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第24話 「下卑専のキティー」

 ホープタウンのとある住宅街である。


 白い家の庭に、ひとりの女の子がいた。

 少女は猫皿を抱えながら、おろおろとしていた。


「ニャン太、いなくなっちゃった……」


 少女の母親は、その頭を優しく撫でた。


「大丈夫よ、すぐに帰ってくるわ」

「……いやあ」


 その後ろに座っていた父親は首を振った。


「どうかな、もしかしたら帰ってこないかもしれないぞ」

「あなたっ」


 咎めるような声に、しかし父親は毅然と言い返す。


「前から言っていたじゃないか。あんなにしつけのしっかりした白猫が、野良なはずがないってさ。いずれこうなる日が来ると思っていたんだ」

「……あなた」

「いいじゃないか、ここではないどこかで幸せになっているなら。きっとニャン太も優しくされたことは覚えているさ」


 娘の目にじわりと涙が浮かぶ。


「パパ、ママ……」

「ああ、あの子もきっとどこかで幸せになっているさ。もしかしたら、ニャン太郎もまた再び戻ってきてくれるかもしれないし。そうなったらそっと受け入れようじゃないか」

「……そうね」


 家族たちが静かに抱き合う。

 そんな昼下がりの幸せな風景の中に、ひとりの女が飛び込んだ。


 白い猫耳をつけて、手を猫のように丸めた女である。

 狂気の笑顔を浮かべていた。


「――た、ただいまニャン太郎戻りましたにゃん!」


 彼女は媚びたような顔をして、塀を乗り越えて、庭に着地した。

 一同、目が点になった瞬間である。


 女は名状しがたいひたひたとした動きで、少女に忍び寄る。

 それを見た娘は、「ひっ」と短く叫んだ。


「にゃん! ピピちゃん! ニャン太郎だにゃん! ピピちゃん大好きにゃんー!」

「きゃああああああああああああああああああああああああ」


 まず妻が絹を裂くような悲鳴を上げた。

 すぐに娘も泣き出した。

 そして父親がどこから取り出したのか、槍を構える。


「なんだお前は! 昼間から変質者か!」

「変質者!?」

「愛する我が家族は俺が守る! うおおおおおお!」

「ちょ、あの! わたし、ニャン太郎です! 今はたまたま、人間の姿に戻っただけで! 本当は静かに去る予定だったんですけど! でもその、ピピちゃんが寂しそうだからって、いてもたってもいられなくなって! ほらほら、猫の恩返し! 猫の恩返しですよ!」

「成敗してくれるうううううう!」

「やだああああああああああああああ!」



 

「えぐっ……えぐっ……」

「もうお前、一生そこにいればいいんじゃないかな」


 留置所に迎えに来た俺は、ミエリからそんな事情を聞いて頭を抱えていた。

 なあキキレア。どこか遠い空の下で、この声を聞いてくれるか。


 ――お前の信奉していた女神さまはきょう、家宅侵入罪で逮捕されたよ。




 というわけで、キキレアがホープタウンからいなくなった。

 どこかに旅立ったらしい。


 それだけなら構わない。少し寂しい気もするけど、な。

 あいつはどこでだってうまくやるだろう。


 新米の魔法使いを捕まえて、「あんたたち、いい? 魔法使いって言うのはね。ありとあらゆる知識を内包していなければならないのよ――」と意識高い発言を繰り返していたキキレアはもういない。

 薬草八千本を集めるにあたって、「そこ私の持ち場でしょ!? なに勝手に私の薬草とってんのよ! ええ!? ちょっとその薬草少しよこしなさいよ!」と、ろくにゴブリンも倒せないような初心者をいびって冒険者ギルドの流儀を叩き込んでいたあいつは、いなくなったのだ。


 ……あれ、よかったんじゃないか?

 ようやくホープタウンに平和が訪れたな。

 ミエリの魔法が使えるようになったことも、キキレアならすぐに気づくだろう。

 だったら、めでたしめでたし、だ。


 だが。

 引っかかるものがある。

 去り際のキキレアの言葉だ。


『すべての人に感謝を』だとか、そんなことを口にしていたらしい。

 常識的に考えて、キキレアが使うはずのない言葉だ。

 あいつが人に感謝するなんて、餓死寸前のときぐらいだぞ。

 ……まさか、餓死寸前で旅に?


 いやいや、そんなまさか。

 おかしな想像をするなよ、マサムネ。


 俺はいつものように冒険者ギルドにいた。


「それにしてもー、どうしていなくなっちゃったんだろうねー」

「……」


 ぼけーっと天井を眺めているジャック。

 体調が良好になってきたということで、最近は徐々にクスリの量を減らしているらしい。

 以前よりのんきな顔をしているのは、チャッキーを無事に追い返すことができて、心配事がなくなったためだろう。


 今はその日向ぼっこをしている座敷犬のような顔が、妙に癇に障る。

 くそ、なんだかきょうの俺はおかしいぞ。


「ま、マサムネくん!」

「……ん」


 そこでナルが駆け寄ってくる。

 きょうはバイトが休みか。

 彼女は整ったその顔を真っ赤にして、息を切らせていた。


「き、キティーがいなくなったって、本当!?」

「……ああ、そうらしいな」

「そんな……。まさか、そんな……」


 そのナルの様子に、俺は眉をひそめた。


「なにか知っているのか、ナル」

「う、うん、まあ……その」


 ナルは目を逸らした。

 ……なんだなんだ。


「キティーはたぶん、東の街に向かったんだと思う。あそこには、フラメルさまの神殿があるから。そこで転仰をするんじゃないかな……」

「転仰?」

「信仰する神様を変えることだよ。ミエリさまのご加護はもうなくなっちゃっているから、たぶん、フラメルさまを第一信仰神にするんだと思う」

「へえ」


 俺はうなずき、しかしすぐに気づく。


「……それってちなみに、転仰したら前の神様の魔法はどうなるんだ?」

「場合によるけど……」


 ナルは暗い顔をしている。

 俺の予想は当たった。


「信仰していなかった神様を信仰するのと、信仰していたはずの神様への信仰をやめるのは、全然まったく違うことだから……。たぶん、もう二度と雷魔法は使えなくなると思う……。確かに今は雷魔法は使えないけど、でもミエリさまは転生の女神様でもあるんだから、きっといつかはまた使えるようになるはずなのに……。キティーちゃん、あれほど努力してきたのに『稲妻のキティー』の名前を本当に捨てるつもりなんだ……」

「……」


 なるほど、そういうことか。

 今のままでは雷魔法を使えない。いつかは使えるようになるだろうが、その日はわからない。

 それならば今までの経験値をすべてゼロにしてでも、もう一度最初からやり直そう、と。


「あたし、キティーには雷魔法を使ってほしいって思っているんだ……。これはあたしのワガママだけど、でもたったひとつの武器を極めて、それだけで戦うキティーはなんだか他人には思えなかったから……。キティーだって本当は雷魔法が好きだったのに。こんなことになっちゃうなんて……」


 可憐なナルに影が差す。


 しかし、あのプライドの高いキキレアが、よく決意したものだ。

 本気で火魔法使いになる気なんだな。

 ゼロから始めるだなんて、かっこいいじゃないか。


 ……じゃなくて。


「うおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああ!」

『!?』


 俺の突然の叫びに回りのやつらは全員びくっとこちらを振り返った。


 待て、待てキキレア!

 早まるんじゃねえよ、――雷魔法、使えるようになってんぞ!


 俺は美少女エルフの両肩を掴んだ。


「ナル!」

「う、うん」

「今からキキレアを追いかけるぞ! あいつが転仰する前に、捕まえるんだ!」


 そう言った途端。

 ぱぁぁ……っとナルの顔が華やいだ。


 彼女は頬を赤く染めて、はにかむように笑った。


「――うんっ!」



 東の街のフレイムリバーまでは、馬車で街道を走って二日ほどの道のりだという。

 俺は急いで準備を整え、馬車に飛び乗った。


 ともに馬車に乗ったナルは、非常に嬉しそうだった。


「マサムネくん、やっぱりキティーのことをよく考えてくれているんだね。実はマサムネくんって、とっても優しいよね……! あたし、そんなマサムネくんと一緒にパーティーを組めて、本当によかったよ!」

「お、おう」


 ナルの目はガラス玉が入っているのだろうか。

 脳はプリンでできているのかもしれない。


「か、勘違いするんじゃねえぞ。あいつが雷魔法を失ったら、俺たちパーティーの大幅な戦力ダウンってだけなんだからな!」

「うんうん」


 怒鳴るが、しかしナルは満足そうにうなずいていた。

 なんでだよ、ちくしょうが。


「で、あのー」


 馬車の片隅に座っていたジャックが、頬をかく。


「なんで僕も一緒にいるのかな。いや、それはいいんだ。キキレアさんはパーティーメンバーだからね。僕にできることがあるなら力を貸そうじゃないか」

「お前って『勇なき正義に正義なし』を体現しているようなやつだよな。そして貸してほしいのは力じゃなくて金だ。安心しろ」

「……それはいいとして」


 ジャックはちらりと、俺の隣に目を向けた。


「その綺麗な子は、誰」


 俺の隣。

 そこには、猫耳に猫尻尾をつけた金髪の娘が、澄まし顔で座っていた。

 ――ミエリである。


 真っ白い衣に身を包み、見るものすべてがひれ伏してしまいそうな高貴さと、流麗さを併せ持つ美女。

 肌はわずかに燐光を放ち、その姿はまさしく女神である。


 別に連れてきたことに意味はそんなにない。

 いや、一応雷魔法の使い手だからな。いても損はしないだろう。

 ちゃんとミエリの分の冒険者カードも作ってきたしな。


「平素、マサムネがお世話になっております」


 ミエリは柔らかな笑顔を浮かべ、しとやかに頭を下げた。

 そうして顔を上げて、口元に手を当てながら、精いっぱい気取った態度で上品に微笑む。


 そして――。


「――わたしは、マサムネをこの世界に連れてきた転生と雷の女神、ニャン太郎と申します」


 名乗ったのであった。



 ……。

 誰かが、ぽつりとつぶやいた。


「……ニャン太郎……?」


 少しずつ、少しずつ。

 水が沸騰するかのように、ミエリの顔が赤らんでゆく。


 ……こいつ、肝心の場面で自分の名前を間違えやがった。

 冷や汗がミエリのこめかみを伝う。ぴこぴことその猫耳が揺れていた。


 女神ニャン太郎さまはピンと尻尾を伸ばし、パンと手を打つ。


「すみません! わたし、ミエリって言います! あの、あのミエリです! そう、そのミエリ! 女神の! その!」

「そうか、よろしくな、ニャン太郎」

「にゃああああああああああ!」


 ニャン太郎は俺をぽかぽかと殴ってくる。

 殴りたいのは俺の方だよ。


 ニャン太郎の頭をぐっと引っ張ると、俺はその耳に小声で怒鳴る。


(つうかてめえ、なに当たり前のように名乗ろうとしてやがるんだよ!)

(だってわたしミエリですもん! 正真正銘の女神ですもん! 女神が女神って言っちゃいけないんですか!? だったらマサムネさんは俺はニワトリだーって言ってくださいよお!)

(わけわからんこと言うな! いいか?)


 俺はミエリの頬の両側を手で押さえ、タコの口になった女神に言い聞かせる。


(てめえが女神だってことがバレたらどうなる。女神がこんなところにいると聞いたら、敵対する魔王軍たちが攻め込んでくるんじゃねえのか? なあ、そうしたら俺たちなんて物量で一気に攻め滅ぼされちまうんじゃねえのかよ)

(む、むぎゅう)


 さすがにミエリの脳にもこの言葉は突き刺さったようだ。

 女神は存分に眉根を寄せたのちに、自らの罪を告白する囚人のような声でつぶやいた。


「……そうです、わたしは、ニャン太郎です……」


 心が折れた音がしたな。

 でもそんな落ち込んだ顔で言っても世話はないぞ。


 よし、ここは俺が手伝ってやろう。

 というわけで【スマイル】を使用してやる。


「……どうか、ニャン太郎って呼んでください……」


 輝きに包まれ、ミエリはものすごく良い笑顔になった。

 いいぞ、ミエリ。口調とは裏腹に。……なかなか不気味だな。


「ていうか……」


 ナルがなにやら半眼でこちらを見つめている。


「キミ、前に美術館にいた子だよね? 結局、名前を聞きそびれちゃったけど、ニャン太郎っていうの?」

「はいわたしはにゃんたろうといいます。ただのねこですにゃふー」

「なんかすっごい抑揚のない声と満面の笑みで認めているんだけど……」


 ナルもジャックも思いっきり戸惑っているじゃねえか。

 なんだよニャン太郎って……。


 しかし、ナルの様子はさらに違っていた。

 ナルはミエリを睨みつけるように眺め、上から下まで視線を這わせ、「あはは、わたし、わたしニャン太郎……。このわたしが、ニャン太郎……。そうですよー、わたしなんて、ニャン太郎なんですよー……」と腐った声をあげている女神を指差した。


「て、ていうかさ、キミさ! なんで当たり前のようにマサムネくんの隣に座っているの? ちょ、ちょっと距離近いんじゃないかなっ?」

「え?」

「ふぇ?」


 俺とミエリは顔を見合わせた。

 確かに隣同士で、肌が密着するほど近くに座っているが……。


「別にいいだろ。ニャン太郎だぞ、こいつ」

「うううううううう!」


 屈辱に顔をさらに歪ませるミエリ。

 だが、ナルは納得できず、叫ぶ。


「あ、あたしが聞きたいのは、つまり! キミたちはどういう仲なのか、ってこと! そういうのを聞きたいってだけ!」

「ああ、なんだ」


 俺が得心すると、ナルはさらに子供のように頬を膨らませた。

 いつもバカみたいな顔をしているくせに、きょうだけ機嫌が悪いな、ナル。

 いや、そうか。キキレアが心配なんだな。

 だが俺は大人だ。お前の八つ当たりみたいな気持ちも、すぐに取り除いてやろう。


 そこでミエリが俺の胸に手を当ててきた。


(任せてください、マサムネさん。今度こそばっちりごまかしてみせますよ)

(お、おお……?)

(こういうとき、男女の旅人が互いの身分をごまかすときによく使うがあるんです。わたしは知っています。汚名挽回ですよ。任せてください。キリッ)


 汚名挽回とか、ベッタベタな誤用ネタを使いやがって。

 不安でならないんだが、本当にいいのか、できるのか。


 いや、無理だ。やめよう。

 こいつは俺が拾ってきた、自分が猫で女神だと思い込んでいる頭のかわいそうな女ってことにしておこうじゃないか。

 実際、だいたい合っているしな。


 ――しかし俺がなにかを言い出すよりも早く、ミエリは口走った。

 にっこりと笑い、辺りを眩しく照らしながら。


「――わたしはマサムネの妻です。普段より、主人がお世話になっております」


 まさしく汚名挽回であった。

 よし、殺そう。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 がらがらがらと車輪の回る音が響く。

 草原の景色はずっと見ていてもあまり変わらず、退屈であった。


 ひとりの冒険者の男は暇を埋めるために、近くの娘に話しかけることにした。

 実を言うと、ずっと彼女のことが気になっていたのだ。


 太陽のように赤い髪をツインテールに結んでいる美少女。

 いいや、絶世の美少女だ。

 黒のタイツとそのローブの間、わずかに覗く素足は、まるで見てはいけないもののように白くて眩しい。

 男が気づけば、乗り合いの八人のうち、彼女を除く七人の男は全員その脚に見とれているようだった。


 慎ましく控えめな胸も、その華奢な体にとても似合っている。抱き締めたら折れてしまいそうな雰囲気が、いかにも男の庇護欲をそそった。

 ほっそりとした首筋からうなじへのラインも見事だ。

 なにをどうすればこのような気品あふれた美少女が生まれるのか。

 近所に住んでいた村娘のいいところを百人より集めても、彼女ひとりの美貌には到底かなわないだろう。


 ごくり、と生唾を飲み込む音がした。

 それは次々と鳴り、生唾飲み込む大合唱となった。


 ひとりの男が抜け駆けをした。


「な、なあ。あんた、冒険者かい?」


 その軽薄そうな男が口を開いた瞬間、周囲の男たちから殺意の視線が突き刺さった。

 なにてめえ勝手に話しかけてんだボケがぁといった風に。

 それでも男は勇気を出した。こんなに勇気を出したのは、生まれて初めてかもしれない。

 目の前の美少女とお近づきになれるチャンスを思えば、百回殺されたとしても、次の一回に希望を込めてしまうだろう。


 美少女はわずかに首を傾げ。


「ええ、そうよ」


 と、凛とした声で返してきた。

 その視線が自分を捕えただけで、なにやらゾクゾクとした情動が背筋を走る。

 踏まれてえ――!

 その瞬間、男の頭の中に浮かんだのはその一文だった。


 それはともかく。

 別の冒険者が彼女に話しかけた。


「東の街、フレイムリバーになんの用だい? もし仕事を探しているのなら、俺にも多少ツテはあるが」

「大丈夫、ありがとう」


 彼女は端的にそう断った。

 取り付く島もないとまではいかないが、世間慣れしている対応だった。

 これでは何十の言葉を交わしても、気を惹くのは不可能だろう。

 この美少女を落とすのは無理だろうな、誰もが諦めかけたその時――。


 ひとりの男が下卑た顔を彼女に近づけた。

 げへへと笑いながら、まったく空気の読めていない言葉をかける。


「な、なあ、お嬢ちゃん……。今夜の宿が決まっていないんだったら、俺と、どうだい? げへへ、天国に連れていってやるぜぇ……?」


 美少女がスッ――と目を細めた。

 ただのそれだけで、空気が凍りついた。


 腹を空かせた肉食獣の前に飛び込んだ愚かな鼠を見た気分であった。

 これからなにか恐ろしいことが起きる。

 そのことに他の冒険者たちは戦々恐々とする。

 気づいていないのは、下卑た男ただひとりであった。


 だが――。


 美少女はにっこりと微笑むと。

 その口からワカメを吐いたほうがまだ現実味がありそうなレベルの言葉を、――告げた。


「――そうね。じゃあ、お願いしようかしら。私、初めてだから優しくしてね」


 冒険者たちは唖然としていた。

 そんなバカな、と。

 下卑た男ただひとりが、嬉しそうにしている。


 一同は目を合わせて、思わずうなずいた。

 そうかこの女、下卑専か――!?


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