13
準備が整うまでの間に、リディアはこういう老人の気持ちについて考えた。
明らかな被害妄想に加えて、高すぎるプライドが様々な方向に刃を向ける理由になっている。
貴族社会ではこういう老人がずっと重鎮の席に座っていて、危機を感じるたびに他人を貶す。
「リディアお嬢様、お待たせいたしました」
声とともに今まで出されていた食事が給仕係りによって下げられて、チーズやナッツの載ったプレートとともに、ハンブリング産の中でももっとも高価なウィスキーの入ったショットがディアドリー以外に配られる。
「……!」
エルトンと言い合っていたハンブリング公爵は、改めて給仕されたそのプレートを訝しむように見てから視線をリディアに戻した。
一目で自領の酒だとわかったのだろう。その職人の目利きは素晴らしいし、何も馬鹿にしてなどいない。
……立派な方と会うのですから、それなりの準備はしていますわ。
「……本来はコースの最後にゆっくりと話をするために用意していた一皿ですが、この晩餐会を長引かせるのはあまり得策ではないと思いましたので、先に持ってこさせましたわ」
「……」
「ハンブリング公爵閣下がどのような方で、どれほど素晴らしい功績を持っているのか理解していますし、それはこの場にいるすべての人間の周知の事実ですの」
こういう、誰にでも当たり散らすご老体の多くは自分の居場所を奪われるのではないかと不安になっているだけなのだ。
だからこそ大前提として、長く貴族として研鑽を積んできているという事をみんな知っていて尊敬しているその事実を伝えてあげるといい。
「ですから、それほどディアドリー様を虐めないであげてくださいませ。彼女がアルコールを口にできないのは、彼女なりの理由があると見受けられますわ……ね?」
「っ……はい」
ディアドリーがどんな人間でどんな人格の持ち主なのかというのはリディアは知らない。
しかし、元から酒に弱い体質だったのなら、今さらにお酒を飲めないという理由だけはリディアにはわかる。
そして注意深く観察すればそれは、理解できることのはずだ。
できなくとも、相手をよく知らずして強要をする事はあってはならない。貴族として、立場ある人間として、多くを学び理解しようとする姿勢だけは崩してはいけないのだ。
「……」
ショットグラスに手をかけてぐっと傾けて飲みこんだ。舌が痺れるような強いアルコールの味に、鼻から抜けていくスモーキーな香りが心地よい。
強いお酒ではあるが、丁寧に作られているだけあって上質で薫り高く飲みやすい。
これは現ハンブリング公爵が作り上げた至高の酒だ。そういう功績をたたえるためにもコースの最後に持ってきたのに、プランは台無しになってしまった。
それでも少しでも気分が良くなってくれればいいと思い、ハンブリング公爵の方を見つめれば、彼は馬鹿にしたように、ハンッと笑って、席を立った。
「小娘の戯言など誰が真に受けるか。わしの酒はこんなしょうもない晩餐会に使われるために作ったのではないぞ、最悪の気分だ」
…………。
そう吐き捨てて彼は一人で席を立って、ずんずんと歩いてダイニングを出ていく。
使用人が何人か彼に付き添っていき、残されたのはエルトンとディアドリーの二人のみだった。
「……すまない、リディア様。……ここ最近父は、異様に感情の起伏が激しく……ビジネスの話は後日父上が落ち着いてからにさせていただきたい」
「構いませんわ」
「ありがとうございます。行こうディアドリー」
「はい、リディア様。失礼いたします」
「ええ、良い夜を」
ハンブリング公爵を追うように去っていく彼らに、リディアは丁寧に返して一人、ダイニングテーブルに座ったまま思考を巡らせた。
……多くの場合、ああいったご老体にはひたすら下手に出て、機嫌を伺いながら話を纏めるのが一番ですわ。
嫌味な方だとしても、歳をとって体が自由に動かなくなってしまったが故のストレスがたまっていて、頑固になってしまったり、自分のプライドが傷ついて他人に攻撃的になっていたりしますの。
だからこそ、若いわたくしたちが、いたわるべきご老人にへりくだって優しく対応を。
なんせ、彼らは先に死ぬのだから、長く生きた彼らを敬ってあげた方がぶつかるよりもよっぽどいい。
あと十年もすれば、亡くなる彼は、生きている若い自分たちには勝てないのだから。
そういう論調はたしかに理にかなっている。しかし、理にかなっていても最善ではないだろう。
……いい方法を思いつきましたわ。
リディアはしばらく考えてから「ロイ」といつものように彼を呼んだ。「はい」と歯切れの良い返事が返ってくる。
「貴方の水の魔法、人体に影響のある毒にも使えるかしら」
「ええ、魔力を多く使うので一日に一度ほどしか使えませんが」
「そうね、十分ですわ。……ロイ」
「なんでしょうか」
「わたくしのお願い聞いてくれる?」
「ええ、何なりとお申し付けください」
いつも通りの返答にリディアは満足して、一晩かけて準備を整えたのだった。
準備を終えて今朝方になり、使いに出していたルシンダが急いで私たちの屋敷を訪れた。
彼女の手にはディアドリーからの手紙が握られていて、その手紙を読めば唯一気がかりだったことも解消されて、おどおどしてるルシンダに満面の笑みでお礼を言った。
ルシンダは「はいっ」と喜んで返事をしてから、リディアとロイが二人で囲んでいる小さなグラスに入ったいくつものお酒が気になっている様子で、じっと見つめた。
「あら、貴方にはまだ早いですよ。ルシンダ」
「あ、えっとその」
「どうかしましたの?」
「えっと、知ってはいましたけれど、凄い色ですね。ちょっとびっくりしてしまって」
「……ええそうね、でも美味しいのよ。ね、ロイ」
「ええ、きっと」
ロイは飲めないながらもそんな風に返答した。
しかし確かに、驚くのもうなずける。
……こんな真みどりのお酒はそうありませんものね。
けれども、これこそがハンブリング公爵家とともに開発しようとしているマグワートを使ったお酒だ。今回は適当な特徴のない蒸留酒を使った試作品からいくつか選んで使うことにした。
果たして上手くいくだろうか。勢いのまま動いている感じも否めないけれどそのまま昼過ぎの会合に向けてリディアとロイはひと眠りするのだった。