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「……起きていらっしゃいましたのね」
驚きつつもサイドテーブルにパン粥のお皿を置いて、彼女を落ち着けるために手を取ってゆっくりと包み込んだ。
「それほど急に起き上がられては体に障りますわ」
そっと体を支えてベッドのヘッドボードにクッションを移動させて、寄りかかることが出来るように導いた。
ディアドリーはとても荒く息をしていて、その様子はどこか鬼気迫っていた。
今しがた出発しようとしていたロイも動きを止め、急いで水差しから水を汲みコップ一杯の水を彼女に渡した。
「…………はぁ、ありがとうございます」
「いえ」
彼女自身も落ち着いた方がいいときちんとわかっているらしく、ゆっくりと呼吸をするように努めてそれから、水を一口飲みこんだ。
しかし、すぐにうっとうめき声をあげて、きょろきょろと視線を忙しなく動かした。それからサイドテーブルに置かれているパン粥を見て、顔を青ざめさせた。
「ごめんなさい、ミルクのにおいが……その苦手でして、下げてもらえますか」
「承知いたしました」
ロイが指摘にすぐに動いて、使用人を呼ぶベルを鳴らして部屋から持ち出してもらう。
……ミルク……匂いするかしら?
定番の病人食なので、それほど刺激が強いはずもないと思うのだ。
しかし、ほっとした様子で、こちらをちらりと見るディアドリーにそんなことよりも聞きたいことが多くあるので一度スルーして、問いかけた。
「落ち着きましたか、ディアドリー様。お聞きしたいことがいくつかあるのですけどよろしくて?」
「は、はい。……ええ、大丈夫です。……ええと」
「始めましてわたくし、クラウディー伯爵家次期当主、リディア・クラウディーですわ。こちらはロイ。それで、どうしてあんな場所で使用人もつけずに倒れていたんですの?」
胸を張って自己紹介をしてから、リディアは率直に聞いた。
今のこの状況では貴族同士のあれこれ気を使った会話などしていては、らちが明かないだろうと考えたゆえでの行動だった。
「…………」
しかし、スムーズに会話は進まずにディアドリーは黙り込んで、考えている様子だった。そんな彼女にリディアも無言になって、どう話をさせようかと考えを巡らせる。
彼女はどこか怯えているような様子で、とても焦っているような印象を受ける。
別にリディアは急いでいるわけでもないし、正直なところ、彼女が起きてくれたので事件にならずに済んでいる。
それに誰かに唐突に暴力を振るわれたというわけでもなさそうなので気軽に構えているのだ。
それほど深刻に捉えないでほしくて優しい顔をしたいけれども、リディアはたびたび人に威圧感を与えてしまったり、恐れられたりするのだ。
つまりは優しい顔をしていない、そう思ったのでそばにいたロイにふと目線をやった。
すると彼は、承知したとばかりに席を立ったので私も立ち上がって交代する。
……流石はロイ、察しが良くて大好きですわ。
彼と結婚して以来リディアの心のなかでの誉め言葉が、素直な愛の言葉に代わってきているのはリディア自身も自覚してない事であった。
「ディアドリー様……実は私、水の魔法を持っているんです。痛む場所があるのでしたら治しますので、何があったか教えていただけませんか」
まったく配慮のないリディアの言葉に比べると、相手の事をおもんばかった優しいセリフがロイから出てきて、リディアは流石はわたくしの側近と考えた。
「……襲われたというわけではないんです。ありがとう。……ご迷惑をおかけして申し訳ありません。ハンブリング公爵……お義父さまとの関係があまり上手くいっていなくて、今日も体調が悪くなってしまった私は、村の散策に付き合うことが出来ず」
……置いて行かれたという事? こんなに体調が悪そうな人を使用人もつけずに出ていったんですの?
すぐに質問したかったがぐっと我慢すると、隣にいたロイが、悲しそうな顔をして「大変な状況にいるんですね」と優しく言う。
それだけで自然とディアドリーは続けて言った。
「いえ、私なんか全然……これでもよくしてもらっている方ですから。だから、体調がよくなってきた午後に夫のエルトン様とお義父さまを追いかけようと屋敷を出たところでした……日の光に眩暈がしてそのまま……」
……気が遠くなるほどの日差しではないと思いますけれど……関係ない人間が持病の有無を聞くのは野暮かしら。
リディアは口をつぐんだまま考えた。彼女に向けて優しい顔をする必要もロイのおかげでないので難しい顔をして、彼女の状態を当てるために思案した。
「そうだったんですか。早く見つけられて良かったです。貴方様を一番初めに見つけて介抱するように言いつけたのは、実はリディアお嬢様なんです。率直な物言いをしますがとても信頼できる方です」
ムムムと悩んで聞いていればロイが流れるようにリディアに話を振って少し体をよけた。
驚きつつもすぐにニコッと笑って、ロイが言った通りだと思ってもらえるように努めた。
すると意外だったのかディアドリーは目を少し見開いて、それから「ありがとうございます。リディア様」と嬉しそうに言うのだった。
名を呼んで貰えたことで少しは距離が縮まった気がしたし、なにより、事情は把握した。彼女を救えたことは良かったし、ここにいるうちはリディアたちも気を付けることが出来るだろう。
しかし、根本的な問題についてはリディアにはどうすることもできない。
「いいえ、礼には及びませんわ。わたくしたちにできることは少ないと思うけれど、それでもここの領主の娘ですの。できることがあったらいつでも頼ってくださいませ」
「……助かります」
そういいつつ深々と頭を下げる彼女に、介抱しただけなのにと恐縮するような気持ちになったが、恩を売っておくのはいい事だ。
これを引き合いに出したりはしないけれど、ハンブリング公爵家の人々との交渉が今回のリディアの使命だ。
どういう話し合いになるにせよ、彼女のお義父さまとはリディアも相対することになる。
最初から、家族内での人柄を垣間見ることが出来て収穫といっていい。
その収穫の引き換えというわけでもないが、ディアドリーがゆっくりと休めるようにハンブリング公爵たちが帰ってくるまでの間、この屋敷にいていいと伝えてロイと部屋を出たのだった。