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にゃーちゃん

作者: 北見 あき

「にゃーちゃん!にゃーちゃーん」

僕はふすまを開けて、にゃーちゃんを呼んだ。ご飯の時間なのだ。

「にゃーちゃん?」キャットタワーの上を見る。トイレの中を覗く。猫ハウスの中を見る。押し入れに顔を突っ込んで左右を見渡す。どこにもいない。


「…あれ?」窓には鍵が掛かっている。外に逃げた形跡はない。どこかにはいるはずなのだ。

「にゃぁー」(ここだよ!)とでも言わんばかりの鳴き声が聞こえてきたのは、洋服ダンスの中からだった。


「見つけた~」僕は少し開いた洋服ダンスを全開にして、にゃーちゃんを抱っこした。

「にゃぁ~」

にゃーちゃんは、僕を見つめて、また鳴いた。「降ろして」とばかりに体をよじらせ、ご飯を入れたばかりの器に向かう。長い尻尾は、「ピン」と立っている。嬉しそうである。


僕は平屋で一人暮らしをしている。友達も彼女もいない。休日は昼前に起きて、ずっとスマホを触る。そしてたまに台所で煙草を吸う。夕方になると車に乗って近くの牛丼屋で手軽に済ませる。帰ってきてSNSや動画を見て過ごす。


ある日、僕はSNSで「保護猫活動」をしている団体が存在していることを知った。その日から動画で「保護猫」と検索し、休みの日は暇さえあれば猫の動画を見るようになっていた。「…可愛いなぁ」「猫を飼おうか」と思い始めたのだ、


僕はネットの掲示板を見つけ、「保護猫をもらって下さる方」と書いてあるページを毎日チェックした。「この子だ!」とピンときたのは『黒猫』だった。


個人で保護活動をされているという方に早速連絡を入れた。名前は遠藤さんという。「飼育できる環境か見させて頂いてよいでしょうか」と、うちにやってきた。ちゃんとペット飼育可の物件に住んでいること。そして僕と会話して遠藤さんは「あなたなら大丈夫でしょう」と言ってくれた。


家に黒猫がやってきた。「生後2ケ月くらいです」と遠藤さんは言っていた。キャットタワー。トイレ。猫砂。おもちゃ。猫と暮らすにあたり必要なものは、遠藤さんに聞いて一通り揃えた。念願の猫との生活が始まったのである。今から7年前のことだった。


「にゃー」

「にゃー」

鳴きながら家の中をずっと探検していた。「くんくん」といたる所の匂いをチェックしながら。


何か分からないことがあれば、SNSのDMですぐに遠藤さんに質問できたので、安心して黒猫との生活をスタートさせることができた。


「…君の名前を決めないとなぁ…」まだこの時は名前を決めていなかった。

「何がいいかなぁ…?」

「にゃぁ~」「にゃぁ~」

「…「にゃーにゃー」鳴くから…『にゃーちゃん』にしよう!」

こうして単純な理由であるが、生後2ケ月の黒猫は「にゃーちゃん」となった。男の子だった。


にゃーちゃんは、家に来て2日目から僕と一緒に寝てくれた。譲渡してもらったのが12月だったこともあり、寝る時ににゃーちゃんは布団に潜り込んできた。ネットで調べると「生後間もない子猫は、一緒に寝ると潰してしまう可能性があるので、あまり一緒に寝ない方が良い」と書いてあった。


でも布団にすっと潜り込んできて、僕の脇から顔を出すにゃーちゃんが可愛くて仕方ない。「寝返りを打たずに寝る」という特技を、僕はにゃーちゃんのために身に付けた。


仕事から帰ってから、毎日にゃーちゃんと遊んだ。日曜日もできるだけ、にゃーちゃんと遊び、たくさん話かけた。遠藤さんから「できるだけたくさん名前を呼んであげて下さいね」と教えてもらっていたからである。


「にゃーちゃん、一緒に遊ぶ?」

「にゃー!」

「にゃーちゃん、ご飯足りない?」

「にゃぁー!」


ネットで見るような、お腹をごろんと天井に向けることはしてくれないが、いつも頭、腰を撫でてあげると嬉しそうな表情をしていた。にゃーちゃんのことが可愛くて仕方ない。僕は「いつか将来、にゃーちゃんが死ぬ時に『この家に来て良かった』と思ってもらいたい」と思い、毎日大切に接した。


そんなある日、事件は起きた。僕が窓のカギを閉め忘れてしまっていたのだ。お水を入れ替えて「にゃーちゃん、お水よ」と声を掛けて、にゃーちゃんを見る。「あれ?いない?」と思い、部屋を見渡すと、なんと窓が開いていた。そしてにゃーちゃんが外に出ていたのだ。


「にゃーちゃん!」僕は動揺して、大声を出してしまった。その声ににゃーちゃんは驚いたようで、勢いよくどこかへ走り去ってしまったのである…。


「にゃーちゃん!」僕は必死に探し回った。にゃーちゃんが走っていった方へ行ってみたが、どこにもいない。僕は頭が真っ白になった。ネットで調べてみると「猫はテリトリーを大切にする動物です。そんなに遠くまでは行かないはず」と書いてあった。家から半径500メートルくらいの場所を「にゃーちゃん?」と声を出しながら探したが、にゃーちゃんはどこにもいなかった。


「やってしまった…」僕は落ち込んだ。夜になると、いつもは「にゃー」と鳴き声が聞こえる家から音が消えた。寝る時も一人である。毎日後悔しながら泣いていた。


1週間も経つと「…もうどこかに行っちゃったのかな」と思うようになり、探す時間は短くなっていた。何をするのにも空しく、力が入らず、ぼんやり過ごすことが多くなった。


「あんた、猫飼ってるんだよね」

お母さんと電話している時、急に聞かれた。

「…いやぁ、実は逃げちゃって」

「え?そうなの?いつ?」

「2週間くらい前かなぁ…。僕が鍵を閉め忘れちゃって。窓を開けて逃げっちゃったんだよね」

「…」

お母さんは黙り込んだ。僕が飼っている猫が逃げたことに対して、コメントしにくいのか。何か考えがあるのか。僕には分からなかった。


「…凄い話があるのよ」お母さんは神妙な声で僕に言った。

「ん?なに、凄い話って。」

「信じるか、信じないかは、あんた次第だけど…」

「どういうこと?」話がつかめなかったが、僕はとりあえず、お母さんの話を聞き続けた。


お母さんの話の内容はこうだ。

僕は熊本に住んでいる。熊本には有名な阿蘇山があるが、正式には「阿蘇五岳」という。その五岳の一つに「根子岳(ねこだけ)」と呼ばれる山がある。根子岳には色々な伝説があり、その中の一つに「根子岳には猫の王が住んでおり、猫たちは7歳になると、根子岳に登り、猫の王に修行をつけてもらう」というものがあるとのことだった。


「あんたの猫、確か7歳だったんでしょ」というのが、お母さんの言いたいことだ。

「きっと修行してもらってんのよ。気長に待ってみたらどうなの」とのことだった。

電話が終わり「何を言ってんだ」と思ったが、少し心が救われた気がしたのも事実だ。


それから数ケ月が経ち、にゃーちゃんを思い出しても、そこまで落ち込まないようになっていた。


(ピンポーーン)

誰かが家の呼び鈴を鳴らした。

「はーい」我が家に来るのは宅配便か、郵便局の人だけである。「今日はどっちだろう」と思い、玄関のドアを開けようとすると、ドアの向こうに『何か』が立っていた。それは明らかに人であるが、恐らく宅配便の人でも、郵便局の人でもない。誰だろう…?


「はぁい、どなたですか?」

僕は恐る恐る、ドアの向こうの『何か』に向かってしゃべりかけた。

「…」返事が無かった。

「…どちら様ですか?」僕はもう一度訪ねた。

「…『にゃー』…です…」


一瞬、意味が分からなかった。でも、「にゃー」という言葉を、見ず知らずの人が使うわけがないという思いもあった。僕はついドアを開けてしまった。


玄関には僕と同じくらいの身長の男性が立っていた。しかも、日焼けサロンで焼いたかのような…全身が真っ黒なのである。


「…大変、ご無沙汰しています」彼は言った。

「…?えっ?」僕は理解ができなかった。

「以前、窓から出ていった『にゃー』です」

!?!?一体何を言っているのか???でも「にゃー」という言葉や「窓から出ていった」という言葉。誰でも知っているものでもない…。そして、この男。顔が真剣なのだ。


「あの時は、申し訳ありませんでした。」

男は頭を下げて、静かに言った。

「あなたの声に、私も驚いてしまって…」

男は少し涙ぐんでいるようだった。

「あの後、途方に暮れていた私に、野良猫たちが「お前、7歳なんだったら、根子岳に行けよ」と言ってくれたんです」

「不眠不休で辿り着いて…猫の王に出会いました」

僕は思考が停止したまま、話を聞いていた。

「そこで厳しい修行をつけて頂いたんです。おかげで、こうしてパワーアップして戻ってくることができました!遅くなり、本当に申し訳ありませんでした!」

男は土下座した。そして顔を上げて、こう言った。


「また、以前のように毎日一緒に暮らしましょう!」


それから僕たちの奇妙な生活が始まった。

「すいません。トイレ、お借りします」

…水洗トイレを使うようになった。猫砂は要らなくなった。

「水が飲みたいです。コップ使わせて頂きますね」

…台所で蛇口をひねって、水を飲む。もう器は要らないみたいだ。


夜が大変だ。シングル用の布団に、大の大人が2人揃って寝るようになったからだ。「脇の下に、行ってもいいですか?」と言っていたが、それは丁重に断った。


「…頭、なでてもらっても良いでしょうか?」僕は彼の頭をよしよしする。彼は「ゴロゴロ…」と喉を鳴らしている。不思議とキモイとは思わなかった。


従順な彼だが、たった一回だけ僕に反論したことがあった。

「にゃーちゃん、立派になったんだなぁ」と僕が言うと

「すいません、『にゃーちゃん』と呼ぶのは止めて頂いても良いですか」

「あっ、ごめん。もっとかっこいい名前の方が良いよね?」

「…違うんです。もう自分『ちゃん』という年齢でもないので…『さん』で呼んで頂けると嬉しいです」

「…あっ、そういうこと…」

「はい。」

僕は恥ずかしがりながら、名前を呼んだ。

「これからもよろしくね、『にゃーさん』」

にゃーさんは「にゃー!」と嬉しそうに鳴いた。


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― 新着の感想 ―
主人公の一人暮らしの描写からにゃーちゃんとの出会い、そして溺愛する様子が丁寧に描かれていて穏やかな気持ちで読み進められました笑 にゃーちゃんが窓から脱走した後の主人公の絶望感とお母さんからの根子岳の猫…
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