一話
少女は夜を駆けていた。
汗が頬を流れ、喉から肺腑が飛び出してきそうだった。視界は空腹と疲労で眩み、いつ倒れてもおかしくなかったが、少女には関係ないことだった。
足を前に、もう一歩前に。可能な限り速く、四肢が千切れようとも。
"神谷優里"と呼ばれた少女には時間がなかった。
この道を走り終えた時、自分は死ぬのだろうと優里は考えた。
優里は、近くの女学校の生徒であった。
勉学に励み、親友達と共にスポーツにも励んだ。
学校の門前に文房具店があり、菓子も扱っていたことから、よく放課後に入り浸っていた。
しかし、その学校生活も今となっては懐かしいくらいに遠のいている。
縫い合わせの防空頭巾を被って、爆発から身を隠す。家が焼かれ、家族も死んだ。
さりとて少女は少女。戦時中なのも相まって、満足な食事も取れず、眠れば夜風が骨まで冷やす生活だ。生まれつき体が弱いことも相まって、優里は背が低く、親友達と並ぶと下から数えた方が早い位置にいる。
働いて働いて、くたくたになっても苦ではなかった。みんな同じだから。
「優里、足動かせー!」
少し前を走る親友の椿が声をかける。その言葉でハッと我に変える。
空が赤い。近くの草むらが燃えている。
「あ―――」
小石につまずいて転んだ。
「優里!大丈夫か!?」
「ゲホッ、、、ゲホッ」
喉が痛い。あまりにも痛くて喉を抑える。
「おい、しっかりしろ!」
椿の顔が滲む。揺さぶられているのに意識が朦朧とする。
死は怖くなかった。
冥府も、ここよりは居心地が良かろうと思えたから。
死の痛みも怖くなかった。
無限に続くこの日常こそが責め苦であったから。
何日もまともなご飯にありつけず、雑草でさえも食べる日常が。
雪の朝に目覚め、隣の友人が物言わぬ骸と成り果てているのを見る日常が。
その時、熱い突風が二人を巻き込んだ。
叫びは声にならず、願いは形にならず、願いは誰にも届かなかった。
それが世界だった。
ただの男子高校生、小林健太は困っていた。
どうして良いか分からなかった。
二人の少女が、東京の道のど真ん中で倒れていたからである。
いや、一人は少年だ。少年が少女に覆い被さるように倒れていた。
「あの、、、」
少年の肩を軽く叩いた。とりあえず、意識はあるのかという確認だ。
ピクリと、少年の指が動いた。
良かった、意識はあるようだ。
「救急車、呼びましょうか?」
二人の着ている服はかなりボロボロだ。所々破れていて、汚れている。
「、、、っ」
少年と目が合った。
「あの、、、」
少年にそっと手を差し出すと、少年はすくっと立ち上がった。行き場をなくした手が空中で漂う。
「、、、!?優里、、、優里!」
少年は周りを見渡した瞬間、焦りの表情を浮かべて倒れている少女を揺さぶった。
「、、、う、、、」
小さな声が聞こえた。優里と呼ばれた少女は目を開け、体を起こす。
「、、、、、、あの」
少女が困惑した様子で健太を見る。
「ここは何処?」
「は?」