歯みがきステキ
「はい、じゃー、おくちあーん。」
「ご、ごはん食べたばっかだから、口の中汚い、恥ずかしいよ…。」
「はーあ?歯みがきは、食べたあとにやるもんでしょふつー。」
至極ごもっともなことを、ケイちゃんが言った。
完全論破された私は、しかたなく、口を少しだけ開けた。
「ねー、そんなんじゃできないじゃーん。ちゃーんと大きく開いて、よーくあたしに見せてよぉ?ごはん食べたばっかりの、クミンのばっちいおくちの中―。」
あごの下を、指先でこしょこしょくすぐられる。そのこそばゆさが心地よくて、抵抗する気力がなくなってしまう。全部ケイちゃんの言う通りにしよう、何もかも彼女にゆだねてしまおう、そんな気持ちになってしまう。
私は彼女の望むまま、口を大きく開いて、中を全てさらけ出した。
「あ、はがぁ…。」
「んー、そーそー。いい子でちゅねえ?あーすごい、全部見えちゃう。クミンの柔らかそうなベロとか、よだれでテカテカに光ってる歯茎とか、喉の奥のピンク色とか、ぜーんぶ見えちゃう。そのまんまでぇ、もうちょーっとじっとしてるんでちゅよー?」
赤ちゃん言葉で褒められつつ、頭を撫でられた。じんわりと、胸に多幸感が広がる。もっと褒められたい。もっといい子いい子してほしい。その想いから、私は言われた通りに、大口を開けたみっともない顔でじっとしていた。
そんな私をひざの上に放置して、ケイちゃんは歯ブラシに歯みがき粉を練りつける。それを持ってきた水でちょっと濡らす。「なるほどー、だから今日はジュースじゃなくて水だったんだ」と感心したのも束の間、すぐに不安になった。その歯みがき粉は、明らかにつけすぎだった。通常の二倍の量はあった。
とろっとろの粘液を乗せた歯ブラシ片手に、ケイちゃんが微笑した。
「お待たせー。じゃーあー、この歯みがき粉、ぜーったい垂らしちゃだめだかんねぇ?」
「ほごっ…。」
ずっと開きっぱなしにしている口腔に、ようやくブラシが突っ込まれた。
「まずはぁ、おくちの中ぜーんぶ、泡まみれにしてあげんねー?」
優しく撫でさするように、ブラシがこすりつけられる。ぬるぬるしたものが、歯の裏側にも歯茎にも、ほおの内側にまでも、まんべんなく塗りたくられていく。ぬめった泡が、唇の裏を撫でてゆく。気色悪さと紙一重の快感に、うっとりしそうになる。
そんなうっとりをかき消すように、すぐ辛さに似た刺激が口中に広がった。スーパーミント。従来商品の三十倍と謳われたミント感。それが苦しくて、私はたまらず身じろぎした。その間にも、ぬめぬめした粘液をまとったブラシが、口の中を這いずりまわる。ミントの爽快感と、それに相反するような泡の恍惚感。二つの刺激的な感覚が混じり合って、頭がとろけそうになってゆく。体が変にふわふわするみたいな、じれったい感覚が湧き上がってくる。そのじれったいような感じに、自分の太ももを、すりすりとこすり合わせて耐える。そんな私の姿を見下ろしながら、ケイちゃんが「あははっ」と嘲笑する。
「やだぁー、なに悶えてんのぉ?んばーって大口開けたまんまで、体くねらせちゃってぇ、ばかみたぁい。やっぱクミンって変態なのぉ?」
「はっ、おごぉ…。」
ケイちゃんにあざ笑われるたびに、頭がじんじんと熱くなる。胸が甘く疼く。好きな人に笑われて喜んじゃうなんて。こんなのおかしい。こんなのおかしいのに。そんな葛藤も、口腔を歯ブラシでぐちゅぐちゅ掻き回される心地よさで溶かされていく。その快感を上塗りするように、強烈なミントの風味が鼻孔の奥まで刺激する。いろんな感情がごちゃごちゃに混ざって、私は甘美なパニック状態に陥ってゆく。
「ねー、悶えるのもいいけどさー、歯みがき粉垂らしちゃだめって忘れないでねー?約束破ったら罰ゲームだかんねー?」
「ほっ…!」
ケイちゃんに言われて、やっとそのことを意識する。すでに口の中は、泡とよだれでいっぱいになっていた。今にもこぼれそうだ。慌てて舌の付け根を必死に持ち上げ、喉の奥をきゅっと締める。眉間や鼻の横に、変な皺が寄っちゃっているのが自分でわかる。ああ、きっと今私、すごく変な表情になってる。間抜けな顔になってる。そう思いながら、ケイちゃんを見上げる。視線が合う。絡みつくような、熱い、熱い視線。ケイちゃんにだらしない顔をみつめられている、それが狂おしいくらいに恥ずかしく、嬉しかった。
「ふふっ。なぁに、その顔ぉ?すっごいよぉ、まっかになって、鼻の穴おっぴろげちゃってさー?よだれ垂らさないようにがんばってんだー?えらいえらーい。じゃ、ごほうび上げるねぇ?」
「ほごぉ…!」
歯ブラシの裏側、すべすべしたプラスチックの部分で、ケイちゃんが上あごを撫でた。
それを脳が一瞬、指で触れられたように錯覚し、強烈な快感が襲った。びくんと、体が勝手にのけぞった。
次の瞬間。
私の唇の端から、白濁したよだれが、どろりと盛大にこぼれた。あごをつたい、ケイちゃんのスカートを濡らした。
一度口から洩らしてしまうと、もう歯止めがきかなかった。白く泡立った粘っこい唾液が、口腔からとめどなくあふれてゆく。私はそれを見ながら、「アー、アアー。」と情けない声を出すだけだった。いけないことをしてしまった、そう思いながらも私は、ぞくぞくしていた。快感にうち震えていた。たまらなかった。ケイちゃんの清潔な制服を、私の口から出した汚らしい唾液で汚してしまった。柔らかな太ももを、べとべとのぐしゃぐしゃに濡らしてしまった。震えるような罪悪感と背徳感。くらくら眩暈がしそうだった。
「あーあーあー、垂らしちゃったぁ。駄目だったねえ?せっかくがんばったのにねえ?よだれ我慢できなかったねぇ?」
「ほ、ほめんなはい…。」
歯ブラシを咥えさせられたまま、ごめんなさいと謝る。するとケイちゃんがまた、頭をなでなでしてくれた。いじわるされるのと、甘やかされるの。交互にやられて、私のメンタルはとっくにめちゃくちゃだ。しかも、そんなママみたいな優しい仕草とは裏腹に、彼女の目は興奮で潤んでいる。
「クミンはがんばったけどー、約束は約束だからねー?今から罰ゲームするねぇ?」
「ふぁあい…。」
罰ゲーム。そうだ、約束を守れなかったんだから、私は罰を受けるんだ。だめな私を罰してくれるんだ。言うことを聞かなきゃ。従順な気持ちになり、どんなことをされちゃうんだろうと、どきどきしながら待つ。
歯ブラシが、そっと舌の裏側にあてがわれた。
ケイちゃんが、妖しい微笑を浮かべた。
「はーいじゃあ、れろれろの刑執行―。れろれろれろぉーっ。」
「ほっ、えうううぅ…?」
ブラシが上下に激しく動く。そのバイブレーションに合わせて、私の意志とは無関係に、私の舌もぐねぐね動かされる。まるで透明な飴玉を、夢中でおしゃぶりするみたいに。残っていたよだれが、唇の端からだらだら垂れ出してゆく。すごい、こんなの、妄想の中でもしたことない。れろれろなんてはしたないことを、無理矢理させられるなんて。同級生の女の子に、自分の舌を好き放題弄られるなんて。
気が付くと、ケイちゃんの頭がだいぶ接近してきていた。背を屈め、ひざまくらした態勢で、可能な限り顔を近付けていた。激しい息遣いが、すぐ傍で聞こえてくる。いやだ、見られている、下品にうごめく舌を、れろれろさせてる私のキモ顔を、ケイちゃんにじっくり見られちゃってる。今までのものとは比べ物にならない羞恥と屈辱に、私の肢体は小刻みにぶるぶると震えた。
「ふぇいふぁ、ふぇいふぁん…。」
ケイちゃん。名前を呼びたいのに、呼べない。もどかしくなって、手を彼女に向けて差し出した。すると歯ブラシを握っていない方の手で、ぎゅっと握ってくれた。じっとりと汗ばんで、ぬるぬるしてる。ケイちゃんも、私も。湿った手のひらをお互いにこすり合わせ、にゅるにゅるした指を絡ませる。くちゅ、くちゅ。キスをしているみたいに、つないだ手のあいだから、濡れた音が鳴る。手のひら全部が粘膜になって、吸いあっているようだった。握手がこんな淫猥なものだなんて、初めて知った。口腔の刺激と相まって、私は信じられないくらい興奮していた。次第に体の奥の方から、熱い波のような感情が押し寄せてきた。
「ねークミンさぁ超まっかなんだけどー?興奮してんのぉ?あたしに無理矢理れろれろされて興奮しちゃってんのぉ?うそでしょー、学校で制服姿でさぁ?やっぱぁいマジ変態じゃーん!信じらんなぁい、普段は純情乙女みたいな顔してんのに、舌れろれろで喜んじゃうなんてさぁ…!」
純情乙女?地味で冴えない私を、そんなふうに思ってくれていたのか。嬉しい。ケイちゃんの何気なく発した言葉に、私の胸はキュンキュンときめいた。舌をいいようになぶられながら。そんな私を、ケイちゃんが熱で浮かされた瞳でみつめる。なんて幸せなんだろう。幸せすぎる。もし、こんな状態であれを言われたら。更にあの言葉を言われたりしたら。どうにかなっちゃう。幸せすぎて、きっと私どうにかなっちゃう。
「はああ、やっぱぁい…、クミン、クミン、かわいいっ!」
「っ!ふぇいふあああぁんん…!」
ケイちゃんの手を、思いっきり握りしめる。
かわいい。彼女のその一言を合図に、私の熱い感情は極に達していた。
幸福の絶頂で、頭が真っ白になっていた。
こうして二回目の歯みがきは、最高にハッピーな気分で終わった。大切な人に「かわいい」と言われることが、こんなにも嬉しいものだとは思わなかった。
それからの数日は、私は浮かれ気分で過ごした。自分は世界一の幸せ者だ、これ以上のことはもう望まない。そんなことを思っていた。
しかし、人の欲望とは果てしないものだ。
一週間も経つと、もう私は、新たな欲にとらわれていた。
実は、ケイちゃんにあのとき言ってほしかった言葉は、「かわいい」ではなかった。それもめちゃくちゃ嬉しかったけど、本当は違う言葉だった。やっぱりそれを、ケイちゃんの口から聞きたい。そう願うようになっていた。
好きって言われたい。
ケイちゃんに、「クミンが好き」って言ってほしい。
そんな欲望を、私は抱いてしまっていた。
彼女からはいまだに、「好き」はもちろん、「付き合って」とも言われていないのだ。
私とケイちゃんは依然として、恋人未満の関係だった。




