刮目せよドッペルゲンガー
授業終了のチャイムが鳴った。
バトル館のブリーフィングルームで、私は先生が来るのを待っている。
闘幻は最後の授業だ。試合で勝った生徒は、そのまま下校。負けた生徒は、居残りで反省会。そういう段取りになっている。
反省会と言っても、試合のだめだった点をおさらいする、みたいな建設的な感じじゃない。先生の説教を長々と聞かされるのだ。要約すれば「とにかく頑張れ」という話を、三十分くらい。まあ、罰ゲームみたいなものである。
なのだけれど、なぜだか誰も部屋に来ない。先生も他の生徒も。ひとりぼっちである。
皆どうしたと言うのか。集団ポイコットか。それとも今日は、ここじゃない別の場所でこっそり説教しているのか。不安になってくる。部屋を出て確認したくなる。でも、立ち上がる踏ん切りがつかない。反省会のときは、先生が来る前に着席してないと、すんごい怒られるのだ。
おろおろと、立ったり座ったりを繰り返すこと十分。事態は変わらず、いまだ誰も来やしない。なんだか廊下の方からも、人の気配がしなくなってきた。さすがにおかしいと、ようやく席を立つ。
ドアを開ける。廊下の遠くの方にいる人と、目が合う。コリンズ先生。
思わず、「あ。」と声が出る。
そうだ。今日はウェブスター先生休みだった。じゃあ、反省会なんてあるわけない。ケイにいじめられて、そんなことすっかり忘れていたのだ。ケイめ。
「あーれ。どうしたの。俺反省会やんねーよ?早く帰んなー。」
「「は、はい、すみません…。」
反省会は、熱血教師のウェブスター先生が、誰に頼まれたわけでもないのにやっていることだ。彼が休みなら、会も当然ないだろう。ていうか、そのことも朝の連絡事項のうちに含まれていたのだろう。朝居眠りをしていたばかりに、いらぬ恥をかいてしまった。
「ま、間違いました、ごめんなさい…。じゃ、あの、帰ります…。」
コリンズ先生に挨拶して、ブリーフィングルームをあとにする。無意味な時間を費やしてしまった。早く帰ろう。
「あー、ちょい、きみきみ。きみさ、あれだよね。ドッペルゲンガーの子だよね?」
横を通り過ぎようとしたとき、先生に声をかけられた。
「えっ、あ、はい。そうですけど…。」
顔を覚えられているとは思わなかったので、ちょっとうろたえてしまう。なんだろう。なんの用事だろう。「さすがに弱すぎ」と叱られるのだろうか。
「あのさーきみ、ドッペルゲンガーはソロで戦うの厳しいだろー。ペアに鞍替えしたほうがいいよー。」
「あ、は、はい。そうですね、検討してみます…。」
「中間大会もうすぐだし、練習する暇もないだろうけど、ソロで出るよりはなんぼか勝てる確率上がると思うよー。友達にお願いしてみなよ。」
「アドバイスありがとうございます…。」
「んー。」
お礼を言うと、コリンズ先生は機嫌よさそうに去っていった。
いや、余計なお世話だよ。
ドッペルがソロきついなんて知ってるし。ペア組めるんならとっくに組んでるし。うるせーっての。うるせーっての!
闘幻は、タイマンで戦う「ソロ」と、二人一組で戦う「ペア」の二種目がある。一対一では、真価を発揮できない幻獣もいるからだ。私のドッペルも、もろにそっちのタイプだ。本来は、ソロで戦う幻獣じゃない。
でも、そんなこと言ったって仕方ないじゃないか。友達いないんだから。
ちなみに大会というのは、前学期の真ん中の時期に行われる、前期中間闘幻全校大会のことだ。成績に大きく影響するそれが、すぐそこに迫ってきているのだ。
残されたわずかな時間で友達を作り、学年最下位の私とパートナーになってくれるようお願いする。そんなことができようはずもない。非現実的だ。ばかげている。教師のくせに現実離れした絵空事をほざくのは、よしていただきたいものである。ばーかばーか。じゃあまずはその屏風から友達を追い出してくださいっちゅう話だよ、ニッポン風に言うなら。
先生にいらんこと言われて、すっかりみじめな気分になってしまった。
廊下に人影はない。先生と会って以降、誰ともすれ違わない。私がひとり孤独に椅子から立ったり座ったりしている内に、皆もう下校したのだろう。足音が反響する静かな廊下を、とぼとぼ肩を落として歩く。
更衣室前までたどり着く。まあ、誰もいないならゆっくり着替えられるだろう。それがせめてもの救いだ。
皆が放課後どこ行くかワイワイ騒いでいる中、一人無言でそそくさ着替えて出ていくのは、わびしいものだ。今日はそんな思いをしなくてすむ。そう考えると、この現状はむしろ幸いだ。連絡事項を教えてもらえなくて本当によかった。ついてた。私はラッキーガールだ。
更衣室のドアに手をかける。
ふと、中から物音が聞こえた。
なんだよまだ誰かいるじゃんか。クラスメイトだったら嫌だな。そう思い、私はそっと中をうかがってみた。
そこで目にしたものは、思いがけない光景だった。
ケイ・バンクスが、私のロッカーの中をのぞいていたのだ。
がらんとした更衣室、中にいるのはケイ一人。この状況で、一体彼女は何をしているのか?
そんなのわかりきっている。
嫌がらせをしようとしているのだ。私の服に、何かいたずらをしかけて。落書きをしたり、踏みつけて足跡つけようとしているのだ、きっと。それ以外に考えられない。
私のロッカーの鍵がかかっていないことに気付き、いたずらのチャンスと思ったのだろう。いつ私が来るかも知れないのに、ずいぶん大胆な犯行だ。あるいは、反省会に出ていると勘違いしているのかもしれない。私と同じように、連絡事項教えてもらえずに。
それにしても、ケイがそこまで私を嫌っていたなんて。
不覚にも、涙がこみ上げてきそうになる。悲しかった。目に届かないところで嫌がらせするなんて、それはもうなんていうか、本気のやつじゃん。悪意しかないやつじゃん。マジで陰湿なやつじゃん。いや、今までのいじめも普通に陰湿ではあったけど、レベルが一段階上がっているというか。
そういう方向性のいじめを私にするんだ、ケイ。知らなかったよ。
妙な言い方だが、私はなんだか、裏切られたような気持ちになった。
嫌なやつだと思っていた人が、超嫌なやつだった。それがなんで裏切りと感じたのか、自分でもよくわからないのだが、とにかく悲しい気持ちになったのだ。
その悲しみは、すぐに怒りへと転化した。
そっちがその気ならこっちもやってやる。仕返ししてやる。後悔させてやる。そう思い直したのだ。
キョロキョロと周囲を見渡す。ひとけがないことを確認する。よし、誰もいない。
私は深呼吸し、小さな声であの呪文を唱え始めた。
「リリク・マルク・アリオン・エリオン……無より出でて滅ぶもの、エリオン、真名の盟約果たすべし、エリオン、裁きの光全知の御星、エリオン、我らの冒涜許したもう、エリオン……、リリク・マルク・アリオン・エリオン……リリク・マルク・アリオン・エリオン……。」
呪文に応じ、ドッペルゲンガーが姿を現す。やった。成功だ。
召喚呪文は、バトル館でしか使えない。でも更衣室前廊下は、まだ館の内だ。だからここでも召喚できるんじゃないかと踏んだのだが、目論見通りだった。
幻獣召喚は成功した。しかし別に、こいつでケイを攻撃してやると思ったわけじゃない。そんなこと、安全クリスタルの効果でできないし。
私は、ドッペルゲンガーで犯罪の証拠を残してやろうと思ったのだ。
イトウミクのいた世界では、犯行シーンを絵や映像で記録する装置があった。それと同じことを、ドッペルゲンガーでやろうと閃いたのだ。
ドッペルは、見た相手の姿を、装備ごと再現できる。見た相手の取った行動を、そっくり再現することができる。
つまり。例えば今から、ケイが私の服を破ったとする。それをドッペルに目撃させれば、「服を破るケイ・バンクス」の姿になることができるのだ。犯行現場を再現できるのだ。
そしたらそれを先生に見てもらって、大きな問題にしてやろう。私を裏切ったことを後悔すればいいんだ。
いや、いったん召喚を終えて、次の授業のお楽しみにするのもいい。
ドッペルの変化は、私が指示を出すまでは解除されない。つまり犯行シーンをコピーしたまま幻獣界に帰せば、次の闘幻で召喚したとき、そのまんまの姿でやってくるのだ。生徒や先生が見ている前で。公衆の面前で。ババーンと。そっちの方が、騒ぎは大きくなりそうだ。
いやいや、それより、もっといいアイディアがある。コピーできたらすぐ更衣室の中に入って、変化したドッペルをケイに見せつけてやろう。
そして、脅迫をしてやるのだ。
このドッペルを皆に見られたくなければ、私の言うことを聞け。そう言ってやる。そうだ、それがいい。泣いて謝ったって、絶対許してやるもんか。
ドアの隙間に、ドッペルの頭を差し入れる。小さな相棒とともに、ケイの行動を見守る。
胸が激しく動悸を打つ。脚がわなわなと震えてくる。私は、ひどく緊張していた。何か、とんでもないことをしようとしている気がする。いや、気がする、じゃない。実際にそうなのだ。
私のたくらみが成功すれば、ケイとの関係は一変するのだ。取り返しがつかないほどに。
それはもしかしたら、私の人生を変えうる行為かもしれない。そんな予感がした。
ケイが、いよいよ私のロッカーから、何かを取り出した。
靴。私の右足の靴だ。
小石でも入れるつもりなのか。固唾を飲み込み、いたずらが実行されるのを待つ。
しかし、彼女が次に取った行動は、全く予想外のものだった。
においを嗅いでいた。
ケイ・バンクスは、私の靴に鼻先を押し付け、クンクンにおいを嗅いでいた。




