第105話 「ナルルース・ローレル」
「もうキスするわ。殴られて飛ばされてきたジャックが偶然マサムネの唇に唇を重ねたりしないうちに」
「嫌なことを言うなよ」
俺はげっそりしながらつぶやいた。キキレアは俺の肩をがしっと掴んできている。
さらにナルもやってきた。俺たちは今度こそ三人でのキス。トライアングルキスをするのだ。
頬と頬を合わせながら、ナルとキキレアが俺を挟むようにして密着する。俺は彼女らの肩を抱きながら、唇を突き出した。ナルとキキレアもまた、目を閉じてゆっくりと顔を近づけてくる。
なぜかその光景を見ていた魔物たちと冒険者が一致団結して「あいつらを殺せ!」「なんだあの男! 魔王城でなにやってんだ!」「モテ男だ! 刺し殺せ!」「永遠に地獄の業火で焼き尽くされるがいい!」だの叫んでいたような気がするが、それはともかく。
しかし、ナルは美少女だ。彼女が目を閉じているとその顔の造形がいかに美しいかとわかる。ピンと尖ったエルフの耳がかわいらしくて、肌は陶磁器のようにつるつるだ。蕾のように咲いた唇はピンク色で、つややかであった。
それに、キキレアも文句のつけようがない美少女だ。普段は狂犬みたいな顔をしているくせに、目を閉じているとまるでどこかのお姫様のようである。こんな気の強い女が誰かからのキスを待っている顔というのは、恐らく一生に何度も見れるようなものではないだろう。
ふたりに好意を寄せてもらって、こんなふたりを抱き締めることができる俺はもしかしたら、世界で一番幸せなんじゃないだろうか、と思う。
衆目にさらされているのも、徐々に気にならなくなってきた。
それぞれが目を閉じて。――俺たちはキスをした。
ナルとキキレアの香りが混ざり合って、俺と一緒になって溶けてゆくような感覚を味わっていた。
さっきの不意打ちのようなキスとは違って、今度こそちゃんとしたキスだ。これがキスなのか。なんだかふわふわとしていて、気持ちいいというよりは心が満たされてゆくようだ。
この胸を包むのは愛。俺は愛によって生まれ変わる。
ああ、そうか。俺は今、童貞を卒業したんだな――。と、思う。俺は満ち足りていた。
次の瞬間、光があふれた。それはキキレアとナルの胸元から発せられている。彼女たちはそれぞれ自分を眺めて、目を丸くしていた。
俺にはわかった。それは【フェイス】と【シューター】の発現だ。
胸元の光は移り、キキレアの右手と、ナルの右手にそれぞれ宿る。
「な、なんなのこれ……」
「すごい、なんかすごい熱いパワーを感じるよ、マサムネくん!」
ふたりの反応は対照的だった。キキレアはその光を恐れ、ナルは光を受け入れているように思えた。だからか、先に紋章が浮かんだのもナルのほうだった。
ナルの右手の甲に浮かんだ紋章は、弓のマークをしていた。それはまさしく【シューター】のカードに刻まれていたものと同じ印。
そうか、これは使用者の能力を増強させるカード……、すなわち、エンチャント系のスペルカードなのか。
しかもその発動条件がキスとなると、これはもうナル専用と言っても過言ではないだろう。無骨なオッサンが「俺も弓が当たらねえんだけど」って顔を赤らめながら迫ってきたら、俺は迷わずオッサンの唇にドラゴンボーンソードを突っ込んでやるね。
ナルは右手を掲げながら、感極まった声を出す。
「すごい、なんかあたし今竜穿を射ったら、すごいことになりそう! ねえ、マサムネくん、あたしすごい燃えているよ! あたしは今、すごい燃えています!」
俺は背筋に嫌な予感を覚えた。ギルノールとの訓練の結果ナルがどんな成長を果たしたのかを思い出していたのである。
ナルの弓は確かに威力がアップした。しかし命中率には1ミリの成長も見られなかった。命中率0%で攻撃力800の攻撃が、命中率0%で1200の攻撃になったからなんだというのだ。マジで意味がない。
そう、ナルは俺とキスをした結果、今度は4800の攻撃力(ただし命中率は0%)などになってしまったのではないだろうか。だとしたらカードの存在価値など、あってないようなものだ。このまま魔王城を弓でぶち壊してやるぐらいか。あれ、それ結構強いな。
「ふぁー! 一騎当千! 天下無双!」
ナルは惚れ惚れするように手慣れた動作で、竜穿を背中からくるりと回して構え直した。まさか、ここでぶっ放すつもりか、ナル。
「おい、ナル! やる気なのか!」
「うん、きょうこそ当たりそうな気がする!」
「お前それ永遠に言い続けているよな!? これから先も一生言うやつだよな!?」
「きょうは本当なの! ずっとずっと本当だったけど、きょうの本当さは本当さが突き抜けて本当に本当なの! 正直一徹! 真実一路!」
ナルはそう言い張っている。だが、俺は不安だった。不安で仕方がなかった。千回失敗してきた女の千一回目を信じられるやつがいるか? それが愛なのか? いやそんなん愛じゃないだろ。なんというかこう、盲目みたいなダメなやつだろ。
ナルは床に深々と竜穿を突き立て、固定した。彼女の周囲から渦巻く魔力に、ベルゼゴールは嫌そうな顔をしている。
「なんかそれ、気になりますネェ……。ここから打って出ましょうか……、しかしそれでは、あっしが魔法を雨あられと降らされちゃいますからネェ……」
ぶつぶつとつぶやくベルゼゴール。あいつひょっとして魔法攻撃が苦手なのか。だから扉を守るとか言いながらあそこに引きこもってんのか。
「まぁでも、あっしこう見えても七羅将一のスーパー魔族ですからネェ……。あの程度の矢、パッパッと払って差し上げましょうかネェ……」
実際どうなんだ。あいつは確かに強そうだ。もし仮に天文学的な確率でナルの矢がまっすぐ放たれたとして、よけられてはい終わりぃー。ぶっぶー、失格ぅー。ってなるんじゃないのか?
どうなんだ。ナルに任せていいのか、どうなのか!
「ナル!」
「はぁい!」
「だったらお前、その矢が外れたら、俺のハーレムメンバーになれよ!」
戦っている最中の冒険者と魔物がざわっとし始める。戦場でなにを言ってんだこいつは、という感じである。知ったことか。こっちのほうが大事だ。
ナルは一瞬きょとんとしたけれど、弓を構えたままニッコリと笑ってうなずいた。
「わかった! いいよ!」
よし!
これでハーレムメンバーの二人目をゲットだ! やったぜ!
後ろからキキレアの刺し殺すような視線を感じるが、俺は決して振り向かなかった。振り返ったら謝ってしまいそうな気がするからだ。俺は毅然とした態度を取らなければならない。ハーレムの主人としてな!
「だったらナル、ぶちかましちまえ!」
「重々承知!」
ナルは嬉しそうな顔で弓を構えた。
「いいさ、どっちみちこの状況を打開するためには、お前の弓が必要なんだ! ためらうことはない! 後の責任は俺が取る! ぶちかましちまえ!」
そうさ、魔王を倒すためにはベルゼゴールが邪魔で、こいつをどうにかできるのは今、ナルしかいないんだ。
どうせ外れるなら外れるで、あいつの足場を狙って砕いてもらいたいもんだ。そうしたら扉から先に行けるんだけど……、いや、でも無理だな。こいつの放った矢が偶然でも俺たちにいい影響を及ぼしたことがない気がするぞ。
やっぱりゴーサインを出したのは早計だったのだろうか、と思い始めて、俺はナルを見た。
その目が子どものようにめっちゃキラキラしていた。
「あたしできる! あたし当たる! あたし無敵! あたし無敵!」
竜穿の弦を引くと、次の瞬間バカデカい矢が現れた。それはこれまでに比べてもさらに一回りは大きい。丸太を撃ち出すようなものだ。これが【シューター】の力か。
一才反省せず、一才懲りず、ただひたすらに自分の可能性を信じ続けてきた女、ナルルース。一度も当たったことがないくせに、なぜそこまで自分を信じられるのか。どんなメンタルを持っているのか。意味がわからなかった。
だが、そのときなんとなく俺も思ってしまった。
――もしかしてこれは、当たるんじゃないか? と。
ナルは開眼し、叫ぶ。
「天下無双! 一撃必殺!」
右手の光がさらにきらめいた。魔物も冒険者も一瞬だけ戦いを止め、皆、ナルを見た。ベルゼゴールは不快そうに顔をしかめ、ハルバードを構える。
輝きの中心に立つナルは、まるでこのホールが自らの舞台とでもいうような顔をして、口上を発する。
「乾坤一擲の――『ハートブレイクショット』! 我が弓に貫けぬものなし!」
矢が放たれる。
それはまっすぐに伸びて、ベルゼゴールとへ迫る。
『え?』
その声は、ナルを知るものすべてが同時に発していた。
矢が、まっすぐ飛んだのだ――。
ベルゼゴールが動く。魔族は者屠を振りかぶり、その矢を弾こうと試みた。ハルバードは見事、矢の先端に食い込む。凄まじい反射神経と、達人の業である。
だが――。
直後、四大至宝のひとつ、者屠の先端が砕けた。
「――」
矢はハルバードを破壊しながらうねりをあげて迫り、ベルゼゴールの胸に突き刺さる。まだ勢いは落ちない。ベルゼゴールを引きずったまま玉座の間へと続く扉を破壊し、さらに奥まった場所にある壁に七羅将を縫いつけた。べちゃりと血が飛ぶ。
「……このあっしが、まさか一撃で……?」
目を見開いたベルゼゴールは血を吐くと、力なくうなだれた。
絶命したのだ。ナルの矢に貫かれて。
『うおおおおおおおおおおー!』
歓声があがった。「あんなにすげえアーチャーがいたのか!」「とんでもない威力だ!」「俺はあいつができるってわかってたぜ!!」などなど、冒険者たちが勝手なことを言う。しかし、ナルを知る皆は呆気に取られていた。
俺もだ。まさかナルの弓が当たるなんて……。
これが【シューター】の力……?
「マサムネくん!」
「はっ」
呆ける俺にナルが抱きついてきた。ナルは興奮した面持ちだ。それは初めてギガントドラゴンを倒したときに見せたときのようで。
そのままナルは俺にキスをしてきた。
いまだ固まる俺に、ナルは世界で一番幸せそうに微笑んだ。
「ありがとう、マサムネくん! あたしに力を貸してくれて! だからあたしをマサムネくんのお嫁さんにしてください!」
え?
あ、ああ。
「う、うん」
ナルの弓が当たったことが衝撃的過ぎて、なんかもうほとんど動かない頭で、俺はうなずいていた。
飛び跳ねながらナルは喜んでいた。
「やったあ!」
……あれ、これって、ナルがハーレムメンバー入りってこと?
だよな? そうだよな?
よし! なんだか知らんが、やったぜ!
「って」
気づく。俺の服にべっとりと血がついていると思ったら……、なんと、ナルの両腕は肘から先が血まみれだった。
「ナルー!?」
「あっ、えっ!? な、なにこれ!?」
腕のあちこちにまるで亀裂のような傷が走っている。なんだこれ……。竜穿を正しく射ったときの反動か……?
ナルは矢をまっすぐ射ると、両腕が血まみれになるほどダメージを食らうらしい。
わーわー騒ぐナルを横目に、俺は心の中で叫ぶ。
――本当になんてやつなんだ、こいつは!




