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こちらを見据えるその瞳が恐怖に怯えている事にすでにリディアは気がついていたが、うっそりと微笑んだ。
やっとそのプライドを折ることが出来そうだ、そんな風に思った矢先にそばにいたエルトンがリディアに食って掛かった。
「もう一杯飲めだなんて、父上を殺す気か?!」
その言葉に反射するように、ハンブリング公爵は無駄に自分を奮い立たせて、リディアの手をパシンと払いのけた。
中身の入ったグラスが落ちてお酒をテーブルにぶちまけた。
「そそ、そうじゃ。そもそもなんだこのひ、酷い酒は、魔草を使っただけでこんな風になるわけなかろうっ、いくら酒に弱い人間でもこんな風になってるわけがない」
……もう少しでしたのに、この人……。
中立的にディアドリーを守っているように見えて、父親を増長させるだけで何も行動しない。こういう人間が物事を悪化させる。
エルトンを横目で睨みつけて黙らせて、それからリディアは、そもそもこんな話はおかしい、わしがどうして証明せねばならない、とうわごとのように呟くハンブリング公爵のそばに寄る。
それから、耳元で囁くように言った。
「そんなに言うのならこっそり教えてあげますわ」
これをまだ、夫にディアドリーが言うつもりがないらしいので了承を得たハンブリング公爵にだけ教える。
「たしかに体質でもお酒を飲んであんな風に感じる事は成人した人間ではありえません。……ただわたくしは、お酒をディアドリー様が飲めない理由になっている人が、どんな風に感じるかを考えてこのお酒を作りましたの」
彼はすぐに自分の味方のエルトンが黙り込んで視線を逸らしたことで、また震えるだけの老人に戻っていた。
「それはね、赤ちゃんですの。貴方の血を引いた可愛い赤ちゃん、ディアドリー様のお腹の中にいる、ハンブリング公爵家の赤ちゃん」
「……」
「ただでさえお酒に弱い、母体に無理をしてお酒を飲ませてその赤ちゃんが無事でいられると思いますの? ハンブリング公爵閣下は子殺しをするところでしたのよ。なんの事情も知らずに自分のプライドを守るためだけに躍起になって」
耳元から彼の頭に直接吹き込むように言った。
「あのお酒は母体を通じて赤ちゃんが飲んだ時と同じように貴方の体に効いたんですの。……私の側近がいなければどうなっていたか、わかるはずですわ。ハンブリング公爵家の続いた歴史を受け継ぐ子孫。脈々と続いてきた素晴らしい技術と、貴方の功績を後世に伝える宝物」
「……」
「そんな大切なものを、壊すなんて、貴方こそ何様ですわ。研鑽を積んでここまで歴史と技術をつないできた貴方のご先祖様はきっと貴方のような若輩が台無しにするつもりかと墓の中から呪っていますわ、ハンブリング公爵閣下」
その皺の寄った瞳は血走っていて涙が浮かんでいた。
「……辺りが見えなくなる時は誰にでもありますわ。でもいつだって誰しも、そうなるかもしれないという気持ちを忘れてしまっていては誰も止められない。いくら偉くなったのだとしても、自分で自分の血筋を終わらせてしまっては誰も貴方を尊敬できませんのよ」
そっと優しく肩を撫でる、気落ちしてしょんぼりと肩を下げているぐらいが彼には丁度良いのではないだろうか。
「ゆめゆめ忘れないようにしてくださいませ。思考を停止して文句を言うだけですべての物事を測ることが出来るほどこの世は停滞してませんの」
「う、うゔ……」
「まだ間に合いますわ。受け入れる努力をできる人間はきっととても尊敬される偉大な人になりますのよ」
鈍い声をあげて老人はさめざめと泣いていた。
リディアはかがんでいた体勢を戻してふうっと息を吐いた。すると少し距離を置いてこちらを見ていたエルトンが、突然泣き出したハンブリング公爵を見て恐る恐る問いかけてきた。
「な、何を父に言ったんだ……」
「……」
聞かれて、リディアはスッキリした笑みを浮かべながら、ハンブリング公爵の言葉を使って、楽しげに返した。
さらりと三つ編みが揺れて体を翻す。もう用は無いし、使用人たちに扉を開けていいと合図を送らなければ。
「あら、ただの小娘の戯言ですわ。お気になさらず」
合図を送ってそれからロイに視線を向ける。
「ロイ、新しい紅茶を淹れ直してくれる?」
「はい、只今」
テキパキと動くロイはいつもの通りだったが、エルトンのリディアを見る瞳は軽蔑の色を含んでいて、やっぱり彼もハンブリング公爵の息子だなと仕方ない気持ちになったのだった。