表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/18

14.変えてしまった未来

 



 エンジン音が、異様に近い。


 耳ではなく、もっと奥――骨の裏側を直接叩くような振動だった。


「……っ!」


 ひさぎユウリが、ほんの一瞬だけ立ち止まる。

 青信号。横断歩道。何もおかしくない光景。


 ――それなのに。


 私の全身が、拒絶するように悲鳴を上げていた。


「ユウリさん、止まって!」


 叫んだ声は、雑踏に掻き消えかける。

 同時に、橘キョウカが舌打ちした。


「来る――!」


 視界の端で、黒い車体がこちらへ突っ込んでくるのが見えた。

 減速の気配は、ない。


 遅い。判断が。


「ユウリ!!」


 柊セイが、ユウリの腕を掴もうとする。

 けれど、その動きよりも早く――


(だめ――!)


 頭の中で、警告が鳴り響く。知っている。

 知っている未来だ。


 この位置。このタイミング。この速度。


 ここで彼は――


 身体が、勝手に動いていた。


 考えるよりも先に、私は前に出ていた。

 腕を伸ばし、ユウリの背中を突き飛ばす。


「っ……!」


 衝撃で、彼の身体が前に倒れる。

 同時に、世界が横倒しになった。


 ――鈍い音。


 空気が裂けるような衝撃と、

 何かが強く地面に叩きつけられる感触。


 視界が、白く弾けた。






 最初に戻ってきたのは、音だった。


 誰かの悲鳴。

 ブレーキの甲高い音。

 遠くで、名前を呼ぶ声。


「……ユウ、リさ……?」


 彼の無事を確かめたいのに、声にならない。

 それが自分の声かどうかすら分からなかった。

 視界はぼやけ、輪郭が定まらない。


 それでも――


 彼の姿は、見えた。


 横断歩道の向こう側で、

 楸ユウリが地面に座り込んで、こちらを見ている。


 無傷だ。

 少なくとも、生きている。


 その事実だけで、胸の奥が熱くなった。


(……助かった)


 未来は、変わったんだ。

 ――そう思った、瞬間。


「——兄さん!!」


 かすれた声が、遠くから聞こえた。


 振り向こうとして、激痛が走る。

 視界の端に、見慣れた影が飛び込んでくる。


 蒼白な顔で、こちらへ駆け寄ってくる――


「……桜、サン……?」


 息を切らした、楸ナギの姿。


 どうして、ここに。

 そんな疑問が浮かぶよりも先に、


「……嫌な予感が、して……」


 ナギの視線が、私へ。

 それから兄へ、横断歩道へ、車へ。


 ——察してしまったのだ。


 未来の“ズレ”を、彼は本能的に感じ取っていた。


 彼は膝をつき、私の名を何度も呼ぶ。

 震える手が、私の肩に触れる。


 その表情は、私が知っているどんな彼よりも――傷ついたような顔をしていた。


(お兄さんは助かったのに、どうしてそんな顔してるの……)


 救急車のサイレンが、遠くで鳴り始める。


 作中では、ここで横たわっているのは、

 楸ユウリだった。


 本来なら、ナギは取り返しのつかない喪失を背負うことになる。


 でも今は、違う。


 変わったシナリオ。

 ――変えてしまった未来。


 ユウリが、こちらへ駆け寄ってくる。

 泣きそうな顔で、何かを叫んでいる。


 柊セイは、道路を睨みつけたまま、拳を強く握り締めていた。

 橘キョウカは珍しく動揺していた。彼女らしくない、焦燥の滲む表情で。


「アリス……貴方が代わりに死んだら、本末転倒でしょ……!」


 その声は、どこか震えていた。

 安心させるように、力なく微笑む。

 私はヒロインだから、ヒロイン補正がかかるかも、なんて。

 そんな冗談めいた思考が浮かぶほど、奇妙な安堵が胸に広がっていた。


 救急隊員の声が響く。

 担架に乗せられ、視界が揺れる。


 ナギくんの顔が、遠ざかっていく。

 彼は、泣いていた。声を殺して、必死に。


(……大丈夫だよ)


 お兄さんは、ちゃんと生きているから。


 意識が、ゆっくりと沈んでいく。


 本シナリオでは、確かに楸ユウリは死んだ。それは、変えられない“物語”だったはずなのに。


 今ここにあるのは、彼の兄が生きていて、

 代わりに、私が倒れている現実。


 ――物語は、もう元には戻らない。


 それでも。


(救えた命が、あるなら)


 私は、それでよかったと思う。


 遠くで、誰かが私の名前を呼んでいる。

 その声に応えるように、かすかに指を動かした。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ