表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/18

6.取り巻きAとB

 


 教室に戻ると、昼休みの余韻はすでに薄れていた。机に腰を下ろした瞬間、さっきまで張りつめていた気持ちが、少し遅れてどっと押し寄せてくる。


(……疲れた)


 視線を落とすと、指先にまだ残る温度に気づいて、慌てて手を握りしめた。


 あの後ナギくんは、何事もなかったみたいに自分の教室に戻っていった。

 別れ際に振り返ることも、声をかけてくることもなかった。それが、ありがたくもあり、ほんの少しだけ寂しくもあった。


 ——友達の距離。


 その言葉が、頭の中で何度も反芻される。


 授業が始まっても、ノートを取る手はどこか上の空だった。黒板の文字を追いながら、意識は別のところに向いてしまう。


(……取り巻きの子たち)


 私の両隣にいた、あの女の子たち。赤くなった顔、戸惑った視線、息を呑んだ気配。


 あの場で、私が立ち去ったあと。彼女たちは、どんな顔をしていたんだろう。


 ——置いてきた、という感覚が胸に残っていた。


 ゲームの中での彼女たちは、“敵役の取り巻き”。名前すら意識したことのない、ヒロインを責め立てるためだけの存在だった。


 でも。


(現実で見ると、ただの女の子なんだよね)


 中庭で会った、橘キョウカの取り巻き――いや、もうそんな呼び方はしたくない。

 確かに気は強いけれど、話してみれば意外と素直で、人間味があって。

 何より、あの空間が心地よかった。


(また、話したいな)


 けれど、ゲームでの彼女たちは取り巻きAとB。それ以外、何も知らない。

 この広い学園で、偶然を期待して探すのは現実的じゃなかった。


 チャイムが鳴り、授業が終わる。

 周囲が一斉にざわめき始める中、私はゆっくりと席を立った。放課後にすることは決まっていた。


(……ナギくんなら、居場所がわかるかも)


 理由は、はっきりしていない。

 仲良くなりたい、と言い切れるほど前向きでもない。ただ、このまま何もせずにいるのが嫌だった。


 廊下に出ると、女子生徒たちの笑い声が響く。すれ違う視線に混じるひそひそ声にも、少しずつ慣れてきていた。


「桜サン」

「ナギくん、ちょうど良かった、今会いに行こうと思ってたの」

「さっきの人たち、探してるんでしょ?」


 どうして分かるんだろう。

 占い云々以前に、もはやエスパーなのでは。

 でも今更、ナギくんの一挙手一投足にいちいち突っ込んでいたら、それで1日が終わってしまう。


「それなら、旧校舎裏。東側の花壇に行った方がいいよ」


 嫌な予感が、胸を掠めた。




 ―――――――――――――




 旧校舎裏は、人通りがほとんどない。

 それでも、遠くから聞こえてきた甲高い声で、予感は確信に変わった。


「なんなんですの、貴方たち!」

「いい気になるなよ、キョウカ様の元取り巻き風情が」

「用済みなんだから、大人しくしてればいいのに」

「だから!さっきから言ってるようにずっと大人しくしてます!その汚らわしい手でお姉様に触らないで!」

「なんだと!?」


 花壇の影で、昼休みに会った二人が数人の生徒に囲まれていた。

 制服の上に羽織られた俗っぽい法被はっぴは、品のある制服に似つかわしくない。それは――橘キョウカ親衛隊の証。


(最悪だ……)


 橘キョウカの親衛隊なんて、関わらない方がいいに決まってる。かなり過激派で、よくない噂も耳にしている。目立ちたくない。騒ぎも起こしたくない。


 踵を返しかけて、やめた。代わりに、深く息を吸う。


(逃げないって、決めたんだ)


「……多勢に無勢で二人を囲むなんて、親衛隊の印象によくないと思いますけど」


 気づけば、声が出ていた。今日二度目のこの言葉を、彼女たちのために使うことになるなんて。


 彼女たちが驚いた顔でこちらを見ている。

 親衛隊の一人が、苛立ったように睨んでくる。それでも、私は一歩前に出た。


「…桜アリス、知ってるぞ。こいつらと一緒にキョウカ様のこと悪く言ってたらしいな」

「リヒト様が嘆いていらっしゃった…」


 情報が回るのが早すぎる。

 リヒトくんが、そんな卑劣なことをするなんて、思いたくなかった。ずっと私の理想でいて欲しかった。

 でも、この世界は現実だ。リヒトくんは理想のキャラクターじゃなくてただの人間だとわかったから。理想だったリヒトくんの姿が、現実の中で少しずつ崩れていく。


「やっぱり、私は悪役か」

「あぁ?なんてーー」

「それより、私は彼女たちに用事があるんだけど」


 一歩、前に出る。


「彼女たちは、私の友達予定の人たちだから」


 彼女たちの目が見開く。

 一瞬、風が止んだみたいに空気が固まった。


「……は?」


 親衛隊の1人が眉をひそめる。

 当然の反応だ。それでも、私は引かなかった。


「まだ確定じゃないけど」


 私は、花壇の前で縮こまっている二人に視線を向ける。驚きと戸惑いが入り混じった表情。その奥に、かすかな期待みたいなものが揺れているのが分かった。


「少なくとも、あなたたちに“元取り巻き風情”なんて呼ばれる筋合いはない」


 少しだけ、声に力を込めた。


「橘キョウカさんのために動いているのなら、彼女の評判を落とすようなやり方はやめた方がいい。あなたたちの方が、よっぽどタチの悪い取り巻きだ」


 親衛隊の空気が、ざわつく。自分でも驚くほど、すんなりと口から言葉が出た。


 一歩、また一歩。

 気づけば私は、彼女たちの前に立っていた。背中越しに、二人の気配を感じる。


 守る、なんて大それたことは言えない。ただ、あの時みたいに置いていかない。それだけ。


「……桜アリス」


 親衛隊の一人が、低く名前を呼ぶ。


「忠告しておく。キョウカ様に逆らうと、どうなるか分かってるだろうな?」

「ええ。たぶん」


 私は、小さく息を吐いた。


「まぁ、逆らった覚えはないですけど」

「このっ…」


 手を振り上げられ、反射的に目を閉じた、その瞬間。


「——そこまで」


 落ち着いた声。

 振り返るより早く、空気が変わったのが分かった。親衛隊の視線が、一斉に背後を向く。


「……ナギくん」


 ナギくんは、いつの間にか旧校舎裏の入口に立っていた。走ってきた様子はないのに、少しだけ肩で息をしていた。

 穏やかな声。でも、目は笑っていない。


「放課後に集団で威圧。学園側に報告されたら、橘キョウカの親衛隊としても困るんじゃない?」


 その一言で、空気が完全にひっくり返った。


 ざわ、と親衛隊の中に動揺が走る。顔を見合わせ、舌打ちをする者もいた。


「……チッ」

「覚えてなさいよ、桜アリス」


 捨て台詞を残して、彼らはぞろぞろと去っていく。足音が遠ざかり、旧校舎裏に静けさが戻った。

 その場に残ったのは、私たち四人だけだった。


「……あの」


 背後から、小さな声。


「もう大丈夫だよ、二人とも」


 そう答えると、二人はようやく力が抜けたように肩を落とした。


「……私たちのこと、助けて、くれて……ありがとう」

「お姉様のこと助けてくれて、感謝しますわ」


 同時に頭を下げられて、私は慌てて手を振る。


「助けたっていうか、その……」


 そう言うと、レッドブラウンの髪の子がじっと私を見つめてくる。


「……ねぇ」

「な、なに?」

「さっき……友達予定って」


 少しだけ、間を置いて。片方の子が、ぽつりと呟く。その言葉に、もう一人がはっとしてこちらを見る。私は少しだけ、照れくさくなって視線を逸らした。


「……本気?」

「うん」


 一瞬、二人は顔を見合わせて、それからふいっと視線を逸らした。


「……じゃあ、自己紹介くらいしなさいよね」

「名前も知らないのに、友達は変よね?お姉様」


 先にプラチナブロンドの彼女が、咳払いをして言う。


「私は、くすのきカオルですわ」

「私はかしわコトリ」


 名前を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけざわついた。


(……ゲームでは、取り巻きAとB)


 名前なんて、存在しなかった。

 でも今、彼女たちは確かに名前を持って、感情を持って、ここにいる。


 この世界は、乙女ゲームじゃない。

 キャラクターでも、物語の歯車でもない。ちゃんと、生きている1人の人間だ。


 その事実が、ようやく腑に落ちた気がした。


「……私は、桜アリス」


 そう名乗ると、二人は嬉しそうに笑った。


 その様子を、少し離れた場所でナギくんが眺めている。目が合うと、彼は何も言わずに、ほんの少しだけ頷いた。


(……また助けてくれた)


 迎えに来るって、こういうこと?

 気づかないふりをして、私は二人に向き直る。


「じゃあ、とりあえず……一緒に帰らない?」


 まだぎこちない。でも、確かに一歩だ。

 この先、どうなるかは分からない。仲良くなれる保証も、リヒトくんたちの誤解が解ける確証もない。

 作中では悪役令嬢の取り巻きだった彼女たちと友達になる私は、どうやら順調に“悪役の道”を進んでいるらしい。


 それでも――


 不思議と、胸の奥は静かだった。


 ナギくんが、そばにいると言ってくれたこと。嬉しそうに笑う彼女たちの顔。そのどちらもが、今の私をちゃんと支えている。

 彼女たちといて、悪役という立場になるならそれでいい。


 ――たぶん、これが。


 私がこの世界で、初めて“私として”踏み出した一歩なんだと思った。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ