6.取り巻きAとB
教室に戻ると、昼休みの余韻はすでに薄れていた。机に腰を下ろした瞬間、さっきまで張りつめていた気持ちが、少し遅れてどっと押し寄せてくる。
(……疲れた)
視線を落とすと、指先にまだ残る温度に気づいて、慌てて手を握りしめた。
あの後ナギくんは、何事もなかったみたいに自分の教室に戻っていった。
別れ際に振り返ることも、声をかけてくることもなかった。それが、ありがたくもあり、ほんの少しだけ寂しくもあった。
——友達の距離。
その言葉が、頭の中で何度も反芻される。
授業が始まっても、ノートを取る手はどこか上の空だった。黒板の文字を追いながら、意識は別のところに向いてしまう。
(……取り巻きの子たち)
私の両隣にいた、あの女の子たち。赤くなった顔、戸惑った視線、息を呑んだ気配。
あの場で、私が立ち去ったあと。彼女たちは、どんな顔をしていたんだろう。
——置いてきた、という感覚が胸に残っていた。
ゲームの中での彼女たちは、“敵役の取り巻き”。名前すら意識したことのない、ヒロインを責め立てるためだけの存在だった。
でも。
(現実で見ると、ただの女の子なんだよね)
中庭で会った、橘キョウカの取り巻き――いや、もうそんな呼び方はしたくない。
確かに気は強いけれど、話してみれば意外と素直で、人間味があって。
何より、あの空間が心地よかった。
(また、話したいな)
けれど、ゲームでの彼女たちは取り巻きAとB。それ以外、何も知らない。
この広い学園で、偶然を期待して探すのは現実的じゃなかった。
チャイムが鳴り、授業が終わる。
周囲が一斉にざわめき始める中、私はゆっくりと席を立った。放課後にすることは決まっていた。
(……ナギくんなら、居場所がわかるかも)
理由は、はっきりしていない。
仲良くなりたい、と言い切れるほど前向きでもない。ただ、このまま何もせずにいるのが嫌だった。
廊下に出ると、女子生徒たちの笑い声が響く。すれ違う視線に混じるひそひそ声にも、少しずつ慣れてきていた。
「桜サン」
「ナギくん、ちょうど良かった、今会いに行こうと思ってたの」
「さっきの人たち、探してるんでしょ?」
どうして分かるんだろう。
占い云々以前に、もはやエスパーなのでは。
でも今更、ナギくんの一挙手一投足にいちいち突っ込んでいたら、それで1日が終わってしまう。
「それなら、旧校舎裏。東側の花壇に行った方がいいよ」
嫌な予感が、胸を掠めた。
―――――――――――――
旧校舎裏は、人通りがほとんどない。
それでも、遠くから聞こえてきた甲高い声で、予感は確信に変わった。
「なんなんですの、貴方たち!」
「いい気になるなよ、キョウカ様の元取り巻き風情が」
「用済みなんだから、大人しくしてればいいのに」
「だから!さっきから言ってるようにずっと大人しくしてます!その汚らわしい手でお姉様に触らないで!」
「なんだと!?」
花壇の影で、昼休みに会った二人が数人の生徒に囲まれていた。
制服の上に羽織られた俗っぽい法被は、品のある制服に似つかわしくない。それは――橘キョウカ親衛隊の証。
(最悪だ……)
橘キョウカの親衛隊なんて、関わらない方がいいに決まってる。かなり過激派で、よくない噂も耳にしている。目立ちたくない。騒ぎも起こしたくない。
踵を返しかけて、やめた。代わりに、深く息を吸う。
(逃げないって、決めたんだ)
「……多勢に無勢で二人を囲むなんて、親衛隊の印象によくないと思いますけど」
気づけば、声が出ていた。今日二度目のこの言葉を、彼女たちのために使うことになるなんて。
彼女たちが驚いた顔でこちらを見ている。
親衛隊の一人が、苛立ったように睨んでくる。それでも、私は一歩前に出た。
「…桜アリス、知ってるぞ。こいつらと一緒にキョウカ様のこと悪く言ってたらしいな」
「リヒト様が嘆いていらっしゃった…」
情報が回るのが早すぎる。
リヒトくんが、そんな卑劣なことをするなんて、思いたくなかった。ずっと私の理想でいて欲しかった。
でも、この世界は現実だ。リヒトくんは理想のキャラクターじゃなくてただの人間だとわかったから。理想だったリヒトくんの姿が、現実の中で少しずつ崩れていく。
「やっぱり、私は悪役か」
「あぁ?なんてーー」
「それより、私は彼女たちに用事があるんだけど」
一歩、前に出る。
「彼女たちは、私の友達予定の人たちだから」
彼女たちの目が見開く。
一瞬、風が止んだみたいに空気が固まった。
「……は?」
親衛隊の1人が眉をひそめる。
当然の反応だ。それでも、私は引かなかった。
「まだ確定じゃないけど」
私は、花壇の前で縮こまっている二人に視線を向ける。驚きと戸惑いが入り混じった表情。その奥に、かすかな期待みたいなものが揺れているのが分かった。
「少なくとも、あなたたちに“元取り巻き風情”なんて呼ばれる筋合いはない」
少しだけ、声に力を込めた。
「橘キョウカさんのために動いているのなら、彼女の評判を落とすようなやり方はやめた方がいい。あなたたちの方が、よっぽどタチの悪い取り巻きだ」
親衛隊の空気が、ざわつく。自分でも驚くほど、すんなりと口から言葉が出た。
一歩、また一歩。
気づけば私は、彼女たちの前に立っていた。背中越しに、二人の気配を感じる。
守る、なんて大それたことは言えない。ただ、あの時みたいに置いていかない。それだけ。
「……桜アリス」
親衛隊の一人が、低く名前を呼ぶ。
「忠告しておく。キョウカ様に逆らうと、どうなるか分かってるだろうな?」
「ええ。たぶん」
私は、小さく息を吐いた。
「まぁ、逆らった覚えはないですけど」
「このっ…」
手を振り上げられ、反射的に目を閉じた、その瞬間。
「——そこまで」
落ち着いた声。
振り返るより早く、空気が変わったのが分かった。親衛隊の視線が、一斉に背後を向く。
「……ナギくん」
ナギくんは、いつの間にか旧校舎裏の入口に立っていた。走ってきた様子はないのに、少しだけ肩で息をしていた。
穏やかな声。でも、目は笑っていない。
「放課後に集団で威圧。学園側に報告されたら、橘キョウカの親衛隊としても困るんじゃない?」
その一言で、空気が完全にひっくり返った。
ざわ、と親衛隊の中に動揺が走る。顔を見合わせ、舌打ちをする者もいた。
「……チッ」
「覚えてなさいよ、桜アリス」
捨て台詞を残して、彼らはぞろぞろと去っていく。足音が遠ざかり、旧校舎裏に静けさが戻った。
その場に残ったのは、私たち四人だけだった。
「……あの」
背後から、小さな声。
「もう大丈夫だよ、二人とも」
そう答えると、二人はようやく力が抜けたように肩を落とした。
「……私たちのこと、助けて、くれて……ありがとう」
「お姉様のこと助けてくれて、感謝しますわ」
同時に頭を下げられて、私は慌てて手を振る。
「助けたっていうか、その……」
そう言うと、レッドブラウンの髪の子がじっと私を見つめてくる。
「……ねぇ」
「な、なに?」
「さっき……友達予定って」
少しだけ、間を置いて。片方の子が、ぽつりと呟く。その言葉に、もう一人がはっとしてこちらを見る。私は少しだけ、照れくさくなって視線を逸らした。
「……本気?」
「うん」
一瞬、二人は顔を見合わせて、それからふいっと視線を逸らした。
「……じゃあ、自己紹介くらいしなさいよね」
「名前も知らないのに、友達は変よね?お姉様」
先にプラチナブロンドの彼女が、咳払いをして言う。
「私は、楠カオルですわ」
「私は柏コトリ」
名前を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。
(……ゲームでは、取り巻きAとB)
名前なんて、存在しなかった。
でも今、彼女たちは確かに名前を持って、感情を持って、ここにいる。
この世界は、乙女ゲームじゃない。
キャラクターでも、物語の歯車でもない。ちゃんと、生きている1人の人間だ。
その事実が、ようやく腑に落ちた気がした。
「……私は、桜アリス」
そう名乗ると、二人は嬉しそうに笑った。
その様子を、少し離れた場所でナギくんが眺めている。目が合うと、彼は何も言わずに、ほんの少しだけ頷いた。
(……また助けてくれた)
迎えに来るって、こういうこと?
気づかないふりをして、私は二人に向き直る。
「じゃあ、とりあえず……一緒に帰らない?」
まだぎこちない。でも、確かに一歩だ。
この先、どうなるかは分からない。仲良くなれる保証も、リヒトくんたちの誤解が解ける確証もない。
作中では悪役令嬢の取り巻きだった彼女たちと友達になる私は、どうやら順調に“悪役の道”を進んでいるらしい。
それでも――
不思議と、胸の奥は静かだった。
ナギくんが、そばにいると言ってくれたこと。嬉しそうに笑う彼女たちの顔。そのどちらもが、今の私をちゃんと支えている。
彼女たちといて、悪役という立場になるならそれでいい。
――たぶん、これが。
私がこの世界で、初めて“私として”踏み出した一歩なんだと思った。




