前世の知識で夢想する
自分は自分の前世を知っている。
その事実は、いっとき私を得意な気分にさせた。私はそんじょそこらの凡庸な連中とは違う、特別な人間なのさと思った。なんなら、神に選ばれた存在だとすら信じていた。
しかし実際のところ、前世を知っていることで生じるメリットなんて、特にこれと言ってなかった。
よく考えたら当たり前だ。自分が前の世界で何者であったかなんて、当人以外にはどうでもいい話だ。
それに、人生一回多めに生きているからって、知識や経験が生かせるわけでもない。文化の有り様が違うのだ。まあ専門的な技術を習得していれば別かもしれないけど、イトウミクは、なんの特技もない人だった。人と交流せず、何も学ばず、努力もせず、ただなんとなく生きてそして死んだ。そういう女だった。さすがは私の前世である。
人としての深みとかも別に、前世を知ったからとて向上するわけじゃない。
三十代半ばまで生きていればいろんな人生経験踏んで、今生に活かせそうなものだが、そんなことはなかった。イトウミクは、起伏の乏しいのんべんだらりとした生涯だったので、人生経験が乏しかったのだ。
まあそれでも、イトウミクの記憶が私の人格に一切影響を与えなかった、ということはない。三十代フリーターの暮らしを追体験したおかげで、若者らしさに欠ける、じめっとした性格と相成った。それを「前世を知ったメリットだ」と言い張る度胸は私にはない。
結局私は、神に選ばれし存在でもなんでもなかった。無駄に変な記憶を所有しているだけの女。ただそれだけだ。
だいたい、神に選ばれたどころか、私の魔力は学年最下位レベルである。自他ともに認める魔法学園の落ちこぼれ。それが私、クミン・ナイアローズだ。
座学の授業が全て終わった。最後は憂鬱な、全クラス合同の「闘幻」の授業。幻獣召喚のお時間だ。
召喚獣を操って戦わせる「闘幻」。このフレアー王国で最もメジャーなスポーツだ。魔法専門学校はたくさんあるけど、どこでも必修科目になっている。このゴロワーズ魔法学園も同様だ。闘幻の戦績が、トータルの成績に大きく影響する。
そして私は、闘幻がとにかく弱かった。一勝もできなかった。毎度毎度恥を掻くばかりだった。
うんざりした気分で席を立ち、体育館横にあるバトル館(正しくは聖魔なんとかかんとか殿と言うらしいが、教師含めて正しく呼ぶ人はいない)に向かう。
教室を出てちょっと行った所で、ふと、気になる会話が耳に入った。先生とクラス委員の会話だ。
「あーあーあーあれ、エリーお前、闘幻のあれ皆に言ってくれたか、あれ?」
「なに先生、あれあれってー。あれじゃわかんないよ、まあ言ったけどー。ちゃんと朝言ったけどー。」
「おっそうか!ありがとな!」
用があるのか、礼を言ったあと、先生はどたどたと廊下を走っていった。
その後ろ姿を見ながら、私は、やばいと思った。
今の会話から察するに、どうやら朝、闘幻に関する連絡事項があったらしい。私はそれを聞き逃していた。シール貼りの夢を見ている間に周知されたのだろう。
連絡事項とはなんだったのだろう。事前に何か準備をしなければならないとかなら、困る。闘幻の先生は厳しい人なのだ。
さて困った。話を聞ける相手がいれば何の問題もないが、私には女子の友達が一人もいないのだ。友達どころか、まともに口を利いたこともない。
もちろん男子にだって、口を利けるような知り合いはいない。いやまあ、軽薄そうな男子に、何度か声をかけられたことはある。あれはたぶん、ナンパ的なやつだった。自惚れているわけじゃない。孤立している女は落としやすいとふんだのだろう。
しかし私は同性愛者だし、正直、胸をチラ見してくる目つきが不快だったので、そっけない態度を取った。そうこうしているうちに、私に話しかけてくる人は、男女とも皆無になった。
そんなわけで、私は窮地に立たされた。
闘幻の先生に叱られたくなければ、「クラスメイトに話しかける」という高難度ミッションに挑まねばならないのだ。
弱った私は、イチかバチか、クラス委員のエリーに話しかけることにした。私と真逆の明るいタイプだが、クラス委員だし、きっとシカトとかはしないだろう。たぶん。
速足で、さささっと彼女の背後に忍び寄る。おずおずと肩に右手を延ばす。
さあ話しかけるぞ。
と思ったとたんに、体に異変が起こった。動悸、息切れ、めまいが起こり、膝頭がガクガク震え出した。病気じゃない。極度の緊張のせいだ。
クラスメイトに話しかけるという行為は、体調不良を引き起こすほどの緊張を私に強いたのだ。
やっぱやめよう、こんな大それたことはするべきじゃない。人には向き不向きがあるのだ。
そう思ったのだが、震える右手が、うっかりエリーの肩に触ってしまった。いけない。もう後戻りできない。取り返しのつかないことをしてしまった。
「んー?うおっ。」
振り返ったエリーが、こちらを見て息を呑んだ。
まあ、それはそうだろう。振り向いたら、一度も話したことのない嫌われ者が、目を白黒させながら小刻みに震えているのだ。誰だって何ごとかと思うだろう。でも「うおっ」はひどくない?やばいやつ扱いかよ。ちょっと傷つくんですけど。
「え、なに?あたし?あたしに用?」
怪訝な顔で、エリーが尋ねる。その顔に、私のパニックは加速する。
「あ、あの、さささっき、さっきの朝のやつって…。」
「は?」
「な、何かなーって、先生が言ってた、さっきの、あの、さっきの…。」
「……。」
「エリーっ?!なにやってんの、行こー?!」
「あ、うーん!」
エリーが、呼びかけた友達の方に走っていく。私を残して。振り向きもせず。
「えー、何あいつ、なんか言われたん?」
「知んなーい。」
きゃいきゃい笑いながら、エリー達が去っていく。私は一人、その場にたたずむ。怒りと羞恥にまみれながら。
なんだあいつ。なんだあいつ。なんだあいつ。最悪じゃん。仮にもクラス委員という役職に就く者が、あんな塩対応していいわけ?ちょっとかわいいからって調子乗ってんじゃないの。そりゃ確かに、「ひょっとしたらこの何気ない会話から恋が始まるかも」的な邪念がなかったとは言わないけどさ。だからって、あんな不審者見るような目で見ることないじゃん。
ハラワタ煮えくりかえった私は、頭の中に、いつもの「ムカつくやつぶっ殺すルーム」を思い描く。
ストレスはすぐさま発散するに限る。私は不愉快なことをされると、相手をメチャクチャにする妄想をして、鬱憤を晴らすようにしているのだ。
ムカつくやつぶっ殺すルームというのは、私の脳内にある架空の小部屋だ。地下にあって照明はろうそくで壁はレンガで等、いろいろと綿密に設定を作っている。固定の舞台があると、妄想のリアリティがぐんと増すのである。
私は、脳内のぶっ殺すルームでエリーをもみくちゃにした。
少し気が晴れた。バトル館に向けて歩き出す。もう連絡事項なんてどうでもいい。怒られたら怒られただ。話しかける苦痛に比べたら、なんてことない。
そういえば、このストレス解消法を思いついたのは私じゃなかったなと、ふと思い出す。
ぶっ殺すルームを思いついたのは、イトウミクだった。夢の中でのストレス発散法を、「こりゃいいや」と現実で採用したのである。
だから、私が前世から引きついたものは、ムカつくやつぶっ殺すルームだけだ。