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すると話がひと段落するのと同時に、背後からサクサクと芝生を踏みしめる音がして、ロイと共に何気なく振り返った。
するとそこには、相変わらず気弱な雰囲気を漂わせているディアドリーの姿があり、彼女は連れていた使用人に離れるように言って人払いし、静かにこちらにやってくるのだった。
……そっちから来るとは思ってませんでしたわ。
「ごきげんよう。ディアドリー様」
一応尊い身分の方なので、身なりと整える……というか泉につけている足を拭いて靴を履いてドレスを整えなければならないだろうなと思ったが、彼女はリディアたちのすぐそばまでやって来て、ゆっくりと膝を折った。
ロイも驚いた様子で、彼女を見つめたまま少し姿勢を正した。
「……リディア様……最後に一言お礼を申し上げに来ました」
耳障りのいいしっとりとした声音でそう告げる。
彼女がドレスで地べたに座り込んでいる様子に、リディアは自分の事は棚に上げて、貴族なのに珍しく汚れることを気にしない人なのだなと思った。
「お礼は結構、わたくし、誰かの為に動いたつもりはありませんの」
「……そうですか」
彼女の言葉に反射的に返答をして、少し気落ちした様子で答えるディアドリーにリディアははっとした。
ディアドリーは気弱な性格をしているらしいし、先ほどロイだって心配している様子だった。
突き放すように言ったととられてもおかしくない、でも、恩を売るようなことを言うのも違うし、どうしたものかとロイを見た。
すると彼は、頷いて補足するように言う。
「我々は、ないがしろにされて、個人的に思う所もあったのでハングブリング公爵に仕返しをしただけなんです。なので、どうか気になさらず、ディアドリー様はお腹の中のお子様の為にもご自愛ください」
ロイはなんだかいい感じに、彼女をいたわった。
それにリディアも同じようにあたかも初めから思っていましたと言わんばかりに優しい笑みをした。
「そうですわ。これから、エルトン様との仲を深めるのも大変だと思うけれど、自分の事を大切にしてあげられるのは自分だけですわ、自分を守るためには強情さが大切ですの!」
ふんすと鼻息荒くリディアはディアドリーにそうアドバイスをした。それにディアドリーは沈黙した。それから困り眉をさらに困らせて考え込む。
「悩む必要はありませんのよ。気力を削がれたハンブリング公爵は少し哀れだったけれど、生きているんですもの、まだまだ、何とでもなりますわ。ね、ロイ」
「はい、お嬢様!」
答えない彼女にそんな風に締めて会話を終わらせようとした。しかし、ディアドリーはやっと口を開いた。
「……そうですね。悲しい事にまだ生きていらっしゃるから、何とかやってみます」
「!」
ひたりと冷たい手が背中にぴたり触れたような感覚がして、ぞくっと悪寒が体を駆け抜けた。
「ねぇ、リディア様……貴方がお優しいというのはたしかにその通りですね。……生きているうちに、間違いに気がつかせてあげるのですから。私が手を下す手間が省けました」
「……」
リディアは黙り込んで彼女のまったく無害そうで気弱そうなその顔を見つめた。
「わたしからも、うら若く快活なリディア様に一つアドバイスを差し上げます」
「……」
「結婚とはとてもしがらみが多く、思い通りにいかない事ばかりです。妥協せずに選ぶことをお勧めします。……それでは、本当にありがとうございました。またどこかでお会いするときには我が子を紹介出来たら嬉しいです」
ゆっくりと立ち上がって、嫋やかにほほ笑むディアドリーは、どこからどう見ても男性に従順で腹の中に殺意を飼っているようには見えない美しい女性だ。
しずしずと屋敷の方へと戻っていく彼女を、リディアは呆然としたまま見送っていた。
呆然としてしまうのも当然だろう。
か弱いと思っていた人の恐ろしさを垣間見れば誰だって驚く、それが助けた相手ともなれば当たり前だ。ロイはそんな風に考えて、何とリディアを励まそうかと考えた。
だって、家族内で、仕返しに殺そうと考えていただなんてそんな恐ろしく生々しい話を聞いたら気だって滅入る。
それがさらにあんなに無害そうな女性が計画していたとなるとなおさら、世の中の難しさに悲しくなるだろう。
「……ロイ」
リディアが真剣な声でロイを呼ぶ。
それにすぐに「はいっ」とロイは存在を主張するように返事をした。
「……こんなことってある?……こんな……」
「難しい問題ですが……結果的にはハンブリング公爵を救ったと━━━━
「わたくしたちッ! 新婚さんに見えてないって事ですのッ?!」
「……」
「新婚旅行に来ているのに、結婚のアドバイスをされるなんてありえますの~??」
「……」
「わたくし、既婚者ですのに! 大人の女性ですわッ!」
「……ええ、リディアお嬢様はご立派な女性です」
「そうですわよね。まったく困ってしまいますわ」
そういいながらも、また水をパシャリと蹴り上げて、水面を波立たせるリディアにロイは、そう言えばこういう人だったと思いだして彼女の合理的な性格を少しありがたく思ったのだった。