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15.違う未来の先で

 



 目を覚ました瞬間、最初に感じたのは――白だった。


 天井も、カーテンも、シーツも。

 視界に映るものすべてが、やけに現実味のない色をしている。


(……生きてる)


 そう思った途端、身体のあちこちが遅れて主張し始めた。

 腕が重い。脚がだるい。喉がひりつく。


 小さく息を吸うと、清潔な消毒液の匂いがした。


 ――病院だ。


 遅れて、そう理解する。


「……あ」


 喉が乾いて、声が掠れた。


 視線を動かすと、カーテン越しに差し込む柔らかな光が見える。


 生きてる。改めてそう思う。


 その事実が、じわりと身体の内側に広がっていった。


「……よかった……」


 小さく呟いた、その瞬間。

 視界の端で、影が動いた。


「……桜サン?」


 聞き慣れた声。

 すぐ隣の椅子から、勢いよく立ち上がる気配。


「目……覚めた……?」


 ひさぎナギが、そこにいた。

 問いかけというより、確認。壊れやすい何かを扱うような声音。


 制服のまま。

 髪は少し乱れていて、目の下には薄く影がある。


 ――ここに、ずっといたのだと分かる姿だった。


 思い出す。

 事故の直後、必死に名前を呼んでくれたこと。

 泣きそうな顔をしていたこと。


(……心配、かけちゃったな)


「ナギ、くん……」


 名前を呼ぶと、彼の肩がわずかに揺れた。


「……本当に……」


 言葉を続けようとして、詰まる。

 喉の奥で、感情が絡まっているのが見て取れた。


 私は、ゆっくりと瞬きをする。


「……お兄さんは?」


 一番に、それを聞かなきゃいけない気がした。

 ナギくんは一瞬だけ目を伏せ、それから、はっきりと頷く。


「打撲と擦り傷だけ。軽傷だよ……桜サンのおかげで」


 その言葉に、胸の奥がほどけた。


「……よかった」


 本当に、心からそう思った。

 亡くなってしまう運命だった彼を、ナギくんの大切な人を助けられた。


 けれど、ナギくんは笑わなかった。


 彼は、私を見ている。

 まるで、失いかけたものを確かめるように。


「どうして……」


 低く、震えた声が零れる。


「どうして、あんなことしたの」


 責める声色じゃない。

 ただ、純粋な疑問と、恐怖だけが滲んでいた。


「兄さんを助けるために……自分が飛び出すなんて」


 握られた拳が、白くなる。


 私は、少し考えてから答えた。


「……体が、勝手に動いたの」

「気づいたら、突き飛ばしてた」


 嘘ではない。

 でも、本当の理由でもない。


 ナギは、ぎゅっと拳を握りしめた。


「……嫌な予感がしたんだ」

「僕の占いでは、兄さんが危険だって」

「そしたら、君が……」


 言葉が途絶える。

 その先を、言えなかったのだと思う。

 代わりに、ぽつりと呟いた。


「……怖かった」


 その一言が、胸に刺さる。


 ――本シナリオでは、

 彼が失うのは、兄だった。


 でも今。


 彼は、私を失いかけた。


(……同じだ)


 喪失の形が、入れ替わっただけ。


 私は、ゆっくりと手を伸ばす。

 点滴の管が邪魔をして、動きは鈍い。


 それでも、ナギの頬に、かすかに触れた。


「……大丈夫」

「ちゃんと、生きてる」


 ナギは、はっとしたようにこちらを見る。


 次の瞬間、ナギくんは立ち上がり、勢いよく私に近づいて――

 途中で、ぴたりと動きを止めた。


 触れていいのか、分からない。

 そんな迷いが、はっきりと伝わってくる。


 結局、彼はベッドの柵を強く握りしめた。


 その目に浮かんだ感情は――

 安堵と、後悔と、そして強い執着。


 見覚えがあった。


(……これ)


 楸ナギルートの、始まりの顔だ。


 本来なら、兄を失ったあとに向けられるはずだったもの。それが今、私に向いている。


 未来は、確かに変わった。


 でも、ナギの心がどこへ向かうかまでは、変えきれていない。


 カーテンが、静かに揺れる。


「アリス」


 聞き覚えのある、少し高い声。

 橘キョウカが、顔を覗かせていた。


「目、覚めたんだ?……無茶しすぎだよ」


 言葉はきついのに、声は少し震えている。


「死んだら、全部台無しだから」

「……ごめん」


 素直に言うと、キョウカは一瞬だけ目を逸らした。


「……それでも、アリスのおかげで未来は変えられた、分岐は成功だよ」


 これは、彼女なりの心配と賛辞。

 いつの間にか、彼女は私を呼び捨てにしていた。


 初めて出会った頃と比べれば、随分と距離が縮まった。

 苦手意識も、もうない。


 今は――嫌いじゃない。


 今の彼女は、みんなに振りまいていた八方美人っぷりもなく、私の前ではツンケンしてるただの年相応の女の子だった。


「心配してくれて、ありが――」

「……ねぇ」


 不意に、ナギが私たちの言葉を遮る。


「……なんで、兄さんが危ないってわかってたの」


 静かな声が落ちる。その場に静寂が訪れた。

 見極めるような視線が、私を射抜く。


 彼は、気づいていたんだろう。

 私たちがお兄さんを先回りで守ろうとしたこと。

 お兄さんを見張っていたことも、お兄さんを意図的に助けたことも、全て。


 私は、言葉を選ぶ。

 真実は言えない。でも、嘘もつきたくなかった。


「……たまたま、だよ」

「たまたま、にしては……出来すぎてる」


 彼の視線は、逸れない。


「君の方が、僕よりよっぽど……」

「“視えて”いたみたいだね」


 その目は、揺れていた。


 胸が、きゅっと締めつけられる。

 ナギは、俯いたまま動かない。

 しばらくして、かすれた声が聞こえた。


「あなたが、血を流して、倒れてるのを見て」


 ぎゅっと、唇を噛みしめる。


「兄さんを失う未来も……君を失う未来も、頭の中に浮かんで……」


 一瞬、言葉を探して。


「……あんな未来を見るのは、もう嫌だ」


 胸が、締めつけられる。


 ――ああ。

 この人は、感じ取ってしまうんだ。


 未来が、変わったことも

 その代償が、私だったかもしれないことも。


「……ごめんね」


 そう言うと、ナギくんは勢いよく顔を上げた。


「謝らないで」


 きっぱりと。


「……ありがとう、兄さんを助けてくれて」


 その一言が、ひどく重かった。

 声は弱々しかったけど、その視線は強くて。

 その奥にあるのは、必死な感情だった。


「……でも、僕は」


 少し、間を置いて。


「君に、いなくなってほしくない」


 静かな声だった。

 叫びでも、告白でもない。


 ただ、事実を告げるような声。

 その言葉が、胸の奥に落ちて、深く沈む。


 物語の中で、彼はこういうことを言わない。

 もっと後で、もっと安全な場面で。


 ――でも今は。


 変えてしまった未来の中で、

 彼は、ここにいる。


 私の手を、強く握って。


「……だから」


「次は、必ず僕にも相談して欲しい」

「……信じるから、僕のことも信じて。一緒に考えよう」


 守られる側でも、ただの攻略対象でもなく。

 一人の人として、隣に立とうとする言葉だった。


 私は、小さく笑って。


「うん」


 そう、頷いた。


 窓の外では、夕暮れが始まっていた。

 静かで、穏やかな時間。


 でも確かに、

 ここから先の物語は、もう――

 前と同じ形では、進まない。


 未来を知っている二人。

 未来を感じ取ってしまう一人。


 そして、変えられた“本来の物語”。


 橘キョウカは、少し離れた場所で黙ってこちらを見ていた。


 彼女もまた、“物語が変わった瞬間”を理解していた。


(……ここからだ)


 救えた命がある。

 でも、物語はまだ終わっていない。


 ――分岐点を、踏み越えただけ。


 静かに、次のルートが動き出しているのを、私は確かに感じていた。






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