表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

夏の午後の憂鬱

作者: 大地洋平

夏の午後の憂鬱

                                       大地 洋平    

 そいつは突然やってきた。まるで夏の日の夕立のように、激しくしかも容赦なく。


直樹はその時、阪急電車神戸線西宮北口発梅田行き特急電車の車内にいた。


電車は西宮北口を今しがた発車したばかりだった。


時刻は午後5時過ぎで車内はそれなりに混雑していた。


 吊り革を持ち車窓に映る景色を何がなく見ていたその時、耐え難い空腹が直樹を襲った。


直樹は以前から突発的に激しい空腹感を覚える傾向にあった。


一旦空腹感を覚えると胃がきりきりと痛みだし思考は完全に停止した。   



 そして何か食べれる物を口に入れ空腹感を満たす以外逃れるすべはなかった。


「やれやれ、昼食はたっぷり食べたのに。仕方ない十三に着いたら何か食うか。


駅の阪急そばか、コンビニでチョコでも買えばいいさ。」


しかしその日の空腹感は、かなりの代物だった。


「いっそ駅内から出て王将で餃子でも食うか。牛丼特盛ってのもいいし、マクドやケンタッキーの


ファーストフードもしばらく食べてないしガッツリ食うのも悪くないかもしれない。


なにせそこは十三だ。駅から降りればなんだってある。空腹以外だってなんでも満たせそうな街だ。」


 直樹は河原町で大学時代の友人幸太郎と約束をしていたがそんなものは、


どうにだってなるさ。


どうせ朝まで訳が分からなくなるほど飲むんだ。


1時間くらい遅れたって電話さえすれば全く問題ない。

 

しかし十三まで15分ほど電車は止まらない筈だ。


直樹は腕時計を見ながら考えた。


それまでこの空腹感を少しでも抑えるものがあれば。


直樹はおもむろに背負っていたバックパックのジッパーを開けて中を探り出した。


「飴玉一個でもいい。干からびたガムでもいい」


直樹はバックパックに付いてる全てのジッパーを開けそして閉じた。


しかしどこにも食べるものは無かった。


いつも小腹がすいた時用にかばんには何か食べるものを忍ばせているんだが、


今日に限って何も入っていない。


どうやら全部食べてしまったようだ。


 でもいつ食べたんだろう。


直樹は食べた記憶は全くなかったし、食べ尽したら必ず補充することにしていた筈だ。


なにせ直樹にとって空腹時に食べ物を持ち合わせないことは死活問題だから。


 「お兄ちゃんって人はいつだってそうなのよ。一見、用意周到、準備万端なように


見せかけておいて肝心なところがドーナツの穴のようにすっぽり抜けているんだから」


「ドーナツの穴は火が通りやすくするために空いているんで抜け落ちてるわけじゃない」


「いい、私はドーナツの穴の話をしたいんじゃないのよ。わかる?」


直樹は先週の妹との電話を思い出していた。


口論の原因は忘れてしまった。


きっとつまらない事だろう。


あ~それにしてもこの空腹感はなんだ。


今ここにドーナツがあればいくらだって出すよなと直樹が考えた瞬間


「あるよ」と後ろから声がした。


 直樹が慌てて振り返ると中年の男性が美味しそうなドーナツを山盛り持って立っていた。


男の身長は150センチくらいで小太り。


サイズの合っていない小さな冬物のスーツを着ているため今にもはち切れそうであった。


「美味しいドーナツあるよ。食べないかい」


男はもう一度直樹に向かって微笑みながら言った。


「あのう、僕今声出しましたっけ」直樹は恐る恐る尋ねた。


「いや心配しなくていい。君は声を出しておらん。


わしは君の心の声を聞いたんじゃ。ほれ、このドーナツ食わんか」


「いくらですか、いくらでも出すって思ったのは言葉のあやで・・」


「金なんかいらんよ。その代り君の時間を24時間分くれんか」


「ドーナツと引換えに僕の時間をですか?」


直樹はカーペットに落ちた醤油のシミを見るような目で男を見つめた。


「いや申し遅れた」


と言って男は窮屈そうに背広の内ポケットから名刺を一枚出して直樹に渡した。


名刺にはマサチューセッツ大学工学部助教授ヘンリー大久保と書いてあった。


「実はわしは人間の余った時間をエネルギーに変える研究をやっておる。


世の中にはほんと時間を持て余していたり、無駄に使ってる者が実にたくさんおる。


そいつらの時間を集めれば莫大な時間が蓄積される。


そいつをエネルギーに転換できれば原発後の再生エネルギー問題なんぞあっという間に解決じゃ」


「それでその研究は成功されたのですか」


「それは答えられん。なにせトップシークレットなものでな」


「答えられないけどドーナツと引き換えに僕の時間がほしいと言う訳ですか。」


「その通り、君はなかなか物分りがいいな」


「でも僕だってそんなに時間を持て余してるわけじゃないですよ」


「うそつけ、じゃ昨日1日何してた」


「昨日は大学行って午前中講義聞いて夕方から深夜までバイトですよ。


正直結構忙しくてへとへとでしたよ」


「何が忙しかったじゃ。忙しいフリしとっただけじゃろうが。


午前中の講義と言ってもずっと授業聞かず寝てたじゃろうが、


夕方のバイトもぺちゃくちゃおしゃべりしてるだけで何が忙しかったじゃ。


今日だってこれから夜通し酒くらって明日は夕方まで寝て終わりじゃろうが、


それならここでドーナツ食えばお前は空腹が収まり、


尚且つ日本のエネルギー問題解消に一役買えるんじゃぞ」


「でもさ、大久保さん」


「ヘンリーと呼んでくれ」


「じゃ、ヘンリーさん。確かに俺の毎日って時間を持て余してたり無駄に使ってるかもしれないけど、


おじさんの言ってる話って俺がこれまで生きてきた中でも最高に胡散臭い話だぜ。」


「腹は減っとらんのか」ヘンリーはニコニコしながら言った。


直樹の空腹感は今まさに絶頂期を迎えつつあった。もはや直樹に思考能力はなかった。


「わかったよ。大久保さん」


「ヘンリー」


「ヘンリーさん、もう我慢できない。ドーナツと俺の時間交換するよ。


24時間分くらい時間が無くなったって死にはしないさ。


だからとっとと抜くなり消すなりしてくれ」


「何を言っとるか、わしは魔法使いでも超能力者でもないぞ。


時間に関しては、後日請求書を送るのでそこに署名捺印して投函してくれればいい。


さあ、お待ちかねのドーナツだ美味いぞ、たっぷり食え」


直樹はドーナツを受け取ると無我夢中で食べ始めた。


ドーナツは今揚げたてみたいに暖かく外はカリカリで中はしっとりとしてて最高に美味かった。


ドーナツは食べても食べても無くならず、まるで直樹の空腹感が収まるのを待つかのように


そこに存在し続けた。


「あ~美味かった。腹一杯だわ。大久保さんじゃなかったヘンリーさん。最高に美味かったぜ」


直樹が振り返るとヘンリー大久保の姿はどこにもなかった。



ほどなく電車は十三に到着。


直樹の空腹感は完全に収まっていたので京都線ホームに移動し、


ちょうどホームに入ってきた特急河原町行きに飛び乗った。


直樹は空席を見つけ腰をおろし一息ついた。


「バッチグーのタイミングだったな。この時間で十三から特急に乗って座れるし、


腹も収まったし変なおやじに会ったけど終わってみれば言う事なしだ。


河原町まで一眠りするか」直樹がそう思った瞬間、下っ腹がに差し込むような激痛が走った。


グルグルグル~


「おいおいやめてくれよ。今度は腹痛かよ。京都線の特急電車に便所は無いぜ」


と直樹が考えた瞬間


「あるよ」


聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。


恐る恐る振り向くと見覚えのある小さな小太りの男が


サイズの合ってない冬物のスーツを着てアヒルさんの子供用のオマルを持って立っていた。


「やれやれ。」


直樹は日本のエネルギー問題と自分の時間について少し考えるように大きなため息をついた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ