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それはリディアの両親が数日間、仕事の関係で屋敷を空けていた時、本当にたまたま、偶然にも村の方へとお忍びで出かけていたリディアはロイとはぐれて迷子になっていた。
しかし、このお屋敷から一番近い町では、誰もがリディアを知っている。危険もないし人攫いもいない。
のどかな町並みを眺めながら冒険者にでもなったような心地で路地裏をとことこと歩いていた。
小さな川を見つけて流れを眺めていると綺麗なお魚が身をくねらせて泳いでいた。
お魚は普段の食事にも出てくるし、生の状態でも厨房にもぐりこんで見たことがあったが、生きているのを見るのは初めてで、その姿をもっとよく見るためにお得意の風の魔法で掬ってみようと考えた。
キラキラと太陽を反射する水面に集中していると、ぱっといつの間にか目の前に純白のドレスを着た同じ年頃の赤毛の少女が出現したのだった。
「きゃあっ」
彼女は短くそう声を漏らしてバシャンと水しぶきを上げて川に落ちた。
「あっぷ。っば」
……あの子、お魚の天使かしら?
幼いリディアはそんな風に考えた。だって真っ白のドレスはどんなにリディアが着たいといっても買ってもらえない、特別な色だったからだ。
そしてそれはとても神聖で限られた女神に近い存在しか着ることが出来ない。
ということは、あれは子供だしきっとお魚の天使だ! と信じて疑わなかったが、華麗にお魚のように泳ぐこともなく流されていく。
「が、ゴボッ、はぷっ」
どうやら足がつかない様子で、必死にあがいて地面に上がろうと水をかいている。
それはさながら犬や猫が水に落ちた時と似たような動きで、それを見てリディアはやっと彼女に助けが必要なのだと理解した。
風の魔法を使って彼女をぶわりと風を吹かせて持ち上げて、路地裏に置いた。
びしゃりと濡れ雑巾を床に落としたような音で彼女は地面に這いつくばり、まさか死んでしまったわけではないだろうな、とリディアは少し恐ろしくなりながらもそろっと近づいた。
するとがばっと顔をあげて、彼女はリディアにつかみかかった。
「っ、何でもっと早くだずけて、くれなかったんですかっ!!」
「……っ」
「ごほっ、魔法があるのに、な、何でですかっ!!」
肩をがくがくと揺らされてリディアは驚いてしまって、何も言えずに固まった。
なんせリディアは、幼い頃、それはもうやんちゃだった。しかし、それを咎めたり、叱ったり、諫めたりする人はいても、本気でリディアに文句をつけて怒る人間に出会ったことがなかった。
「お、おぼれて、もぉしんじゃうかもっでおもっだのに」
「……」
「怖かったのにぃっ、わたし、聖女なのにっ」
自分が助けられて当然で、誰もが自分を優先してくれるはずだと幼心にそう考えているのは聖女であるエイミーも同じだった。
そんな二人が出会い、詰め寄られてリディアは驚いて思わず彼女を突き飛ばした。
すでにドレスを着たまま水に浸って疲れ切っていた彼女は、簡単に倒れこんで地べたにしりもちをついた。
それからキョトンとして、状況を理解してから「ゔ」と小さく呻いて、堰を切ったように「うわぁ~ん゛!!」と泣き出した。
リディアはその状況でも、聖女と名乗った彼女の事を観察していた。
クラウディー伯爵家の小さな暴君であったリディアだったが、こんなに無礼で、泣き虫な人間に会ったのは初めてで、これをどうしてくれようかと気難しく悩んで見つめた。
しばらくして周りに、平民の大人が様子を見に集まってくるが貴族の娘たちが何やらトラブルを起こしている様子に、流石に首を突っ込む気になれずに誰もが知らぬ顔をして去っていった。
それから泣きつかれるまで聖女は泣いて、リディアはそれをじっと見つめていた。
しかし、いい加減にエイミーはいくら泣いていても自分を助けてくれる人間はいないのだと気がついて、目の前で眉間に皺を寄せてじっとこちらを見ている気難しそうな彼女に頼ることにした。
「っ、ひっく……ぐずっ、う」
「……」
「うぇ~ん、っ」
「……」
「……なんで、私のこと心配してくれないんです?」
おずおずと聞いた彼女に、リディアは、つんとした態度でそっぽを向いた。




