不安
私、ケイさんが好き。エリー・クロスビィはそう言った。
世界が終わる滅びの呪文。それに等しいセリフだった。
胸が苦しい。心臓が痛い。怖い、怖い、怖い。
大丈夫だ、私達はキスまでしたんだから、という希望。委員長と私で、私が選ばれるわけがないという絶望。その二つが、心の中でせめぎ合う。希望の光はあまりにも淡く、今にも消えそうだった。樹の上で、私は泣きそうになっていた。
だけど。
「あ、勘違いしないで!勘違いしないで、誤解しないでね?!私別に、女の子が好きーとか、そういうあれじゃないから!そっち系じゃないから!」
急に妙なことを、委員長が主張し始めた。
そっち系じゃない?
なに、それ。
女の子に告白しておいて、ケイちゃんに好きって言っておいて、なにそれ。どういうこと?
「ほらさっ、文化祭!中学の文化祭でさ、ケイさん男装したことあったじゃん!あれ超ーよかったから、男子よりイケてるじゃーんって!でさ、あのときからずっと、ケイさんのこと気になってたんだよねー。こんなかっこいい人がカレシだったらなーって。だからまあ、そんな感じです!そんな感じ?そんな感じってどんな感じだよ、あははっ。でも、まー、そんな感じでぇすっ。」
何を言っているんだろう、この人は。
枝につかまりながら、私は訝しんだ。
あなたの目の前にいる人は、あなたの言うところの「そっち系」なんですけど。誤解しないでだとか、まるで悪いことみたいに言っていたけれど。相手が「そっち系」だとは考えなかったのだろうか。
でいうか、ケイちゃんが「そっち系」じゃないと想定しているなら、この告白ってなに。
彼女が「そっち系」でない限り、告白成功しないじゃん。意味ないじゃん。
意味わかんない。全然意味わかんない。こんな人がカレシだったら、とか言ってたけど、「実はあたしは男だったのさ」みたいな展開でも期待しているのだろうか。「あたし女だけど、頑張って男のふりして君のカレシになるよ」とでも言われたいのだろうか。
…あ、そうか。正にそういうことなのか。
本当に、そういうような展開を期待した告白なんだ、これは。男みたいな感じで私と付き合ってって、そういう。
「あなたは男装が似合うので、私は男として見ています。だから是非あなたも男のように振るまって、男のように私を愛してください。私のカノジョではなく、私のカレシになってください。本当の男じゃなくても許容するから。」
つまりそういう意味合いの告白なんだ。女だけどカレシ役になってくれませんかっていう。この人は、別にケイちゃんの気持ちなんてどうでもいいんだ。
勝手だよ、そんなの。
私は樹の上で、猛烈に腹を立てた。
でも、われながら最悪だとは思うけど、安堵もしていた。怒りをはるかに上回る安堵だった。
よかった。こんな勝手な告白が成功するわけない。ふられるに決まっている。ケイちゃんは私のものだ、ざまーみろ。そう思った。
そして、ケイちゃんが「ごめんなさい」と言い出すのを待った。
ところが…。
なぜかケイちゃんは、うんともすんとも言わなかった。
ただただ、沈黙するだけだった。なんだか、階段の方に頭を向けて、ひたすら黙りこくっていた。
え、どうして。なんで断らないの。あんな勝手な告白を、どうして…。
もしかして。
ふと私は、ひとつの答えに思い当たった。
彼女が委員長の告白にノーを突きつけない、その答え。
もしかしてケイちゃんは、委員長の要望通り、カレシっぽく振るまいたかったのか?そういう付き合い方が理想だったのか?
一口に同性愛者って言っても、いろんなタイプがいる。
性転換したいとかじゃないけど、心も体もあくまで女性だけど、男っぽい女でありたい。かっこいい女でありたい。そういう人もいるって聞いたことがある。イトウミクの読んでいた本で、そういう記述があった。なんて言ったっけ、ボイ系だったか、王子様系だったか、とにかくそんな感じの。生半可な知識なので、ちょっとあれだけど。
やらしいことするときも責めオンリー。女の子に触りたい欲求はあるけど、自分が触られるのは嫌だし、服を脱ぐのも嫌。カノジョじゃなく、カレシ風カノジョでありたい。という感じらしい。前世での小説の情報を基にした、ふんわりとした知識だけど。
ひょっとしたらケイちゃんも、そうなのかもしれない。カレシ風カノジョになるのが理想で、委員長の提示した関係が正に理想で、だからノーと言わないのかもしれない。
ボーイッシュ系の、かっこいい同性愛者。王子様みたいな女の子。
別に私は、そういう女性が憎いとか嫌だとか思っているわけじゃない(当たり前か)。委員長みたいに、カレシ風カノジョが欲しいって人もたくさんいるんだろう。責めオンリーのかっこいい女性を必要としている人も、いっぱいいるんだろう。いるんだろうけど、でも私がケイちゃんに求めているものは、やっぱりそれじゃない。
ケイちゃんは確かに一見、かっこよさげな雰囲気がある。だけど、私がケイちゃんを好きな理由は、かわいいからだ。照れたときの愛らしさ、素直になれない性格のいじらしさ、欲情したときの妖艶さ、そういう女性的な部分に惹かれるのだ。かっこいい女の子じゃなく、かわいい女の子として惹かれているのだ。
カノジョ×カノジョ。ケイちゃんとそういう関係になりたいと、私は願っていた。お互い代わりばんこに体を触るような。
でも。
もしかしたら、ケイちゃんの望みは違ったのかもしれない。
カノジョ×カレシ風カノジョ。そういう関係がケイちゃんの理想っていう可能性もある。
私の理想と彼女の理想に、いくらかズレがあったのかもしれない。わからないけど、ひょっとしたら。
よく考えたら、今まで私は、おしおきされる一方だった。こちらからケイちゃんにおしおきしたことは一度もなかった。ケイちゃんはいつだって責めオンリーだった。
偶然?それとも、彼女が意図的にそういう感じにしてきた?私に触りたい欲求はあるけど、私に触られるのは嫌だった?
そんなことない…なんて、とても言い切れない。正直、わからない。私はそこまで、彼女のことを知っているわけじゃない。だってしょせんは、数カ月程度の付き合いだ。しょせんは、恋人未満の付き合いなのだ。
だから…。
だから、勝手だったのは、委員長じゃなくて私の方だったのかもしれない。
私はケイちゃんが好きだ。かわいい女の子として好きだ。かわいい女の子として愛したいって思ってる。でもそれが、そのことが、彼女にとっては重荷だったのかも。苦痛だったのかも。
ケイちゃんが好きと言ってくれないのは、付き合おうと言ってくれないのは、ひょっとしてそのせいだったのだろうか。
私は自分の感情ばかりに夢中で、ケイちゃんがどう思っているかなんて考えていなかった。私が大切にしてきたのは、ずっと私自身の気持ちだけだった。ケイちゃんの本当の気持ちなんて、まるで知ろうともしなかった。
最低だ。こんな身勝手な私は、好きと言われなくて当然だ。
私はもっとちゃんと、好きな人と正面から向き合うべきだったんだ。
どんなふうに愛したいのか。どんなふうに愛されたいのか。そこにこっちとのズレがあるなら、どこまでが許容できて、どこからが耐えられないのか。そういうすり合わせの作業を、逃げずにちゃんとやっておくべきだったんだ。本当に相手のことが好きなら。
気持ちが暗く沈んでいく。
今更のように、後悔の念がこみ上げてくる。
でも。それでも。
ケイちゃん。
それでも私は、あなたのことが好きなんです。
「…あ、別に、答え聞きたいってわけじゃないから!好きだよーって、それ伝えておきたかっただけだから!じゃねっ!」
私のもの想いを断ち切るみたいに、委員長が言った。
そして、逃げるように階段を下りていった。告白の答えも聞かずに。持ってきた小さな包みを渡しもせずに。
残されたケイちゃんが、朝日の中で一人佇む。相変わらず、ここからでは顔が見られない。どんな気持ちなのか、さっぱりわからない。きっと顔を見たところで、私なんかには彼女の気持ちはうかがい知れないのだろうけど。
だけど…というか、だからこそ、私は彼女に言わなくちゃいけない。
「…ケイちゃん!」
「えっ?うわあああっ?!」
ケイちゃんが、驚きの声を上げた。
私が、飛び降りるぐらいの速度で樹から降りたからだ。
着地する。目をぱちくりさせている彼女と、正面から向き合う。
「え、あ、え…?クミン、な、な、なんでそんな、え…、あっ、そっか、樹で、樹の上で、ずっと待ってたん?日時教えたのにいないじゃんって思ったけど、樹に…あれでも、だったら、なんで…。」
「ごめんなさい、ケイちゃん。私ずっと、委員長の告白、上で聞いてました。」
「あっ、そ、そう?そうなん?ってまあ、そーだよね、いや別に、日時教えたのあたしだしさぁ…、それはいいっちゃいいんだけどぉ…。いやいやいや、ちょっと待って、えええ…?」
ケイちゃんが、髪をぐちゃぐちゃにかきむしる。だいぶ混乱しているようだ。それはそうだろう。告白が終わったと思ったら、急に樹の上から友達が降ってきたのだから。
彼女の気持ちが静まるのを、じっと待つ。
しばらくすると、彼女はだいぶ落ち着きを取り戻した。「まー、いいけど。びっくりしたぁ」とつぶやき、普段の顔つきになった。
盗み聞きされたのだから、怒っても当然の場面だ。こうもすんなり許すなんて、やっぱり優しい。この優しさに、私はずっと甘えてきたのだろう。
だから、今ここで、ちゃんと伝えておかなくちゃいけない。私はそう思った。
「あのね、ケイちゃん…。」
「な、なに?」
「委員長のこと、ケイちゃんがどう思ってるかわからないけど、でも…。でも、私もケイちゃんに、伝えておきたいことが、あります…。い、いいかな…。」
「え、あ…。つ、伝えたいこと?え、ちょっと、え、この流れで伝えたいことって…。マ、マジか…。あ、どうぞどうぞ、じゃあ、はい、どうぞ。」
きっと彼女にとっては、突拍子もない展開だろう。そもそも、私がここに来ているだなんて想定してなかっただろうし。それなのに、私の唐突な申し出を、彼女は快く受けいれてくれた。両手を胸の前で合わせ、聞く態勢になった。
いつもそうだ。いつも結局、私を許してくれる。私の気持ちを優先してくれる。
ありがとう、ケイちゃん。本当にありがとう。今までずっとありがとう。
そして私は、自分の気持ちを言葉にした。
「…好き、です。」
言った。ひどい声だ。緊張と怯えで、めちゃくちゃ震えている。でも、ちゃんと相手に届くように、目を見てはっきりと伝える。いつもみたいな、小さな声じゃなく。
「私は、あなたのことが好きです。かわいいケイちゃんが、好きです。女の子同士として愛し合いたいって、そう思ってます。だから、体を触られたら嬉しいけど、おんなじように、ケイちゃんのことも触りたい…です。それが叶えられないなら、ケイちゃんが好きって気持ちは変わらないけど、すごく、すごく、つらい…。つらいけど、だとしても、やっぱりあなたと付き合いたい…。付き合えるなら、私から触りたいって気持ちは、我慢します。これが、私の気持ちの、全部です…。」
伝える。すべて伝える。
私が今できることは、自分の気持ちを、全部ちゃんと伝えることだけだ。どうなるかわからないけど、そこから以外には何も始まりはしないのだから。
言い終えると、ケイちゃんの目に涙が浮かんでいた。
どういう意味の涙なの?
聞こうと思った。
その前に私は、彼女に抱きしめられていた。
「よかったぁ…。」
くぐもった声で、ケイちゃんが言った。
「よかったぁ、あたしばっか好きなのかもって、ずーっと不安だった…。クミンってばさぁ、いつまでたっても好きって言ってくんないし、告白されるーって言っても平気な顔してるしさぁ…。やっぱ両想いだったんじゃん、よかった、よかったぁ…。」
どくん。心臓が、大きく高鳴る。
「エリーに告白されたときもさぁ…。ずっとクミンが乱入してこないかな、走って階段上ってきて『この人は私の恋人だ』って宣言してくんないかなって、あたしそんなんばっか思っちゃってさぁ。ほとんど話入ってこなくてさぁ。だから、結局こうやって来てくれて、告ってくれて、マジでもーなんていうか…。樹ぃ登って潜んでるなんて予想外だったけど…。」
え?
私に乱入してきてほしいって、そんなこと思ってたの?
じゃあつまり、委員長の告白断らなかったのって、単に私のこと考えてぼんやりして、返事しそびれたってこと?理想の付き合い方うんぬんじゃなくて。全部私の杞憂だったってこと?
じゃあ、じゃあ…。
私達ずっと両想いで、今の告白をもってして、無事カノジョ×カノジョになりました。めでたしめでたし。ってことでいいの?
いや、でも、まだわからない。ここで勝手に納得しちゃ駄目だ。全部確認しておかないと。すれ違いも誤解も、もうたくさんだ。
「そ、それってつまり、私と付き合ってくれるってことで、いいの…?」
「当たり前じゃん?ていうか、ずっとこうなるの待ってたし。もうこっちから告るしかないんかなーって思ってたけど、よかったぁ…。」
「ねえ、じゃああの…。ケイちゃんに触りたいっていうのも、ちゃんと、その、ちゃんと大丈夫なんだよね…?」
「んー?」
「だから、なんていうか…。私ケイちゃんがかわいくて、でもひょっとしたらケイちゃんは『かっこいい』って言われたい派なのかなって、不安で…。『触るのはいいけど触られるのは嫌』ってタイプかもって不安で…。でも、かわいいって思っていいんだよね…?」
「んーいーよー?全然いーよー?うれしー。そっかー、あたしのことかわいいって思ってくれてたんだぁ。超うれしーって、それー。」
ケイちゃんが、迷いなく私の願望を受け入れ、微笑する。なんの心配もしなくていいよって言うみたいに。私の考え過ぎたじめじめした不安を、軽く吹き飛ばすみたいに。
「てか、クミンが長々言ってたことってよーするにぃ、あたしがバリタチかどうかってことでしょー?安心してー。実戦経験ないけどぉ、あたしたぶんリバ…まぁタチ寄りのリバだと思うし?クミンはバリネコかなーでもしゃーないなーって思ってたから、むしろラッキー、みたいな?」
「タチノリバ…?猫…?と、とにかく、私からも触っていいってことだよね?ケイちゃんのこと、かわいいって思って触っていいって、そういうことだよね?」
「もちろーん、触って触ってー。ていうか、なぁに、もー。感動の告白シーンだってぇのに、クミンの頭ん中エッチなことばっかー?しょーがないなぁ、ふふっ。これから、たくさんたっくさん、女の子同士で気持ちいいことしようねぇ…?」
ケイちゃんが、とろんとした目つきで唇を寄せてきた。
私はくらくらするような幸福感とともに、彼女とキスをした。
やった。やった。やった。
恋人になれる。かわいいっていう気持ちも、触りたいって気持ちも、ちゃんと全部受け入れてもらった上で、ケイちゃんと恋人同士になれる。
いや、違う。なれるんじゃない、もうなったんだ。たった今、女の子同士で、恋人同士になったんだ。
あんまりドラマチックじゃないけど、何度も聞き直したり確認し直したりして全然かっこよくないけど、それでも嬉しい。最高だ。
私の好きな人が、私の「好き」を、全部全部ぜーんぶ受け入れてくれる。なんて幸せなんだろう。
感動…に浸る間もなく、ケイちゃんの舌が、唇を割って侵入してきた。
私は大喜びで、それを口の中に迎え入れた。メガネが少し邪魔だったけど、そんなのもう、お互いお構いなしだった。
「ふああっ、ふぇいふぁん…。」
ねっとりとした温かいものが、口腔を這いずりまわる。舌の裏側に舌が入り込み、しごくように上下に舐められる。じゅるじゅると、唾液のからみ合う卑猥な音が響く。甘い快感がせりあがってくる。
さっきの感動と同じくらいの官能が、胸にあふれてきた。
感動と官能のダブル大津波で、頭の中はもう完全にキャパオーバーだ。
朝日に照らされながら、美しい丘の上でこんなことをしている。委員長の健気な告白のすぐあとで、こんないやらしいキスをしている。その背徳感と、自分の告白が成功したというさもしい優越感が、より興奮を高めていく。やっぱり私最低だなと、一瞬思う。でも反省は長くは続かない。そんな真っ当な思考は、すぐにケイちゃんの舌で、アイスクリームみたいにぐずぐずに舐め溶かされていく。
不意にその舌が、口の中から引っ込んでいった。急に口腔がからっぽになる。
なんで。もっと。
私の方から、ケイちゃんの口に舌を差し入れる。
その瞬間、彼女の歯が閉じられた。
「ふっ、んんん…。」
舌の肉に、ケイちゃんの歯が浅くめり込む。
甘噛み。痛みとすれすれの、絶妙な快感。
ぐにゅり、ふにゅりと何度も噛まれる。ケイちゃんは目を閉じ、眉を八の字に寄せ、高級肉を堪能するかのように私の舌を味わっている。恍惚の表情。きっと私も、似たような顔をしているんだろう。めくるめく快感と幸福感に、私はどうにかなりそうだった。
「ふっ…!」
突然、ケイちゃんが目を開いた。そして、唇を重ねたまま、眼球だけを動かして横を見た。
なに?
びっくりして、私も横を見た。更に驚くような姿が、そこにあった。
委員長がいた。
腕の中には、小さな包みがある。たぶん、ケイちゃんへのプレゼント。うっかり渡しそびれたことに気付き、引き返してきたのだろう。
しまった。なんてことだ。見られてしまった。よりによって、こんなぐちょぐちょで猥褻なキスを。
私は焦った。
焦ったのだけど、すぐに「あれ?」と思った。
こちらをみつめる、委員長の表情。それが、予期していたものと違っていたからだ。
さぞ軽蔑の眼差しで見ているだろう。と思いきや、そうではなかった。
ほおを火照らせ、興味津々の目で凝視していた。
私はそっち系なんかじゃない。先ほどそう言い放った委員長は、ひどく興奮した面持ちで、私達の濃厚なキスをみつめていた。舌をはむはむされてる私の痴態をみつめていた。
でも、わからない。誤解というか、私の見間違いだったかもしれない。
その表情を見たのは、ほんの一瞬のことだったからだ。
委員長はこちらと目が合った途端、われに返ったみたいにたちまち顔をこわばらせ、「ちょっと!」と叫んだ。
「ちょっと!な、な、なに、なにやってんのっ?!急に、急にそんな、はあっ?!わけわかんない、わけわかんないんだけど?!」
「ごめんねぇ、エリー・クロスビィ。」
私から唇を離し、ケイちゃんが言った。
「さっきは言えなかったけどー、あたしさー、恋人がいんの。だから」
「いや見りゃわかるよっ!そんなん!」
委員長が、怒鳴った。
そしてくるっと背を向けて、ダッシュで階段を下りていった。私はハンカチでよだれを拭きながら、それを見送った。
「だ、大丈夫かな…。」
あっという間に遠ざかる彼女の背を見ながら、つぶやく。
「んー、心配―?まー告白直後にこれは、ちょっとショッキングだったかもねー。でもしゃーないじゃん。不可抗力っつーか、戻ってくるなんて思わなかったんだしさー。」
「それはそうだけど、でも、腹いせに噂ばらまかれたりとか…。」
正直私は委員長のメンタルより、自分自身の今後のことを気にしていた。
エゴイストだと後ろ指さされても仕方ない。だけど、元から委員長に対してはいい印象を抱いていない(みんなには気さくなのに、私とは話そうともしないという印象)ので、どうしても本気で心配する気にはなれなかった。
それより、彼女が今見た光景を、クラス中に喧伝されるんじゃないかという心配が勝っていた。
私のそんな憂いに対し、ケイちゃんが「へーきへーき」と手を横に振った。
「あー大丈夫大丈夫。その心配はしなくていーよ。」
「でも。」
「あの娘わがままだけど、人の秘密ばらしたりとか、そーゆーのはやんないからさー。まー、だから自己チューでも人望あんのかな?とにかく、心配しなくていーよ。」
「…あ、そうなんだ。ふうん。」
私はふてくされたように言い、横を向いた。好きな人が、嫌いな人を褒めるのは、心地よくない。むかつく。たとえ、たった今告白成功したばかりであっても。
そんな私の幼稚な心理がわかったのか、ケイちゃんがにやりと笑った。
「えーなに、拗ねてんのー?あたしがちょろっとあの娘褒めたら、やきもち妬いちゃったんだー。かーわいー。」
「そんなこと…、あるけど。」
「だーいじょーぶー。あたしが好きな人は、クミンだけなんだからさー。他の子はぜーんぜん眼中にないしー。」
「…うん。」
いや、ちょろすぎだろ私。と思うものの、ほおが緩むのが抑えきれない。そんな私を見て、ケイちゃんが優しくほほ笑む。
「なんかさー、ありがとね、クミン。」
「え?なに?」
急にお礼を言われ、キョトンとしてしまう。お礼を言われるようなことをした覚えはない。というか、優柔不断で困らせたり、はっきりせずに誤解を与えたりと、迷惑ばっかりかけ通しだ。
「なにって、まー、いろいろとさ。いろいろありがとーだよ、ほんと。」
「なにそれ。じゃあこっちも言うけど、いろいろ、ごめんね。」
「んー?なにー?あ、樹の上で覗いてたことー?いーよ別に、クミンに来てほしくて、日時教えたんだしさー。」
「そうじゃなくて…。もっと全体的にっていうか。全体的ってのも変だけど。今までいっぱい困らせちゃってごめんって、そういう…。」
「はぁー?なにそれ、なんか他人行儀―。いーよ全然、もっと困らせ…あ、嘘嘘。やっぱ許さなーい。許さないからー、このあとあたしんちに直行ねー?」
「え?なんでそんな急に…、あ。」
許してくれないの?どうして?と一瞬驚き、すぐにケイちゃんの真意に気付く。
「…ひょっとして、おしおき?」
「せいかーい。今日うち午後から誰もいないからさー。恋人になった記念にぃ、今まででいっちばん痛ぁいおしおき、してあげんねぇ?」
「…うん、して。絶対して。あ、でも。」
「んー?」
「それが終わったら、今度は私がケイちゃんに、いっぱいお返しするね?」
「ふふっ。たのしみー。」
微笑みながら、そっと両手をつなぐ。ふつふつと、幸せな気持ちが湧き上がってくる。
その幸福感を邪魔するみたいに、ふと、委員長の顔が脳裏をかすめた。
委員長は、この先どうするんだろう。
ケイちゃんはああ言ったけど、本当に委員長が秘密を守ってくれるかどうか、正直わからない。だって彼女には、私達を守る義理は何もないのだから。明日学校に行ったら、状況が一変していることだって十分考えられる。
先のことなんて、誰にもわからない。この先どんなことが起こるのか、全然わからない。くだらないこととか、つまらないこととか、たくさん起きるかもしれない。
でも、不安は今これっぽっちもない。
きっとケイちゃんと二人なら、そういう嫌なこと何もかも、ぜーんぶ楽勝で乗り越えられるって予感がするから。
熱い決意を胸に秘め、私は空を見上げた。
そびえ立つリリアの樹を見上げた。
そんな決意を祝福するみたいに、さっき小枝の先っぽに引っかけた靴が、ぶらぶら風に揺れていた。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
当初の予定よりR15感つよめの作品になってしまいましたが、お楽しみ頂けたなら幸いです!




