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あの日の喫茶店

作者: らてーる

即興小説トレーニング(http://webken.info/live_writing/top.php)

で、【制限時間2時間】【お題:やわらかい結末】という条件で書いたものです。

 最後の2行くらいは残り30秒くらいで書きました。死ぬかと思いました。

 九州から大阪へとはるばる出張へ行った折、私は出張先のホテルから東西線を3駅電車に乗り、かつて暮らした街並みを歩いていた。

 あの頃、私は他の田舎者の例に漏れず、都会に憧れていた、それでいて垢抜けない一介の大学生だった。地元の大学でなく、都会の大学へ行きたいと言い張り、そのくせ遠くが怖くて東京の大学は選べない、そんな青年だった。

 その身勝手な劣等感が災いしてだろうか。私の大学時代は勉強もそこそこにぶらぶらと街を歩き回り、道行く人をチラチラと盗み見て背伸びをする日々だった。服屋に行って値段に眩暈を起こし、バーで乱暴な大阪弁を話す治安の悪い輩に絡まれべそをかき、歩ける場所は裏路地まで通った。

 そんな大学時代で一番強烈に記憶に残っているのが、とある喫茶店だ。そして私は今、その店をもう一度訪ねるために、この街を行く。もう発展しきったように見える都会でも、古いビルが取り壊されて近代的な高層ビルが建ち、看板や広告が目まぐるしく貼り替えられていく。私は、殆ど変ってしまった街の、微かに残る当時の匂いを辿っていった。

 その喫茶店を初めて見つけたのは、大学2回生の時、つまり都会にも徐々に慣れ、就職活動にも追われることのない、世の大学生が最も遊びまわる時期だった。

 私はもう殆ど癖になった、街中散策をしていた最中だった。色褪せた赤茶色の煉瓦の壁で、やや曇った大きな板ガラスの向こうには、シックなテーブルと椅子が幾つか見えた。所謂モダンな造りで、当時の私よりも明らかに狙いの客層が上だったし、調子に乗っていた「都会人」の私には到底興味の湧かない店だった。だから、私がなぜそこのドアをくぐったのかはよく分からない。全くの偶然だったようにも思える。

 中へ入ってみると、古い木の独特の匂いが鼻をついた。先の椅子とテーブルの横にカウンターがあり、奥の食器が大量に積まれた棚の前で、男がグラスを磨いている。男は長く伸ばした、灰色の白髪混じりの毛を後ろで束ね、同じ色の口髭を生やしていた。客は一人もいなかった。

 何だかよく分からない音楽が流れている。恐らくジャズであったと思うが、若い私にジャズを聴く趣味は当然無かった。

 私はカウンターの左端から3番目を選んで、ややどぎまぎしながら席についた。こういう店を訪れるのは初めてだった。わざわざカウンター席を選んだのは見栄っ張りな自分のささやかな勇気である。

 マスターはこちらをチラと見て微かに微笑み、また手元のグラスに視線を落とした。こちらへ話しかけてはこない。

 こちらから頼む他無いようだが、メニューがどこにも書いていない。私はじっと身を固めながら視線だけを動かし、カウンターの奥にコーヒーミルが置いてあるのを見つけ、

「コーヒーを」

と、出来るだけ低い声で言った。慎ましい努力である。

「ホットですか、アイスですか」

「ホットで」

 相変わらずこちらを見ないまま訊いてきたマスターは、落ち着いて無駄のない動きで背後にある袋からコーヒー豆を取り出し、ミルに入れて挽き始めた。

 ほっと一息ついた私は、マスターがミルに注視しているのを確認してから店の中を見渡してみた。

 左手に自分が今入ってきたドアがある。背後は丸くてよく磨かれたテーブルと、細い脚の椅子が3つずつがセットになって、正方形に4組置いてある。

 右手は十字の窓と、雄大な雪山が描かれた絵が煉瓦の壁にかけてあった。

 そのままカウンターの右奥へと目を移した時、私はあれ、と思った。

 恐らく従業員室へ続くであろうドアのすぐ傍で、女性が壁によりかかっていた。若くて美しい女性だった。歳は自分と同じくらいであろうか。

 長い黒髪を指先で弄びながら、くりくりとした大きな目で、板ガラスの外を何をするでもなく見つめていた。服は長い緑色のドレスで、彼女の可憐な雰囲気に良く似合っている。

 どう見ても従業員では無さそうだった。マスターはビシッとしたタキシードに身を包んで、胸ポケットに店名と名前の書いたプレートを挟んでいる。

 あっけにとられて見つめていると、彼女はスタスタと、誰も座っていないテーブルの中をすり抜けるように歩きだした。彼女は鼻歌を歌いながら意味もなく椅子の枠を叩いたり、テーブルをべたべた触ったりしている。

 彼女がぐるぐる店内を回って再びカウンター横を抜けようとした瞬間、目が合った。

 彼女は一瞬怪訝な目をしてから、こちらに目を合わせながらじりじりと体を横にずらした。それに合わせて顔を動かす。と、彼女は突然、「きゃあ」と悲鳴を上げて両手で口を覆った。

 まさかセクハラだとでも思われたのか?

 助けを求めてマスターの方を振り返ると、落ち着いた顔に見合わず目を見開いて、私と彼女の方へ顔を往復させていた。

 最早何がなんだか分からない。これがモダンな喫茶店のサービスだとでもいうのだろうか。

 言葉に困った僕は、「えっと、彼女さんですか?」と冗談にもならない冗談を言った。

 マスターが、今度は口をあんぐりと開けて、

「見えるんですか?」

と振りしぼるように言った。


 ここからは、忘れる事は出来ない。

 仰天顔の3人はカウンター越しに改めて向き合った。席に私、向こう側にマスターと彼女だ。

 ようやく出てきたコーヒーをすすりながら二人を眺める。恥ずかしそうに俯く彼女に、マスターが寄り添っている。

 そうしながら、マスターが言う。

「この子、実は幽霊なんです」

 薄々分かってはいたものの、やはり頭をガツンと殴られたような気分だ。冗談にしてもめちゃくちゃだ。

 初めて喫茶店に来たような若者をからかっているんじゃなかろうか? しかし、彼女の恐ろしく恥ずかしそうな赤ら顔はとても演技には見えない。

 僕の困惑した表情を読み取ったのか、マスターが「おい、ナオ」と彼女に何かを促した。

 一瞬ビクッとしてから頷いた彼女は、少し身を乗り出してカウンターへ無造作に腕を突き出した。

 すると、なんとカウンターのこちら側ににゅっと腕が飛び出してきた。手首の辺りから突き出た手は、グーとパーの動きを何度か繰り返して向こう側へ消えていった。

「ええ、まあ、そういうことなんです」

 彼女が恥ずかしそうに言う。

「それじゃ、ほんとに……」

「ええ。今まで誰にも見られた事ないから放置してたんだけどなあ。まさか見える人がいるとは」

 それを聞いて、僕に見られた行動を思い出したのか、うううと呻きながら彼女がまた下を向いた。

「もおーっ、ケンちゃん止めてよお、恥ずかしいとこ見られちゃったじゃん」

 彼女がマスターの背中をペチペチと叩き、マスターが身をかわしながらからかうように笑う。どうやら触る意志がある物には触れるらしい。

 というかケンちゃんって……。歳を考えろよ。と思った瞬間はっとなった。

「も、もしかして、本当に『彼女』なんですか?」

 マスターが照れくさそうに微笑んでウインクした。そういうことだと言わんばかりに。

「ど、どういう馴れ初めで……?」

 訊くと、なぜかマスターは少し悲しげな顔をしてから俯いてしまった。すると、彼女が横から口をはさむ。

「心中したんです、30年前に。でもケンちゃんだけ生き残っちゃって」

 それをいつまでも気にしてるんですよ、と笑いながら言う。まるで軽い喧嘩話でも聞かせるような軽い口調だった。

「でも、僕だけ助かって、歳を取っちゃって……」

 確かにそれは辛いだろう。自分だけが死の恐怖から逃れて、彼女はいつまでも若いまま。自分だけが歳を取って、いずれは呆けた老体を晒す事になる。想像だにしない思いを、マスターは30年もの間持ち続けていたに違いないのだ。

 ところが、当の彼女の方はむくれた顔をしながらマスターの腕を取って、ぐっと持ち上げるように抱きついた。

「気にしないでいいじゃんそんなことー」

「でもさ、でも……」

「いいの! 私が好きなんだから。おじさんになったケンちゃんもカッコイイし、私はおばさんになったところを見られなくていいんだし」

「……そうかなあ」

「そうそう。私ケンちゃんのこと大好き!」

 ああ、そういうことか。こいつらそうやって「惚気る」のか。

 急にセンチメンタルな気持ちが失せた私は、さっさとお邪魔することにした。代金を置いて、

「末永くお幸せに!」

と捨て台詞を吐いて店を出たのだった。彼らが死後も愛し合えることを願いながら。


 かつて店のあったであろう場所に行ってみると、そこは取り壊されて雑居ビルになっていた。近所の人に所在を尋ねようかとも思ったが、やめておいた。元々夢のような出来事だったのだ。それならそれでいいじゃないか。

 街角の向こうから、古い木の匂いがした気がした。

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