名前を呼ばれる場所
翌朝、ミアは少し遅く起きた。
空がすっかり明るくなってから、ようやく気配に気づいたように身を起こす。
リュカが戸口で声をかけた。
「起きてるか?」
「……起きてる」
声はまだ眠そうだった。
朝の空気は、昨日より軽い。
完全に戻ったわけではないが、胸の奥まで息が入る。
リュカはそれを確かめるように、深く息を吸った。
「今日は、どうだ?」
「……昨日よりは、まし」
「それならいい」
それ以上は聞かなかった。
聞けば、また無理をさせる気がしたからだ。
朝食のあと、ミアは庭先に出て、干しかけの薬草を眺めていた。
指先で一束を持ち上げ、そっと戻す。
「それ、好きなの?」
リュカが声をかけると、ミアは首を振った。
「好きじゃない。でも……落ち着く」
「変なの」
「うん」
否定はしなかった。
しばらく沈黙が続いたあと、ミアがぽつりと口を開いた。
「……私ね」
リュカは何も言わず、続きを待った。
「前は、もう少し……人が、いなかった」
「村?」
「ううん。世界」
ミアは空を見上げた。
「今より、静かだった。流れも、単純で……詰まっても、すぐ分かった」
胸に手を当てる。
「だから、直せた」
昨日の言葉が、少し形を持つ。
「でも今は……全部が重なってる。人も、道も、火も、水も」
指先が、無意識に握られる。
「世界が……私を通して、息をしようとする」
リュカは、ぞっとした。
それは力の話ではない。
役割の話だった。
「嫌じゃないのか」
「嫌」
即答だった。
考える時間すら、必要ないという顔で。
「でも……私が、やっちゃう」
言い終えてから、ミアは少しだけ目を伏せた。
「できてるから。まだ……息ができてるから」
そのとき、庭先に小さな影が落ちた。
「おねえちゃん!」
子どもの声だった。
ミアが驚いて顔を上げる。
「きのうのひとだ!」
屈託のない声で、名前が呼ばれる。
「ミア!」
名前を呼ばれる。
それだけで、世界が一瞬、遠のいた。
役割でも、感覚でもない。
ただの名前。
ミアはしゃがみ込み、子どもと目線を合わせた。
「……おはよう」
その声は、昨日より少しだけ軽かった。
少し離れたところで、その様子を見ながら、リュカは思う。
世界が彼女を使っているのかもしれない。
けれど、ここでは。
ミアは、ただのミアだ。
昼の風が庭を抜け、薬草を揺らす。
土の匂いが、静かに立ち上る。
村は、今日も息をしている。
少し不器用でも、確かに。
その日のうちに、世界はまた動き出す。
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