7.橘キョウカとの対立
学園の広い敷地内には、植物園がある。
園内にあるガゼボは、私のお気に入りの場所だった。
風に揺れる木々の影が足元に落ち、昼休みのざわめきから切り離されたように、空気が少しだけ緩んでいる。
ガゼボのベンチに腰を下ろすと、自然と両隣が埋まった。
楠カオルと、柏コトリ。
声を掛け合うでもなく、当たり前みたいにそこにいる。
どうやらあの日から、ここが定位置になったらしい。昨日までなら、考えられない距離感だ。
カオルは鞄からお菓子を取り出し、私の前に差し出した。
それを見たコトリも、少し遅れて同じように自分の分を差し出した。
「アリス、これ美味しいですわよ。まさか私のおすすめが食べられない、なんてことはないですわよね?」
「アリス、こっちも」
「くれるの?ありがとう」
お礼を言うと、二人の表情がぱっと明るくなった。
(……懐かれすぎでは)
あの時助けに入ったせいか、私はすっかり気に入られたようだ。でも、それだけでこんなにも距離が縮まるものなのか。
二人は私の一挙手一投足に、いちいち反応を示す。犬か?
まるで、ナギくんが増えたみたいだ。
悪い気はしないけれど、少し困る。それでも、この空気は嫌いじゃなかった。
ゲームの中で“名前のなかった存在”が、こうして隣で息をしている。それだけで、改めてこの世界が現実なんだと実感できる。
「あなた、いつもそれ食べてますわね」
「これ?焼きそばパン、好きなんだ」
興味深そうに見てくるカオルに、私は焼きそばパンを差し出した。
「食べてみる?」
「なっ、お断りですわ!そんないかにも庶民的で下品な見た目のもの、口にするのもおぞましい!」
好きだと言ったものに対して、なんたる言い草だ。やはり根本は変わらない。でも、不思議と嫌な気はしなかった。むしろ、少し安心する。
「でも、そんな庶民の私とは仲良くしてくれるんだ?」
「そ、それは……貴方が特別だからで……」
言葉尻が萎んでいく。可愛い。
彼女の性格が見えてきて、強気な言葉をかけられても、なんとも微笑ましい気持ちで受け入れられるようになった。ただ、バカ正直なだけで、悪気がある訳では無い。
「アリス、私、食べてみたい」
柏コトリが袖をクイクイと引きながら言う。
彼女はカオルより、気が強くない。カオルを“お姉様”と慕い、その影に隠れるような子。口調も彼女の真似をしているようだ。
でもたまに、私の口調が移ることがある。カオルと同じように慕われてると思うと、嬉しくもありむず痒くもある。
「はぁ!?やめときなさいコトリ!味覚がイかれますわよ!」
「アリス、あーん」
「あ、はいどうぞ」
コトリは嬉しそうに、もぐもぐと焼きそばパンを食べる。甘えたな所作が、なんとも微笑ましい。
それを見たカオルが、悔しそうに唇を噛んだ。コトリにあーんしたのを、羨ましがってるんだろうか。
次の瞬間、張り合うように私の口にマカロンが突っ込まれる。
「むぐっ!?」
「ほ、ほら! 食べさせてあげたんだから、お返ししなさいよ!」
「お姉様、食べたくないんじゃなかったの」
「う、うるさいわね!」
その光景を、少し離れた場所から見つめる視線があることに、私は気づかなかった。
——気づいたのは、空気が変わった時。
「……何をしてるの?」
澄んだ声。だけど、温度がない。
振り返った先に立っていたのは、橘キョウカだった。こちらを見つめる、ひときわ目立つ姿。
背筋を伸ばし、凛とした佇まい。絵に描いたような美少女だ。
こちらを見る目には、困惑が浮かんでいる。
彼女の視線は、真っ先にカオルとコトリを捉えていた。その目に浮かんだ感情を、私はすぐに理解してしまった。
カオルとコトリの身体が、同時に強張るのがわかる。二人は、そっと私の袖を掴んだ。
その仕草を見て、橘キョウカの表情が歪んだ。
「私のヒロインちゃんから離れて!」
(私のヒロイン…?)
何を言われてるのか分からなかった。
カオルの表情が、一瞬で冷える。コトリの目から、さっきまでの柔らかさが消えた。
「……は?」
「なんですの?突然。意味わかんないこと言わないでくださる?」
二人の刺々しい声。さっきまでの、穏やかで可愛らしい二人が、嘘のように剣がある顔つきに変化した。流石、作中で悪役サイドだっただけある。でも、キョウカは全く怯んでいなかった。
「分かってるよ。あなたたちがそういう人たちだって!」
——そういう人たち。
その言い方に、胸の奥が冷たくなる。
「ヒロインに嫌がらせをするために、徒党を組む。ゲームで何度も見た光景だもん!」
「だから!さっきからずっと何を言ってますの?頭どうかしたんじゃありません?」
カオルとキョウカの間で火花が散った。どっちも引かない。
コトリが、ぎゅっと私の袖を掴む。強気な表情とは裏腹に、僅かな震えが布越しに伝わった。
私は立ち上がり、橘キョウカの前に立つ。庇うように、自然と身体が動いていた。
「勘違いしないで」
橘キョウカが、信じられないものを見る目をした。
「桜さん!その人たちは桜さんをいじめる——」
“悪役令嬢の取り巻き”
その言葉が、喉元まで来ているのがわかった。言わせたくなかった。一歩、前に出る。
声は低く、でもはっきりと伝わるように。
「この子たちは、私に何もしてない」
「でも——」
「友達のこと悪く言うの、やめて」
空気が、止まる。
橘キョウカの目が、大きく揺れた。予想していなかった言葉を投げつけられた顔だ。
「……友達?」
その声には、戸惑いと、警戒、そして——はっきりとした嫌悪が混じっていた。
それでも。
「一緒にいるのは、私が望んだから」
視線を逸らさず、続ける。
「友達を、勝手に悪役扱いされるのは不愉快です」
はっきり言い切ると、キョウカの表情が固まった。
困惑。驚き。動揺。そして、絶望。
まるでずっと好きだった人に、
——拒絶されたような。
本来なら、関わりたくなかった相手。
ゲームの悪役令嬢。転生者同士。
…物語の中心。
でも今は、どうでもいい。
私は、もう言うことはないとばかりに視線を外す。背後で、コトリとカオルが息を呑む気配がした。
「……行こう」
短くそう言って、私は二人の手を取る。
その瞬間、指先に返ってくる力が、答えだった。
キョウカの横を通り過ぎるとき、心臓が早鐘を打つ。
(……関わりたくなかったのに)
そう思うのに。
背中に伝わる二人の体温が、やけに確かで。
橘キョウカの視線が、背中に突き刺さっているのがわかる。
——それでも、足は止まらなかった。
私は今、確実に。選んだんだと思う。
悪役でも、誤解されても、正しくなくてもいい。この友達を、否定されない側を。
私は、私が選んだ人たちの側に立つ。




