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世界が呼吸する場所で、君と出会った  作者: 優耀
はじまり

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7/17

一人じゃなかった

 朝の村は、穏やかだった。


 井戸の水を汲む音が、一定の間隔で響く。

 鶏の鳴き声が、昨日より少し近くに感じられた。

 空気は軽く、息を吸っても胸がつかえない。


「よく眠れたわ」


 母がそう言って、鍋に火を入れる。

 その声に、無理はなかった。


 ミアは、返事をしなかった。


 卓の前に座ってはいる。

 けれど、椀に手を伸ばす気配がない。

 湯気の向こうで、視線が揺れている。


 呼吸が浅い。

 昨日の夜よりはましだが、深くはない。


「……食べないの?」


 母が、いつもより少しだけ静かな声で尋ねる。


「あとで」


 ミアは短く答え、視線を落とした。


 リュカは、そのやり取りを黙って見ていた。

 村は、確かに楽になっている。

 それを否定する理由はない。


 でも――。


 ミアだけが、同じ場所に立っていない。


 母は何も言わず、椀に湯を注いでミアの前に置いた。

 触れるように、そっと。


 ミアは椀を持ち上げ、少しだけ口をつける。

 それだけで、肩が上下した。


「無理は、してない?」


 問いは、穏やかだった。

 責める響きは、どこにもない。


 ミアは一瞬、言葉に詰まった。


「……してない、と思う」


「“と思う”のね」


 母は、それ以上踏み込まなかった。

 追及するでも、否定するでもない。


 ただ、鍋をかき混ぜながら言う。


「役に立たなくていいのよ」


 ミアが、顔を上げる。


「え?」


「ここにいる間は、ね」


 母は、火加減を弱める。


「誰かのために息を詰める顔をしてる。

 昔、鏡で見たことがあるわ」


「……誰を?」


「私」


 その答えは、淡々としていた。

 過去を誇るでも、悔いるでもない。


「村ってね」


 母は、鍋から目を離さずに続ける。


「放っておくと、誰かに甘えるの」


 匙を置き、布で手を拭く。


「一番気づく人に。

 一番、何も言わない人に」


 その言葉が、静かに胸に落ちる。


 リュカは、無意識に拳を握っていた。


 ミアは、しばらく黙っていた。

 湯気が消え、椀の中身が少し冷める。


「……前にね」


 やがて、ミアが口を開く。


「一緒に、見てた人がいた」


 声は低く、震えてはいない。


 リュカは、息を止める。


「その人は……」


「やめた」


 ミアは、はっきりと言った。


「逃げたわけじゃない。

 壊れる前に、離れただけ」


 母は、何も言わない。

 ただ、聞いている。


「その人、正しかったと思う?」


 リュカが尋ねる。


 ミアは、すぐには答えなかった。

 しばらく考え、ゆっくりと頷く。


「……今は、そう思う」


 外から、子どもの笑い声が聞こえた。

 朝の村は、変わらない。


 母が、ゆっくりと口を開く。


「村はね、私たちが持つわ」


 二人が、同時に顔を上げる。


「軽くなったなら、それでいい。

 また重くなったら、そのとき考える」


 母は、ミアをまっすぐ見る。


「でも、この子は……

 ここで削れる必要はない」


 ミアの目が、揺れた。


「一人で行かなくていい」


 声は、強くも弱くもない。


「一人で残らなくてもいい」


 その瞬間、リュカは理解した。


 止めることじゃない。

 正解を選ぶことでもない。


 ――一緒に行くことだ。


「……俺も」


 思ったより、声が出た。


「俺も、行く」


 ミアが、驚いたようにこちらを見る。


「村は?」


「村は……残る」


 母が、小さく頷いた。


「行ってきなさい」


 それは、背中を押す言葉だった。

 縛らない、選択の言葉。


 ミアは、深く息を吸った。

 昨日より、ほんの少しだけ楽そうだった。


「……一人じゃ、なかった」


 その言葉に、誰も返事をしなかった。


 返す必要が、なかった。


 村は、今日も息をしている。

 穏やかに。


 そして二人の時間は――

 静かに、外へ向かって動き始めていた。

面白い、続きが気になると思って頂けましたら、

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