リリアの樹
フレアー王国には、リリアという植物がある。夏になると、枝中に赤い花を咲かせる樹だ。ニッポンの桜にちょっと似ている。
そしてこの学校の近くに、美しいリリアの樹が植えられている丘がある。長い階段を上った先にある、見晴らしのいい小高い丘。この地域での定番告白スポットだ。ここで告白成功すると永遠の愛が云々という、お決まりの伝説がある。
今度の休日そこに来てくれって、エリーに言われた。と、ケイちゃんはなんでもないことみたいに私に告げた。一応報告しとくけど、みたいなトーンで。馬鹿でかいメロンパンをかじりながら。
私が激しく動揺したことは、言うまでもない。
ついに恐れていた事態になった。悲鳴を上げたいくらいだった。わーとかぎゃーとか、めちゃくちゃに喚き散らしたい気分だった。
正直、こうなる予感はしていた。委員長のぐいぐいっぷりは、恋愛感情が含まれているからじゃないかって気がしていた。予想通りだった。
不安だった。かわいい委員長が本気を出したら、私なんかが敵うわけがない。誰だって、ケイちゃんだって、彼女を選ぶに決まっている。そう思っていた。
でもケイちゃんは、なんでもないことみたいに言った。それって、心配するなってことなのだろうか。大丈夫ってことなのだろうか。ちゃんと断るから安心してって、暗にそう告げているんだろうか。
でも、だったら。委員長の告白を断るつもりなんだったら、どうして私に「好き」って言ってくれないんだろう。どうしていつまでたっても、「付き合おう」と言ってくれないんだろう。
いろんな感情がごちゃ混ぜになって、結局私は「そう」としか答えられなかった。
それきり、その話は終わった。あとはくだらない雑談をして、昼休みは終わった。その日はおしおきもキスもなしだった。
それから二日後の今日。
つまり、委員長の告白(たぶん)が行われる日。
休日の早朝朝五時に、私は一人でリリアの丘に来ていた。自分の靴を握りしめて。委員長の告白を妨害するために。
怖かった。ケイちゃんを失うのが恐ろしかった。結局私より、委員長を選ぶんじゃないか。そんな予感がしていた。だって私とケイちゃんは、いまだに恋人でもなんでもないのだから。
だから、妨害しようと思った。告白を邪魔して、失敗させてやろうと思った。
そのために用意したのが、今握りしめているこの靴だ。
この靴は以前、ケイちゃんがロッカーで一生懸命くんくん嗅いでいたやつだ。いわば、私達をつないだ思い出の品だ。
これを、樹の根元にさりげなーく置いておく。
すると当然、ケイちゃんの目に入るだろう。思い出の品を目にしたケイちゃんの脳裏に、私と過ごした日々がフラッシュバックする。そして懐かしさでいっぱいになって、私が恋しくなって、委員長の告白を断る、という寸法だ。われながら邪悪で完璧な妨害工作である。
ではさっそくと、靴を置こうとした瞬間。
階段を上がってくる足音が聞こえた。
まさか。そう思い、上から少し身を乗り出し、下を見る。
そのまさかだった。
委員長。エリー・クロスビィ。彼女が、小さな包みを抱えて、うつむきがちに階段を上ってきていた。
え、なんでなんで。だって今、朝五時だよ。早朝も早朝だよ。時間聞いてなかったけど、まさかこんな朝っぱらから告白するの?おかしいじゃん絶対お互い寝起きじゃん告白する方もされる方も。もっとコンデションいいときにやりなよ、そりゃこの時間なら、他に誰もいないだろうけど…、って、そういうことか。誰にも邪魔されないように、早朝を選んだってことか。ところがどっこい、完全なるお邪魔虫がここにいるんですけどね!
って、それどころじゃない。委員長が早朝を狙った理由なんて推測している場合じゃない。ここで鉢合わせしたら、妨害しようとしていたことがばれる。委員長だけじゃなく、ケイちゃんにも。そしたらもう一巻の終わりだ。
逃げなきゃ。と思うのだが、丘の頂上に至る道は階段だけだ。
隠れなきゃ。と思うのだが、丘の上にあるのはリリアの樹だけだ。
ええい、ままよ。
進退窮まった私は、やむなくリリアの樹に登った。
こう見えて運動神経はいい方なので、なんなく上の方まで登る。大きめの枝に座り、体を安定させる。よし。ここなら見つかることはないだろう。
ふと私は、自分が靴を握ったままであることに気付く。どうりで登りにくいと思った。下に置いてくればよかった。いや、そしたら委員長が「なんだこれ」って上見上げるだろうから、結果これでよかったのかもしれない。
じゃあってことで私は、小枝の先に靴を引っかけた。なんとなく、特に意味もなく。まあせっかくリリアの樹に登ったんだし、その記念というか。
無意味な愚行をしているあいだに、委員長が樹の下にたどり着く。
おそらくはプレゼントであろう包みを胸に抱え、じっと佇む。完璧に「待ち」の態勢だ。本番じゃなく下見であれと期待していたが、やっぱり今から告白のようだ。
そこで私は、大変なことに気付いた。
あれ?じゃあ私、ここで告白シーン見てなきゃいけないってこと?委員長がケイちゃんに想いを告げるさまを、上からずっと見守っていなくちゃいけないってこと?
嫌だよそんなの、見たくないよ、怖いよ。委員長がふられることが確定しているならともかく…。
でも今更どうしようもない。
嫌だからってここでついーっと樹を降りていけば、「うわーなんだお前!」と大騒ぎになるだろう。
仕方なく私は諦めて、太い枝に座って時が過ぎるのを待った。
ああ、そういえば。
二日前のお昼休みの終わり間際、ケイちゃんが「朝五時からなんたらかんたら」って言っていた気がする。その前の「エリーに告白されるかも」で、頭真っ白になっていたから、ちゃんと聞いてなかった。じゃあやっぱり、間違いなく今からここで告白なんだ。ああ、嫌だ嫌だ。憂鬱だ。
委員長がそわそわとケイちゃんを待つ。私はそれを上空の枝から眺める。よくわからない、シュールな状況になってしまった。
じっと待っているあいだ、私はふと、前世のことを思い出した。
空き教室から、ハヤミさんとアカサキの告白シーンを覗いていたときのことを思い出した。
告白と聞いて、いの一番に頭に浮かぶのは、やっぱり前世のあのシーンだ。イトウミクの人生を変えた、あのシーンだ。
あのときイトウミクは、強いショックを受けた。ハヤミさんが同性愛者だと気付き、自分が本当の意味でふられていたと気付き、悲しくなった。ぶざまで、みじめだった。すぐに別れろ。不幸になれ。逆恨みしてそう願った。
だけどそれ以降の人生で、あの日のあの場面こそが、彼女の心の支えになった。何度も繰り返し思い描いて、まるで自分の思い出のように、うっとりと追憶に浸った。額縁に入れて飾って眺めるみたいに。
ハヤミさんとアカサキが、どうかいつまでも幸せでありますように。いつしかそう願うようになっていた。過ぎた時間が自分のみじめさを流し去り、目にした美しい光景だけを手元に残した。
これから始まる光景は、私にとって、どういうものになるんだろう。
ケイちゃんが、私ではなく委員長を選んだら。この美しい花の咲く樹の下で、二人が愛で結ばれたら。私は泣いて、嘆き悲しんで、それでもいつか、きれいな思い出にしてしまうのだろうか。
いろんな嫌な考えが、頭の中でぐるぐる巡る。
私は少し、考え過ぎているのかもしれない。余計なことを気に過ぎているのかもしれない。
昔、ママから言われたことがある。あなたは些細なことで勝手にあれこれ悩んで、一人で深みにはまって落ち込んでしまう、それが欠点だ。と。確かにそうかもしれない。
それは結局、自分に自信がなくて、臆病だからだ。
私はいろんなことが、ずっとずっと不安だった。産まれる前から、前世の頃から、ずっと。
そして、ケイちゃんがやってきた。
無表情だった。
不自然なくらいに無表情だった。どういう感情を抱いているのかわからなかった。迷惑だと思っているのか。嬉しいと思っているのか。嬉しいという気持ちが恥ずかしくて隠そうとしているのか。なんにも思っていないのか。早起きして眠いだけなのか。全然わからなかった。それが私をなおさら不安にさせた。
ケイちゃんが、樹のふもとに立つ。ちょうど私の真下になる位置だ。こうなるともう、ここからでは頭の上しか見れない。彼女がどんな表情をしているのか、確認することができない。
「あ…、ちゃんと来てくれたっ。あんがとねー!」
委員長が、片手をひらひらと振った。いつも通りに明るく朗らか、でもいつもより緊張気味。そのかわいらしい仕草に、私はますます不安がつのる。
「あー、まー、そりゃーねー。呼ばれたんだから、来るでしょ、ふつー。」
「そっか、そだね。」
「…でー?なんなん?なんの用なん?」
「うん…。あのね。」
委員長が、はにかんで笑った。
見る人全てを魅了するような笑顔だった。
やめて、やめてください、私は心の中で叫んだ。苦しかった。この期に及んで、「やっぱり告白じゃなかった」という展開が訪れることを願っていた。
でも、無慈悲な現実はそんな願いを受け付けやしないってことも、薄々わかっていた。
「私…ケイさんのことが好き。」
絶望的な一言を、委員長が言った。




