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『ハルノキヲク』 ~生まれ変わったら一輪の花だった~  作者: たつを


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二話  モノクロの世界



ハルの意識は、月が昇るようにゆっくりと空へ引き込まれ、青く滲み、霞んでいく。


体を貫いた衝撃や、リリの顔、舞う花びら。

心の真ん中に残る記憶なのに、薄いベールが幾重にもかかり、遠い昔のことのように感じた。


何も聞こえない。何も見えない……。

このまま、何も無くなるのかな……。とハルは思った。


「静か」という言葉さえ当てはまらないほどの静寂が、ハルを包んでいた。


いつの間にか、辺りは一面真っ白で、何も見えない。

目を開けているのかさえ疑わしかった。


「来たか」


鏡のような水面に広がる波紋のように、低く落ち着いた声が、ハルの体に染み込んだ。


ハルはゆっくりと辺りを見渡した。


誰もいない……。


そう思った瞬間、広がっていた波はぴたりと止まり、ある一点へ向かって巻き戻されるように収束していく。


ハルの視線も波にさらわれ、一点を見つめていた。

その場所から、ぽっと光る雫が跳ね上がった。


ハルは眩しさを覚えたが、光から目を逸らせなかった。


光の中にある、薄い影を見ていた。


「……人?」


ハルが呟く。


影は光を飲み込み、その姿を表した。

人の型をしているが、輪郭はどこかおぼろげで、はっきりしない。だが、強く存在している。


ハルはすぐに「人ではない」と感じたが、驚く様子はない。


しばらくして、相手の方が口を開いた。


「……驚かないのか」


威厳があるようで、少しだけ芝居がかっている。


「普通はな、もっと取り乱す。

 ここはどこだ、とか。

 お前は誰だ、とかだ」


ハルは少し考えてから答えた。


「……あの時……空に吸い込まれる感じがあったので……」

「多分……死んだんだろうな……と思ってます」


相手は不機嫌そうな様子を隠そうともせず言った。


「理解が早すぎる。

 いや、違うな。反応が薄すぎる」


「……そうなんでしょうか……」


「そうだ」


即答だった。


「今まで、ここに来た人間はもっと騒がしかった。

 泣く者、怒る者、取り乱す者。様々あるが……」

「お前は静かすぎる。自分の死を感じながらな」


ハルは自分の胸に手を当てる。


「……自分でも、よく分からないんです」


「分からない?」


「いつからか、何も感じなくなってしまって」


その答えに、相手は眉をひそめた。


「それが気に入らん」


一歩、距離を詰める。


「なぜ感じない。

 なぜ、生への執着がここまで薄い」


「……分かりません」


「それが気に入らないのだと言っている」


苛立ちを隠そうともしない。


「お前に、好意を向けていた娘がいただろう」


「……好意?」


ハルはとぼけている訳ではない。

本当に心当たりがなかった。


「あの騒がしい娘だ!」


「……リリ……ですか?」


「そうだ」


相手は腕を組む。


「美人で、明るくて、優しい。

 普通の男なら、意識しない方がおかしい」


「……?」


ハルは素直に首を傾げた。


その反応に、相手は顔をしかめた。


「普通あるだろ!

 いつも一緒にいたいとか、手を繋ぎたいとか!

 そこから先もいろいろ……」


相手は言葉を止め、ゴホンと咳払いをした。


「とにかく、若い男は異性を気にするものだ」


ハルは、相手の言っている意味のほとんどが理解できなかった。


相手は続ける。


「大体あの娘も、こんな男のどこが良いんだ!」


ハルの顔を睨みながら話す。


「まあ……顔立ちは悪くない。

 むしろ整っている方ではある……」

「だが、それを帳消しにするほど、感情を出さない!」


「……すみません」


「謝られても困るが……」


深いため息。


「理解できん。大体お前のような…………」


「……すみません……」


ハルは反射的に謝りながら、考えていた。


リリが……好意……?

僕に……?


頭の中で、ぐるぐると言葉が回っている。


好意……。

好き。


それは、どういう感覚だっただろう。


花畑で、首飾りを渡した時。

少し潤んだ、あの瞳……。

……あの時、確かに胸の奥が……。


「……あれは」


呟きかけたところで、声が飛ぶ。


「おい」


「……はい」


「話を聞いているのか」


「……すみません。考え事を……」


「勝手に考えるな」


相手は苛立ったように言った。


「もういい。

 お前がなぜそうなったのか、直接見た方が早い」


「……見る?」


「過去だ!」


その瞬間、白い世界が揺らいだ。


風の匂いと、土の感触。

大きな背中の日焼けした農夫。

傍らにいる、幼い子供……。


ハルは空から、幼い自分を見下ろしていた。


五歳の頃。

街の外れ。

広々と広がる畑。

父がいた。背が高いので、すぐに見つけることができる。


ハルはよく畑に行き、父の背中を見ていた。


畑仕事を終えた父に、肩車をしてもらう。

街中を通り、母の待つ家に帰る。


街の人々から、父はよく声をかけられた。

よく笑い、頼み事は断れない。

街の人気者。

自慢の父だった。


「ただいま!」


二人は声を揃えて言う。


「おかえり」


優しそうな女性の声が奥から響く。

同時に、お腹の空く匂いが漂ってきた。


急いで部屋へ入ると、テーブルの上に夕食が並んでいた。

豪華ではないが、父の作った野菜をたくさん使った料理だ。

どれもハルの好物だった。


笑い声がたっぷりとふりかかった夕食を、皆で平らげた。


食後、ハルは母の片付けを手伝い、それが終わると父の肩を力強く叩いた。

父の肩は大きく盛り上がり硬い。叩く手の方が痛かったが、ハルは一生懸命叩いた。


褒められたくてやっているんじゃない。

大好きな父と母のために、何かしてあげたかった。

ハルは心の優しい少年だった。


いつもなら灯りを消し、眠りにつく頃。


「ハル! 話があるんだ」


父が唐突に話し始めた。

三人でテーブルを囲むように座ると、父はハルの目を真っ直ぐ見つめて話し出した。


「ハル、父さんな、明日から王都に行かなければならないんだ」


「おうと?」


「そうだ……王様のいる所だ」


「王様に会いに行くの?」


「そうだ。王様が父さんに力を貸してほしいってな」


「王様が? 父さんは王様と友達なの?」


父は、ハハハッと笑い答えた。


「まあ、それでいい。

 だから、しばらくハルと母さんとは会えなくなるんだ……」


ハルは悲しい表情で俯く。


父は先日の出来事を思い出していた。


ハルたちの街に、王都からの使者が突然現れた。

街の長に「男たちを至急集めろ」と言った。


二時間後、広場に街の男が集められていた。

ハルの父の姿もある。


使者は男たちを一通り見渡すと、高らかに語り出した。


「我が国は、隣国と緊張状態にある!」


ピンと空気が張り詰めた。


どうやら、近々大きな戦が行われるらしく、各地で兵を募っているらしい。


「戦って言われてもな……」


誰かが呟く。


使者の口上は続く。


この小さな街からは、五人の男を五年間。

募ると言ったが、明らかに要求だった。


「出発は三日後! 私と行く者は、用意を済ましておくように!」


使者は口上を言い終えると、広場を後にした。


「どうする……?」

「俺は無理だよ……兵士なんて……」


使者の姿が無くなると、それぞれ思いを口にする。そんな中――。


「俺が行くよ!」


手を上げながら、ハルの父が言った。


「お前! 本気か? お前の所にも小さな子供が……」


「誰かが行かなきゃならないんだろ?

 じゃあ、俺が行くよ。

 あと四人は皆で話し合って決めてくれ!」


そう言いながらも、父はハルの顔を思い出した。


「ま、報償金もたっぷり出るって話だし、

 五年ほど王都見物でもしてくるさ。

 帰って来たらデカい家でも建てるか!」


そう言いながら、ハルの父は広場を出て行った。


街の皆は、ハルの父の言葉をそのまま受け取らなかった。

誰かの犠牲の影に隠れて、いつも通りの生活をする――そんなことができない男だと、皆知っていた。


「しばらくって、どれくらい……?」


ハルは口を開いた。

父に届く前に消えてしまいそうな声だった。


「そうだな……ハルの頭が父さんの胸くらいの高さになった頃には、帰ってくるかな?」


ハルには、どれくらい時間が経てば父が帰るのか分からなかったが――。


「じゃあ、早く背が伸びたら早く帰ってくるね!」


さっきより元気な声で言った。


父は微笑んで、


「そうだな」


と言い、ハルの頭をくしゃくしゃと撫でた。


「母さん、明日からご飯の量増やして!」


ハルは母を見て言う。


母は指で目を拭いながら、


「じゃあ、明日からたくさん作るからね!」


と明るい声で言った。


「頼んだぞ……」


父は母に言った。


母は黙って頷いた……。


ハルが眠りについた後、父は身支度を始めた。


引き出しの中から短剣を取り出す。

ハルが生まれた頃、用心のために購入したが出番はなく、引き出しの中に眠っていた。

鞘から引き抜き、錆びなどないか確認してからテーブルに置く。


そのほか、妻が用意してくれた傷薬や包帯、数枚の銀貨などが並べられていた。

父はそれらを、大きめの革袋に丁寧に詰めていく。


この革袋は、ハルが作った物だった……。

厳密に言うと「手伝った」と表現するべきだろうが、少なくともハルと父はそう思っていた。


父は畑仕事がない時、革細工を家でしていた。

少しでも家計の足しにと始めたことだったが、手先も器用な彼の革製品はよく売れた。


ハルは、父が革細工をするのを見るのも好きだった。

時に、ままごとのように真似をしていた。


父はそんなハルを見て、一枚の大きな革をハルの目の前に広げた。


「ハルも作るか?」


にこりと微笑みながら言う。


ハルは大きく頷いた。


「こうして……」


父はハルと横並びに座り、革の端にいくつかの穴を開けてみせた。


穴を開け終わると――。


「ハル、そっちの端を持って。そう! それをこっちに……」


二人で四隅を持ち上げるようにして、中心で合わせた。


「ハル、この紐をこうしてな……」


さっき開けた穴に、裏、表を交互に通してみせた。


「やってみろ!」


父にそう言われると、見よう見まねで同じように通す。

最後の穴まで通すと――。


「できた!」

「できた!」


二人は同時に叫んだ。


通し終えた紐の両端を引っ張ると、袋はしっかり口を閉じた。

紐が長いので余った部分を腰ひもにくくりつけると、腰から下げることもできる。


「上手にできたな!」


父はハルの頭を撫でる。


「うん!」


ハルは嬉しそうに返事をした。


「父さん! これ使って!」


ハルは父に革袋を差し出した。


「お! ハルが作った革袋、父さんがもらっていいのか?」


「うん! 父さんに使ってほしい!」


ハルは、心からそう思っていた。


すべての物を革袋に詰め終えた父は、思い出と一緒に革袋の口をきつく閉じた。


「五年か……」


小さく呟いた。


空の上……。

ハルは、不思議な感覚に包まれる。


自分の記憶だと理解はできたが、初めて見たような感覚だった。

そういえば、小さな頃を思い返したことがない。

というより、思い出せなかった、が正しい。


何度か、自分の幼い日を思い出そうと記憶の引き出しに手をかけたことがあった。

しかし、引っ張ってもカタカタと音を立てるだけで、中にある記憶を覗くことはできなかった。

固く、鍵がかかっているようだった。


「なるほどな……」


と呟きながら、存在は指をパチンと鳴らす。


二人が見ていた世界が揺らぐ。


煙と怒号。倒れた兵士。折れた矢。


……戦場?


ハルはそう思った。同時に――。


……僕の記憶じゃない……。


そう確信していた。


「早く行け! 走れ!」


大きな声がした。

聞き覚えのある声。

自然にハルの視線が声の方へ移る。


父だった。


「俺が敵を食い止める! 早く逃げろ!」


若い兵士に怒鳴っている。


「でも……」


若い兵士は震えながら言う。


「いいから! 早く!」


再び怒鳴る。


「僕だけ逃げるのは……」


ガタガタと震えながら、若い兵士が言った。


ハルの父は小さく舌打ちをしてから、若い兵士に革袋を投げた。


「それを持って走れ!

 この戦いが終わったら、南の街に住む家族にそれを届けてくれ!

 妻と息子がいる! 息子の名前はハルだ! 息子にそれを渡してくれ!」


ハルの父は敵兵と剣を交えながら叫ぶ。


「早く!

 いいか! お前は逃げるんじゃない!

 俺の家族にそれを渡すために行くんだ! 走れ!」


若い兵士は、よろよろと三歩ほど後ずさりした後、背を向けて駆け出した。


ハルの父は小さく、ふっと笑い、目の前の敵を蹴り倒す。

ふぅっと息をしながら周りを見渡す。


囲まれている。

じりじりと、その輪が縮まる……。


「かかれ!」


戦場に声が響いた……。


パチン、と音がして、白い世界が戻っていた。


「ふむ……」


存在は少し思案するように声を発しながら、ハルを見た。


ハルは、身動きをしない。


存在は指を再び鳴らす。


白い世界が揺らぐ。


「リリ! また明日!」

「うん! ハルも気を付けて帰ってね!」


ハルとリリは、いつもの別れの挨拶をして、お互いの家へ駆け出した。

いつも、景色が赤く染まるまで一緒に遊んでいる。


ハルの父が兵役について、四年半ほど経っていた。

ハルの背丈は父の胸には届いてなかったが、随分伸びていた。


「ただいま!」


ハルは家の扉を勢いよく開けた。

が、その瞬間、どうしようもない違和感に包まれる。


優しい母の「おかえり」の声も、夕食の匂いもしない。

灯りを点けていないのか、薄暗い。


一瞬、家を間違えたかと思うが、柱の傷が我が家だと教えてくれた。


部屋にそっと歩を進める。

夕陽が微かに射し込む部屋に、母が座っている。

テーブルの上には、見覚えのある革袋と短剣……。


父の物だと、すぐに分かった。


「父さん、帰ってきたの?」


ハルは違和感を吹き飛ばすように、元気に叫んだ。


一瞬、部屋が明るくなったように感じたが、すぐに薄く闇が降りてきた。


母は、ハルから視線を外し、テーブルに目を落としたまま言った。


「父さんね、まだ帰ってくるのに時間がかかるみたいなの」

「父さんのお友だちがね、教えに来てくれたの」

「父さんが、ハルにこれを渡してって……」


そう話しながら、立ち上がり部屋に灯りをともした。


ハルは少しがっかりした様子だったが、すぐに興味は短剣に移った。


たまに父が手入れをしているのを見たことがある。

危ないからと触らせてもらえなかったが、ハルには憧れの品だった。


少し傷が付いているが、よく手入れされている。


かっこいいなと思いながら短剣を鑑賞し終えたハルは、革袋に目をやった。


これは父さんが持っていてほしかったな。


ハルは少し寂しい目をした。


ハルが父の死を知ったのは、半年後だった。

ハルの背丈は、父の胸くらいまで伸びていた……。


それからさらに四年の月日が流れた。


ハルの家は明るさを取り戻していた。

声は二つに減っていたが、笑い声は倍ほどに増えていた。


そこに、もう一つの明るい声が飛び込んで来る。


「ハル! おばさん! こんにちは!」


慣れた足取りでリリが部屋に入ってきた。


リリはそのまま奥に進むと、ハルのベッドに腰をかけた。


「いらっしゃい」


ハルの母はそう言うと、台所に向かいお茶を入れた。


「どうぞ」


母は笑顔で、お茶と焼き菓子をベッドの横の小さな台に乗せた。


「ありがとう。いただきます!」


リリは元気にお礼を言った。


リリは焼き菓子を頬張りながら、ハルと優しいおばさんを見ていた。


二人は談笑しながら、テーブルの上で手を動かす。

ハルは革細工。

ハルの母は銀細工。


笑い合いながらも、二人の手は森の小動物のように動いていた。


リリはここ数年、毎日のようにハルの家に来ては二人を眺めた。


「母さんの手伝いをしたいから……」


何年か前に、ハルがそう呟いてから、二人は遊ぶことがほとんどなくなった。


いつもハルと遊んでいたリリは、暇を持て余すようになる。

ならば――と思い、この場所に通うようになった。


美味しいおやつにありつけ、二人を眺め、時折談笑する。

この時間が、リリは好きだった。

しかし、心に抜けない小さな棘があるような違和感も、同時に持っていた。


「リリちゃん。これ、どうかな?」


ハルの母は、リリに出来上がった首飾りを見せた。


「素敵! すごくかわいい!」


リリは、思ったことを口にした。


ハルの母は優しく微笑んだ。


リリは、銀細工職人の品を鑑定するのが役目だった。

報酬は、手作りの美味しいお菓子。

悪くない契約だ。


「リリちゃんがそう言うなら大丈夫ね」


母はそう言うと、丁寧に銀細工を布に包んだ。


リリは、ハルの母の首もとを見ながら言う。


「おばさんの首飾りもとても素敵。

 前は着けてなかったけど……私がこの家に来はじめた頃から着け始めたよね?

 それもおばさんが作ったの?」


「これはね……」

「ハルが生まれる前に、あの人がくれたの」


と言いながら、指先で首飾りに優しく触れる。


中心に青く光る石。

花びらのように周囲を細い銀細工が囲んでいる。

それを華奢な銀の鎖が支えている。


リリは「聞いてはいけないことを聞いたかな」と、少し背中がひやりとした。


「お父さん、プレゼントする時に、顔が真っ赤ですごく汗をかいてたんでしょ?」


横から元気な声が割り込む。


「そう!」


とハルの母が吹き出しながら答えると、二人はアハハと声を揃えて笑った。


リリはつられて一緒に笑ったが、心の棘が邪魔して素直に笑えない。


この家には、いつも笑い声がある……。


仲の良い、母と子。

しかしリリには、細い木が倒れないよう、寄り添って立っているように見えていた。

リリは、この家に起こった悲劇を知っていた。


数日後、街の雑貨屋にハルの姿があった。

ハルと母が作った品物を買い取ってくれる、馴染みの店だ。


「珍しいな! 一人で来たのか!」


雑貨屋の主人は、大きな声で言った。


「うん。母さんが具合悪いみたいだから、代わりに僕が来た!」


ハルは元気に答え、店主の前の机の上に、ばらばらと商品を並べた。


「今日も随分たくさんあるな!」


店主は目を丸くしながら、商品を次々手に取る。


一通り見終えると――。


「ハル、お前も腕を上げたな」


にやりと笑いながら、小さな革製の財布をつまみ上げた。


店主は机の下をゴソゴソと漁り、数枚の硬貨をハルの手のひらに落とした。


「今日の代金だ! 帰って母さんに確認してもらえ!」


店主はハルを諭すように、落ち着いた声で言った。


ハルは大きく頷きながら、


「うん!」


と元気に返事をし、店の出口に向かった。


「母さんにな! 『あまり無理するなよ!』と伝えてくれ」


店主は、そう言いながらハルの背中を見送った。


お使いを終えたハルは、石畳の道を小走りで駆けた。


その日の朝、母はいつもより元気がなかった。


何度か母と雑貨屋に納品に来ていたので、要領は分かる。

ハルは「大丈夫だから……」と何度も呟く母の代役を、半ば強引に買って出た。


「無理をするな……か……」


ハルは呟く。


「帰ったら、今日は僕が家のことをしよう!」


そう言うと、ハルはさらに速く駆けた。


数年前のあの日から、母はハルの面倒を見ながら、毎日毎日、たくさんの銀細工を作っていた。


生活が苦しいわけではない。

むしろ、お金の心配はなかった。


革袋が届いた三日後、王都からの使者がハルの母を訪ねてきた。


「これを……」


使者は、ハルの母の前に、艶のある紫の袋を差し出した。


母は丁寧に受け取ると、見た目よりずっしりとした重さを感じた。

口を少し開け、中を覗くと金色の硬貨が重なり合って入っていた。

親子二人が、数十年食べていけるほどの額だった。


「国王からの弔慰金です。

 勇敢に戦い、仲間を救った名もなき勇者の家族へ――と」

「あなた達の事は、それを届けた男が申しておりました。」

使者は棚の上の短剣に、少し目をやり直ぐに戻した。


母は消え入りそうな声で「ありがとうございます」と礼を言いながら、頭を下げた。


「では……これで……」


使者が去って行く間も、頭を下げ続けた。


母の足元に、ぽたぽたと涙が落ちた。


悔しかった……。

帰って来てほしかった……。

あの人の命は、こんなにも軽かったのか……。


そう思うと涙が止まらなかった。


母は、そのお金にはほとんど手をつけず、今日まで暮らして来た。

このお金は未来のハルのために――そう思っていた。


 

ハルは家のドアを開ける前に深く深呼吸をした。

息を整える目的がほとんどだったが、なぜかすぐにドアを開けられなかった。


「ただいま!」


元気にドアを開ける。


「雑貨屋のおじさんが褒めてくれた! あと、母さんに――」


と言いながら部屋に入ると、床に母が倒れている。


母は、白い人形のように生気がなかった。


母の近くまで歩み寄ったハルは、壊れた時計のように、ぴたりと動きを止めた……。


部屋の中に、壊れた時計が二つ……。


時が凍りついた……。


「お邪魔します!」


元気な声と共に、リリが部屋に駆け込んで来た。


リリの時間も一瞬凍りついた。

が、すぐに早回しのように、ハルの母へ駆け寄った。


「おばさん! おばさん! しっかりして!」


悲痛な叫びを上げた。


ハルに叫びは届いていたが、溶けるように消えていった。

目の前の景色はゆっくりと色をなくし、体の温もりはほどけ落ちた。

ハルを、モノクロの静寂が包んだ。


ハルは依然として動かない。動けない。

瞬き一つするだけで、自分が砕け散る感覚に襲われ、ただ耐えていた。


「ハル! おばさんが! 早くお医者様!」


リリはハルの方を見て叫んだ。


ハルは小さく早い呼吸をしながら、目を見開き、青ざめた顔で立ち尽くしている。


リリはハルの様子を見ると、唇をぐっと閉じ、俯いた。


再び顔を上げたリリは言った。


「お医者様を呼んで来るから、ハルはおばさんをお願い!」


そう言うと立ち上がり、部屋から飛び出した。


リリがドアを強く閉めたせいか、棚の上の小さな花瓶が倒れた。

床に落ちた花瓶は、儚い音を立てて割れた。


ハルの中の何かも、小さな音を立てて砕けた……。


胸にチクリとした感覚……。

ひび割れた、過去の記憶……。

同時に、ハルは白い世界に帰っていた。

 

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