1.そんなの聞いてない
ついにこの時が来た…!
乙女ゲームの物語がやっと始まるんだ!
由緒正しき名門桜ヶ峰学園。そこは現代学園モノの乙女ゲーム『桜色に染まるふたり』略して『さくそま』の舞台である。初等部から大学まである、俗に言うエスカレーター式の格式高い学園。生徒たちは裕福な家柄出身で、所謂お金持ち学校というやつだ。
これからその学園の入学式が始まる。
そんな学園の校門前で私は逸る気持ちを抑えながら学園を見上げた。
(すごい、全くゲームと同じだ…!)
美しい庭園に囲まれた壮麗な校舎が立ち並ぶ学園。古典的なヨーロッパの建築様式とモダンな設備が融合し、学園全体が優雅な雰囲気に包まれている。学園へ続く道は桜並木で溢れており、さすが名前を冠しているだけあって、桜の木々が学園を華やかに彩っている。
まるで御伽噺の中に迷い込んだかのような非現実的な世界に、思わず感嘆の息を漏らした。まぁ実際近からずも遠からずだが。
黒い髪に黒い瞳、小柄な可愛らしい少女。
私はそんな清純で愛らしい見た目にそぐわない大股な足取りで意気揚々と校門をくぐった。ずんずんとある程度進むと突然ピタッと止まり、興奮冷めやらぬ様子で鼻息荒くガッツポーズをする。
さながら受験にやっと合格した浪人生のような気迫をまといながら、拳を天高く掲げ叫んだ。
「やっとスタートラインまで来た!!待ってろよ、私の王子様…!ぜってぇ逃がさねーから!!!」
荒々しい咆哮に応えるかのように桜の花びらが舞い散る。
王子様に会えることに胸を躍らせながら、広大な敷地内へと足を踏み入れた。
乙女ゲーム『桜色に染まるふたり』略して『さくそま』。
その物語が今、始まろうとしている。
―――――――――――――
私がこの“世界”に来てから苦節3年。
長いようであっという間だったその3年間は、地獄のような毎日だった。
ここに来た当初、ここが乙女ゲームの世界で私が“ヒロイン”に成り代わっていることに気づいた時…相当ビビり散らかした。
(あれどこだここ、なんか見覚えが………そうだ、『さくそま』のヒロインの部屋だ………なんで??ていうか私のこの見た目.........ヒロインになってる!?え、夢?いや、まさか転生ってやつ?私もしかして死んだ?全然覚えてない!)
目が覚めると、どういう訳か私が大好きな乙女ゲーム『桜色に染まるふたり』のヒロインになっていたのだ。なぜこうなったのか、これからどうなるのか怖くて不安だったが、攻略キャラクターもとい推しが同じ世界線に存在していると気づくとその考えも一気に吹き飛んだ。
推しと直で会えるだけじゃなく、よもや恋仲になれる可能性があることにただただ歓喜に震えた。
元の世界に親しい人や大切な人がいなかったからか、この世界を特に抵抗なく受け入れることができた。私の大切な人はこの世界にいる推しだけだったから。
だが、喜んだのもつかの間、直ぐに私の学力じゃ桜ヶ峰学園へ入学することが不可能だと知る。
(嘘だろ、ステータス引き継いでないのかよ!?)
ヒロインになれたのは良かったものの肝心の中身は私のままで頭を抱えた。
元々落ちこぼれだった私は当たり前に勉強が苦手で成績は芳しくなく、そんな私が名門学園へ入学できるわけがないのだ。
(どうせ転生するなら乙女ゲームの始まりからが良かった…というか普通それが定石だろ!なんだよガチ受験から始まる乙女ゲームって聞いたことないよ!!)
そこからはもう地獄だった。
何とか合格ラインまで成績をあげるため毎日毎日必死に勉強した。私の場合基礎から勉強する必要があったため小学生教材からやり直す。あらゆる娯楽を我慢し、ただひたすら机に向かう日々。
それもこれも全て推しのため。
推しの存在はあんなに勉強嫌いだった自分をここまで突き動かす原動力になるのかと驚きつつ、それだけでは説明つかない違和感もあった。
その違和感の正体には勉強を始めた序盤に気づいた。明らかに物覚えが早いのだ。頭に入ってくる要領の良さは元々のヒロインを引き継いでいるらしい。元の私なら理解するのに時間がかかっていたであろう箇所も、すらすら知識として入ってくる感覚に感動を覚えた。私のままだったら勉強しても頭に入ってこず詰んでいただろう。
そんなこんなで、勉強漬けの毎日から抜け出し努力が正当に報われ、晴れて桜ヶ峰学園へと入学することを叶えたのだ。
これに関しては本当に自分で自分を褒めてやりたい。よく頑張った私。
まるで物語のエンディングを迎えたかのような一種の達成感を覚えながらも、いやいやと首を横に振る。待ちに待った本当の物語はここから始まるのだ。これからは楽しいことだけが待っている。攻略キャラクターに会って、仲良くなって更には恋愛に発展して…想像しただけで顔がにやけてしまう。
期待に胸を膨らませ、満面の笑みで学園の正面玄関へと続く道をスキップしながら進む。他の生徒は車で登校してる中、鼻歌混じりに上機嫌に1人歩いて向かう私は傍から見たら滑稽に見えるだろう。
一つ懸念点があるとすれば『さくそま』には悪役令嬢と呼ばれるキャラクターが存在する。悪役令嬢に虐げられるイベントはシナリオ通り進むなら避けられないだろうが、まぁそれも全容を知っている私なら可愛いものだ。
(そういえば悪役令嬢たちは初等部からの幼なじみだっけ。)
悪役令嬢、彼女は名家のご令嬢で初等部の頃に1人の攻略キャラクターに一目惚れし、親に頼み込み許嫁にしてもらった過去がある。執拗にアプローチしては軽く受け流されており、攻略キャラクターと仲の良いヒロインのことをよく思っていない。
ゲームをプレイしていた時はなんとも思わなかったが、当事者になってみると初等部から知り合いだった悪役令嬢が羨ましい。
悪役令嬢からしたらヒロインになれただけじゃ飽き足らず、更に求める私は貪欲に映るだろう。
名前は確か…
「キャー!ご覧になって!橘キョウカさんよ!」
そうそうそんな名前…って、え!?
聞き馴染みのありすぎる名前に振り返ると、そこにいたのは女生徒に囲まれ楽しそうに笑う悪役令嬢の姿だった。
悪役令嬢、名前を橘キョウカという。藤色の腰まで長いふわふわした巻き髪。菫色の切れ長な瞳。
ゲームで見た通りの見た目だ。間違いない、悪役令嬢橘キョウカがそこにいた。だが…
(これ、なにかのバグ…?)
記憶にある彼女とは明らかに雰囲気が違う。気が強そうなトゲトゲしたオーラはどこへやら、ただひたすらに穏やかな空気が漂っていてゲームの彼女を知っていると違和感が尋常じゃない。
何故か妙に嫌な予感がする。
困惑する私に追い打ちをかけるかのように、私がここまで頑張ってきた“目的”が悪役令嬢に声をかける。
「キョウカ、おはよう」
「リヒトくん!おはよ〜!」
(嘘でしょ?リヒトって…)
金髪碧眼の美しい男性が悪役令嬢へ親しげに話しかける。私はその姿を見てあまりの衝撃に言葉を失った。笑みを交わす美しい2人をただ呆然と見つめることしか出来ない。
何あれ何あれ何あれ。
(なんで私の王子様が、悪役令嬢の隣で笑ってるの…?)
あんなに切望していた推し、椿リヒトが目の前にいる。存在している。なのに私は喜ぶどころか絶望に苛まれていた。名前を呼び合う仲睦まじい姿が異様で、ゲームにはありえない光景なのに美男美女だからか並ぶと映える所が腹立たしい。そんな2人を“お似合い”だと少しでも思ってしまった自分に吐き気がした。
(椿くん、もしかして悪役令嬢のこと…)
本来ヒロインに向けられるはずだったその笑顔は、全て悪役令嬢に注がれている。悪役令嬢を愛おしそうに見つめる椿くんの瞳。それが何度も見たスチルの瞳と同じだと気づいた時、私の入る隙はどこにもないのだと察してしまった。それなのに悪役令嬢は鈍感なのか全く気づいてないらしく屈託ない純粋な笑顔を返していた。そんなゲームでは有り得ない展開に理解が追いつかない。
夢でも見ているのだろうか。あんなに高圧的でプライドの高かった悪役令嬢がまるで別人のように…
(ん?別人?)
ほぼ確定であろう最悪な予感に、目眩がした。
もし本当に悪役令嬢が私と“同じ”だとすると全ての辻褄が合う。…そうであって欲しくはなかったが。
手が震える。あんなに会えるのを心待ちにしていたはずなのに、今はここから逃げ出したくてたまらない。信じられない。信じたくない。
勉強していた時、挫けそうになった時、自分を励ますように椿くんとのロマンチックな出会いを妄想して、自分を鼓舞していた。今となってはそんな自分を殴りたい。
私は私が幸せになるために頑張ってきたのに、これじゃなんのためにここまで。思考が乱れる。
これじゃ全ての計画が水の泡だ。
誰が見ても理想的な2人を直視できなくて、遂には辛抱たまらずその場から逃げ出した。
まさか、悪役令嬢が私と同じ転生者だったなんて!
そんなの聞いてない!
お読み頂きありがとうございます。
初めて小説を書いてみたので、勢いで投稿してみました。
楽しんで頂けたら幸いです。