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リディアは立ち上がって歩いたことにより、アルコールが回ったらしく目は眠たそうに重たく、頬はほのかに赤みがさしていて足元もおぼつかない。
「っ、ロイ! リディアを部屋にもどしてきてくれ、私たちは今日はリディアを抜きで話をする」
すぐにそう指示を飛ばしたクラウディー伯爵であったが、ロイはニコリと微笑むだけで、リディアを丁寧に席につかせた。
「ロイ……」
それを見て落胆するようにロイの名を呼んでクラウディー伯爵は項垂れた。
ロイはただの使用人ではなく、リディアの補佐の為に雇われている男爵家の三男坊だ。
必然的に、雇い主であっても事情をきちんと聴くぐらいは、しなければならず、突然叱り飛ばしたりは出来ない。
「……ふふっ、あーはははは!!」
席に着いたリディアは突然、大きな笑い声をあげた。
その声に場にいる全員が騒然として彼女を見た。何も面白いことなどないはずなのに面白くてしょうがないと言うように笑う彼女は、もうすでにすっかり出来上がっている。
「は~あ、はははっ、ああ~、心地いい!!」
顔を赤らめて面白くて堪らないというように手を打って微笑む姿に全員がうっと息をのむ。
下品だなんだとオーウェンには言われたが、派手で美しく他人を魅了するリディアを、罵る言葉がそれ以外思い浮かばなかったが故の罵り文句であった。
今この場にいるリディアは、どこかの酒場で一人でこんな風に乱れていたら、彼女を誘いたい男で列ができるほどに美しく妖艶で可憐な令嬢だった。
「リディア! いくら身内の集まりだとしても、いい加減にしてくれ!」
さらにワインを傾けるリディアに、オーウェンは堪らずそう口にする。
しかしそんなことはお構いなしにリディアはさらにワインを飲み干してから、オーウェンの言葉を無視して、酒に酔って無駄に声が大きくなってしまっているという風に常に腹から声を出してダイニング中に響かせた。
「こんなに、酒に酔いしれることが心地いいなんて知りませんでしたわッ!たしかにこれなら、毎日でも楽しみたいですの」
酒に酔って熱くなってきてしまった、そんな仕草で後ろに流している髪を持ち上げて肩に流す。
「オーウェン様があれほど友人たちと乱れるのも納得がいきますわ」
「お、俺は、お前のように正体をなくすほど、飲んだりしない!」
丁寧にリディアの言葉を否定するオーウェンの事など気にせずに、リディアは続けた。
「あんなに乱れて、酔いつぶれて、わたくしとの結婚についての本音を喚き散らしてしまうのも納得ですわ~」
ウフフと笑い声を含んだような楽しげな声、その場に居る全員の空気が固まって、誰かリディアを止めた方がいいのではないかと目配せをし始める。
しかしそんな隙など与えるつもりもなく続けていった。
「わたくしは、下品で、下世話で世間知らずの箱入り娘。こんなに面白味のない女との結婚なんて嫌で嫌で当たり前ッ」
べろんべろんになってしまってもう何も現実などわからない、誰がどんな顔をしていようともどうでもいい。そんな様子だった。
「毎週毎週、律儀に喚く喚く、うるさいったらないわね。夜鳴きする犬と生活しているみたいでしたのよ?」
「っ、」
「でも、仕方ない! そう、お酒の力だからオーウェン様は悪くない!」
びしっと人差し指を立てて、リディアは言った。そして父と母に目配せをする。
リディアが許せる範囲を超えたから、指摘をしたのに、それぐらいでと言った彼らにあてつけるように口にした。
「どんなに注意をしても叫ぶのをやめない男と結婚? 飲酒した翌日に部屋で失禁しているような男と子をなす? わたくしの人生とんだ茶番ですのね!」
おかしくって笑いすぎてちょっとリディアは涙が出てきた。「は~あっ」とひと息つくけれど、笑いがこみあげてきて仕方がない。
「あーあ、結婚したくありませんわ。こんな男と、こんなに酒に汚く下品で、矮小で、自己顕示欲だけが立派な紳士となんて、結婚したくありませんわ」
「リディア……そのあたりで━━━━」
オーウェンと同じように酒の勢いで罵ってすべてを暴露するリディアに、これからの生活や二人の夫婦関係を考えてクラウディー伯爵が声をかけた。
どんな人間であっても、こうして婚約している以上は話し合って、夫婦としてやっていかなければならない。
これ以上リディアが彼をののしれば、後々遺恨が残る。
すでに残るとは思うが。それでも、未来の為に、制止しようとした。しかし、そこでリディアはさらにカードを切った。
「友人に利用されて、クラウディー伯爵家の情報を引き出されてもまったく気がつかず、むしろ、酒の席に付き合ってくれる親友だとすら言うようなオーウェン様と結婚したら、この伯爵家も終わりですわ~」
「一応、こちらが、オーウェン様がご友人たちとしていた会話の記録になります。クラウディー伯爵、近頃事業の障害が多いとぼやいておられましたし、ご一読いただけますと幸いです」
そこでロイが間髪入れずに、テーブルに書類つづりをポンと置いた。
それをものすごい形相で俊敏に回収したのはアディソン子爵だ。
「お前! あれほど酒癖を直せと言っていたのに、この馬鹿者!!」
「父上、な、何かの誤解だ!」
アディソン子爵は、焦った様子で書類つづりをばらばらとめくる。
しかしそれはただの囮。つまりは無地の紙束だ。ロイは、彼らの反応をきちんと見ていたクラウディー伯爵に本物の記録を丁寧に手渡した。
「……どういう事か、説明してくれるかアディソン子爵、オーウェンは親である貴方がそのように反応するだけの何かがあったという事か?」
「い、いえいえいえ! そのようなことは決して!」
「では、その奪い取るようにして手にしたそれはどうして今、貴方の手の中にある」
「……」
「心当たりがあるから、必死になったのでは?」
「っ、」
アディソン子爵は無言になってだくだくと汗を掻いた。
リディアの指摘に耳を貸さなかったクラウディー伯爵ではあるが、それは、娘を信用していなかったのではなく単に、酒を飲めない子供のほんの少しの嫉妬と愚痴だと思っていた。
だからこそ共に酒を飲み交わすことができる年になれば、考えも変わるその時にまた話を聞こうと判断を下していた。
しかし、リディアは思っていたよりもずっと大人であり、正しく、出来る人間だった。
クラウディー伯爵と、アディソン子爵の問答はさらに激しくなっていく、食事が皿の上で誰にも手を付けられずに乾燥していく。
そんな中、心底忌々し気に、オーウェンはリディアを見ていた。その拳はぶるぶると震えていて、今にも殴りかからんばかりだった。
「……この、ふざけやがって……」
絞り出すように言った彼に、リディアはいい加減酔っぱらいの演技をやめて、今までのうっぷんを晴らすように、あざ笑って口にした。
「あらやだ、水に流してくださいな。所詮は酒の席での戯言ですのよ」
発された言葉にオーウェンは言葉をなくし、苦々しい顔をする。
「ふふっ」
……貴方、私がいくら指摘してもそう言って躱してましたものね。さよならオーウェン、もう二度と会わなくていいのね。嬉しいわ。
最後まで口にせずに、そっとテーブルを立って、ダイニングを後にした。情報漏洩をしていた彼に父は損害の賠償を請求するだろう。必然的に婚約は破棄になる。
やり遂げた達成感で、ずんずんとヒールを鳴らして廊下を進んだ。その足取りはとても明確なものだった。




