↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ぼんじゃーのネタ帳  作者: ボンジャー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/48

文化棍棒殴打時変「赤くなっとるやん」

 未来の超大国予定と未来から来た謎国家の工作により、傀儡国家の建国を米大統領が事後承諾してしまったと言う事実。これは中華の世論を沸騰させ国民党に絶望的な抗戦を決意させるに充分な物であった。


 国際社会は動かない。東には手出し出来ない橋頭保になる可能性がある列島国家。南には絶対にお前を手放さいぞと現地民をシバキ回す帝国主義者がいる。この状況で中華民国が国民党がソ連のそして中国共産党の差し出す手を掴んだのは仕方がない事であろう。


 それは満州に打ち立てた傀儡国家に急速に経済進出を始めた米国の心象を悪化させ続ける悪循環の始まりでもあった。そしてもう一国、中華に手を差し伸べた国家が存在し、その存在は米のみならず、英仏の神経すら逆なでしていた。


 ドイツである。但しナチが勝った史実のドイツではない。勝ったのはゾチの方だったからだ。ゾチつまりドイツ共産党である。総統と言うカリスマにして稀代の詐欺師をお笑い芸人にされたナチスは敗北したのだ。因みに宣伝相(になる筈だった博士)はちゃっかり日本に招聘され大学講師傍ら、どっかの芸術家兼芸人のプロデューサーになったらしい。


 かくてドイツ第三帝国は産まれる事は無くなり、ヒンデンブルグ大統領亡き後のドイツ政界は赤く染まった。これが単なる歴史のifであれば共産性の違いからドイツ人らしい唯我独尊を発揮し、我こそ共産主義の総本山にして発祥の地とソ連と敵対したかもしれないが、日本国と言う異物のいる子の世界ではそうはならなかった。


 未来を知った日本来訪組からの情報により、ナチだろうとゾチだろうと、一歩でも領土を侵害したらブチコロス気満々のフランスが隣にいるこの世界では、ドイツはソ連と大人しく手を結んだのだ。この結果にチャーチル卿はカサンドラ扱いされたらしいが、それはまた別の話である。


 さて、ソ連と組んだドイツはその路線を共産主義経済圏の構築と欧州赤化に向けて邁進し始める。そしてその為の国内経済復興の一環として、戦前より続いていた中国との商取引を積極的に推し進めたのである。主要商品は国民党が喉から手が出る程欲しがっている重火器や航空機だ。


 これが米英の神経には触る問題であった。なら禁輸するなり航路封鎖してやれと思うだろうが、「まだ何もしていない」国家に一方的に難癖付けてその様に軽率な行為が出来ないのが、国際情勢と民主主義国家と言う物なのだ。どっかのチート国家が前の世界で行った様に「人の頭の上にテポドン飛ばすのは実質宣戦布告と同義…死のペナルティね!」等と言う行為は回り回って自分の首を絞める事になる。


 兎も角、こうして中華民国は生き残りを掛けて米国の襲来に備える事になった訳であるが、それは同時に中国共産党の仲介を必要とする行為であり、赤い浸透を許す事になって行く。彼らは自分の身を守る為に備える積りで実質は米国との衝突を画策する共産党に餌を投げ与えていた。故に悪循環なのだ。




 これが閾値を超えたのは1937年8月の上海であった。ドイツ赤化に伴い、国防軍改めドイツ赤軍から追い出された将兵。特にユンカー系列の将官佐官たちを武器団弾薬と共に顧問団として送り付けられた国民党指導部はメキメキと自信を付ける下の暴発を抑える事が出来なかったのだ。


 暴発の発端は些細な事。メイドインジャパンを巡る争いである。この時代、朝鮮自治政府(半島の政治は、結局自治に落ち着いた。人は自尊心よりも豪奢な生活を取るのだ)は日本の方針による段階的な発展のモデルとして、1960年代程度の生活水準に達して折り、この生活を維持する為、民生用薬品・軽工業品等、比較的安価な製品がコンスタンスに本土から輸出されていた。これを目敏いユダヤ系アメリカ人が大陸に横流しする事を思いついてしまった。


 メイドインジャパンは例え小物であっても莫大な富を齎す。ボールペン一本、痛み止めひと箱と言えど100年の技術格差は途方もない物だからだ。考えて欲しい。オジサンの諸君はロキソニン湿布の無い生活に耐えられるだろうか?胃薬は?袋麺は?焦げ付かないフライパンは?部屋干し液体洗剤は?


 駄目だろう?絶対に嫌だろう?丁寧な生活は時間と金のある奴の戯言なのだ。1937年の中華に生きる者なら猶更だ。総合ビタミン剤が1930年代の医者の手にあればどれだけの命が救えると思う?


 これを一手に取り扱えるなら一人二人死んでも良いと考える人間は多く、だからこそ1937年7月24日、取引を巡ってユダヤ系米国人商人が拉致され、通報を受けて出動した米租界警備部隊が犯行グループと銃撃戦に発展、同時に出動してきた中国保安隊と偶発的に衝突してしまったのだ。


 これを察知した保安隊内部に浸透していた中国共産党工作員はこの衝突を好機として動いた。1937年8月8日、上海市長の調停も空しく、互いに土嚢を積んでの睨み合っていた両者は、一発の銃弾が偶然に隙間から顔を出した一人の米警備隊員に命中した事から全面衝突に発展する。


 そして事態は拡大の一途を辿る。上海からの米国軍上陸を警戒する為配置されていた精鋭第36師が無断で上海市内に突入、これに対応して、停泊していた米艦船より海兵隊が市内に展開した事により、収拾は不可能となった。


 この報告は受けた蒋介石は最早これまでと、早期の上海制圧を具申するドイツ顧問団の意見を入れ、合わせて満州からの南下を警戒する為、北京周辺への大規模な派兵を決定する。驚いたのは米国政府である。よもや力量差を弁えず自分から仕掛けて来るとは思はなかったのだ。


 ワシントンは居留民保護の為、満州派遣軍に出動を要請。報告を受け一人ニンマリとしていたマ中将は落ち着き払って上海への救援部隊編成と「満中国境線」への兵力増強を指示した。後年、「米中戦争」と呼ばれる戦争の始まりの時が来たのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
なんというか、嫉妬マスクとヤンデレが全力で殴り合っているように 観えます。もっとやれ。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。