いじめっ娘が私の靴のにおい嗅いでた
信じらんない。
心の中で叫んだ。
信じらんない。信じらんない。信じらんない。信じらんない。
ケイが、私の靴のにおいを嗅いでいる。
うっとりとした表情で。恍惚の表情で。
それを見て私は、自分のほおが、ポッと赤らむのを感じた。
いや、ポッじゃないだろ、私。キモいと思うべきところだろ、ここは。
そうだ、目の前で行われているのは、あからさまな変態行為だ。怖気を振るうのが、本来取るべきリアクションなのだ。
いやでも、だって。だってだってだって。そりゃあキモいはキモいよ?だけど私に変態行為するって、つまりそれ、私が好きってこと?好きだからいじめてきたってこと?だからその、なんというか、私と同じ同性愛者で、なおかつ私が好きっていう、そういう?そういうあれですの?え、そんなそんな、え、マジで?マジなのですか?信じらんないって、そんな、最高すぎる展開。私が女の子に好かれるなんて。ケイに好かれるなんて。信じらんない、え、なにこれ、夢?私の願望が生み出した夢なの?淫夢なの?いや淫夢ではないよ、靴を嗅がれる淫夢ってなんだよ!
頭が混乱する。いろんな感情がぐちゃぐちゃに混じりあって、それでも…。
それでも私は、今やるべきことを思い出した。
ドッペルゲンガーの頭をポンと叩く。コピーをしろという合図だ。
思っていた展開と違ったが、それでも計画は変更しない。犯行現場の記録を取り、彼女を脅迫する計画を、取りやめたりはしない。
そうだ、私はこれで、ケイとの関係性を一変させるのだ。そして、冴えない学園生活を打ち破るのだ。
だから私は、今から彼女を脅す。
脅迫する。
きっと私とおんなじ同性愛者で、わかんないけど、たぶん私のことが好きなケイを。私とおんなじように、冴えなくて性格悪くて嫌われ者で、本当はどこか仲間みたいに思っていたケイを。
「みっ!」
ドッペルが、鳴いた。
ケイの肩が、びくりと大きく跳ね上がった。
引きつった顔で、こちらを振り返る。目が合う。
「ぁ、う……!」
ケイが見ている前で、ドッペルがみるみるうちに、彼女そっくりに変身した。コピー成功。対象ケイ・バンクス。装備品は他人の靴。技はにおい嗅ぎ。
手のひらサイズのケイが、靴嗅いでうっとりして、という動作を繰り返す。
ケイが青ざめた顔で、私と、コピーされた小さな自分をみつめる。声も出ない、という様子だ。
更衣室の中に入った。
ドッペルを持ち上げ、ドアの横に置く。後ろ手で、ドアの鍵をかける。
「き…」
「そんなわけないじゃん!」
こちらが何か言う間に、ケイが声を荒げた。大声で否定した。まだなんにも言ってないのに。
「はあ?はあ?そんわけないじゃん!違うし、これはあの、あの、あの、あれだし!じっ、自分の!自分の靴だと!自分の靴だって、思って!」
いつものねちっこい口調ではなく、もつれるような早口で言う。まるで意味をなしていない言い訳を。指が白くなるくらい、私の靴を握りしめながら。
支離滅裂な言い訳。だけど、私がひとこと「そうだったんだ」と言えば、きっとこの場は丸く収まるだろう。でも、そんなことはしない。しないと決めたのだ。
「だからこれは、だから…!」
「…着替えるから、そこどいて。」
目を見ずに告げる。精いっぱい冷たく言い放ったつもりだけど、声が震えてしまったので迫力不足だ。それでもケイは、よろめくように後ろにのいた。
開けっ放しになっているロッカーから、制服を取り出す。無言で、トレーニングウェアから制服に着替える。横で、ケイがやきもきしているのがわかる。
着替え終わる。片っぽだけの靴を、床に放り投げるみたいに置く。もう片方はケイの手の中だ。手のひらを差し出し、「返して」というジェスチャーをする。ケイはそれに応じず、唇を噛んで、私の靴をひしと胸に抱きかかえている。まるで、それを渡せば何もかもおしまい、というみたいに。
私はもぎ取るように、靴を彼女から奪い返した。
大事そうに抱えていたわりに、ケイは意外とあっさり手放した。初めてだった。こんなふうに、他人に対して乱暴にふるまう私も。私に抵抗しないケイも。なんだか変な感じだ。
靴を履き替える。ロッカーをパタンと閉じる。
ロッカーに片手を突いたまま、その場に立ち尽くす。次のセリフを言うべきか、この期に及んで迷っていた。自分のへたれっぷりがつくづく嫌になる。
メガネを外して、ロッカーにおでこをぴたりと押し当てる。冷たい。
「……いっこ言うこと聞いてくれたら、ドッペルの変身、解くけど。」
でこをロッカーに付けたまま、ついに言った。ケイの方を見ずに。やけくそみたいに。
ケイの返答はない。沈黙している。
聞こえなかったのかなと思った頃、
「…脅迫しようってわけ、あたしを。」
ケイが、吐息のような小さな声で言った。
セリフ自体は気丈な感じだったが、声は震えていた。
ケイはそれきり、イエスともノーとも言わない。加えて何か、効果的な脅しの文句を吐かねば。そう思うのだけれど、何も思い浮かばない。
同じ態勢のまま、結局ただただ黙り込む。お互い無言の時が過ぎる。おでこを押し当てたロッカーは、すっかりぬるくなっていた。
「……で?」
「え?」
「何をすればいいのよ、あたしは…。」
感情を押し殺したような声で、ケイが聞いてきた。
時、来たれり。
私はケイに向き直り、そして、言った。ケイにやってほしいと思っていたことを。他人を脅迫してまで、果たしたかった欲望を。
「ペアになって。」
「……は?」
「闘幻で私とペアになって、大会に出てほしい…。」