「タイムカプセル」
「なぁ、タイムカプセル埋めようぜ」
そう言って楽しそうに笑う幼馴染の顔が、当時の僕にはとても羨ましかったことを、今でも鮮明に覚えている。あんな笑顔で友達と話せたら、あんな風に心から全ての事を楽しめたら、と・・・。僕はそんなアイツが羨ましくて仕方がなかった。
高い日が射す光。緑一色の田園が広がる風景。吹き付ける秋の風。その全てが、懐かしい。
「十年ぶり、か」
この田舎町を去ってから十年。『年末年始には戻るから』なんて言葉を口にして都会へ出て行ったにもかかわらず、僕はこの十年間、一度も此処へは帰ってこなかった。都会は一年のうちに何度もその姿を変えるのに、この町は昔と変わらず、そのままの姿で僕の前に広がっていた。
電車を降りて、日に何本とないバスに乗って、僕はやっと実家の近くへとたどり着いた。木造一戸建てのムダにでかい家。やっぱり、変わってないな。
「ただいま」
玄関の扉を開けて入った僕を出迎えたのは、今年で六十と五になる母だった。
「よく帰ってきたわねぇ」
白髪の目立つ頭に手を当てながら、僕の元へと小走りに駆け寄ってくる。
「仕事が忙しくってね。やっと帰ってこれたよ」
「十年間毎日働いてたわけじゃないだろぅに。二十八でそんなに働いて、早死にするよ」
「気をつけるよ」
「全く。・・・部屋は掃除しといたから、荷物持って行きなさい」
台所へと戻っていくその後姿。十年という年月がひしひしと伝わってくるようだった。
昔の自室へ荷物を置いて、僕はその場で仰向けに寝そべった。ポケットの中で違和感を感じて手を入れる。出てきたのは一通の手紙。僕が此処に戻ってきた本当の口実。
「・・・やぱり、変わってないのかな」
文体から相手の気持ちがわかるなんてよく言うけど、どうやら僕にはその才能はないらしい。此処へ来るまでに何十回と読み返してみたものの、手紙に並んだその分と文字から感じ取れるものなんて、なんにもなかった。
腕時計の針に目を移す。長い針が十を、短い針が十一を指しかけていた。僕は起き上がり、部屋を出た。
「車借りるよ」
台所で食事の支度を進める母に言う。
「あんら、どこいくの?」
「・・・ヤボ用だよ」
キーをもらったその手をポケットに突っ込んで、僕は足早に外へと出て行った。
いくらスピードを上げても、いくら距離を重ねようと、窓から見た流れる景色はまるでループしているかのように延々と同じ田園が続いているだけだ。十年も昔の記憶と同じ景色や道。ここで生まれ、今日までの半生を過ごしてきた場所のはずなのに、都会暮らしがすっかり定着してしまった僕はそのことが異常に思えてしまえてしまう。
車を運転するハンドルを道なりに動かす。目的地は“あの日の場所”。そこで、ユリエが待っている。
今まで走ってきた狭い一本道が開け、ちょっとした広場のような場所に出てきた。そう、ここが待ち合わせの場所だ。適当な場所に駐車して、僕は車を降りて辺りを見回した。人影はなし。時計に目をやってみると約束の時間まで僅かだが時間があった。どうやら先に着いてしまったらしい。胸のポケットから煙草を取り出して、火をつける。煙を吐き出した僕は苦笑してしまった。
“あの日”、彼女――ユリエは約束の時間ピッタリにここへ来た。僕とアイツが十分も前に来てしまったのも悪いとは思うが、彼女はゆっくりとした歩調で、ゆっくりと現れたのだ。待っていた僕らはユリエを急かしていたものだ。
そんな事を思い出していると、一本道の向こうに人影が見えた。ゆっくりとした歩調、僕はその人影がユリエだと、確信した。
「久しぶり」
ゆっくりとした歩調と同じ、ゆっくりで丁寧な口調で、僕の前に現れたユリエは言った。
十年ぶりに会う彼女は僕の想像から逸脱することなく、単に十年分の成長をしていた。肩まで伸ばした黒髪。華奢な身体。相変わらずの、のんびりとした性格。変わってないな。
「メール、読んでくれたんだ」
「ああ」
「なら返信してよねぇ。来てくれないんじゃないかって、思ってたんだよ」
「・・・それは、ごめん」
謝る僕に、彼女はいたずらっぽく微笑んだ。
「さぁ、日が暮れる前に見つけよ。タイムカプセル」
「・・・・うん」
十三年前。
幼少の頃から仲良しで、僕ら中学校までいつも一緒にだった。しかし、高校はバラバラの場所へと進学することが決まっていた。僕は寂しかった。・・・いや、不安だった。元々気の強くない方だった僕は、これから来るであろう未来に、すごく不安になっていたんだ。
卒業が間近に迫った頃、『三人の思い出作りをしようぜ』の一言で、僕らはタイムカプセルを作った。三人が自分以外の二人に向けて書き込んだメッセージをを入れて、この広場に埋めたのだ。
「・・・で、どこに埋めたんだっけ?」
ユリエが僕に『もちろん覚えてるよね?』という感じで聞いてきた。
「忘れちゃったよ」
「えぇ!?だって一番頭良かったじゃない!」
頭が良いのと記憶力は別だろ。
二人して頭の中の記憶を巻き戻し、あそこだっけ? いや此処じゃないか? なんて言い合いながらカプセルを探し始めた・・・。
「なぁ、お前好きな子とかいる?」
タイムカプセル片手にユリエが来るのを待っている時に、アイツが僕にそう聞いてきた。
「突然どうしたんだよ?」
「どうもしねぇよ!・・・ちょっと、聞いてみただけだ」
恥ずかしそうに言うアイツに、僕はなんて言葉を返したか覚えていない。ただ、あいつの好きな相手がユリエだろう事、そして僕の中で生まれた嫉妬心。その二つが僕の中に生まれたことを、十三年経った今でも鮮明に覚えている。
手当たり次第に地面を掘り続けるも、タイムカプセルはその姿を現さず、いつの間にか夕暮れの闇が辺りを包み始めていた。
「見つからないね」
ユリエが言う。夕暮れに照らされた髪が、僕の目には踊っているように見えていた。
「そうだね」
「トモ君だったら、覚えてたのかな?」
「なんだよそれ」
ユリエの言葉に、僕は過剰に反応してしまう。
「今此処にいるのは僕と君だけだ。アイツはいない。アイツは、トモヤは死んじまったんだ!関係ないだろ!」
そう、アイツは死んだ。僕がこの町から出ていってから三ヶ月後、交通事故であっけなく。知らせを聞いた僕は、町へ戻ろうとはしなかった。理由なんてなかった。“なんとなく”を言い続け、僕はこの十年間を東京で過ごしてきた。
「確かに、此処にいるのは私たち二人だけ。トモ君は死んじゃって此処にはいない」
僕と目を合わすことなく、ユリエが呟く。その視線はまっすぐと暮れてゆく夕日へと向けられていた。
「でもさ、消えちゃったわけじゃないよ。私たちがトモ君を覚えている。それだけで十分じゃないかな」
なんなんだよ。言ってること無茶苦茶だろ。『トモヤは僕たちと一緒にいる』みたいな事を言いやがって。全く、ワケがわからない。
「そう思うでしょ?」
同意を求めて、ユリエが笑顔で言ってくる。
「勝手に言ってろ・・・」
そっぽを向いて僕は投げやりに返事をした。たぶん、アイツのことを話すユリエを見たくなかったからだと思う。
「早く探そう」
再開を急かす僕の言葉は、夕日とともに夜の闇へと消えていった。
結局、僕らはタイムカプセルを掘り当てることが出来なかった。
原因として考えられるのは、当時の僕たちが目印となるものを何も置いておかなかったから。もうひとつは、『きっと、トモ君が“見つけるな!”って言ってるんだよ』だそうだ。
暗い道を僕らは並んで歩いている。間隔空いた外灯の光は、僕たちの道を光で満たしてくれることはなかった。
「残念だったね」
「ああ、そうだね」
棒読みの返答。なんだかとても疲れた。
結局のところ、僕が何で今更里帰りなんてしなのかわからない。ユリエから届いたメールを口実に、タイムカプセルを掘り起こしに来たはずなのに、そのタイムカプセルすら見つけられずに終わってしまった。収穫ゼロ。それが無性に腹立たしくて、僕はその矛先をユリエに向けた。
「なぁ、アイツお前のことが好きだったみたいだぜ」
ちょっと驚かしてやろう。そんな軽い気持ちだった。
「そう、みたいだね」
「え・・・!?」
「本人から言われてないけど、それは知ってる」
意外な言葉に僕は足を止め、外灯と外灯の間に出来る暗闇の中で棒立ちになっていた。彼女はそのまま進み、明かりの下で止まった。
「・・・どうして?」
ちゃんと届いているのかわからないほどの、自身のない声でたずねた。だって、それは僕とアイツ、二人だけの秘密のはず。ユリエがこの事を知っているはずがないのだ。
「さぁ、何ででしょう?」
ふざけた口調で、彼女は振り返る。
「知りたかったら明日、トモ君の家に行きなさい」
「へ? それって・・・」
「じゃあ、ここで。バイバイ!」
駆けてゆく彼女。僕は一人、暗闇の中に取り残されてしまった。そして、彼女の言葉の意味を理解して、声を上げて笑いだした。
「やられた」
どうして十年も戻ってこない親友を呼び出したのか?
どうして僕とアイツの秘密を彼女が知っているのか?
答えは簡単だ。タイムカプセルだ。
彼女は僕が来る前に、ひとりでタイムカプセルを掘り起こしていたんだ。そして、自分へ向けられたメッセージを読んだ。きっとそこにはユリエに対してのアイツの本音が書かれていたんだろう。だから、彼女は知っていたんだ。そしてもうひとつ・・・。
「まさか、僕のメッセージも読んだんじゃないだろうな!?」
僕は慌てて駆け出した。もちろんアイツの家に向かって。
それが、彼女がタイムカプセルを先に掘り起こしたもう一つの理由だと気づいたのは、僕がアイツに線香をあげた後だった。
最後まで読んでくださいまして、ありがとうございます。
短い文章でどれだけの事が伝わるのか、改めてその難しさを痛感しました(汗)
次回作も頑張りますので、ご意見・ご感想をよろしくお願いします。