第106話 「魔王」
ナルが七羅将ベルゼゴールに、矢を命中させた。
その世界的天変地異にも似た神の軌跡を間近で見た俺たちは、しばらく固まっていた。
ナルの両手に回復魔法をかけてくれたディーネは、そんな俺たちにぽつりとつぶやく。
「なんでそんなに驚いて……、アーチャーが矢を当てただけじゃないですの……」
まあまったくその通りなのだが……。でも今まで二兆回矢を射って、二兆回外してきたやつだぞ。それが当たるなんて、まるで人体が壁を通り抜けたかのような奇跡だろう……。
だめだ、俺の語彙ではこの出来事を奇跡という言葉以外では言い表せられない。奇跡すげえ。奇跡マジやばい。奇跡イズゴッド。
「えへへ、本当にありがとうね、マサムネくん……」
「い、いや」
血まみれになった両腕の治療をされながらも、ナルは満面の笑みを浮かべている。
ナルの矢が当たったのは間違いなく【シューター】の力だろう。だとしたらそうか、ナルにとって俺はもはや奇跡を付与する能力を持っているということなのか。
ならば、もはや俺はナルにとってなくてはならない存在。そう、ナルはもう俺なしでは生きてゆけないのだ!
まいったなもう。なんて有用なカードを手に入れてしまったんだ俺は。【シューター】か、すごいな。これがある限りナルは俺から離れられないだろう。
もちろんだからといって優しく可愛くて矢が当たるナルにひどい真似をしたりだなんてしないさ。俺はナルを愛しているからな。ああ、なんて素晴らしい。俺たちはふたりでひとつなんだ。矢が当たるナル最高。矢が当たるナルイズエンジェル。
「……なにデレデレしてんのよ」
「は」
キキレアに睨まれて俺は我に返る。
「ナルが矢を当てたからすごいびっくりしちゃっていたけど……、でも、今度は私の番からね。見ていなさい、あんた」
「あ、はい、そうですねキキレアさん」
「え!? なんで敬語でちょっとよそよそしくなってんの!?」
「なあ矢が当たるナル、今度イクリピアでパンのおいしい店があるんだ。一緒に食べにいかね?」
両腕が血まみれながら「いくいくー」と笑顔で返事をする矢が当たるナル。なんて愛らしいんだ。すごくかわいい。完璧な美少女じゃないだろうか、胸はないけど。
キキレアは急にキレた。
「どういうことなのよ!? なんで急にナルにべったりなわけ!? 納得いかないんだけど! こら! バカムネ! 私はあんたのなんだ!? ええ!?」
「え? えと? パーティーメンバー? かな?」
「ぶちころすぞー!」
キキレアが俺の首根っこを掴んで前後にがくがくと揺らしてくる。こわい。
あれ、そういえば俺、なんでキキレアをハーレムメンバーに加えようとしていたんだっけ……。
あんなにかわいい矢が当たるナルがいるのに……。
「私にはナルにないものがあるでしょ!? わかってんでしょ!?」
「そうか、おっぱいだな」
「おっ……、そ、それでも別にいいわ! あんたちょっとナルが矢を当てたからって衝撃を受けすぎて頭がおかしくなってんのよ! こっちの世界に戻ってきなさい!」
「でもおっぱいならミエリのほうがあるし……、あれ、そういえば俺、なんでキキレアをハーレムメンバーに加えようとしていたんだっけ……」
「それを口に出したらおしまいよ!? あんたと私、始まってもいないのにおしまいだからね!?」
キキレアはわーわーとわめき、さらに髪を振り乱す。こわい。キキレアイズこわい。
「ああもう頭来た。いいわ、見てなさいマサムネ。あんたに今一度思い知らせてやるわ! この私がいかに強大な魔法使いであるかを、よ!」
キキレアは右手を掲げた。そこに宿った紋章が光を放つ。矢の当たるナルが矢を当てたときと同じように――。
そう、先ほどキスをしたからこその、【フェイス】の発現だ。
まばゆい輝きが辺りに満ちてゆく。
矢の当たるナルの衝撃で忘れていたが、玉座の間へと続く扉の反対側、魔物と冒険者が押し合いへし合いの激戦を繰り広げているそちらは、相変わらず不利な状況が続いている。
それでも崩れずにいるのは、我らがパラディンの力だ。回復魔法を浴びたジャックは再び戦線に戻って奮闘しており、その粘りが冒険者を支えているようであった。「うおおおおおお! 生きるうううううう!」と叫びながら剣を振るっている。すごいぞジャック。かっこいいぞジャック。
そんな集団を指差して、キキレアは怒鳴る。
「いい!? こんなこと、ナルにはできないんだからね! あの子、一発撃ったら両腕が血まみれになっちゃうんでしょ!? だったらここは私の出番でしょ!」
俺は適当に拍手した。
「おーがんばれー」
「む、ムカつく……! ああもう、この私、S級冒険者キキレア・キキを舐めるんじゃないわよ! そんなやつ誰ひとりとして生かしてはおけないんだから!」
キキレアがそう叫ぶと、まるで呼応するように右手の紋章の輝きが強まる。それはキキレアに【シューター】のような加護を与えていた。
なにかが、魂の中になだれ込んでいるのかもしれない。その力の正体に気づいて、キキレアはハッとした。
「まさか、この力……。これって、私の中の信仰心が渦を雄たけびをあげているわ……! これなら、今なら、失ったあの力も取り戻せるかも……!?」
失った力。それはまさか。
かつてキキレアをS級冒険者たらしめた凄まじい雷の力。
すなわち『女神ミエリ』への信仰心が、再びキキレアのものとなるというのか――。
俺とキキレアが同時に振り返る。
ミエリは玉座の間へと続く出口の前で、「はーやーくー、はーやーくー、先越されちゃうからー! わたしが主神になれなくなっちゃうからー!」と地団太を踏みながら俺たちを急かしていた。
まるでちびっ子のようなその姿を見て、俺とキキレアは向かい合ってうなずく。
「今わたしのこの信仰心、フラメルさまに捧ぐわ!」
「よし、ぶちかましてやれ、キキレア!」
「えええええええええええええええええええええ!?」
ミエリが悲鳴をあげた。うるせえ。
「ちょ、ちょっとなんですかそれ! わたしをあがめてくださいよキキレアさん! もともとわたしを信仰していたじゃないですか!」
「ミエリ、あんたのことは友人としてはまあ好きでも嫌いでもない友達未満知り合い未満ぐらいの存在だけど」
「知り合い未満!? ちょっと距離遠すぎません!?」
「でもひとりの神様としてあんたを信仰できるかって言ったら、それはちょっと無理な話だわ。私が心の良心をかき集めて可能な限りよく言えば、きっと親しみやすすぎるからよ。ごめんね」
「あっ、マジなやつ! これマジなやつですよこれ! うわーマジなやつだー! マジなやつー! マジなやつやだー! やだー! マジなやつやだー!」
超うるせえ。
その場でじたばたと駄々をこねていたミエリは、立ち上がるとキキレアに指を突きつけた。
「あっ、だったらここでわたしがフラメルの悪行をばらしてあげますよ! あの子わたしの妹ですからあんなこともこんなこともなんでも知っているんですから! ねえねえあの子ってば昔はすごいもうあほな子で――」
「やめろおーっ!」
俺は慌ててミエリの口を両手で塞いだ。なんてやつだこいつ!
自分の信仰心が得られないからって、他の神をおとしめようとしやがった……!
それでキキレアが今度は炎魔法も使えなくなったらどうすんだよ! あいつの人生谷まみれってレベルじゃなくなるぞ!
もがもが言うミエリを引きずっている間に、キキレアは目を閉じて精神を集中していた。
「いける、いけるわ……、このままなら、今なら、私の魔力なら……! 胸に信仰心があふれてくる……、これが愛の力……、私こそが愛の化身……! これなら、ついに唱えることができるわ、インディグネイションに比類する炎の最強魔法――」
キキレアが目を見開く。その目は真っ赤に染まっていた。
冒険者と戦っていた魔物たちは、ぞわりと騒ぎ始める。
「あ、あれは!?」
「なんて魔力だゲス!」
「に、逃げたほうがいいんじゃねえべか!?」
キキレアの手の甲に浮かんだ紋章は、一瞬にして女神フラメルの紋章へとかき換わる。その右手で杖を掲げ、それを魔物(と冒険者)へ向けて叫ぶ。
大呪文の詠唱だ――。
「星に眠りし神の炎! その一欠片、ただ愛のみによって出ずる! 命を奪い、命を尽くし、そして命を問え! 汝、新生の歓びを!」
魔力が弾けた。
「――スーパーノヴァ!」
キキレアの杖から放たれたレーザーのような赤い光は、魔物(と冒険者とジャック)の中心に突き刺さる。なんだ地味な魔法だな、と思った次の瞬間。
怒号のような爆炎が猛った。
膨れ上がる炎は真っ赤に輝きながらなにもかもを飲み込んでゆく。それは魔物の群れを喰らい尽くし、爆風によって大勢の冒険者を吹き飛ばした。
さすが魔王城。対呪文処理などをしているのだろう、魔法攻撃では壁や廊下が破壊されることはなかったが、しかしそれ以外のすべて――調度品やじゅうたんや窓枠などは、軒並み焼き尽くされて消滅していた。まるで打ちっぱなしのコンクリートの部屋と化している。
凄まじい威力だった。ここが闇の力の中心点であることを差し引いて考えると、まさしく破滅的な威力だ。
キキレアは「はぁ、はぁ……」と息を荒げていたが、己の手を見下ろしながら噛み締めるようにつぶやく。
「やった、できたわ……。私、最強呪文が、もう一度使えたわ……、やったわ!」
キキレアは興奮しながらその場で飛び跳ねる。
そういえばこいつ、もともと雷最強魔法のインディグネイションを使えたはずなのに、ミエリのせいでせっかく覚えたのがパーになっちまったんだよな。
それを横でミエリがポンポンとインディグネイションを連発するもんだから、たまったストレスはとんでもなかっただろうな。
プライドの高い女だ。口では憎いとか、ムカつくとか、そういったことは言わなかったが、思っていたに違いない。
キキレアは心から嬉しそうだった。
「見て見て、マサムネ! 私やったわ! この世界の炎呪文を極めたわ!」
「ああ、見てた見てた」
「あんたのおかげなのね! 私がまた羽ばたけたのは! 悔しいけれど、認めざるをえないわね!」
飛びついてきたキキレアを抱き留めて、俺はその頭を撫でる。
勢いのままに俺にキスしようとしてきたキキレアだが、唇が迫ったところで我に返ったのか、顔を近づいたところではたと気づいてそっぽを向いた。耳が赤かった。
「あ、ありがとう……、マサムネ……」
「ああ」
その顎を掴んで無理矢理こちらに向かせると、びっくりするキキレアめがけて、俺はキスをした。ま、せっかくだしな。
キキレアはしばらく身を固くしていたが、しかしすぐに俺に体を委ねてくれた。
ぐんにゃりと力の抜けたキキレアを俺は抱き締めて、その唇の柔らかさを堪能していて……。
「ってお前、本当に力が抜けていないか!?」
「う、闇の力の圏内で、あんな大技をぶっ放したからだわ……」
キキレアは青い顔をしていた。乗り物酔いをしたときのように胸を押さえている。魔力切れだ。自分で立ってはいるが、相当つらそうである。
「まったく、調子に乗るからだ……」
「で、でも見たでしょ……、あんた……。私になんか言うことはないの……」
ジト目でこちらを見上げてくるキキレア。俺は頬をかく。
少し恥ずかしいが、まあ、今さらだ。
「好きだよ、キキレア。さっきはごめんな」
「……ん」
唇を突き出してきたキキレアに、俺はもう一度キスをする。ナルが「あっ、ずるい! 三回目!」と叫んでいた。心配するな。世界が平和になったら何回でもするさ。はっはっは。
視界の隅では真っ黒に焼け焦げたジャックが巻き添えを食らって転がっていた。ディーネは泣きながら必死に回復呪文を唱えていた。キキレアの攻撃魔法は前回を確かに上回っていたのだ。キキレアすごい。
その後、次から次へと現れる魔物たちを冒険者に任せ、俺とミエリ、ナル、キキレア、そして全回復したジャックとディーネは奥へと向かった。
「あれ、おかしいな、さっきナルくんの矢が当たったように見えたんだけど、そこからの記憶がないな……」
仮面を吹っ飛ばされたジャックには、多少記憶の混乱が見られる。俺が話しかけても「どうしたんだいマサムネくん?」と首を傾げていた。まさか、あのマーニー事件のことを忘れたのだろうか。キキレアのスーパーノヴァはジャックのトラウマをも焼き尽くしたのかもしれない。キキレアすごい。
ベルゼゴールの死体が突き刺さった廊下を曲がると、そこは回廊になっていた。さらに奥へ奥へと向かう。徐々に闇の力というか、瘴気というか、そういったものの臭いが強くなっている気がする。
いよいよだ。この先に魔王がいるのだ。
半年以上に及ぶ長い冒険の終わりが、迫ってきた。
あともう少しで終わりだと思うと、なんだか感極まってきた。
そうだ、なんかいいこと、いいことを言おう。
「みんな、ここまでついてきてくれてありがとう。お前たちがいなければ、俺はここまで来ることができなかったよ。本当に、感謝している」
俺は回廊を走りながら、改めてみんなにお礼を言った。
「ううん、どういたしまして、マサムネくん! マサムネくんと一緒にいられて幸せだよ!」
「ついてきてくれてっていうか、あんたがあとからやってきたんでしょ」
「そもそもわたしがマサムネさんを誘ったんですけど……」
「僕も人々のために来たのであって、君のためじゃないよ」
「わ、わたくしもジャラハドさまのためですからね」
俺は強くうなずいた。
「ああ、そうだなみんな! 魔王はこの先にいる。最後まで力を合わせて、ひとりも欠けることなく、絶対一緒に帰ろうな!」
「うん、がんばる! マサムネくん!」
「なんなの急にあんた。いいこと言いたくなったの? ちょっとテンションあがっているの?」
「ひとりもかけることなく、ぜったいいっしょにかえろうな! キリッ」
「なんかさっきキキレアくんの魔法で僕が欠けるところだった気がするんだけど、気のせいだろうか」
「じゃ、ジャラハドさまはわたくしがお守りいたしますわ!」
よし、俺たちはこうして心をひとつにして、固い決意を結んだのだ。
そして、俺は先頭に立って、最後の扉を開いた。
黒光りする両開きの扉は、ギギギと音を立てて開いてゆく。
そこは広々としていて、まさしく玉座の間であった。
「……フィン!」
床にはひとりの男が倒れていた。赤髪の勇者フィンだ。
他にも。
「お兄ちゃん……!」
ギルノール。
「ちょ、パチェッタ、あんた!」
パチェッタ。
そして。
「ユズハまで……」
皆、負けたのか。
かろうじて息はあるようだが、あの人類最強のパーティーがこんなにも簡単に……。
俺は視線をあげた。玉座の間にはひとりの男が腰かけていた。
浅黒い肌。頭部から生えた双角。長い紫色の髪。格調高い衣服をまとい、足を組んで俺たちを見下ろしている。どことなくゼノスに似た、男前の顔だ。だが満ちている雰囲気は刃のようで、触れればこちらの体が崩れ落ちてしまいそうだ。
「――よくぞ来たな、冒険者よ」
こいつが、魔王――。
「我が名はサタン。魔王サタン。そして――貴様たちを屠る者の名よ」
やばい、こういう系だとは思わなかった。あの魔王軍のトップなんだから、てっきりどこかふざけているだろうと思ったのに、真面目に強そうだ。真正面に立っているだけで膝が震えてくる。
ま、でもここまで来ちまったからな。
やるしかねえだろうさ。
俺のバインダの中で、【フィニッシャー】のカードが、どくんと鼓動していたのだった。




