4.推しって、こんな人だっけ
決めたのだ。
私はもう、推しに無理に好かれようなんて思わない。楸ナギとも、一定の距離を保って友だちとして仲良くする。
(橘キョウカの代わりに悪役令嬢として生きる!)
悪役令嬢なら、好かれなくて当然。悪役令嬢なら、期待されなくていい。
悪役令嬢なら、誰かの一番じゃなくても、推しに嫌われても——言い訳が立つ。
好感度が急上昇した楸ナギと“友達でいる”ために、好感度を下げようと決めた。
……はずだった。
計画が上手くいかない理由は、はっきりしている。
(薄々わかっていたけど)ナギくんが、想像以上に手強かった。
肯定されることで依存に近い一途さを持つナギくん。
一度ルートに入ると、そこから外れるのは難しい。それを一番よく知っているのは、ゲームを最後までプレイした私だ。
今朝だって——。
「おはよう、桜サン」
「お、おはよう…」
昨日、ちゃんと線を引いたつもりだった。けれど、効果はなかったらしい。ナギくんは何事もなかったかのように、いつも通り話しかけてくる。
「桜サン、今日も図書室寄るの?じゃあ僕も行っていい?」
ナギくんが私の顔を覗き込んでくる。私の考えを見透かそうとしているようで居心地が悪い。そして何より…
(近い、近い近い)
「ち、近いって!昨日も言ったけど、友達として適切な距離を——」
「距離って、どれくらい?」
全然、聞いてくれない。
「もっと一緒にいたい」
……なんで、こんなに好かれてるんだろう。正直、少し怖い。
これがヒロインの力?ゲームの強制力?
私は“私”として好かれているわけじゃないのかもしれない。
そう思うと、嫌われ者だった悪役令嬢が、今や誰からも好かれる人気者になっているのは、紛れもなく彼女自身の力だ。キャラ補正なしで人に好かれるのは、才能でしかない。
(私が、私として好かれることって……あるのかな)
橘キョウカだって、ナギくんと会えばオーラのことを信じるというはずだ。ナギくんのことは当然知っているだろうし。
結局は、どちらが先に出会ったかの違い。
もし先に橘キョウカがナギくんと出会っていたら、私のことなんて——。
今、橘キョウカにあのキラキラした笑顔で「信じる」と言われたら、ナギくんはどうするんだろう。
……きっと、懐くんだろうな。
だって肯定されることがトリガーなんだから。
でも、橘キョウカに懐いているナギくんは——
なんだか、嫌だった。
想像しただけで、胸がちくりと痛む。
できるだけ、二人を鉢合わせたくない。
だって絶対、橘キョウカのことを好きになってしまう。
リヒトくんを取られた上に、ナギくんまで取られたら——。
この気持ちは、友達を取られたくないただの嫉妬心だろうか。
それとも。
―――――――――――――
学園の中庭は、まだ春の名残を引きずった空気で満ちていた。
私はベンチに座り、特に意味もなくスマホの画面を眺める。誰かを待っているわけでも、用事があるわけでもない。ただ、人の少ない場所に来たかっただけだ。1人になりたかった。
ナギくんとの距離感が分からない。答えが出るまでは、接すること自体が億劫だった。
(私、逃げてばっかだな)
……やめやめ。
それより、早くお昼を食べないと、昼休みが終わっちゃう。
プラスチック袋を開け、焼きそばパンをかじる。元の世界と同じ味。少し安心した。
「あら、見て。惨めですわね〜、庶民はこんな所で1人ランチですか」
「侘しいですわねぇ、お姉様」
なんだ、このキャラの濃い二人組は。
やたらと芝居がかった口調。悪役令嬢の見本市みたいな二人組だった。
悪役令嬢ムーブに悩んでいた時に、なんとも都合がいいキャラクターが現れた。
何故か次から次へと誰かに絡まれる。これもヒロインの引力なのだろうか。
「多勢に無勢、2対1でか弱い女の子を虐げるなんて、貴方たちの方が庶民よりよっぽど心が侘しいと思うけど」
「あ、あなたのどこがか弱い女の子なんですの!」
「この庶民怖いですわ、お姉様!」
「可愛げがなくて悪かったね、そんなの私が1番よくわかってる」
フンッと鼻を鳴らしながら言う。
自分がどこか活き活きとしていることに気がついた。
いい人じゃないなら、変にかしこまる必要はない。こういう相手の方が、私は私としていられる。対いい子では素でいられないとか、かなり難儀な性格をしていると思う。私はこの学園で、初めて自分を出せてる気がした。
ヒロインらしくない自分に、苦笑する。
ヒロインなら——橘キョウカなら、どうするんだろう。
きっと、リヒトくんが守ってくれるんだろうな。誰もが守りたくなる、可愛らしい女の子だもんな。
(ん?リヒトくんが守る?)
なにか既視感がある。そういえばそういうイベントがあったような…?
それにこの中庭も、よく見たら見覚えがある。
(このふたりもどこかで…)
お姉様と呼ばれている彼女は、抑えめなプラチナブロンドのサラサラロングヘアーで、呼んでいる方は、レッドブラウンの髪に白いカチューシャをしている。
どちらもメインキャラクターよりは控えめな見た目をしているが、当然のように整っているのは言うまでもない。
そうだ思い出した!この2人、悪役令嬢、橘キョウカの取り巻きだ!
そしてこれは椿リヒトと初めて会合するイベント!悪役令嬢に虐められているところを、たまたま通り掛かった椿リヒトが助けに入るのだ。
本来ならヒロインは、ここで椿リヒトと運命的な出会いを果たす。
悪役令嬢はいないけど、ゲームのシナリオは関係なく進行するらしい。でも、可愛げのないヒロインらしくない私を助けようなんて思う人は現れるんだろうか。
橘キョウカなら…
「……ねえ、二人に聞いてもいい?」
「な、なんですの?」
「橘キョウカのこと、どう思ってる?」
一瞬の静寂。
彼女たちの表情がスっと抜けて、急に変わった空気に、ただならぬものを感じた。
「あなた、あの噂聞いたのね」
噂?
「確かに私たち、初等部では有名な仲良し3人組でしたもの」
「初等部の話が、高等部まで引き継がれるのはエスカレーター式の悪いところですわね、お姉様」
確か、作中の悪役令嬢、橘キョウカと取り巻きの2人は初等部から仲良しの幼なじみだったはず。
それは原作と変わらないのか。じゃあいつ変わった?
「でもある時に急に拒絶されて、言葉使いも変わってすっかり別人のようになりましたわ…」
「私たちのこと嫌ってるみたいだった…」
別人…それが、橘キョウカが転生した瞬間。でもずっと仲良かった人が別人になって距離置いてきたら、きっとすごく悲しくて辛いだろうな。
「私たちのこと、自分の取り巻きって言い放ったのよ!?酷くありませんこと??」
「親友だと思ってたのに!」
取り巻きって、その言葉をそのまま本人たちに言うなんてどうかしてる。橘キョウカは話に聞く限り聖人君子で誰に対しても心優しいイメージだったが、印象が違うな。
いつの間にか、彼女らは私の両脇のベンチに座り、橘キョウカへの愚痴大会になっていた。
「そうだね、私もそれはちょっとどうかと思う」
「あなた、庶民のくせに意外に話の分かる方ですのね、特別に貴方は認めてさしあげてもいいですわよ」
「橘キョウカを持て囃す人がほとんどだから、私たちに共感してくれたの貴方が初めて」
悪役令嬢の取り巻きだから、どんな性格やばい人たちかと思ったら、ちゃんと関わってみると人間味があって可愛く感じられた。
私としては、多少いい性格している方が親しみやすくて話しやすい。久々になんの算段もなく人と会話している。ここはすごく居心地が良くて、まるで友だちと話してるようで楽しかった。
「……聞き捨てならないな」
低い怒鳴り声に、心臓が跳ね上がる。
急激に早くなる心拍数に、思考が停止した。彼と目が会った瞬間、心臓の鼓動がつんざくように響く。
思わず、両隣にいる取り巻きたちの袖を、震える手でぎゅっと掴んだ。
なぜ彼がここに…
「やっぱりあの時キョウカを泣かせたのは貴様だな、桜アリス」
目の前で椿リヒトが並々ならぬ形相で立っていた。どうやら、私たちが橘キョウカのことで盛り上がっていたのを聞いていたらしい。
「貴様のせいで、あの日からキョウカの元気がないのだ、可哀想に…。それに、キョウカが怖いと言っていたこいつらと連むとは…」
「…怖い?」
「私たちは断じて!なにもしていませんわ!」
「嘘をつくな!キョウカが理由もなく人を嫌うわけないだろ!現に今だって、キョウカの悪口で盛り上がっていたではないか!」
彼女たちはそう言われて押し黙る。彼の威圧感に圧倒されたのだろう。話を聞いてくれる素振りが一切ない。
「やはり裏ではキョウカのことをいじめていたのだな…
なんと醜悪な…いくら見た目が良くても、その性格だと誰にも愛されないだろうな」
いわれのない批判に、思わず絶句する。
(私の推しって、こんな人だっけ)
フィルターが、音を立てて剥がれていく。
恋は人を盲目にすると言うが、実際目の当たりにして納得した。
彼の鋭い視線に、私の胸は締め付けられた。かつて憧れた彼の姿は、今やどこにもいない。彼に対する幻滅で、目の前が暗くなった。
「誰が、誰にも愛されないって?」
穏やかな声が空気を切り裂く。
颯爽と現れた彼は、まるでおとぎ話の王子様のようだった。のんびりした声が、この場を一瞬にして掌握する。
「僕は、桜サンのこと好きだけど」
いつも彼は、私が追い込まれている時に現れる。
それが——少し、怖くて。
でも、確かに救いだった。




