は……酔っているね?」
「あ?」
俺は聞き返す。あいつはなにを言っているんだ。俺は未成年だぞ、お酒なんて飲めるはずがないだろう
「おまへはふぁにいってへんやよぉ」
「よわっ! 酒よわっ! 君はすごくわかりやすく酔っているな!?」
ジャックがそう叫んで立ち上がった。ウェイトレスを呼び止めて水をもらっている。
まったく、ジャックのやることはよくわからないな。
「それへも、おまへふぁ……おれたちの、仲間、だかんな」
「マサムネくんが突然いいことを言ったと思えば、そういうことか! おい、こんなところで寝るんじゃないよ! どう考えても僕の方が疲れているはずだろう!? まったく君は本当にろくでもない男だなあ!」
ジャックの罵倒の声を遠くに聞きながら、俺はゆっくりとテーブルに寄りかかった。
足元でにゃーにゃーと猫が鳴いている。誰だ、飯屋に猫を連れ込んだのは、まったく。
心地の良い睡魔が、脳から染み渡ってゆく。
まったく、ジャック。
お前は本当にどうしようもないやつだ。
だが、安心しろ。
俺に任せれば、悪いようにはしない。
七羅将なんて、ちょちょいのちょいだぜ。
「まったく……君って男は……」
大きなため息とともに、俺の意識はまどろみの中に落ちていった。
翌日、ベッドで起きた俺は、酒場での出来事を一部覚えていなかった。
なんかジャックが深刻な話をしようとしていた気がするんだが……。
ううむ、そうだ。運ばれてきたエールがなんだかおいしそうで、『衝動的に』口をつけて、それ以来記憶がないんだ。
くそう、不覚だ。
とりあえずシャワーを浴び、寝癖を【マシェーラ】で直してから、俺は謁見の間へと向かった。
そこにはすでにキキレアとナルが待っていた。なんだかふたりに失礼なことを言ったような気もする。大して胸が痛んでいないので、気のせいかもしれない。
猫ミエリがとことこと走り寄ってきて、俺の足をとんとんと叩いた。
なんだ俺は平気だぞ。
それよりあとひとり、遅刻しているやつがいるな。
ジャックのくせに俺たちを待たせるとはいい度胸だ。ぶっ殺してやる。
と、そんなことを思っていると。
後ろのドアがゆっくりと開いた。
ジャックだ。だが、いつもとは違う格好をしている。
「あんた、なにそれ……」
キキレアが呆気に取られたように指差す。俺も同じ気持ちだ。
――俺たちの前に現れたジャックは、真っ白なサーコートを身に着けていた。
なにしているんだお前。兄貴のコスプレか?
「ここに来る前に、冒険者ギルドに寄って、クラスチェンジをしてきたんだ」
ジャックは真剣な目をしていた。
腰に提げているのは、立派な騎士剣である。
銀髪のジャックがそういう姿をしていると、本当に王子に見えてくる。
王子ジャラハドはなにか吹っ切れたような顔をして、俺に笑いかけた。
「シーフはやめた。今の僕は『パラディン』のジャックだ。この任務、イクリピアのためにも絶対に完遂してみせる。よろしく頼むよ、マサムネ」
その強い視線を浴びて。
俺は確かにうなずいた。
「わかった、ジャック。じゃあとりあえずお前には、中庭の穴を掘って埋めるという大事な任務を与えようじゃないか。生まれ変わったお前の力、俺たちに見せつけてくれ」
「君はホンットに嫌なやつだなあ!」
ジャックが叫ぶ。
それはどこからどう見ても、いつものジャックであった。




