逃走
最初に変わったのは、音だった。
足音が、返ってくる。
岩に、土に、何かに跳ね返って、少し遅れて戻る。
リュカは、無意識に歩幅を落とした。
「……ここ、響くな」
「うん」
ミアの返事は短い。
声を出すこと自体が、少し重い。
地面は硬く、草はまばらだ。
岩が露出し、割れた石が道の脇に転がっている。人が通っていた形跡はあるが、長くは使われていない。
空気が、厚い。
吸える。
でも、肺の奥まで届かない。
ミアは、歩きながら眉を寄せた。
「……詰まってる」
村で聞いた言葉と同じだった。
「村のときと、同じか?」
「似てるけど……違う。
ここは、溜めたまま、放ってある」
道の先に、黒い穴のような影が見えた。
崩れた石壁の向こう。かつてのダンジョン跡だ。
リュカは、立ち止まる。
「入る?」
「……まだ」
ミアは、首を振った。
「ここ、触ると……
楽になる。でも」
「でも?」
「動く」
何が、とは言わなかった。
でも、リュカは理解した。
静かに溜まっていたものが、刺激で目を覚ます。
それは、村の“詰まり”とは違う。
世界の、深さだ。
足元で、小石が転がった。
リュカは即座に振り向く。
闇の中で、何かが動いた気配。
魔物だ。
姿は見えない。
だが、存在感だけが、じわじわと迫ってくる。
「来る」
ミアの声が低くなる。
リュカは、剣ではなく、道具袋に手を伸ばす。
縄、石、火打石。
倒す必要はない。
ここは、そういう場所じゃない。
「……走れるか」
「うん。
今なら」
言葉を交わした、その瞬間。
闇が、動いた。
影が、壁を伝うように滑り出る。
数はひとつ。大きくはないが、速い。
リュカは、地面に石を投げる。
音を散らす。方向を誤魔化す。
ミアが、息を整え、手を伸ばす。
強くは触らない。
通すだけ。
空気が、一瞬だけ、抜けた。
「今!」
二人は、同時に走り出した。
足音が重なる。
呼吸が乱れる。
背後で、魔物が方向を誤り、岩にぶつかる音がした。
しばらく走って、ようやく足を止める。
二人とも、膝に手をついて息をつく。
「……詰まってたな」
リュカが言う。
「うん。
だから、出た」
ミアは、苦しそうにしながらも、少し笑った。
「ここは……
まだ、行く場所じゃない」
「じゃあ、いつか?」
「……分からない」
でも、否定はしなかった。
二人は、来た道とは違う方向へ歩き出す。
息はまだ整っていないが、足は動く。
背後の空気は、重いままだ。
でも、それでいい。
息が詰まる場所は、
進む理由にはならなかった。
――今は、まだ。
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