のけ者ミーツ嫌われ者(長めの回想) ⑤
おしおきされたら嫌いになる。
あのとき私は、そう言った。特に考えもせずに口にした、何気ないひとこと。
と、当時は思っていた。でも、今ならわかる。自分がそんなことを口走った理由が。
本当は、逆だ。
このままおしおきを続けられたら、自分に課した戒めが解けてしまう。
ケイのことを、好きになってしまう。
そう思ったから、つい逆のことを言ってしまったのだ。
「これ以上おしおきされたら、ケイちゃんのこと、嫌いになっちゃうかも…。」
私がそう言うと、ケイは意外な反応を示した。
きっと一笑に付されて、おしおき続行だろう。そんなふうに思っていたのに、驚くほど深刻な顔つきになった。私の発した言葉を、ひどく重く受け止めているようだった。
手を下ろし、じっと黙り込んでしまった。何かを逡巡するように。というか、実際にためらっていたのだろう。
大好きないじめの楽しさを取るか、友情を取るか。
その二択で迷っているようだった。
そんなリアクションを見て、私は急に、胸の動悸が早まっていった。すごい問いかけをしてしまったと、今更思った。
やめなきゃ嫌いになると、私は言った。つまり、ケイがここでおしおきをやめたら、私に好かれたいということになる。逆に、おしおき続行を選ぶなら、私に嫌われたっていいってことになる。
ケイが、どれだけ私を友達として尊重しているか。
それをテストするような問いかけを、うっかりしてしまったのだ。そのことを、ケイが沈黙してからやっと気が付いた。
気付いた途端私は、「やめるって言ってやめるって言ってやめるって言って」と、心の中で祈りまくった。
おしおきやめるって言って。あんたに嫌われたくないからやめるって言って。そしたら、やっぱたくさんおしおきしていいよって言うから。そんなことを願っていた。
何気なく言ったつもりのひとことなのに、ちょっとした告白をしたような感じになっていた。
好きになっちゃいけない。恋愛対象として見ちゃいけない。
そう考えている時点できっと、すでに好きになりかけていたのだろう。
だからこそ私は、ケイの出した結論に、強い衝撃を受けた。
彼女はたっぷり一分くらい黙り込んだあと、こう言ったのだ。目を伏せて、捨て鉢になったみたいに、あきらめるように。
「だって、クミンに好かれたって、なんにもなんないじゃん…。」
ケイは言った。
あまりにも身もふたもない、本音の言葉だった。
す…、と、血の気が引くのを感じた。それから、おなかの中がギュッと痛むような感覚。冷たくて固い物を飲み込まされたような気分だった。
そしてこのときやっと、私は気付いたのだ。
ケイはもう、私のことを友達として見ていないことに。
私を、単なるストレス解消の道具と見なしていることに。
心の中で、何かが壊れる音がした。
「きらい…。」
うめくように、言った。
「嫌い、嫌い、嫌い…!ケイちゃ…、ケイなんて、大嫌い!」
それから、叫んだ。わめき散らした。私に呼び捨てにされたケイは、何かに耐えるように歯ブラシを握り締めていた。それが滑稽で、なぜかなおさら悲しい気持ちになり、ついに私は、両手で顔を覆って泣いてしまった。
「ちょっと、ちょっとちょっと、どうしたの!そこのトイレ!大丈夫?!」
トイレのドアの外から、中年女性の声がした。それから、激しくノックする音。
「悲鳴みたいなの聞こえたけど、中で何やってんの!ちょっと、ここ開けなさい!開けないと警察呼ぶよ?!」
犯罪行為か何かが行われていると誤解したのだろう、更にノックの音は激しくなった。
カラン、と音がした。ケイが歯ブラシを床に捨てたようだった。
それから彼女は、ドアの鍵を解除した。扉を開けた女性に、なんやかんや受け答えしていた。私はそれを、手で顔を覆ったまま聞いていた。
やがて女性は、特に犯罪ではなかったと納得して去っていった。
「じゃ…、あたしも、帰っから。」
ぽつりと、ケイが言った。顔を上げられなかった。フックから、かけていた鞄を取り外す音が聞こえた。
「嫌われたからさぁ、もう、話しかけんのやめんね。」
私みたいな小さな声で、ケイがつぶやいた。
反射的に、私は顔を上げ、言った。
「だめ…。」
「え?」
「話しかけるのやめたら、もっと嫌いになる…。」
支離滅裂なことを、私は口走った。
すでに私は、本当にケイのことが大嫌いになっていた。友達のふりをして、私をいじめたいだけの女。性格最悪女。話しかけられない方がいいに決まっている。縁切れた方がいいに決まっている。
それなのに私は、やっぱり彼女を失いたくなかったのだ。
「ずるいよ。」
ケイが言った。消え入りそうな、か細い声で。聞こえるか聞こえないかぐらいの声で。
「ずるいよ、クミンだって、どうせ男の」
それから先は、もう聞き取れなかった。
顔を見たいと思ったが、眼鏡に涙の水滴が付着していて、よく見えなかった。
逃げ去るように、ケイがトイレを出ていった。
それからまもなく、ウェブスター先生の闘幻反省会が開催されるようになった。
必然的に、私とケイは一緒に下校できなくなった。そうなると、自然と交流は少なくなった。校内で時々会い、闘幻で試合するだけの関係性になった。
それでも約束通り、彼女は話しかけてくれた。憂さ晴らしのいじめも兼ねて。というより、憂さ晴らしのいじめのために。
しかし私達の関係性は、やっぱりもう完全に友達ではなくなっていた。いじめっ子と、いじめられっ子。それだけの間柄になっていた。
と、思っていたところに、あの事件が発生したのだ。
あの、ケイ・バンクスこっそり靴嗅ぎ事件が!
私は色めき立った。一発大逆転だと小躍りした。逆転百点ホームランだ。スーパー百億万点ホームランだ。
そうか、そうだったのか。ケイは同性愛者で、私が好きだったのか。今までの行為はいじめじゃなくて、やっぱり彼女なりの愛情表現だったのか。いじめが趣味の性格最悪女じゃなく、エスッ気強めなだけの普通の女の子だったのか。自分の気持ちに素直になれないだけの。なーんだもー早く言ってよちょっとー妄想してた通りだったんじゃーん。てゆーか我慢することなかったんじゃん恋愛対象として見てよかったんじゃん最初っからー。
と思っていたところに、さっきの「こっそり嗅いでたわけじゃない、あんたが来ることわかってた。いじめの一環として嗅いでただけ」発言である。
天国から地獄。
天国から地獄行ってそれからまた天国昇って結局地獄である。大忙しだ。
なんでこうなったんだろう。どこから間違えたんだろう。本当に。そう思い、彼女との出会いから振り返ってみたわけだが。
振り返ってみるとやっぱり、どうあがいても駄目だった気がする。どんな選択肢を取っても、結局現状と似た状態に陥っていた気がする。どんなパラレルワールドでも、今とおんなじ感じになっていた気がする。一度出会ってしまったが最後、結局私は、ケイに好意を寄せてしまうのだろう。「あんたに好かれても仕方ない」と断言する少女に。
こうしてみるとつまりは、最初に二人組に声かけたのが、そもそもの間違いだったという気がする。
三度目の闘幻のあとの、「スライムVSスライム最底辺の闘い」と小馬鹿にしていた二人組。勇気を振り絞って、あいつらに反抗したのが間違いだった。あいつらに声さえかけなければ、ケイと出会わなくて済んだ。こんなみじめな思いをせずに済んだのだ。
だから、勇気なんて振り絞るべきじゃなかったのだ。




